「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

え、えーっ、あれは~~!

2022-02-22 | 千ヶ滝分校があった~♪
朝ドラを全く見ていない私ですが~~
ふと読んだある記事にびっくり。
「カムカム 英語 」(?)の担当者だった方が、
「テーマ曲は、親しみやすい”ショウジョウジの狸囃子”にした」と。

「ショウジョウジのタヌキ囃子」
まだ戦後間もなく、「千ヶ滝分校」があった頃、

学芸会の時の父兄の出し物にー-その歌がありました。
お母さんたちがそれぞれに長いスカートなどに扮装して
手には楽器代わりに持った鍋やフライパンを打ち鳴らして
歌った歌が ”ショウジョウジの狸囃子”

♪しょっ しょっ しょうじょう寺、
        ショウジョウジ~ズラクーン~♪
・・・・・・・
   ♪ ~オールイズカミング~ ~コイコイ来い♪

大喝采!だった出し物。
これだったんだ!

初めて知った。
あの頃の子どもたちは、いまや親となり、さらに
老年期を迎えている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆浅間山に抱かれた千ヶ滝分校の跡地の広ーいグラウンドは、
今、星野リゾートの観光バスの駐車場になっていると知った
          ☆☆☆☆
『戦中戦後の軽井沢疎開生活と千ヶ滝分校の記憶』
    軽井沢小学校千ヶ滝分校同窓生文集—編者・倉石文彰
     軽井沢新聞社発行)
    
    (この本は、ルピナスよりも、2~3年上の方々の記録かと。)



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確かに、あれは~~!

2021-06-23 | 千ヶ滝分校があった~♪
ずーっと昔のことで恐縮なのですがーー
たしかに、私は見たのだ、きっとそうに違いない~~
忘れないうちに書いておこう。

◎遥か遥か遥かに昔、水源地といわれる山奥へ
子供たちが徒党を組んで出かけた時のこと。
枯れ葉の積もった山の地のくぼみに水が溜まっていて
そこに、魚ではない小さな手足のある生き物が・・
あれは、きっとサンショウウオに違いなかった・・・・と思う。

◎そして、文化村と呼ばれていた別荘地の夏の原っぱに、
茶色いコロコロした小さな子ウサギを見た。
あれは
確かにピーターラビット(!)
野ウサギの子だった。

◎今のセゾン美術館の少し上のあたり。
そこの近くを渓流が流れ道をへだてて、片側は少し小高くなっていた。
その境の端のところから、いつもきれいな水がチョロチョロ滴っていた。
あれは、ハケだったと思う。

◎記憶に残る言葉
ギランさん、与謝野さん、崎川さん
母たちの言葉の断片。
●ギランさんーー仏ジャーナリストのロベール・ギランさん。
近くに日本人の奥さんと住んでいた。
●与謝野さんーー疎開して千ヶ滝分校に通っていた頃のことを
ブログに書かれていた。元国会議員の与謝野馨さん。
●崎川さんーー母たちが別荘の管理?をしていたので、避暑前、
奥様から達筆のお知らせはがきが。
 後の新聞記事で、奥様の遺品から、藤村操からの恋文がーー見つかったと知った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆”千ヶ滝分校のこと

2018-01-31 | 千ヶ滝分校があった~♪


こんなことは誰も書いていないと思うので、ささやかな記録としてーー。

むかし昔のことです。浅間山の麓に小さな学校がありました。1年生から6年生まで、全校生徒は90人ほど。
私たちは、軽井沢東小学校千ヶ滝分校 と呼んでいました。
運動会などの行事の時は、高学年は、1時間半くらいも歩いて、本校に合流するので、大変だったことを憶えています。
何にしろ、今でいう中軽井沢までは歩いて40分、さらに国道18号線に沿って軽井沢方面に同じくらい歩かないと行けません。

春 夏 秋 冬

フデリンドウとオキナグサ

野菊の歌

野兎の仔

秋の山は明るい

ビルさんのこと

[カルメン故郷に帰る]

三つの愛

芹が沢

浅間葡萄

等々のことについて。
ただ、覚え書きのつもり。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする