「カラマツの下の花畑」・・・・♪

「いとしき草花たち」「97歳の軽井沢物語」「日常の小さな喜び」「葛西スケッチブック」ほか混植です。

千ヶ滝の冬

2012-02-04 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

                

 

どんよりとした暗い空、風が痛いほど肌を刺す、雪の少ない年ではあるがこんな日には必ず雪が舞う。

道路の雪は運送の轍の後をクッキリと残し人通りのない横道は白一色の雪景色と変わる。

よく見ると、チョンチョンとかわいらしい小鳥の足跡がきまりよく落葉松の根元まで続いている。

時にはリスがスルスルと高い冬木立を上り下りするのが眺められる。

赤松の枝は雪をかぶってその重みにじっと耐えているようだ。

千ヶ滝の冬は退屈で厳しいけど冬の細やかな自然に接することのできる季節でもある。

                                                 (平成10年頃)

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凧揚げ  〜97歳のumeさんが子供の頃の話です〜♪

2012-01-24 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

凧と父 


凧は子どもの揚げて遊ぶものと思っていたのに、私の子供の頃はいい大人が大きな凧を揚げて楽しんだもののようでした。
厚い和紙を何十枚となく貼りあわせて、それぞれに達磨大師のひげむじゃな顔や龍という字を紙面一杯に描いて絵具を塗ったお手製の大凧を作り、競って田圃で揚げて楽しんでいました。
カボチャの蔓を薄く削って凧の上に付けると、それがまたすばらしい微妙な音を出して鳴る(ウナル)のです。
鬼ザル一杯の細い麻縄は、凧を揚げるための綱で、父は私の学校から帰るのを待っていては、その鬼ザルの綱を持たせて浅間寄りの田圃へ良く出かけたものでした。
畳二畳ちかくもある大凧なので、特に風のある寒い日を選んだようです。
私のいない時は、母が時々お供をいいつかったらしく、よくこぼして私に話してくれたものでした。
今、思えば、六、七十年前は一面の田圃だった所は、現在は家が建ち並ぶ住宅地で、電線やらテレビアンテナが林立しています。子どもの小さな凧さえ揚げる余地もないほどで、昔の面影の一つだに留めていないのは、当たり前のことでしょう。

日向吉次郎先生は、明治の頃からか、江戸から流れて小諸に移り住んだ、謡曲の大家と聞きました。その先生の一番弟子だった父の許へは、冬になると一里(約4キロメートル)も二里近くも遠い所から謡曲を習いに来る人達が毎晩のように、五人、六人と組になって来たことを覚えています。
「先生は、昼間は凧をウナらせて、夜は自分でウナって(謡曲をうたって)いなさる」などと話題にしたものでした。
とにかく、父の思い出は、今になって思えば私の一番尊敬に値する人でもあり、男子の理想像でもありました。 
                                 
                                                                 平成10年・ume記

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母のいる町

2011-08-01 | 97歳Umeさんの軽井沢物語



百日草はなんとなく郷愁を覚える花です。
しかし、品種改良が進んだ今は、色も形も様々、なかなかの美人花に生まれ変わっています。

駅からの道はあまりに遠く、いつもはタクシーで通り過ぎてしまうのですが、今日の帰りは、
少しだけ散歩がてら歩いてみました。
どうということもない田舎の風景をこそ、母にも見せてあげたいものです。



         

         道沿いの畑。百日草、千日紅も葱もインゲンも仲良く。

 



カナムグラくんも。

 



施設の近くの道。私たちのほか通る人もなし。ほんとうに人里離れた場所です。
この自然環境を、お年寄りたちが本当に楽しめたらいいのになあ。
    

 

 栗の木。 シバグリでしょうか。栗の実る頃、また来ます。 

                

     

    これは何の実でしょうか。 

    バスは月、水、金のみ運行。働いている方たちも、マイカー通勤でしょう。
    タクシーで、駅へ向かう途中、道に出ていたキジの♀にであいました。   
    前には、ケーンケーンと鳴く美しい♂にであったこともあります。

     

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風の町 10番地

2011-07-31 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

 

 

             

     

      千葉県は早場米の産地。新米は、8月中旬?頃には市場へ出るらしい。。。

      

2階に行くと母は7〜8人の入居者とテレビを見ていました。もうすぐお昼なので、ここでいただくのでしょう。 
ほんとうに久しぶりなので、心配しましたが、妹も、私もちゃんとわかっていてほっとしました。
母と一緒に一階の大食堂に降りて、お昼を食べ、部屋へと移動ーー。

            


廊下で会った車いすの、母よりはお若いおばあちゃんーー
「私の顔が誰かに似ているんでしょうかね。いつもこの方が、にこにこ話しかけてくれて。私、とってもうれしいんです」と。

           

いつも、腕につけていた時計は、ベッドの枠に巻かれておりました。97歳のやせた腕にはもう重いのかも。
でも、顔色もよく食事もおいしく食べ、妹の持って行った鮎の甘露煮?をおいしいおいしいと食べていました。
道中は長く、滞在時間は短いのが残念です。もっといろいろ話をして来ればよかったのにといつも反省・・・

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母の日に

2011-05-08 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

    

母の日なので、すぐ下の妹とその息子が行ってくれました。
遠くなので、一日がかりです。
「お母さん、思ったより元気だったよ。食事も食べられていたし、
持って行った果物も『、おいしいおいしい』と食べてくれてね〜」
「良かった!行ってくれてありがとうね。安心した」
「誰か行かないと、お母さんだって、張合いがないものね。
k(息子)も、荷物を持ってくれるしね。助かるのよ」
「あら、ウグイスが鳴いている?」
「ウグイスもカエルも鳴いているわよ」
母を見舞った妹のほうが元気をもらってきたようです。
いつになく晴れ晴れとした妹の声を聞いていると、こちらまでも明かるい気持ちになりました。

それぞれの都合があって母の日には間に合わなかったけれど、私も後日行きますよ。
元気で待っていてね、お母さん。

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もったいない?

2011-04-07 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

ずっと前のことだったが、年配の友人から手編みの セーターやカーディガンをいただいたことがあった。
彼女にはもうサイズが合わなくなってしまったということだった。
それは、彼女やお姉さまが手ずから編んだ美しい模様編みの、上質な感じものだったから、
おそらく、彼女にとっても愛着のあるものだったに違いない。
その中の真新しいカーディガンを母に着てもらうことにした。
私もとても気にいっていたが、まずは母にと思ったのだった。
一年ほどたって、母のところに行くと、新しい毛糸の玉が置いてある。
それを見たときの私の落胆と言ったらなかった。
母は手仕事に、あのカーディガンを全部ほどいてしまったのだった。
母が飽きたら、私が着ようと思っていた。口にはださねど、ほんとうにがっかりした。
母は有り余る時間を何かに使わねばもったいないと思ったのだろう。
母にとっては納得の時間だったのだ。

 

 

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97歳になりました

2011-03-01 | 97歳Umeさんの軽井沢物語


天気予報は雨でしたが、急にお互いの都合が合って、末の妹と、母の見舞いに行ってきました。
天気予報のズレを期待していましたが、やはり予報通り。
             
8時45分に家を出て約3時間。電車とタクシーを乗り継ぎ、母のいる○〇荘へと――。
母はロビーでほかの方たちと一緒にテレビを見ていて、私たちを見ると、手をあげました。この2月11日で、97歳になりました。

車椅子を押して、3人で部屋に行き、くつろぎました。
妹は、ズボン下やパジャマをおみやげに持ってきてくれました。
「ちょうどよかった、足が寒かったんだよ」
という母に、早速はいてもらうと、
「あ〜ったかいね」
と喜ばれて――いつも”かゆいところに手が届く”妹の心遣いです。
今日は、なすがまま、着せ替えのモデルになります」とおどけていうので、
持って行った春いろのニットシャツと、ベストを組み合わせて、着てもらうと、
「10歳は若返ったね」
しかし、私と妹のことは、
「どっちが上だったか下だったか」
と、大分おぼろげ。
「細かいことはだんだん分からなくなっていくの」
でも、それが自然かも。

そのあと3人で、お昼を食べましたが、前に行った時よりも、しっかりとスプーンを口に運んでいます。
「お母さん、眠くなったの?」
「ううん、おいしいなあと思って食べているの」
と、目を閉じながら噛んでいます。
ハンバーグも切干大根の煮つけも、サラダもみんな細かく刻んであります。
が、試食してみるとなかなかおいしかったです。
前にいたケアハウス(同じ経営者で、建物もつながっています。)のときから、ここは食事はいろいろ吟味されていて、いいなあと思っていました。職員のかたたちも、いいのです。
(つづく)

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上の日の ボーダーの〜身に染みて・・・

2010-10-31 | 97歳Umeさんの軽井沢物語
先日某Twitterで、発見!
今彼女が着ているボーダーのタンクトップは、〇十年も昔、
その母親が着ていたものだというものだった!☆””””びっくり。

    

左は、1歳の彼女です。軽井沢の釣り堀でニジマスを釣り上げたところです。
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母を見舞いに  <百歳になったら〜>

2010-09-07 | 97歳Umeさんの軽井沢物語
入院中の母のところへ、娘二人とお見舞いに行ってきました。母は少し前にまた足を骨折し、ただ今リハビリ中。
はたしてどの程度まで回復できるのか見当がつきませんが、意欲だけは確か。
96歳の母が、いつもはめている腕時計。文字の見やすい男物です。細い手首にべルトは余って浮いているけれど、
母が元気に生きていく証のように思えます。

    

病院に着いたとき、母は食事中でした。孫たちがすぐに上がってくると知り、
「来たら一緒に食べる」と言って、食事を少し残して待ちます。
食べ物はみな細かく刻まれていますが、「みんなおいしく食べられるの」と、ゆっくりと、
口に運んでおりました。
”食べることは、生きること”  残っている食欲が、母の元気につながっています。

「おばあちゃんが元気で、話が通じるうちに、一度会いに行っておこう」  と言うことで、今日があったのですが、
「あなたは、どなた?」などと聞かれることもなく、安心しました。
一昨年、次女と行ったときは、「おばあちゃん、mだよ、わかる?」mの言葉に、
「mを忘れるようじゃ、困るでしょう」
と答えていました。外までも歩行補助具を押して送ってくれましたっけ。
今は、明らかにその頃よりは確実に衰えてはいるけれど・・・。

「おばあちゃん、百歳になったら、全員でお祝いの会をしようね」と長女。
「そんなに、いられるかねえ」
「大丈夫よ。来年の2月で97歳でしょう?あっという間だわよ」
「そうだねえ。長くて短い・・・ね。あっという間かもしれないねえ」
「生きていれば、こんな日もあるものねー」 
孫たちに向かって、やわらかい笑顔がかえってきました。

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道三湯 〜〜〜「いい旅 夢気分」 山吹味噌

2010-04-29 | 97歳Umeさんの軽井沢物語

昨日28日のtv「いい旅・ 夢気分」は、軽井沢が出ましたので、見てみました。
渡辺惇一さんと高田万由子さんの軽井沢ーー小諸への文学散歩の旅。
その中でも、印象深かったのは、山吹味噌でのシーンでした。
いろいろなお味噌汁の試食が出来るのですが、自分で、鰹節をけずり、味噌を淹れて熱い湯をそそぎ、即席の味噌汁を味わえるのです。
いわば、味噌汁の原点みたいな食べ方。
「道三湯と言います」
お店の方が言いました。
どうさんゆ!」もはや忘れかけていた、温かい言葉に巡り会ったのでした。
子どもの頃、風邪を引くと、よく母が作ってくれたものでした。
たくさんねぎを刻み、鰹節とおろしと味噌を合わせた熱々の飲み物。
身体の芯からあったまったような気がしました。
今のような暖房など行き届かない、寒いさむい軽井沢の冬を乗り切る知恵だったのでしょう。
あとで、妹にきくと、「風邪引くと飲まされたよね。うちのは、おろしも入っていたよね」と。
どんな字を書きどんないわれのあるものか、全くわかりませんでしたが、あれは、母の育った小諸由来のものだったのだと、初めて知りました。
熱々のしょっぱく辛い、あの味わいを、もう一度試してみたくなりました。

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