青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
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今日は、友達へのいじめを止められなかったとうい趣旨の遺書を残して自殺した問題と尖閣諸島の問題と元衆議院議員石原慎太郎氏(現東京都知事)

いじめ自殺した川崎市多摩区の南菅中学校3年生の命を挺していじめを訴えたことに対し、私も川崎の市民の一人として絶対に彼の告発した、いじめの問題に対し彼に代って、現在川崎市内の小中高生の校内暴力それにいじめを無くさなければならない。その為には教育委員会をはじめ、学校などに対し、今回の南菅中学で起きた事件に対し、なぜ彼が自殺をしなければならなかったのか、徹底的に検証することによって、何に原因があったのか。その原因を分かっているのは長い時間をかけて調査した調査委員会の報告を改めて書面で書いてもらいたい。

やはり一番の被害者は生徒の遺族だ。絶対に彼の行動に対し教育会全体で真剣に考え、いじめ撲滅に対しての従来の対策より、もっと有効な対策それも我々も含めて、いじめの問題で活動をしている団体の有志と真剣に取り組んでいく考えがあるのかどうかがカギだ。それ以外の人は言葉だけが先行して何の役にも立たない。



増え続ける校内暴力防止策として、県警少年育成課が22日横浜市教育文化センターで校内暴力発生防止に向けた緊急会議を開いた。と云う事だが、県教育委員会や各市教育委員会などが参加して、会議を通して皆さんと共通認識を持って連携を深めて行きたい。と話しながら校内暴力の発生時などの対応が話し合われた。こんなことで校内暴力事件がなくなると本気で県警は思っているのだろうか。相変らずパフォーマンスなどするより、現実として校内暴力に関心があり、活動をしている団体などになぜ、声をかけなかったのか。何度言っても教育委員会だけでは解決できない事が分かっているはずだ。その辺が警察も含めて教育委員会ももっと実行力のある地域団体の代表を呼ぶべきではなかったのか

我々が再度要求しているのは、いつまでも何年かにわたって続いている神奈川県の校内暴力が全国でトップ。それに政令都市でも同じく横浜・川崎は全国でも上位に入っている。この問題を解決するには再度、校内暴力やいじめの問題で活動している団体を参加させたうえで、やらなければ結果的にこの問題を解決することは無理だということは結果が証明している。県警も毎回同じようなことをやらないでもらいたい。あまりにも馬鹿らしくてこれ以上文章を書く気もしない。ただし、南菅中学3年生がいじめの問題で遺書を残して自殺して告発したこの問題を深く考え少年の死を無駄にしてはいけない。県警も含めて教育委員会・学校は命がけでこの問題に取り組む責任がある。今回の彼の死は学校にすべて問題があったことを忘れてはならない。




画像は尖閣諸島

それから尖閣諸島の問題に一言

昭和53年に石原東京都知事が衆議院の時に尖閣諸島魚釣島に対し学生を募集し魚釣島に上陸させた。その当時、メディアでも大きく取り上げた。中には非難をした人もいましたし、それに左翼議員や自民党の一部の議員からも非難をした人もいたと聞いている。しかし今考えてみればその当時自民党もしっかりしていれば、今こんなにゴタゴタすることもなかったはずだ。今私が言えることは、まず尖閣を守るのは日本。中国の軍事増強に対して日本も防衛力増強へ本格的に舵を切り今の国力では圧倒的な力を持った中国には勝てない。どうしてもアメリカと韓国の力を借りない限りいざというときは無理である。ずいぶん前の昭和53年の時に石原知事が衆議院だった当時から、日米対中戦略を強化していれば今回のような中国になめられるような事はなかったはず。とりあえず昭和53年に石原知事が衆議院だったころの行動を自民党が支援していれば、拉致問題も含めてこんな事が起きてはいなかった。当時の事を検証してみましょう。




画像はその当時自由に領海内を侵犯した中国の武装した漁船

昭和53(1978)年4月に入って今度は中国(著書では中共)からの漁船、それもかなりの重火器で武装した漁船が尖閣諸島海域への侵犯を繰り返すようになり、尖閣の中国領土としての正当性を主張し始めました。このときのいいがかりは大陸棚の延長の上にあるからだというものでした。

北京がおびただしい数の武装漁船、つまり沿岸警備のための海軍舟艇を派遣して尖閣周辺で操業する日本漁船を駆逐して見せても、政府はいつものことなかれ主義で通り一遍の抗議をしただけでした。



画像は魚釣島の最初の時の灯台

それに対して石原氏は青嵐会の仲間に計って資金を集め、頭山満翁の孫に当たる頭山立国氏や大平光陽氏にもちかけて関西の大学の冒険部や山岳部の学生を募り、尖閣の魚釣島に上陸させ、バッテリーで灯を点す粗末な灯台をまず作らせました。計画が事前に漏れてしまい、官憲からの締めつけで島に渡る船が調達できませんでしたが、強引に漁船を一隻雇って島に渡りました。
その後第二次隊から参加し出した日本青年社が、やがて現地にソーラー式の立派な灯台を建設し、東シナ海の難所の一つであった尖閣諸島に毎夜確かに灯を点す灯台が誕生しました。



画像は中国大使館に対しての抗議運動

日本青年社が立派な灯台を建設した年(1978)の10月小平が来日し、日本のメディアから尖閣諸島問題について質され、「あれは厄介な問題なので解決はもっと後の世代の利口な連中にまかせよう」と発言し、愚かな日本のジャーナリズムはなるほどシナ人の智恵だと賞賛したものだそうです。
そうした出来事の余韻のうちに日本の外務省には北京に対する妙な敗北感が醸成されました。



石原氏らは尖閣諸島の一部でもいいから地主になってしまおうと、尖閣諸島の地主として地権を相続している沖縄那覇市在住の古賀ハナ子さんを訪ねます。しかし尖閣諸島に関しては、本土の大宮在住の栗原氏なる一族に売却の約束をしてしまったというのです。そこで栗原氏を訪ねると、栗原氏は尖閣の権利を他の何に訴えても自力で守りぬくつもりということでした。

尖閣の魚釣島には昭和63(1988)年、立派な灯台が建設されてその寄附が申請され、運輸省海上保安庁に正式灯台として認可申請されます。しかし外務省からクレームがつき時期尚早ということで棚上げにされ(執筆当時の)今日まで店晒しにされています。そして正式に認知されぬまま件の灯台は先般北京にアジられるまま香港からやってきて無法に上陸したシナ人たちの手によって破壊されました。


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