長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

奇跡の再会! そうだい少年のトラウマ映画 『恐竜・怪鳥の伝説』

2013年07月06日 23時23分37秒 | 特撮あたり
 どもどもこんばんは、そうだいです~。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!

 今回さっそく本題に入っちゃいますが、いや~ビックラこいちゃった、わたし。今、Youtube の東映公式チャンネル「東映特撮 YouTube Official」で、映画『恐竜・怪鳥の伝説』(1977年)無料配信中だってんですよ! 公式でタダ!? なんという大盤振る舞いか……

 『恐竜・怪鳥の伝説』と聞いて「ああ、あれ!」とすぐにピンとくる方が、この21世紀の日本にどのくらいいらっしゃるのか。かなり少ないんじゃなかろうかと思うんです。詳細はあとでまとめる Wikipedia情報を読んでいただければよろしいかと思うのですが、まぁ……強烈な映画なんですよね。

 わたくしにとりまして、この『恐竜・怪鳥の伝説』は、本人以外にとっては心底どうでもいい「そうだい少年のトラウマ映画四天王」の一翼を担う重大な存在なのでありまして、オープニングの意味不明なテーマソング『遠い血の伝説』やら、プレシオサウルスのエグい捕食描写やら、観る者をもれなく唖然とさせる衝撃の幕切れやらで、その絶大無比なるインパクトは、当時小学生くらいだったそうだい少年の向こう1週間くらいのパワーを奪い去っていったのでありました。あ、リアルタイムに映画館で観たんじゃありませんよ!? 確か、日曜の午後に TVで放送してたのを観ちゃったんだよなぁ。新聞の TV欄でこのタイトルを見て、「なにこれ、全然知らない恐竜映画だぞ! 『ジュラシック・パーク』みたいなやつかな? 楽しみ~☆」とかって、ワクワクして楽しみにしちゃったんだよなぁ……
 ちなみに、私のトラウマ映画四天王の他作品は、1984年版『ゴジラ』(の、ショッキラス)と、アニメ映画『 AKIRA』(の、カオリ圧死)と、フランス映画『ベティ・ブルー インテグラル』(の、ベアトリス=ダル)となります。こわ~!!

 ってなことで、まずは作品に関する情報をば。

映画『恐竜・怪鳥の伝説』(1977年4月公開 92分 東映)とは
 『恐竜・怪鳥の伝説』は、東映京都撮影所製作の特撮映画。同時上映は実写版『ドカベン』。
 富士山麓の西湖に現れた首長竜プレシオサウルスと翼竜ランフォリンクスの死闘を軸にしたパニック映画である。
 当時、人食いザメの恐怖と大混乱を描いたアメリカ映画『ジョーズ』(1975年)の大ヒットにより、大グマが森林公園で暴れる『グリズリー』や大ダコが海水浴場で暴れる『テンタクルズ』などの、大自然の猛獣が人間を襲う「動物パニック映画」が量産されていた。本作はこの流れに加えて、スコットランドのネス湖におけるネッシーの発見報告などの未確認動物ブームも背景にして製作されたため、日本の従来の特撮怪獣映画とは趣を異にする「スリラー仕立て」となっている。「水中から引き上げた人体の下半身が無い」などのショックシーンには『ジョーズ』の影響が見て取れる。

 製作にあたり、東映京都撮影所でプロデューサー補佐を務めていた大津一瑯も企画に参加。特撮番組のシナリオを数多く手掛けていた伊上勝に脚本を依頼して、プロデューサーも交えながら打ち合わせを行うが、シノプシスが上がってこないまま1976年夏に予定していた撮影開始期日も切迫。当時の製作部長だった翁長孝雄が急遽、大津に本作のストーリー執筆を命じた。その時点では「恐竜と始祖鳥が闘う」という案しか決まっておらず、大津は一晩一睡もせずに企画製作意図やストーリーを執筆。それらは即座に企画書となり、「全世界配給という企画のもと、神秘の国日本に抱く外国人の夢と憧れを満足させる作品」という製作意図に基づきながら、龍神伝説などの龍にまつわる日本各地の語り伝えも下敷きにした新たな企画をスタート。その後、海外市場を意識した東映の岡田社長の意見で、映画の舞台が富士五湖、恐竜と始祖鳥がプレシオサウルスとランフォリンクスに変更され、脚本の前半は松本功、後半は大津という形で分担しながら突貫作業で脚本を執筆する。撮影用台本は1976年9月3日に完成したが、1976年夏の予定だったクランクインが10月12日に遅延したことで、本作は真夏のシーン撮影を真冬に強行するという厳しい環境となった。脚本を執筆した大津は、撮影現場の出演者やスタッフから冷たい目で見られることになったという。
 当時の邦画では異例の撮影期間6ヶ月(通常は3ヶ月以内)と7億5千万円の製作費を投じており、特に特撮用経費は1億5千万円で、プレシオサウルスやランフォリンクスなどの造形物の製作にも2千万円を要しており、東映京都撮影所最大のスタジオ内に24メートル四方のプールを建設。プール内における水中撮影の多用や、ビデオカメラを使った撮影確認作業の初導入なども、長期の撮影期間の原因となった。
 本作における特殊造形は、特撮 TVドラマ『怪獣王子』(1967~68年 フジテレビ)などで知られる大橋史典が担当しており、操演用ミニチュア以外にも、実物大のプレシオサウルス頭部や馬の死骸などを製作していた。

 ちなみに、本作に登場する首長竜と翼竜は、分類学上は「恐竜」や「怪鳥」ではない。また両者とも、劇中では実在の体長より遥かに大きく、容姿や動作も怪獣風にアレンジされている。
 なお、実在したプレシオサウルスは三畳紀後期~ジュラ紀前期(およそ2億年前)、ランフォリンクスはジュラ紀後期(およそ1億5千万年前)に生息していた種族だったため、両者が地球上に共棲している時期はなかったと見られる。


おもなスタッフ(年齢は公開当時のもの)
監督   …… 倉田 準二(『仮面の忍者 赤影』 47歳 本作が最後の映画監督作品)
脚本   …… 伊上 勝(『仮面ライダー』シリーズ 45歳 本作が最後の映画脚本)、大津 一瑯、松本 功
特技監督 …… 大橋 史典(62歳 本作が最後の映画参加作品)
音楽   …… 八木 正生(『あしたのジョー』 44歳)
主題歌  …… 宮永 英一(現在も活動している沖縄のハードロックバンド「紫」のヴォーカル兼ドラムス担当 25歳)『遠い血の伝説』

おもなキャスティング(年齢は公開当時のもの)
芦沢 節(たかし) …… 渡瀬 恒彦(32歳)※地質学を専攻しており、「石の卵」報道に異様な執着を見せる
節の恋人・亜希子  …… 沢 野火子(?歳)※世界規模で活動している水中カメラマンのくせにウナギが大キライ
亜希子の助手・淳子 …… 清島 智子(?歳)※日本映画史上に残る無残な最期を遂げる哀れな娘さん
節の亡父の親友・椋 …… 牧 冬吉(46歳)
地元の青年・二郎  …… 滝沢 双(28歳)※仲間とニセ恐竜パニックを起こそうとする迷惑青年
節の恩師・宮脇博士 …… 名和 宏(44歳)
宮脇の助手・上村  …… 唐沢 民賢(40歳)※茶色のスリーピーススーツを着たいけすかない男
新聞記者・谷木   …… 林 彰太郎(42歳)※テンガロンハットをかぶって椋の探検に付き従う
足和田村村長・新宅 …… 有川 正治(46歳)
カントリー歌手   …… 諸口 あきら(32歳)※本人役、西湖で開催されるイベント「龍神まつり」に出演
節の上司・坂井社長 …… 中村 錦司(56歳)

あらすじ
 1977年夏。富士の青木ヶ原樹海から生還した自殺未遂の女性が、巨大な卵を目撃したと語り息絶えた。そのニュースを聞いた芦沢節は、富士山麓に向かう。
 現地には、節の恋人の女性カメラマン・小佐野亜希子と、その助手の園田淳子がいた。その直後に富士五湖の近くでは馬の首なし死体が発見されるなどの怪現象が相次ぎ、ついには淳子が「何か」に下半身を食いちぎられ死亡するという事件が発生する。
 その後、首長竜のような巨大生物の目撃談が相次ぎ証拠写真も撮られたため、西湖周辺は首長竜探索で騒然となる。さらには首長竜を退治しようと爆雷攻撃も敢行されるが、結果は空振りに終わる。
 節と亜希子は湖に潜り、富士五湖をつなぐ地底トンネルと、大量の卵のある洞穴を発見する。そのころ、翼竜ランフォリンクスが西湖に飛来して首長竜騒ぎに集まった人々を襲い、群衆はパニック状態となる。

登場するクリーチャー
首長竜プレシオサウルス …… 全長24m、体重23t(実在したプレシオサウルスの体長はおよそ5m )
※作中では「プレシオ『ザ』ウルス」と呼ばれている。
翼竜ランフォリンクス  …… 全長13m、体重2t(実在したランフォリンクスの体長はおよそ1.8m )


 まぁごらんのとおり、いろいろガバガバな作りになっとるわけなんですわ。せめて、子どもが喜んで観たくなる看板仕立てにはして欲しくなかったなぁ! でもこれ、子どもが間違って親と一緒に観に来ることもあてこんで恐竜(出てこないけど)を取り上げてるよね。確信犯でやってるから、余計に腹立つ……
 「恐竜」も「怪鳥」も出てこないっていうのは、まぁそれと間違えられやすい海棲爬虫類と翼竜が出てくるから見逃しもできるんですが、もし仮に、地球に実在したプレシオサウルスとランフォリンクスがこの映画を観ても、「なにこの怪獣! 怖い!!」とか、「名誉棄損で絶対訴えます。」とか言うであろう、このメチャクチャな扱い! ひどすぎませんか!? まぁ、ひどいのはこの2頭どころか作品全体なんですが。

 思い起こすに、この作品が山形の TVで放送されたのって、たぶん『ジュラシック・パーク』第1作(1993年)の映画公開とその大ヒットに合わせたタイミングだったような気がします。その頃は、これに限らず往年の恐竜映画もよく放送されていて、そのちょっと前にも NHKの衛星放送第二(当時)で、アメリカのかなり昔の B級恐竜映画の『最後の海底巨獣(原題『 DINOSAURUS!』)』(1960年 アーヴィン=ショーテス=イヤワース Jr.監督)っていうのをやってたんですよね。
 この『最後の海底巨獣』、確かに低予算な出来で、メインの恐竜も古色蒼然としたストップモーション方式なんですが、海底で氷漬けになっていたティラノサウルスとアパトザウルスが落雷によって蘇り、しかも氷の中には原始人もいたもんだからさぁ大変!っていうぶっ飛んだ設定で、しかもクライマックスではティラノサウルスと人間の運転するショベルカーがガチンコバトルをするという、『エイリアン2』の四半世紀先を行くロマンだだもれの展開でまぁ~面白かったんですよ。まさに「襤褸は着てても心は錦」という黄金の精神をギンギラギンにまとった映画でしたね。少年と原始人との純粋な友情のサイドストーリーも、すばらしかった。
 だもんで、この『恐竜・怪鳥の伝説』も、すわ今度は海と空との恐竜対決か!と意気込んで観たわけだったのですが……少年の期待はズタズタに切り刻まれてしまいましたとさ。予算も技術も格段に恵まれていたはずなのに、観た後の満足度としては、『最後の海底巨獣』の足元にも及ばない惨状と思いますよ、あたしゃ!

 ともかく、今は無料で視聴できる状況なんですから、肝心の映画本編を最初から観ていって、時系列順に気になったところを簡単に書き留めていきましょう。これでたぶん、この映画がいかに多くの問題をはらみながら生れ落ちてしまった呪われし作品なのか、そのほんの一端が垣間見えるかと思われます。かわいそうな子なのよね……


・オープニングの東映マークで流れるトランペットとシンセサイザーの音色からしてオトナというか……なんか怖い。
・最初に出てくる登場人物が自殺志願者という時点で、すでにガキンチョお断りな感じ! 始まる前に言え!!
・話を盛り上げるためなのでしょうがないのだが、巨大な卵の中の「何か」が、殻を割ってもぜんぜん中から出てこないのが超もどかしい。そんな低いテンションで20世紀を生き抜けるとでも思ってんのか!? ちょっとは『空の大怪獣ラドン』のラドン2代目を見習え!!
・出た~、完全に「あちらの世界の方」にしか見えない、ヤング渡瀬恒彦さん! いくらクビになっても構わないと思ってても、社長の面前で、会社の窓ガラスにタバコを押しつけて火を消しちゃダメ! 良い子は真似しないでね。
・紙芝居みたいな背景の絵とギャートルズ式ひび割れフォントのタイトルが、観る者を果てしない不安の世界へといざなう……ヤバいな、この映画!
・オープニング映像自体はかなりスタイリッシュでいいし、『遠い血の伝説』も雰囲気があって印象的なのだが、これほど意味不明な歌詞もめずらしい……って、オープニング終わってんのに、歌はまだ続くんかーい!! 新しいな!
・主人公の芦沢と旧知の椋との再会が、偶然の流れのように仕立てられているのが、なーんかヘン。そんなに樹海の近くに芦沢の亡父の研究所があるんだったら、先にそこに行くもんなんじゃない?
・樹海の地面を埋め尽くすムカデ、西湖の魚の大量死と不気味な予兆が続くが、亜希子のキャンピングカーに紛れ込む大量のウナギというシーンの、肝心のウナギの元気がぜんぜんないので、怖いんだか美味しそうなんだか、どう感じて良いのかがよくわからない。10匹そこそこだし、動いてんの1匹だけだし……
・人間って、何かに驚いてショック死すると目から血を流すのか……知らなかった。
・馬だってバカじゃないんだから、鳴くなり暴れるなり、もうちょっと激しく抵抗するんじゃない? だいたい林の中で襲われてるんだから、ガサガサドスンドスンって音くらいするだろう……
・海外向けセールスを意識した作品ということで、「外国人でごった返す成田空港」、「老婆の龍伝説に基づく子守唄の独唱」、「富士山の成り立ちの説明」、「西湖の龍神祭と歌謡イベント」といった、昭和五十年代前半の日本の、節操のないゴチャゴチャ感が映し取られているのが、なんだかとっても懐かしい。話の本筋よりも、こっちのほうが味わい深いよね。
・のどかな龍神まつりで諸口あきらが唄う歌も「あいまいな記憶」をテーマとしていて、『遠い血の記憶』にリンクしているあたり芸が細かいのだが……そんな内容スッカスカの歌、聴いてて楽しいか!?
・本家『ジョーズ』の海水浴場大パニックに比べて、二郎たちアホな若者が巻き起こしたニセ恐竜パニックが比較的すぐに収束するのが、牧歌的でなんかいい。また、カメラのファインダーを覗いた亜希子とほぼ同時に背ビレが偽物だと看破する、紅白帽に体操着の小学生男子の洞察力がすばらしい。さては少年ライダー隊出身者か!!
・セットが崩れてバンドメンバーの楽器も衣装も、高価な音響機材もオシャカになったのに、笑って済ませて演奏に戻る諸口さんの度量がデカすぎる。菩薩か!?
・初めてプレシオサウルスが画面に現れるシーンを観てしみじみ感じ入るのだが……映画音楽って、超大事!! 会社が違うけど、ここで伊福部先生の音楽が流れてたらなぁ……
・あの~……この、小学校教師の中年のおねえさまのシャワーシーンは、一体どこらへんに需要があって入ったんですかね? 外にいくらでもいる宿泊旅行の小学生たちでなく、わざわざ建物を壊してでも中にいる先生を襲うとは……このプレシオサウルス、熟女好きか!? しかしコイツ、海棲爬虫類のくせに淡水湖に現れるわ、林をほっつき歩いて馬は喰うわ木造家屋の壁は突き破るわ、やりたい放題だな!
・淳子がプレシオサウルスに襲われるシーンがえんえん3分もかけてねっちり描写されるのが、すっごく嫌……淳子と一緒に観客もいたぶられてる感じじゃない? ちょっとエロい雰囲気になってるのも、いかにも意味ありげでイラっときてしまう。こんな無意味な死を遂げてしまう淳子の人生とは、なんだったのか。『ウルトラマンタロウ』のスーパー海野さんみたいに、頭に乗っけられた時に思いっきりグーパンチで目をつぶせばよかったのに!
・プレシオサウルスが現れて6名もの犠牲者が出ているというのに、出張ってくるのが山梨県警と地元の足和田村消防団って……リアリズム満点ね!!
・プレシオサウルスを目撃して友人2人を食い殺されたのに、ニセ恐竜騒動を起こしたがために誰にも信用してもらえない二郎青年を演じる、滝沢双の痛々しい名演が光る。人騒がせなイタズラは、やめよう!!
・3日間プレシオサウルスを探し回って無駄足に終わり捜索打ち切りかと思ったら、急に20分後に爆雷投下!? やる気ないんだかあるんだか……
・冒頭に目だけ映って以来、映画も残り20分をきったところでやっとランフォリンクスが登場! ずいぶんと重役出勤だなオイ!! ランフォリンクスの空襲シーンも伊福部サウンドだったらなぁ~!! ランフォリンクスの造形がけっこういいだけに、惜しい!
・椋さん、あっけなく死にすぎ! もうちょっとがんばろう!!
・誤射した銃弾から爆雷に引火して、村民まぬけな大爆死! さすがは仮面ライダーシリーズの東映、火薬に関してはピカイチだ! 東映京都だけどね。
・設定上しょうがないんだけど、やっぱりクライマックスの主人公とヒロインの格好が、モジモジ君(死語)みたいなつるっつるの全身ウェットスーツというのは、ちょっと……
・肝心かなめのプレシオサウルス VS ランフォリンクスの対決が、とにかく絶望的にかったるい!! スロー&見にくい&無音!! 音楽たせよ~! 20年も前の『ゴジラの逆襲』のほうが10000倍おもしろいよ!! なんでもアップにすればいいってもんじゃないんだよォ~。
・ラストの4分間に流れる宮永英一のけだるい歌が、富士山大噴火のスペクタクルに死ぬほど合わない。主人公とヒロインがあんなにがんばってるのに、なんなんだ、あのやる気のないバラードは……渡瀬さん、怒るんじゃない!? でも、ヒロインの亜希子もたいがいな体力ですね。
・そして衝撃の幕切れ……「終」じゃねーよ!! ホントになんなんだよ、この映画……カンベンしてよ~!!


 ということでですね。まぁひどいもんですよね。「ぶんなげラスト」とは、この映画のためにあるような称号ですよ。そりゃタダで配信されるよ。
 もっとも、ムチャクチャな締め方も充分過ぎる大問題ではあるのですが、この映画で私がもっと致命的な問題だと思うポイントは2つあると見ました。つまり、人間で言うと2、3回死んでるんですね、この映画。


1、人間ドラマが素材だけでちらばったまんま。

 まず大問題なのは、主人公である、渡瀬さん演じる芦沢がどういう人物なのかが、どうも今一つはっきりしないことですよね。
 この芦沢、少なくとも周囲の人間、勤務先の会社の社長や恩師に近い旧知の人物である椋からは、金もうけのために恐竜発見に血道をあげている野心たらたらの人間と見られているようです。もし芦沢が、恐竜発見という途方もない夢を追い求めるための財力や行動力を、それこそ『ジュラシック・パーク』のハモンド会長レベルで有しているのならば、そうやって煙たがられる存在にもなりえるでしょう。それだけの現実的なパワーが必須なわけです。
 ところがギッチョン、本作の芦沢は、立派なジープと自由に使える時間、危険な香りのする二枚目フェイスと優れた洞察力、スクーバダイビングもいとも簡単にこなす抜群の身体能力こそ有していますが、財力なんかありそうにもない、ただのあんちゃんです。それに、具体的に恐竜を見つけたところでどう儲けようとしているのかがさっぱりわからないので、拝金主義者というよりは身の程知らずなロマンチスト、はっきり言って社会不適合者にしか見えないんですよね。
 芦沢を演じる渡瀬さんは、セリフがそれほど多くなくとも、タバコを吸う仕草や目の表情でその心理を語ることができる、非常にすばらしい俳優さんです。樹上にひっかかった馬の死骸を見つけた時の目の動きなんか、恐怖だけでなく、わずかに喜びが入り混じった実に豊かな演技で最高です! 恐怖の映像表現が成功するか否かは、やっぱり対象を見て恐怖する側のリアクションにかかってるのよね。
 これほどの逸材をキャスティングしておきながら……これは芦沢に限った話でなく、芦沢の旧知の人物・椋や、村のイタズラ青年・二郎もそうなのですが、この作品、本当の意味での「役不足」が多すぎる! 料理のしようによっては、本作の3、4倍は面白くできそうな素材がそこかしこにあります。もったいない!
 「人間は動物だ。だが、動物であることを忘れている動物だ。人間は、動物のことをあまりにも知らなさすぎる。」という芦沢の亡父の言葉と、それを思い出してなつかしむ芦沢と椋の会話なんか、2人の演技の上手さもあいまって非常にいい味を出しているんですが、芦沢と椋のどっちも、恐竜を探し求めている似たり寄ったりな人にしか見えないので、なぜ2人が組めないのかがわからないのです。芦沢が椋の存在によって、現実主義者から情熱あふれる冒険者に変わっていくといった変化でも見えたらいいのですが、芦沢も椋に影響されないし、椋も芦沢に言うだけ言って基本は別行動だしで、ドラマティックでないことはなはだしい無味乾燥な関係になっているのです。

 いやいや、そこはこれ、『ジョーズ』に触発された作品なんでしょ!? だったらなんでブロディ署長とクイント船長の関係をパクらないんだよう!! そこが物語のキモでしょ!?
 形だけ「主人公と年上のベテラン」という形だけをトレースしてもしょうがねぇんだよ……肝心かなめの恐竜登場シーンで芦沢と椋が一緒にいないって、どういうこと!? しかも椋さん、無意味なことはなはだしい最期! 名演技がもったいなさすぎる……

 その他にも、芦沢に関わってくる人物としては、椋よりもまともな宮脇博士とか、その助手でイヤミな演技が妙に印象的な(チョークで汚れた指先を吹くしぐさ!)上村さんなどがいるのですが、軒並み恐竜捜索本部の解散と共にフツーに西湖から帰っていくという無駄遣い過ぎな退場処理。いや、そこは最後まで物語にからんでよ!!
 宮脇博士も、この手の特撮映画にあるまじき無能っぷりがたいがいですよね。それはまぁ、「これは並みの怪獣映画じゃないゼ」というリアリティ追究の結果なのかもしれませんが、みんなで恐竜捜すぞって言ってんのに、「富士山、噴火するかもよ。」って予言をするだけして帰ってくんだもん。まぁ、ほんとに富士山噴火したから良かったけど(良いのか?)、はなはだ迷惑なお人ですよ。

 あと、この映画の中でただ一人、常識的な感性をもって「とにかく一刻も早く家に帰りたい……こんなとこヤダ!!」と主張していたのに、能天気で無責任なヒロインに強引に引き留められた挙句、プレシオサウルスにいたぶり殺される淳子さんが不憫でならないよ! こういう、弱者が救われない作品、お母さん大っ嫌い!!
 かわいそうといえば、村の消防団の暴走によって一瞬で全滅しちゃった足和田村民のみなさんもかわいそうですよね。新宅村長なんか、『ジョーズ』のボーン市長みたいなイヤなキャラでも何でもない対応に終始してたのに死んじゃうんだものね。人の命をなんだと思ってんだ!?


2、さんざん利用された挙句捨てられる2頭の悲哀

 命のことを言うのならば、この映画の制作陣は、何はなくともいちばん大切にしておくべき、物語のメインに呼んできたプレシオサウルスとランフォリンクスの命さえも軽々しくポイっと使い捨てにしてしまいます。
 だって、古代生物2頭が出てきたっていう世紀の大事件を自分で出しておきながら、途中から「そんなことよりも富士山が噴火するんだってよ~。」なんて無茶苦茶なことを言い出して、それまで積み重ねてきた物語の全てをご破算にしてしまうのです。それじゃ相対的に2頭の立場が小さくなっちゃうに決まってんじゃんよ~!!
 それを象徴するかのようにプレシオサウルスの最期は、その巨体さえも小さく見える樹海の地割れの中に呆気なく吞み込まれていってしまいます。富士の地下に眠っているのは、初代キングギドラさまだけじゃなかったんだなぁ。合掌……これがまた、同じ退場の仕方でも1984年版『ゴジラ』とは比較にならないあっさり感で、哀れっつうかみじめっつうか。こんな生き物に喰われて死んだ淳子さんとか引率の先生とか、6名の人間と1頭のお馬さんの存在理由って一体……
 それにプレシオサウルス以上に哀しいのはランフォリンクスで、プレシオサウルスに首でぶっ叩かれて樹海に墜落したのはわかるんですが、具体的にその後どうなったのかが描写されないまんま映画、終わってますよね!? それでいいのか!? せめて最期くらいちゃんと描写してよ!!


 とまぁ、いろいろ言ってきましたが、結局この映画は、作品に対する「愛」がいちじるしく欠けていたのではなかろうかと思うんですよね。
 愛があれば、登場人物の面々ももうちょっと掘り下げられてそれなりの活躍なり劇的な末路なりが用意されていただろうし、愛があれば、2頭もぞんざいに扱われることはなかったろうし、愛があれば、観る者を唖然とさせる無責任な幕切れもなかったでしょう。
 つまりは、「おえらいさんの命令だけで現場の人間の誰にも愛されていない作品を、見切り発車で作ってはいけない。」ということなんでしょうか。この映画、監督にとっても脚本にとっても特技監督にとっても「最後の作品」になっちゃってんだぜ!? 呪われすぎだろう……脚本の伊上勝さんは、そもそもこの作品の時点で脚本してなかったらしいけど。

 この映画の何が私のトラウマになったのかって、それは内容の詳細よりも、何もかも「どーでもいいやー。」な、ビックリするほど低い作品全体の温度だったんでしょうね。それを無意識のうちにも感じ取ってしまったから、当時少年だった私はショックを受けてしまったのでしょう。こんなにいい加減な仕事をしてしまう大人が、いい加減な仕事を生んでしまう社会構造があるのかと! それはそれは恐ろしい事実よ……
 『恐竜・怪鳥の伝説』。実に哀しすぎる伝説です。どうかこの映画と同じ悲劇の落とし子が、現代の世の中に再び復活せず、この作品が「遠い日の伝説」であり続けて欲しいものです。
 たのむよ~、東映さん! 21世紀のニッポン特撮界!!

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