先日、サツマイモ1畝(10株)の収獲を行いました。
今年の大阪・熊取地方は7月~8月に記録的な少雨と猛暑日に見舞われたことから、一時、葉っぱが黄色になり、芋蔓が枯れかかりました。
この為、8月は数回水やりを行い、何とか収穫にこぎつけました。
私の畑では「紅あずま」と「鳴門金時」の2品種を植えていますが、今回掘ったのは少し早めに収獲できる「紅あずま」という品種です。
「鳴門金時」は来月中旬に収獲する予定です。
「イモ掘り」
イモ掘りはイモの蔓を鎌で切り取ることから始めます。
・これは収穫前の畝です。
「サツマイモの伝来」
サツマイモはご存知のように薩摩に伝来したことからついた名前ですが、伝来ルートによって「唐イモ」とか「琉球イモ」などとも呼ばれます。
日本には16世紀末にルソン(フィリピン)を経て中国福建省から1597年に宮古島へ、そして1607年に琉球に伝わり、1614年頃薩摩に伝わったと言われています。
・芋を掘るため、蔓を切ったところです。
・収穫した「紅あずま」です。この畝には10株ほど植えましたが思いの外よくできていました。
「芋づる式」の謂れ
一つのことに関連して多くのことが現れるさまを「芋づる式」と言いますが、これがその謂れの基になった芋づるです。
・よくできている株には、1株に6~7個のイモがついていました。
掘りたてのイモを焼いて、焼き芋にするととても美味しいですよね。
最近ではスーパーでも石焼イモを売っている店があり、傍を通ると美味しそうな香りが漂ってきます。
そこで石焼き芋の起源を調べました。
「石焼き芋の起源」
日本への石焼き芋の伝来は16世紀末に中国から沖縄へと伝わり、それが九州・四国・本州へと広まっていったようです。
1719年に来日した朝鮮通信使の人の日記で、京都の日岡で焼き芋売りの露天商があったと書かれているそうです。
その時は蒸し芋だったようですが、明治時代になると鉄の平釜で焼くようになり、これが石焼き芋の始まりと言われています。
最新の画像[もっと見る]
- 「蛇の道は蛇」の由来 5ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
寅さんはいいですね。映画としての要素が満載でとても楽しめますね。長寿だったのがよくわかります。
「いもづる」とは
よく言ったものです~
幼いころの稲刈りの後は、もみ殻にサツマイモを埋めて焼いて食べてました。それも夕方に食べた記憶があります。
稲刈り後の田んぼは、広くて遊びまわってました。
稲を植える低地は、長く農作しているでしょうから液状化になることはないと思えます。
幼いころに馴染んだ味覚より、いまではお酒の肴には、ジャガイモが向きますね。