らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

肝煎り

2017-11-04 | 雑学

若い頃、車を運転している時、路地から子供が飛び出してきて、肝を冷やしたことがありました。
幸い事故にならなかったので助かりましたが、それ以降は、狭い道ではゆっくりと、広い道はセンターよりを運転するように心掛けています。
その時の出来事を教訓として安全運転を心掛けていることから、現在までの半世紀余り、肝を冷やすような事は全くありません。
有難いことです。

さて、「肝」と言えば、最近では余り使われなくなった言葉に「肝煎(い)り」があります。
オーナー社長が経営する小規模会社などでは、「社長の肝煎りで入社した人」などとよく使われていました。
今日は「肝煎り」について調べることにしました。

肝煎りを広辞苑で調べると次のように説明しています。
肝煎りとは、①世話をすること。周旋すること。特に奉公人・遊女などを周旋すること。またその人。取り持ち。
        ②江戸時代の高家の上席。
        ③名主・庄屋の異称
辞書の説明に当てはめれば、冒頭に書いた「社長の肝煎りで入社」の例は①になり、赤穂浪士の敵役・吉良上野介義央(よしなか)は②の高家肝煎り(こうけきもいり)です。

「肝煎り」の肝とは、勿論、肝臓のことですが、五臓六腑の内臓の総称の意味でも用いられ、ここから精神や気力と言う意味も生まれたようです。
なお、「肝煎り」を「肝入り」と書くのは誤りだそうです。

「高家肝煎(こうけきもいり)」
吉良上野介義央は高家肝煎です。
高家肝煎とは、江戸幕府の高家のうち、三人で月番をつとめ、職務を主宰したもの。即ち、高家のうちから選ばれ、高家諸氏の差配にあたる者です。
1701年(元禄14年)3月14日の元禄赤穂事件では、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(5万3500石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせたのでした。