らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「あさが来た」ゆかりの地(2)

2016-04-08 | 趣味

今日も「あさが来た」ゆかりの地をご紹介します。

京都・三井家に生まれた浅子(1849年~1919年)が嫁ぎ、九転十起の頑張りで切り盛りした加島屋は大坂有数の豪商でした。
中之島を挟み、東から西へ堂島川と土佐堀川が流れていますが、この中之島や堂島界隈は各藩の蔵屋敷が立ち並び、各地の米や産物が集まる流通の中心地でした。

「淀屋屋敷跡」
豪商・淀屋・常安の手により、中之島は1619年(元和5年)に開発され、諸藩は蔵屋敷に米を蓄え必要に応じて換金していました。
しかし、米問屋ごとに取引内容が異なっていたことから、常安は幕府に米市場の設置を願い出て取引所を開設しました。
その結果、米の価格は安定し、品質も向上したと言われています。
なお、この屋敷跡のすぐ東側に架かる橋が淀屋橋で、淀屋が架けた橋です。

・土佐堀川(中之島南側)南側道路沿いに設置されている淀屋の碑です。奥に見える建て物が日銀大阪支店です。


「常安橋」
常安橋と呼ばれる以前はすぐ東側に架かっていた橋を田辺屋橋と呼んでいました。
薬種商の田辺屋五兵衛の名に関係するものらしいですが、田辺屋が道修町に転出してからは常安橋といわれるようになったそうです。
この常安橋と言う名称は淀屋常安に由来するそうです。
豪商・淀屋の本宅が大川町(現中央区)にあったことから、淀屋常安は土佐堀川対岸の中之島を開発しました。
このようなことから、現在の中之島四~六丁目はもともと常安町と言っていたそうです。

・土佐堀川に架かる「常安橋」です。


「日本基督教団 大阪教会」
福沢諭吉、新島襄と並んで日本三大教育者の一人とされる成瀬仁蔵の影響を受けた浅子がキリスト教の洗礼を受けたプロテスタントの教会で、1922年(大正11年)に建築されました。
ヴォーリズの設計によるロマネスク様式の赤レンガ建築で、登録有形文化財に指定されています。

・浅子がキリスト教の洗礼を受けた教会です。


「福沢諭吉誕生地・中津藩蔵屋敷跡」

パンフレットによれば、「小説 土佐堀川」には福沢諭吉の書を読み夫と語り合う浅子の様子が描かれています。
鹿島銀行に女子行員を採用した浅子の考えは、諭吉の思想に通じるところがありました。
福沢諭吉は当地にあった中津藩蔵屋敷で生まれたそうです。

・福沢諭吉誕生地の石碑です。


「蛸の松」
諸国の蔵屋敷前には自慢の松が植えられていました。
とりわけ広島藩主福島正則が植えたとされる黒松は、枝ぶりが蛸の泳ぐ姿に似ていたことから人々に愛されていました。
なお、現在の松は近年植えられたもので、当時の場所と異なるそうです。



「大阪俵物会所跡」
江戸時代には金・銀・銅などの重要な生産物については幕府の厳しい統制下におかれ、会所と言う売買センターで特定の商人しか取り扱うことができませんでした。
俵物と呼ばれるふかのひれや干しなまこ、干しアワビなどは当時の日本の重要な特産品で、長崎から中国などに向けて輸出されていました。
この俵物は輸出入の代価に用いられる事もあったので延享元年(1744年)に大坂に会所が設けられ、ここで売買が行われました。
安永6年(1777年)にこの地に移り、明治まで続いたそうです。



・大阪俵物会所跡付近です。


「お詫び」
  いつも当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
  所用のため、明日から4~5日(少し長引くかも知れません)、ブログの書き込みを休ませていただきます。
  

コメント (1)
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