唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

武德三年 西暦620年

2020-06-20 10:01:14 | Weblog
武德三年 西暦620年
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正月戊寅,蒲州王行本降。
劉武周が南下する前に、なんとか要地蒲州[河中]を取ることができました。

二月、突厥處羅可汗迎楊政道,立為隋王。居于定襄。

四月甲寅,秦王世民及宋金剛戰于雀鼠穀,敗之。
壬戌,秦王世民及劉武周戰於洺州,敗之,武周亡入於突厥。克並州。
世民[太宗]が武周軍を破り、徹底追撃して太原を回復しました。これにより唐朝は北方からの脅威を免れ、東都[王世充]対策ができるようになりました。

五月壬午,秦王世民屠夏縣。
世民は降った夏縣を必要も無いのに虐殺しました。都合の悪い事実です。

六月甲寅,顯州長史田瓚殺行台尚書令楊士林,叛附于王世充。
王世充の勢力が拡大し、山東方面へ影響力が広がっていきました。

七月壬戌,秦王世民討王世充。甲戌,皇太子屯于蒲州,以備突厥。
東都攻撃は世民、突厥牽制は皇太子建成が担当しました。

六月壬辰,詔以東南道行台尚書令楚王杜伏威為東南道行台尚書令淮南道安撫使,進封呉王
東都東南方の包囲網がひかれました。

九月癸酉,王世充顯州總管田瓚以所部二十五州來降;自是襄陽聲問與世充絕。
東都西南方の包囲網がひかれました。

唐朝軍は王世充軍と各地で激戦し、ほぼ優勢でした。
竇建徳は幽州を攻めて河北統一を図っていました。
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