プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺泰輔

2016-12-07 20:55:19 | 日記
1966年

渡辺は対西鉄戦に過去二回登板したときより、きょうの方がはるかに球がおそかった。それでいて西鉄を六安打の1点に押え込み、完投勝利を飾れたのは、ちゃんとした技術的な裏付けがあったからだ。スピードに変化をつけた。これが球の走らない渡辺を助けた最大の原因といえよう。打者の手元にきたボールが鋭く縦ゆれしながらスーッと落ちる。パームボールだ。それが実にいいところに決まった。内角にくるとシュートの感じでくい込み、外角にいくとカーブのように曲がって逃げる。西鉄打者が手こずったのは直球でもなければシュートでもない。全部このボールにひっかかって凡ゴロを打たされたのだ。一番から九番まで必ず一球このボールを投げた。とくにクリーンアップ、ピンチのときはほかの球と交互に投げるといったぐあいに多用した。長打力のあるアギー、パーマを一、六回のピンチに迎えたときはその代表的なものである。初回、アギーを見のがしの三振にしとめたときは一球目からパームボールを内角にほうってきた(ファウル)。二球目の外角にシュート(ファウル)2-0と追い込むと、速い球で外角をついた(意識してボールにする)2-1から内角に投げた球は横に大きくゆれながらヒザもとでスーッと沈んだ。バッターが投手の球を選ぶ場合、ボールと思って見のがすと、完全にウラをかかれて見のがしてしまう二つのケースがあるが、この夜の渡辺対西鉄打線は後者といっていいだろう。身上とする速球が思うようにきまらず、苦しい状態にあるとき、それにかわる球をマスターしたのは、こんごの渡辺に大きな強みといえる。一方完全試合を樹立した田中勉は南海に自信を持っていたはずだ。しかし球威がない場合、それを補う球を持たないだけにピッチングが苦しくなる。二回早くも球威のなさをまざまざとみせつけられた。二死一、二塁で杉山にホームランされたボールなど、なんの変化もせずにスーッと内角へはいる絶好球。田中勉とすれば、年をとった杉山には、とにかく内角に速球を、といった気持ちで投げたのだろうが、球威がなければ、こんなみじめな打たれ方をされるのだ。調子が悪ければ、それなりにもっとくふうしたピッチングを会得してもらいたいものだ。
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林健造

2016-12-07 20:28:57 | 日記
1966年

板東が出てきてから三原監督はナインに二つの仕事をなんどもくりかえしていた。①板東は速球でグングン押してきている。それにマトをしぼって気遅れせずに向かっていけ②ゴロは打たずにフライをあげるようにしろ。いい角度でとべば風のあと押しできっとスタンドにはいる。九回、林が放ったサヨナラ・ホーマーは三原監督のこの二つのアドバイスをそのまま生かしたものだった。三試合連続ホーマーというはなれわざをみごとにやってのけた林はいう。「2-0と追い込まれたんで、高めの速球にだけはつられないように注意した。ねらい球はもちろんまっすぐ。きょうの板東さんは気負い込んで速球で押してきましたからね」その速球に、八回から九回にかけて大洋はたてつづけに4三振をとられている。しかもこの林の劇的な一発が出る直前にも、ベテラン近藤和があっさり三振しているのだ。「林という選手は少々のことには動じないず太い神経をもっている。だから、こういう選手はみんながダメなときにとてつもないことをやりうち要素を持っている。松原とともに近い将来必ず大洋の中軸を打つ打者になるでしょう」林の持つプラス・アルファを見込んでこういいつづけてきた三原監督は試合後、会心の笑みを浮かべた。林のもうひとつの特性は二塁、遊撃、三塁、外野とどこでもこなせることだ。そして、この特性が激しくコマを動かす三原監督の好みともまた一致している。「どこが一番自信があるかって?自信はありませんが、どこだって出してもらえれば楽しいですよ」あっさり楽しいというところは、いかにも万事におうような林らしい。昨年は九十八試合に出て打率二割五分九厘、4ホーマー、15打点だったが、大物の片りんだけは示していた。七月八日の札幌での対巨人十四回戦、延長十一回、高橋明から中堅バック・スクリーンに決勝ホーマーをたたいている。しかもこれがプロ入り初ホーマー。そのころからただものではなかったらしい。報道陣にかこまれた林をみて、ナインはただ「たまげた」「たまげた」とくり返していた。
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嵯峨健四郎

2016-12-07 19:47:36 | 日記
1966年

完投勝利には微妙なものがからんでいた。六回、種茂が無死から中前安打したあと、是久の送りバントが失敗、三ゴロで併殺となった。次打者は嵯峨。水原監督は「是久のバントが成功していればもちろん嵯峨にかえて代打坂崎だった」という。もしこんな場面なら南海もすぐ村上のリリーフだったそうだ。しかし是久のバントは失敗。そのために嵯峨は続投。これが完封につながった。三回の対西鉄戦で一イニングに2ホーマーを含む四安打でめった打ちされ、先月もわずか1勝しかしていない。それも一イニング投げて張本のサヨナラ・ホーマーに助けられ、もらったような1勝だった。そういえば嵯峨が登板したとき張本はよく打っている。調子の落ちぎみだった嵯峨にとって完封勝利は四月二十七日以来。「南海戦となると負ける気が全然しない。どうしてか自分でもわからない。ただマウンドに立つと気持ちがものすごく落ちつく」南海に強いという自信のせいだろうか。この夜は得意のスライダーをあまり使わず、内角へストレート、シュートを多用したという。「最近打たれているのはスライダーをねらわれているからだ。きょうよかったのはおそらく真っ向から勝負したためじゃないか」宮沢スコアラーはこんなふうに見ていた。二回の無死満塁というピンチで小池に「やけくそでストレートを投げた」というが、小池は嵯峨を打率六割強でいつもカモにしている打者。それが三ゴロに終わったのも幸運なめぐり合わせだった。だが苦手の村上から貴重な先制の右翼線二塁打をとばした張本は「ケンちゃん(嵯峨のこと)勝つべくして勝ったよな。オレもきょうはものすごく気力が充実していた。打ったのはカーブだったが、投げる前から打てるという予感があった」と話しかけた。張本と嵯峨はいつもヘボ将棋をする好敵手。どちらも首位南海を破った喜びのせいか、いつまでも二人は笑いっぱなしだった。
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J・バッキー

2016-12-07 19:19:03 | 日記
1964年

最後の打者アグリーを見のがしの三振にとったバッキーはニコニコ笑いながらナインの握手を受けた。スタンドから青色のテープがベンチの前に三本。その一本を右足にひっかけたままロッカーへ。「ナイスボール」選手が口々にこういうと「アリガトウ」と答えた。記者室でのインタビュー。-これで7連勝なんですが、あとどれくらい勝てると思いますか?「あと一つ(間をおいて)ゴメンネ」-連勝、意識しましたか?「イエス」-きょうの調子はどうでした?「ベリー・グッド。カーブと、直球、ドロップの三つをうまくかみ合わせたのよかったね。それと低めの球がよくきまったのもグッドよ。でも八本のヒット打たれたのよくない。ポパイ(長田のこと)のホームランは内角低めの速い球」-投球数95で、ずいぶん少ない。「すばらしい。いつもは130ぐらい。きょうは百点よ」右手の人さし指と中指の間では、短くなったタバコがいまにも指に燃え移りそう。だれかが叫びそうになったとき、タバコをポトリと床に落として、足で火を消した。そしてあわててこういった。「きょうのウイニングボールはどこだったかな?戸梶さんがスタンドへ投げてしまったって?」バッキーはいままでのウイニングボールは全部集めている。「キャッチしたのはガールでしたよ」と教えられて、一瞬複雑な表情。しかしすぐ「ガール?そう・・・」と笑った。
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清俊彦

2016-12-07 19:08:02 | 日記
1964年

最後の打者藤本を投ゴロ併殺にとってかえってくる清に中西監督が真っ先にとびついた。頭をかかえこむようにしてゲンコツでポカポカ。乱暴な歓迎だった。初登板の阪急戦のとき(6月4日・平和台)はケロッとしていたが、この日はグッとクチビルをかみしめてうつむいたまま。「別に完投は意識しなかった。いままで三回しか投げたことがないのできょうはせめて五回まで投げられればと思っていたんです。ところがだんだん調子がついてきちゃって・・・。ストレートとカーブがよかったですね」人ごとのようにいってダッグアウトのイスにどっかり腰をおろした。とてもルーキーとは思えない態度だ。「いままでコントロールが悪かったからコントロールにだけ気をつけたんです」アゴに5㍉ほどの無精ヒゲ。これがいっそう十八歳の年よりふけてみせさせる。先発は十一日にいわれたそうで七の夜ナインよりひと足先に井上善と東京に着いた。「東京はこれで生れてから二度目なんです」といってテレくさそうに笑った。一度目は高校時代明大の練習に参加したときだが進学を目していた清がプロ入りにふみ切った理由は「おかあさんに楽をさせたかった」からだそうだ。母親の手一つで育てられた。「だから考え方もしっかりしているし、すべてに落ち着いている」というのは中西監督。若林コーチは「これまで手がけてきた若い投手のうちで清ほどのみこみの速いやつはいなかった。天性のカンというのだろうか」と感心する。「おどろいた。こんなにクソ度胸があるとは・・・」とは和田捕手。楽しみは練習が終わってからゆっくりフロにつかることだという。それも長フロで有名だ。五月三十一日香椎の二軍合宿からやっと福岡市百道の一軍合宿にはいることができたが、平和台球場のロッカーはまだ二軍のを使っている。「だれもいない二軍のフロでゆっくりフロにつかっていると練習の疲れも吹っ飛んでしまいます」。この日もまた旅館のフロで長湯を楽しむことだろう。1㍍72、67㌔、右投右打、宮崎県・高鍋高出。
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七森由康

2016-12-07 18:56:12 | 日記
1964年

七森は本格派の投手ではない。どっちかといえば変型投手。いわゆるミラクル投手だ。バック・スイングのトップでリストが他の投手より早くかえってしまう。そのために七森と初めて顔を合わせる打者はタイミングが合わない。打者が七森のモーションに慣れるまでにはかなり時間がかかる。これだけでも投手にとって相当有利なのだが、七森の場合はまだこれにおまけがつくのである。一風変わったモーションからくり出す球はカーブもスイフトもなかなかストライク・ゾーンにはいってこない。六回途中まで投げて百二球。ボールがくるかと思うとストライク。そのストライクもゆるくまがり落ちるカーブが続くと思えば、突如打者の手元で小さく変化する球がくるといったぐあいで、打者は予想がつかず、カウントで打ち気に出ることができない。七森は六回二死後、四球二つを続けて打者阿南のとき城之内と交代させられたが、投げさせればまだ投げられたと思う。七森のピンチは勝利投手を意識する五回にくるのではないかと思ったけれど、うまく逃げた。動揺もせずに五回を投げ抜けるあたり、いい度胸の持ち主のようだ。性格的には藤田、宮田につぐものをもっているかもしれない。左投手が伊藤一人で困っていた巨人にとって七森の台頭は大いに助かるのではないか。モーションとボールの多いのが七森の特徴だ。監督の使いにくい型の投手であるが、結構役立つだろう。城之内は張り切ってはいても気持ちだけでピッチングはその気持ちほどよくない。投球のテンポに変化がなく、打者に調子を合わされやすい。走者が出るとモーションが小さくなる。もっとゆっくりした気持ちで投げられないものだろうか。また伊藤が一死満塁に投ゴロをとって一塁に投げたが、伊藤ほどのベテランが満塁であることを忘れるようではお話にならない。チーム全体がモタついていて、はっきりした勝ち方のできないときは、まず投手が立ち直らなくてはならないのだ。この日の伊藤の凡プレーは罰金ものであった。
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