ラブラドールの子犬がウチにきたのは、1994年6月3日。おねえちゃんもおにいちゃんもはまだ小学生。
Buddy Leeという名はこの人形からとりました。
生後二ヶ月。落ち付きがなくしつけが難しい片鱗を見せ始めます。
ブリーダーさんで生まれた数匹のうち残った最後の一匹。残りものに福はなかった!のです。
6ヶ月の訓練所合宿。家族でみんな接し方を教わりました。でも効果は......
留守中、家の中を泥棒が入った後のように散らかしたり、大事なレコードや本をかじりダメにしたり、人の服を汚したり・・
河川敷でリーシュが抜けた隙に走り出し、川で泳ぎだしてびしょびしょの身体で他の犬にじゃれつき他の飼い主から叱られたり
散歩中に急にダッシュして、走行中のクルマに突っ込んだり(本人ケガないものの、相手の車チョットキズつける)
リーシュをかじってちぎり、抜けだして八百屋さんの店先を荒らしたり・・・・
飼い主は、なんど頭を下げたことか・・・ まさに 和製
マーリーです。
幸い攻撃性がほとんどないのがこの犬種の救いですが、犬を飼うことの難しさと飼い主の無能さを痛感させてくれました。
ほとほと呆れて おまえが死んだってオレは絶対泣かない! と何度も直接いいました!
でも本人は 「右の耳から左の耳」っていうか 「バディの耳に念仏」です。
さすがのバディーリーも寄る年波には勝てず、気持ちは若いままですが、肉体は衰えを増します。
若い頃は耳を振ってよく疾走した軽井沢の庭でも走り回らなくなりました。写真は13歳の誕生日のころです。
もうこの頃になるとウチの周囲のお友達の同世代のワンチャンはみんないなくなりました。
それでもパッジーとウールーの存在もなんとなく刺激になったようで、気持ちは全然若いままです。
2008年の秋、斜頸がひどくなり、足腰が衰え食欲がなくなり一時はもうダメかと思いましたが、獣医先生たちのお力添えで、なんとか危機は脱することができました。
すでに眼もほとんど見えていないし耳も聞こえません。でもスゴイ生命力です。
ところが去年の11月、足腰が極端におとろえ排泄が思うようにいかなくなり介護の状態になりました。
自力ではほとんど思うように動けない分、がむしゃらに動こうとあがいたりしてかわいそうです。
なにも取り柄はなかったけど早い内から排泄はキチンとしっかりしていたのに 排泄もコントロールできず気の毒です。
それでも必死で生きようとする姿を見せつけられると飼い主も気を取り直してがんばろうと勇気づけられます。
先日も ”しっかりがんばれよ!“って背中をポンとたたいて成田に向かいました。
カリフォルニア滞在中の日曜の朝、パソコンのメールを開くとパッジーママからのバディリーの死の連絡でした。
ママがお出かけから帰るともう冷たくなっていたそうです。朝までちゃんとドライフードをしっかり食べていたそうです。
そう遠くはないと覚悟はしていましたが、まさか自分のいない間に・・・・
あれだけ おまえが死んだってオレは絶対泣かない!っていってたのに 膝から崩れ落ちて涙がぼろぼろこぼれました。
これから仕事行かなきゃならないのに眼を腫らしたらやばい!と洗面所に行って鏡をみました。
いい歳をして見苦しい自分にあきれると同時に・・・
ああ、”飼い主のこんな恥ずかしい姿見たくなかっただな、おまえ!” ってすぐ思いました。
バディリーはいろんなことを教えてくれました。至らない飼い主として申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ゴメンね、バディリー
身体が衰えてからしばらくできなかったから 天国に行ったら昔のようにいっぱい野原を全力疾走しておくれ!
バディーリーがウチにきたときにまだ小学生だった子供達は社会人となり母となりました。
ママと一緒に彼らが送り出しました。
イエローラブ バディーリー 5737日 見事な生命力でした。忘れがたいBuddy(相棒)です。
(Buddy Leeの幼少時の映像は
こちらです。よろしかったらご覧下さい。)
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長い間,バディリーの健康をご心配頂いた皆様、いつも私達が出張の際にお世話になったシッターの皆さん、病院の先生方に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございました。