3本の支え

S君の想い出・・・

S君の想い出・・・・

2008-01-12 00:43:35 | Weblog
S君と初めてあったのは中学1年の入学の日であった。出席番号で並んだ机の順番が私の後ろがS君のいとこで同じ名字のS君。その後ろがS君だった。父親の経営する会社の工場がS君の住む川口市にあったので、その話が縁で席が近いこともありS君とボクははすぐに話相手になった。その日から大学卒業まで同じ学舎で学生生活を送ることとなる。中学2年生の時の軽井沢キャンプでも同じ班でハイキングやキャンプファイヤーの余興を一緒に考えて楽しんだ。みんなのいろいろな意見を上手にとりまとめリーダーシップを発揮していた。S君は勉学が優秀だった。勉強の優れたホンのひと握りの生徒に送られる栄誉ある賞があり、彼は見事にそれを受賞した。受賞だけで大変なことだが、なかでも価値があるのは勉強だけでなくスポーツも万能で俊足で球技も水泳も体操もみんな上手だったということだ。その賞を受賞するような輩はガリ勉の青白い子が多く、S君のような”文武両立”タイプは希だった。野球部では中学・高校とも4番打者で主将を務めた。


(写真:高校の体育部委員会での各部主将の集合写真-後列左から3人目がS君。中列一番左がボク)

高校2年の夏の甲子園の県予選では彼は1・2年生の野手としてはただ一人ベンチ入りした。決勝戦では、超高校級の鋭く大きく曲がるカーブが持ち味の、甲子園で活躍した後にプロ野球の大洋ホエールズ(ベイスターズの前身)入りする竹内広明投手と対戦。試合は僅差で最終回、打力を買われていた彼は、たしか2死走者1塁で代打で登場。普通なら緊張でドキドキしているはずなのに、カウントを追い込まれて、タイムを要求して、なんとスパイクのヒモを結び直す余裕に大物の片鱗をかいま見せた。結果はあわやセンター前ヒットになりそうな好打を放ったが惜しくも二塁フォース・アウトになり試合終了。実はこの試合はFM浦和放送局から生中継され、いまでもカセットにその模様が残っている。その時の悔しさはいつまでも忘れられない彼の熱く苦い想い出になった。


(写真:高校3年の夏の県予選の試合終了時-写真左端、審判の上に写っているのが主将のS君)

S君は中学の時にも生徒会長に立候補しボクは選挙参謀としてポスターをつくったり支援した。結局は副会長だったがリーダーシップを発揮し正会長以上にその存在感を示した。実は高校の時も体育部会を盛り上げるため彼を生徒会長にしようと試み、彼もその気になってくれたが、甲子園を目指しているのだから勘弁してくれと野球部の面々から懇願され断念した。しかし生徒会本部員として役員に名を連ねて、体育部委員長だったボクに協力してもらいその年は過去にない多額な予算の振り分けを体育部各部で確保できた。学校生活以外では深い親交はなかったが、たまに一緒に遊んだ覚えもある。スティーヴ・マックィーンが好きで、栄光のルマンを見てスポーツカーに憧れていた。サイモン&ガーファンクルの"明日に架ける橋”が好きでよく口ずさんでいた。なかなかファッションもお洒落で大胆だった。軽井沢に遊びに来るのになんと白い背広にキチンとネクタイをして電車から降りてきてボクを驚かせた。大学は法学部に進み司法試験合格をめざしていたようだが、結局、家業を継承すべくお父上の事業を手伝うようになったようだ。見聞を広げに学生時代にインドに単独旅行もしたりしていた。ちょっと古くさいことばだが”男のロマン”がただようようないつも何かをしっかり見つめて生きている。そんな男になっていたような気がした。ある時、秋田美人の女性(後の夫人)を見初め、熱烈なアタックで結婚。結婚式は彼にふさわしく帝国ホテルで盛大なものだった。その後、子宝にも恵まれ、まさに順風満帆な航海が始まり、ボク達はヒーローのこれからの活躍に期待した。


(写真:1981年11月、左端がボクの結婚式でのS君。まだ若いのに立派でしょ。右のお二人は恩師。先生のテーブルでお相手してもらうのは当然彼しかいなかった。)

そんな彼との会話は、その数年後、恩師の通夜で会って、”退院して良かったな。元気で頑張ってな!”これが最後となった。病に倒れ入退院を繰り返した彼は、30代前半にして帰らぬ人となった。訃報の電話連絡の後、しばし呆然とした。驚愕だった。まさかそこまで悪いとは思っていなかった。

通夜葬儀は本当に悲しかった。ご両親の悲しみは重く、悲しみの中で毅然と振る舞う奥さんと残された幼い”三姉妹”は見るに忍びなく胸に突き刺さるようだった。友人たちは誰もが羨望の期待の星だった彼を失ったことを心底嘆いた。あのときボクたちはホンモノの身近なヒーローを失った。寒い1月下旬だった。もうすぐ命日だな・・・

その後、毎年キチンと彼のお墓参りにいく友人のK君から、S君亡き後も奥さんは実家に戻ることなく立派に忘れ形見の三姉妹を育てられたことは聞いていた。

月日は流れた・・・


この正月明け、1月6日からのダイビングツアーへ息子とパラオに行く。ダイビングの船で、若いのにとてもしっかりしていて、礼儀正しく、気さくで明るいインストラクターの”かなちゃん”が日本からの他の2名の女性客ととても親しそうにしていたが、きっと同年代の女の子だからだろうと思っていた。8日のボートは”かなちゃん”とこのニ名の女性客と僕らの5名のチームだった。ポイントに向かう途中、”かなちゃん”は”私達3人姉妹だって言わなかったでしたっけ!”という。”だから親しげだったんだ”という会話になり、日本のどこから来たのとかいう話になり”川口市なんですよ”という話になる。ボクはS君も含め家業でも川口市とは縁があるのでいろいろ話が細かくなっていく。結局川口のどこ?→M町。→奇遇!→川口ってIさんとかSさんとかっていう名字多いよね→私達Sですよ!でもSは私達の親戚だけですよ?→へえ!そうなんだ。友達2人、いたもんだから・・・→”だれですか?”→”S.TくんとかS.Fくんとか・・・でもFくんは亡くなっちゃったんだよ・・・”

”かなちゃん”はそこでこういった。”私達、Fの子です。” 一瞬、言葉を失った。 
チョット間をおいて "ほんとかよ~!・・・・・Sの子かあ、君ら!" と声を震わしていった。

あのときの亡き父を送る幼い三姉妹。

しっかりした長女らしい”かなこちゃん”
やさしそうな次女の"さゆりちゃん”
そして眼差し、くちびるの感じがS君そっくりな三女の”りえちゃん”

当時5歳くらいだった長女のかなちゃんは亡くなる直前、意識のうすれゆくS君と一瞬目があったことをはっきり覚えているそうだ。さゆりちゃんとりえちゃんは幼すぎてS君の記憶がない。

いまこんなに立派に成長して元気で明るく生きている。みんな南の青い空と海の中
笑顔で楽しんでいる・・・そう思うと目頭が熱くなってきた。

驚きにちょっと会話がとぎれる。ちょっと涙がたまり流れるとまずいので上を向く。
幸いボートが次のポイントに向けて急速に速度を上げたため、波と風がこみ上げた涙を吹き飛ばしてくれた。


(写真;ダイビングのメッカ、パラオで活躍する”かなちゃん”のインストラクターぶりはとてもきめ細かく好評だ)


その直後の三姉妹とボクたち5名で2本目のダイビング。”S君、君の残した三人の忘れ形見とこうして美しい海中にいるよ。”
そう思うと水中でマスクの中で目が潤んでくるんで困った。こんなの始めてだ。

きょうはそもそもボクらは違うインストラクターだったが予定のガイドが急に変更で偶然、また"かなちゃん”になったのだ。
これまで2人の妹が別々にパラオをおとずれることがあっても三姉妹が揃ったのも初めてだったそうだ。
そして”かなちゃん”が話をしなかったら・・・
今日でダイビング3日目でこれで終わりだったので、そんな偶然が重ならなかったら知らずに終わったのだ。
 

(写真:”かなちゃん”のリードで3姉妹でダイビング)

その夜、出逢いを記念して三姉妹と食事を一緒にした。彼女らの知らない青春時代のお父さんの思い出話を眼を輝かせて聞いてくれた。卒業後、ボクは就職で地方に赴任してしまいS君と会う機会も減ってしまったし、もっと親交のあったK君やY君たちの方が晩年のS君のことは知っているだろう。ボクの話は古すぎてちょっと興味が薄れたかも知れないし面白い話でもなかったかも知れない。でもボクは自信をもって心の底から彼女らに伝えた。

”短い間だったけど君のお父さんと出会えて、友達でいたことはボクの一生の誇りだよ。そして君たちもそのS君の子供であることを心から誇りに思ってほしい。 君たちはホントにすごいヒーローの子なんだから・・・”


(写真;”かなちゃん”とウチの息子-ダイビングの合﨤のお昼の休憩時に、無人島で)

彼が逝ったとき、3人も幼い子を残してどうするんだ!と思った。でも今、それは間違いだったことがわかった。
S君は2本では不安定なので3本の支え棒を残し、短い一生のうち最も愛した夫人を自らがいなくなった後も支えるようにしたのだ。

おまえたち3人でママをささえるんだよ・・・ 彼のそんな遺志がこの子たちを立派に成長させたんじゃないだろうか。

夫人も本当に強い人であったのだろう。見事に3本の柱をこうして育てた。炎天下の試合後の大宮球場で僕たちに大きなヤカンで氷の入ったカルピスを配って下さったS君のご両親ももう80歳を過ぎたそうだがいまでもお元気だそうだ。S君に先立たれた悲しみはいつまでも癒えないだろうが、どうかいつまでもお元気でいて3本の支え棒をずっと見守って欲しいと願う。


(写真:高校の生徒会本部員の集合写真 - 後列左から6人目の背の高いのがS君。その向かって右の友人を羽交い締めしてふざけているのがボク)

S君、君はこの広い地球の中で、こんな小さな南の島の青い空と青い海の中で、20年ぶりにボクを驚かせたね。次はいつ驚かすの?
いつの日かボクが君に会いにいったときはまた同じクラスに入れてくれよね。天国で君を生徒会長にして支えるよ。たぶん永久に君を越えられないけど、その日までボクもまだまだ一生懸命ガンバるよ。

 
(写真:水中の記念撮影 - 左から三女さゆりちゃん、長女かなこちゃん、次女りえちゃん、ウチの息子)

チームMOTOGO 三姉妹! これからママに恩返しだね。がんばれよ!
 

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