各地で局地的な大雨になっているようです。
その報道を見ると
「気象庁によると、三陸沖から東日本に延びた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる」(MSN産経)
何だか変ですね。
南からの暖かい空気と北からの冷たい空気がぶつかって大気状態が不安定になる。そのぶつかり合ったところを「前線」と呼びます。この産経の表現では、最初に「前線」があって、そこに南からの暖かく湿った空気が流れ込んでいるような印象を受けます。
自然科学では因果律というものは(ある確率をもって)存在しますが、人の世の中では、これこれの原因でこういう結果になったなんてことを特定はできません。事物はそれぞれが生成しているというニーチェ流の解釈の方が正しいのだと思います。
マスコミの習い性として、事物には原因があると信じて、その原因たる悪者を決めつけて苛めぬくという姿勢が往々にして見受けられます。
そういう姿勢は素人受けするし、簡単だからです。
ものごとすべてを「原因」と「結果」で区別したいとしても、自然科学におけるそれらを逆転させる表現は如何なものでしょう。
その報道を見ると
「気象庁によると、三陸沖から東日本に延びた前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいる」(MSN産経)
何だか変ですね。
南からの暖かい空気と北からの冷たい空気がぶつかって大気状態が不安定になる。そのぶつかり合ったところを「前線」と呼びます。この産経の表現では、最初に「前線」があって、そこに南からの暖かく湿った空気が流れ込んでいるような印象を受けます。
自然科学では因果律というものは(ある確率をもって)存在しますが、人の世の中では、これこれの原因でこういう結果になったなんてことを特定はできません。事物はそれぞれが生成しているというニーチェ流の解釈の方が正しいのだと思います。
マスコミの習い性として、事物には原因があると信じて、その原因たる悪者を決めつけて苛めぬくという姿勢が往々にして見受けられます。
そういう姿勢は素人受けするし、簡単だからです。
ものごとすべてを「原因」と「結果」で区別したいとしても、自然科学におけるそれらを逆転させる表現は如何なものでしょう。