奥永さつき

日々のできごとをそこはかとなくつづります。

最近読んだ本(2024.2)_その3

2024-02-29 20:16:38 | 社会
今、Alfred J. Ayer, “The Foundations of Empirical Knowledge”, 1940. を読んでいる。エイヤーは1910年生まれの論理実証主義者で、今月初めに読み終えたシュリックより28歳、ラッセルより38歳若い。訳本が出ているようだが、高くて、インターネット上にpdfがあったので、ダウンロードした。英単語の慣用的な日本語訳を知らないと、誤解を生む可能性がある。エイヤーの他の訳本ではどうなっているのか確かめるため、それから、”Empirical Knpwledge”の理解の一助になるかもしれないので、2022年11月に読んだ「言語・真理・論理」を再読してみた。これは1936年に出版されたもので、弱冠26歳、驚きだ。

アルフレッド・エイヤー(吉田夏彦訳)、「言語・真理・論理」、ちくま学芸文庫
構成

第1章 形而上学の除去
第2章 哲学の機能
第3章 哲学的分析の本質
第4章 ア・プリオリなもの
第5章 真理と確からしさ
第6章 倫理学と神学との批判
第7章 自己と共通世界
第8章 哲学上の主要な論争の解決
概要
同語反覆(トートロジー)と経験的仮説とが有意味な命題であり、形而上学的確言はすべて無意味である。ここで、経験的仮説という意味は、綜合的命題は現実の感覚‐経験において確証されまたはしりぞけられるが、将来的に真偽が反転することもあるから決定的に確定することは不可能であるということである。
単に道徳的な判断を表現しているにすぎない文章は検証不可能であり、感情の表現である。(メタ倫理学の非認知主義、情緒主義)
「神は存在するという確言が無意味であるならば神は存在しないという無神論者の確言も無意味である。」

感想
・「命題は、その真であることが、経験において決定的に確立される場合、そしてただその場合のみ、言葉の強い意味で検証可能であるといわれる。しかし、経験がその命題をありそうな(probable)ものとみせることが出来るという場合には、その命題は、弱い意味で検証可能なのである。」(p. 20) ウィーン学団は強い意味での検証の立場をとっているが、それでは「事実について有意味な陳述をすることは、全然不可能という結論になるから」(p. 22)、エイヤーは弱い意味での検証可能の立場をとる。カール・ポパーは「科学的発見の論理」(1934)において、ウィーン学団の基準は強すぎるので「反証可能性」の基準を提唱した。現実には、ある科学理論が提唱され、実験事実を説明できれば、「当面は」理論としての位置を占める。その理論と合わない結果が出てくれば、理論が誤っているのか、実験に不備があるのか、考察する。科学理論が永遠に「仮説」に過ぎないということは科学界でコンセンサスはとれている。エイヤーもこの本でそのようなことを言っているから、ポパーを先取りしているようにも思える。
・道徳、「神」については完全に同意である。


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