パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

日曜礼拝 2018年7月1日

2018-07-01 20:56:54 | 日曜礼拝
聖書箇所:士師記8章4節~17節
説教題:使命遂行にあたって

(導入)
 ギデオンはイスラエルが王国になる前に宗教的政治的指導者として人々を導いた士師の一人
でした。彼の大きな使命はイスラエルの民をミデアンから救うことでした。ミデアン人は遊牧
民で、収穫の頃になるとイスラエルに略奪に来て穀物や家畜などを奪って行きました。
 この聖書箇所から、ギデオンが使命を忠実に果たしたことがわかります。しかし、同時に、
私たちは聖書に記録されたギデオンの弱さにも注意を払う必要が有ります。

(解説)
 4節で、ギデオンの軍隊は300人であったことが確認できます。少人数でしたが、それは
神様がご自身の栄光を表すためにお決めになった人数でした。そして、最初の攻撃は成功した
ことがわかります。10節によれば、最初の攻撃で敵の戦士十二万人がすでに倒されていたとい
うのです。
 ギデオンの攻撃は夜に始まりましたから、この頃になると彼らは皆空腹で疲れていました。
それで、追撃の途中でスコテに着いた時、町の人にパンを求めましたが、断られてしまいまし
た。更に10キロ程進んでペニエルの町でもパンを求めたのですが、また断られてしまいました。
その理由は、ギデオンの隊が確実にミデアンの王たちを打ち破れるという確信を持てなかった
からでした。もし、ギデオンの隊がミデアンに敗れてしまったら、ミデアンの略奪隊が戻って
来た時に、ギデオンを援助したということでひどい目に合うことを恐れたのでしょう。ギデオ
ンの反応は怒りに満ちたものでした。
 この後ギデオンがどうやって追撃を続けることができたのかはわかりません。何らかの方法
で神様が助けてくださったのでしょう。ミデアンの略奪隊は、ギデオンが後ろから追ってくる
と思っていたようですが、ギデオンは別の道を通って、側面から攻撃したと考えられます。こ
うして、ついにミデアンの略奪隊を滅ぼし、二人の王を捕らえることができました。
 ギデオンは先ずスコテに行き、捕らえた王を彼らに見せた後に、町の長老たちを捕らえて、
予告通りに荒野のいばらやとげで人々に思い知らせました。さらりと書いてありますが、実際
に行われたことは惨たらしいものでした。長老たちは裸にされ、地面に横にならされ、その上
にいばらやとげが置かれた後に、ギデオンたちに死ぬまで踏みつけられたのです。
 ペニエルでも人々は殺されました。予告通り塔が打ち壊されたのですが、籠城した者たちが
塔が崩れた時に死んだのかもしれません。
 ギデオンがしたことは大変残酷で暴虐なことでした。しかも、彼はそれを同胞のイスラエル
人に対してしたのです。士師ギデオンの中には闇と言える部分が有ったのです。翻って、私た
ちはどうでしょうか。私たちの中にも闇が頭をもたげる時が有るのではないでしょうか。

(まとめ)
 私たちにはクリスチャンとしての歩みをするという使命が有ります。その時に心掛けるべき
ことを、ギデオンの例から考えてみます。

1)私たちは私たちの使命にのみ焦点を当てるべきです
   ギデオンの使命はミデアンの略奪隊を打ち破ることでした。同胞を痛めつけることでは
  ありませんでした。神のお命じになっていないことをすると、恐ろしい結果になることが
  有ります。
   私たちの使命は、神と人を愛することによって神を証し、キリストの証人となることで   
  す。それ以外のことに心を用いて仲間を傷つけるような結果にならないように注意するこ
  とが必要です。

2)私たちは神のみに信頼し、神の栄光を現すべきです
   ギデオンは神を信頼していましたが、それだけではなく、自分の方法で自尊心や尊厳を
  守ろうとしました。ですから、スコテとペニエルの人々に残酷な仕打ちをしました。次い
  で、勝利の記念となるような金のエポデを作りました。彼は王になるようにという要請を
  退けましたが、実際には王のような生活をしました。たくさんの妻を持つというのは、王
  がすることでした。息子の一人にはアビメレク(我が父は王)という名をつけました。
   私たちも、教会の中で一生懸命奉仕したりする中で、周囲から支援してもらない時が有
  るかもしれません。それは怒りを呼び起こすような体験かもしれません。その時どうした
  ら良いのでしょうか。自分のことは横において、神を崇め神に栄光を帰するのです。神が
  真の審判者だからです。その態度が、神に対する生きた供え物であり、礼拝なのです。

3)私たちは謙遜で慈悲深くあるべきです 
   スコテとペニエルの人々は神を信頼することができませんでした。恐れからギデオンた  
  ちをもてなすことができませんでした。しかし、ギデオンこそ彼らの恐れを理解するべき
  人間でした。6章を読むと、彼は主の御使いが明らかな奇跡をもって彼の神からの使命を
  伝えたのに、恐れと不信からもう一度羊毛の奇跡を求めるような人物だったことが記録さ
  れています。それは不信仰な行為でした。
   私たちの主イエス・キリストは、山上の垂訓で、私たちに謙遜であるように教えていま  
  す。また、敵を愛し、天の父が完全であるように完全でありなさいと教えました。それは
  天の父と同じように敵にも恵みを施し、慈悲深くありなさいという意味です。
   ギデオンは神を敬う人間でした。しかし、彼には闇と言える一面が有りました。しかし
  イエス・キリストが私たちを罪から救い出してくださいました。私たちの罪が、ちょうど
  ギデオンがスコテの長老をいばらで踏みつけたように、イエス・キリストを踏みにじり、
  私たちの罪がイエス・キリストを十字架にくぎ付けました。ですから、私たちはこの主の
  ご命令に従って、謙遜で慈悲深く生きなければなりません。その生き方が、私たちの礼拝
  なのです。

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