拳四朗くん昨夜は良い試合を見せてくれました。
きっとお父さんもさぞ喜ばれたと思います。
ボクシング関係の昔の友人知人に関しては
子供が国内のトップクラスのボクサーとして活躍しているパターンも散見します。
ぼくが大学ボクシング部時代の話です。
学校は違うのですがよく合宿や大会などで一緒になり、話す機会が多い選手がいました。
その彼は全日本チャンピオンにもなったほどの実力者でもありまして
普段は明るく口を開けば冗談を言う男でした。
確か京都だったと思うのですが、全日本選手権が行われた時もその彼と宿舎が一緒でして
まぁ~よくしゃべることしゃべること。
この時彼は減量がキツかったはずなのに、
それでも独りで漫才をしているかと思うくらいにしゃべるしゃべる。
彼は栃木代表でしたが関西人かと思うくらい。
宿が一緒だった他校の選手たちからも
「体力を削ってまでして笑いを取る男」
と言われてました。笑
その彼は日大の吉野くんって言うのですが
令和の現代、その吉野くんの「甥」にあたる修一郎くんが大活躍しております。
事実上メインイベントと呼ばれていた昨夜のタイトルマッチでも快勝でした。
風貌は当時の吉野くんとほぼ同一人物、驚くほどのクリソツです。
金髪が黒髪だったらどう見ても本人にしか見えません、血は争えませんね。
この修一郎くんは栃木の作新学院出身。
野球やボクシングの名門として有名な高校です。
今はどうか知りませんが昔の作新はどんな学校だったのかよく知ってます。
ぼくの大学ボクシング部時代にも作新学院出身の同期がいました。
角刈りでモミアゲがアゴ髭までつながっているような風貌で入学式の写真は両手をポケットに入れ斜め45度で写るような奴でした。
もう時効だろうと思うので書きますが、そいつは昼間っから学校をサボって寮の近くの寿司屋でビールを飲むような奴でした。
ゲンキチ(←何だか知らないけどそう呼ばれてた)も飲めよ~とススめられましたが、ぼくはビールは拒否ってます、
でも寿司は食べました、彼のおごりだったので。
何でそんなに金を持っていたのかは知りません。
作新学院時代の話もたくさん聞かせてくれました。
合宿の時など消灯時間になったら後輩全員に対し立ったまま寝ろと指示したとか
その他いろいろと。
吉野くんの話から作新学院まで飛びましたがこのくらいにしておきます。
やっぱりボクシング部時代の話題はいくら過去の出来事と言っても・・・
アウトな人達が多いので今後少し控えます。
押忍
吉野と言えば、左フックの弘幸を思い浮かべます。
剛腕の左フック吉野弘幸を知っているとはさすが。
クレイジーキムとの激闘など記憶に残る選手でした。