ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/06/10 歌舞伎座昼の部で染五郎長男が初お目見得!

2007-06-10 23:59:22 | 観劇

今日6/10は歌舞伎座7月公演のゴールド会員先行発売日にあたり、歌舞伎座昼の部観劇に向かう電車の中でも必死に携帯でウェブアクセスするが、混み合っていて入れない。そのうちエラー画面が出てくるようになり、乗り継ぎ駅で公衆電話からも何度もかける。最後は歌舞伎座に入ってイヤホンガイドを借りた後、しばらく公衆電話にかじりつく。ようやくつながって千穐楽の3階席をGET!いやぁ、大変だった。やっぱり日曜日の発売日は集中度が違うと思った。

まずは市川染五郎の長男「藤間 齋 初お目見得」が組み込まれた「侠客春雨傘」から感想アップ!
【侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)】
作者は歌舞伎座をつくった福地桜痴。演劇改良運動をやって9代目團十郎らにいろいろ書いたのだという。
全6幕もある芝居のほんのさわりを初お目見得・初舞台狂言として使えるらしく、父の染五郎も6歳の時にこの演目で三代目松本金太郎を名のり初舞台。今回のこの企画、染五郎が歌舞伎座の建替え前にどうしても歌舞伎座で長男を舞台に上げておきたかったので実現させたのだという。
今回の配役は以下の通り。
大口屋暁雨=染五郎  逸見鉄心斎=彦三郎
傾城葛城=芝雀  傾城薄雲=高麗蔵
幇間善孝=錦吾  和泉屋女房お吉=吉之丞
番新豊花=歌江  和泉屋新兵衛=友右衛門
以下、初お目見得関係
高麗屋幸四郎=幸四郎  高麗屋齋吉=初お目見得 藤間 齋
大尽高砂屋梅玉=梅玉  鳶頭仁左衛門=仁左衛門
播磨屋吉右衛門=吉右衛門

大口屋暁雨というのは実在の人物らしく、助六のモデルになったという。舞台は新吉原仲之町で花道の登場から助六によく似た男伊達の拵え。逸見鉄心斎との宿命の対決というのがお話の筋らしい。
傾城たちと話をしているところにお大尽たちが通りかかってそのうちの高麗屋幸四郎がお宮参り帰りで孫を連れているという登場のさせ方。しかしこんな子どもを吉原に連れてくるわけがないとツッコミたくなるところはぐっとこらえよう。

しか~し、今日の齋ちゃんは、気が散っておざなりモード。いつの間にか鼻の穴に指がつっこまれている。お爺ちゃんがさりげなくお手手を下に持っていくが、またパッと指が鼻の穴の定位置に戻る~。鼻くそか何か気になるものがあるのか???

初お目見得のご挨拶も初日以来いろいろな方のブログでしっかりできていたというレポを読んでいったが、今日はとにかくおざなりモード。よほどお鼻が気になるのかなんなのか??幸四郎の「神様にご挨拶する時は?」で参拝の礼のようなことのあと、「頑張るぞ~!」のはずだが、ペコペコしてすぐウルトラマンのシュワッチポーズにつながって発声は省略。幸四郎に促されてようやく早口で「がんばるぞ~」。
客席は笑って盛り上がっていたし、大幹部の皆さんがつきあってのお祝いの舞台ではあったが・・・・・・。おつきあいの顔ぶれはとにかく豪華。仁左衛門の鳶頭がメリハリのきいた口跡よくお祝いムードを盛り上げていて、そういう役割をきちんと果たすところがさすが!

やっぱり2歳児、早すぎるぞ~。染五郎自身も「親のエゴ」(下記に追記アリ①)と言っているようだが、まさにそんな感じだよと思ってしまった。確かに記録には残るだろうけどね。
歌舞伎座の建替えの時期が読めないから、この時期にしてしまったんだろうけれど、こんなに建替えが伸びそうなのだったら、何ヶ月か後でもよかったんじゃないのというのが私の率直な感想。
ちょっと歌舞伎役者の御曹司に甘いんじゃないかなぁ(下記に追記アリ②)。それともやはり6月昼の部の目玉のひとつとしても効果をねらったんだろうなぁ。

後半は彦三郎の鉄心斎とあわやというところを芝雀の傾城葛城が割って入って県下を預かり、絵面の見得で決まって打ち出された。
写真は歌舞伎座1階ロビーに貼り出されていた初お目見得のお知らせ。

終演後は玲小姐さんと真聖さんとミニミニオフ会。そのために今日は「俳優祭」Tシャツを着込んでいったのだった(^^ゞ
追記
①染五郎が何かのインタビューか何かで「どうしても建替え前の今の歌舞伎座で舞台に上げたかった。親のエゴ」というようなことを言っているのを読んだ。初舞台よりも前の初お目見得というのは、祖父や父親が高齢とか何かで一緒に舞台に上がっておきたいということで、きちんとした口上も覚えられない年齢でも舞台に上げるためだと思う。それはその祖父なり父親のそれまでの功績があってこそ、観客もその役者に付き合う感じなのかなと理解している。今回の場合は、歌舞伎座建替え前に記録に残したいというあたりなのがちょっとなんだかなぁと感じがしていた。
②ここの御曹司というのは染五郎のこと。私はご贔屓の役者かどうかでこの辺の感覚は特に左右されないと思っている。
以下、この公演の別の演目の感想
6/10昼の部②「閻魔と政頼」
6/10昼の部③ずっと観たかった「吉野川」
6/26千穐楽夜の部①染五郎の「船弁慶」
6/26千穐楽夜の部②「盲長屋梅加賀鳶」
6/26千穐楽夜の部③絶品の「御浜御殿綱豊卿」


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
な~にも (harummichin)
2007-06-11 09:43:34
こんにちは
「齋 くん・・2才じゃねえ。」って大向こうさんと「何も出来ないよね。」って2日目はなしておりました。
ゆえに『「高麗屋~」だけでいいでしょ』って大向こうさんも特別な掛け声はかけないようでした。
とにかく今の歌舞伎座で出したいっていう感じが、ありましたよね。
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あら♪ ()
2007-06-11 20:55:35
同じ日に観ていたようですね♪
確かに他の日に観た方の感想を読むと、
齋くんはしっかりとお行儀良くしてたようですが、
10日は集中力散漫のようでしたね。

私は大いに笑わせてもらったので楽しかったのですが、
染パパに怒られてなきゃいいけどぉ・・・。って、
余計な心配しちゃいました。(笑)
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孫はカワイイ! (さちぎく)
2007-06-12 00:42:14
富十郎の大ちゃんだって、ちょっと・・・なのに、2歳の子を出すのは無理がありますね。三津五郎は3歳で初お目見得、ダッコされての出演、こちらは曾おじいちゃんがたっての願いだったようです。その後彼と同じ舞台は踏めなかったそうですよ。幸四郎のおじいちゃん、孫カワイイ丸出しらしいわね。おさらい会じゃないんだから、観客もお付き合いご苦労様だわ!
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皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2007-06-12 01:09:21
★harumichinさま
>とにかく今の歌舞伎座で出したいっていう感じが、ありましたよね......そういったことを何かで読んでいたので、どうれっと観てしまったら、あらあら状態。けっこう冷めた感じで書いてしまいました(^^ゞ
私は妹ばかり姪っ子ばかりで小さい男の子が身近にいたことがないので笑えるけれど、ちょっと受容感までは湧きにくいというのもありますかね。
★「ARAIA -クローゼットより愛をこめて-」の麗さま
同じ日に観劇されていたんですね。それも歌舞伎座でビューとか、おめでとうございますm(_ _)m
そしていつきちゃんのあのお鼻ほじほじを一緒に見ていたわけですねぇ。けっこう冷めた感想を書いてしまいました。2歳なんだからまぁあんなもんでしょうけどね。
染五郎も「どうしても建替え前の今の歌舞伎座で舞台に上げたかった。親のエゴ」というようなことを言っているのを何かで読みました。子どもには笑わせていただきましたが、大人の事情で今回かなり無理して舞台に上げてる感じが見え見えなのでグッと引いてしまったんです。
>染パパに怒られてなきゃいいけどぉ・・・。
こわく怒ったら「ボクもう舞台に出たくない」って泣かれて舞台が嫌いになっちゃうかもしれないから、扱いはいろいろと難しそうですね。
まぁどっちにしてもあとあと語り継がれるだろう大物ぶりをみせていただいたと思うことにしましょう(^^ゞ
★さちぎく様
>観客もお付き合いご苦労様だわ!......そうなんです。あのレベルの初お目見得だと、どうにもおつきあいしましたという感じがどうしても否めなかったんです。真面目におつきあいしようと思ったら、いつきちゃんご本人のおざなりモードにちょっとねぇ状態で真面目につきあう気がそがれてしまって・・・・・・。私は腕白坊主が苦手というのもありますね(^^ゞ
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贔屓役者の… (まる)
2007-06-12 09:39:28
さちぎくさんは菊ちゃんや海老くんのお子様だったら喜ぶでしょうねえ。今、そんなこと言ってしまっていいのかしら(笑)そのときの反応が楽しみだわ。今回のように厳しく言ってくださいよ~。
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Unknown (ひとみ)
2007-06-12 13:47:33
関西歌舞伎の観客は御曹司にも容赦なく…だったのでこんなに衰退したと聞いたことがあります。
高麗屋さんはミュージカルの配役でも感じます。私のラマンチャの男、初体験は大阪でしたが、観ていて何か、沈んでると思ったらご母堂様がお亡くなりになった時と後で分かりました。後に名鉄ホールで観劇した時は素敵でした。
 昔、大川橋蔵が祇園の人とうわさになり大騒ぎ、有名女優と結婚するはずが週刊誌等で叩かれ取りやめ真理子さんと結婚。子供心にも後ろ盾がないとこうなる、御曹司はかばって貰えるのだと思いました。
私は門閥でない弟子抜擢の猿之助丈を尊敬しますが映画雑誌に名文書いている実子の親恋しの気持ちに涙も。こんなコメント、お許し下さい。
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皆様TB、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2007-06-12 23:44:33

皆さんのコメントをいただいて私の言いたかったニュアンスが伝わりにくいと思われたところを本文中に追記させていただきましたm(_ _)m
★まる様
追記②で書きましたが、贔屓の役者のお子さんでも私は状況によってはそこまでしなくてもいいんじゃないかなぁと感じると思います。私は染五郎も応援していますが、今回はちょっと無理を通したなという感じがしてしまいました。
★ひとみ様
御曹司でも親や師匠がいなくなると御曹司というだけでは優遇してもらえないようです。文春文庫版で関容子さんの『海老蔵そして團十郎』を読んで、先代團十郎が亡くなってからの当代の若い頃の苦労が想像以上のものだったので驚きました。猿之助丈は息子さんに継承したくてもできない状況があったようですね。その分、門閥でない弟子を抜擢して育てたのだろうと推察しております。
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Unknown (ひとみ)
2007-06-13 15:30:46
ぴかちゅう様のおっしゃる通り御曹司も親が早く亡くなると苦労されますね。
お子さんのいない玉三郎丈や仲代達也(養女さんみえますが)さんも後進の育成に頑張っていらしいますね。
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先人として... (♪~)
2007-06-18 17:23:52
歌舞伎界での評論家からの幸四郎評にはいつも辛いものが感じられて残念に思うひとりです。
戦後の舞台での彼の功労を思うとなぜ彼が家族にこだわり、必要以上に(傍目では)大事にするのかわかるような気がするのです。
まぁ、ちょっと親ばかすぎるけどね~
いつかお孫さんも人生を振り返るときが来て、今の舞台をありがたかったなぁと思えるような、そんな家族でいてくれればいいな、と思います。

猿之助の息子、香川照之は高校生時代に歌舞伎をやりたいと母親に訴えたそうですが、猿之助が遅すぎるということで継承を許さなさなかったと聞いています。
ちょっと前に映画のプロモで歌舞伎座の舞台に上がった彼はなんともいえない想いで涙が溢れたことでしょうねぇ。

今回はまだ見に行っていないので、幕見にでも飛び込む予定です^
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続・皆様、コメント有難うm(_ _)m (ぴかちゅう)
2007-06-18 23:34:01
★ひとみ様
特に伝統芸能の継承についてはなかなか難しいものがありますね。しかしながら親→子だけでなく集団として継承できるしくみをつくっていくような流れもできつつあるような印象も持っています。
★♪~さま
猿之助父子の話は初めてお聞きしました。せつないですね。御曹司だと国立の研修生になってでもという気はなかなか持てないでしょうし、親の方も中途半端な年からだと大成させられないという思いが強いんでしょうか。
本文中に「きちんとした口上も覚えられない年齢でも舞台に上げる・・・・・・それはその祖父なり父親のそれまでの功績があってこそ」とか書きましたけど、歌舞伎界ではまだ幸四郎はそこまではいってないと思います。演劇界での功績は大きいけれど、やはりこういうのは歌舞伎界での実績が問われるでしょう。
幸四郎は高校時代からミュージカルやら蜷川演出「オイディプス」も含めて観ています。「ラ・マンチャの男」や「アマデウス」のサリエリなどはもう絶品だと思います。ところがこんなに応援している私なのに歌舞伎ではなかなかいいと思える舞台が少ないのです。台詞がこもるのはどうも七代目幸四郎からの遺伝のようですが、特に時代物は気合が入りすぎるのか聞き取れないことが多い。「勧進帳」では本当にガッカリしました。そして歌舞伎で大事なカドカドのキマリがきまらないので堪能できないのです。吉右衛門はこのしぐさやきまりが素晴らしく決まります。
幸四郎の『弁慶のカーテンコール』も読みましたが、幸四郎にとっては歌舞伎も演劇の中のひとつという捉え方だったんですね。それが最近になって歌舞伎が面白くなってきたということですから歌舞伎に本腰が入ったのが遅いんですね。最近、自分なりの解釈で世話物に本格的に取り組んでいるのを、しっかりと応援していきたいと思います。
それと山川静夫さんの『歌右衛門の60年』を読んで昭和の歌舞伎史についてのあらましが把握できました。八代目幸四郎の東宝移籍→九代目の東宝での活躍→やがて松竹へ戻って・・・・・・という高麗屋の歌舞伎界での位置がよくわかりました。今回の現歌舞伎座での初お目見得にこだわったというのも、そんな中で高麗屋として無理してしまったんじゃないかなぁという気がした次第です。
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