ドイツ・ルネサンスの両巨匠アルブレヒト・デューラー(1471-1528)やクラナハ(1472-1553)。
彼らに比べてマイナーだが、同時期にドナウ河畔の自然を絵の背景に描いたことからドナウ派と呼ばれ、近代風景画の概念の成立に多大な影響を与えたとされるアルブレヒト・アルトドルファー(1480-1538)。
前回の大ブリューゲル(1525-1569/初期ネーデルランド絵画)に輪を掛けて細かい絵を描いた。
そのアルトドルファーの 「アレクサンドロス大王の戦い」(上)が今回の作品。
まず、この絵のサイズ、158.4×120.3cm に注目。
ちなみに、王の画家にして画家の王と呼ばれたルーベンス(1577-1640/フランドル/バロック)が多用した馬鹿でかい、例えばここアルテが所蔵する傑作「最後の審判」(600×460cm)のざっと4分の一。
このサイズの中に一体どれだけの人馬が描き込まれているの? と考え込んでしまう。
時は紀元前4世紀の後半、大国アケメネス朝ペルシア、今のイラン。も次第に弱体化、マケドニアが次第に力を持つようになる。
その新興マケドニアのアレキサンダー大王アレクサンドロス3世は、アケメネス朝ダレイオス3世率いるペルシア軍を撃破、その後、首都ペルセポリスを制圧、ペルシア帝国は滅亡、古代オリエントの時代は幕を降ろす。
せいぜい3万数千人とされるアレキサンダー率いるマケドニア軍、シリアのイソス河の辺りで30万以上を擁するペルシアの大軍と衝突。
山と海に挟まれた戦場は大軍に利ならず、やがてペルシア軍は徐々に敗走を始める。
ペルシアの滅亡の序曲となったイッソスの戦いの場面を事細かに描いた。
絵に話を戻し、じっと目を凝らすと両軍の兵士たちが実に細密に描き込まれている。
その中央には、三頭立ての馬車で逃げるダレイオスと槍を持って追走するアレキサンダーの姿もあって如何にも物語的である(下:部分)。
この絵の芸術的な評価は知らないが、ここまで描き込まれるともうそれだけで 「ご苦労さん」と労わずにはおられない。
全体(上)の絵、是非、拡大してご覧あれ、そんな気にさせられてしまう頗る細かい絵だということ、お判り頂けようかと言うもの。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.599
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます