一昨日(12/11)の水曜、大阪・梅田に出かけた。
小雨交じりの強い風が吹く夕刻、寒さを逃れてか、地下街は歳末とも相俟って人で溢れていた。
出かけた理由(わけ)は、勤務時代に同じ職場で懇意にして頂いたお仲間の皆さんとの忘年会に出るため。
実を言えばこの忘年会、ペトロ からお願いしたようなところもある。
皆さん、口にこそ出されないが励まして遣りたいと思って下さっていた様子。
ただ、仏式で言う四十九日の喪も明けないうちに酒席は如何なものと思っておられたよう、逆の立場だったらペトロだってそう思う。
カトリック、葬儀では喪主という言葉を使ってはいるが、外つ国で生れた宗教、厳密には喪中という概念はないようだ。
それでも、身内に不幸があれば暫らくは大人しく、ましてや酒席で騒ぐなど褒められたものではないことは確かだが。
で、年末始の挨拶欠礼の葉書を投函した折に、“忘年会、しましようよ” と、隅に書き加えたところ、本人が言うのであればと応じて下さったような訳だが、その頃は<泣き虫ペトロ>の真っ只中? 人恋しくてならず感謝の他ない。
忘年会の世話をして下さったOさんのメールに拠れば、何処も彼処も予約で一杯、店探しに苦労されたらしい。
その会場に向かう道すがら、溢れんばかりの雑踏に、「さもありなん!」と思いながら、前日届いた葉書に思いを馳せた。
それは、ユニセフからのもので、感謝の言葉に添えて、“ご寄付のお申込み確かにお受け致しました” とするものだった。
少し前、<手紙>と題して投稿したが、カタリナ
の遺志を受け継ぎ聊かのお役に立てればと、“これからはペトロが” と申し出たことに対する回答だった。
五千円の支援があれば、お腹の赤ちゃんの成長に欠かせない微量栄養素63人分、1万円では、深刻な栄養不良の子供を回復させる栄養補助食351袋に変わるそうだ。
だから、忘年会がけしからんと言っているのではない。
やっぱり独りでは生きては行けぬ、生活の潤い明日への活力として、心置けぬ友と一献酌み交わし、越し方を振り返り、行く末に意を新たにすることも大切。
ただ、飽食日本、世界には恵まれない子供たちが沢山居ることを心の隅に置いて、今宵は楽しませて貰おうと思った次第。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.741
【お知らせとお願い】
カタリナの追悼式を、1月18日(土)11時から行う旨、<追悼式 ‐ 12月がきた>(12/2)でご案内致しましたが、教会の都合で、2月1日(土) 午前11時から夙川教会にて に変更になりました。
月始のご多用の折に申し訳ありませんが、時間が許せば故人を偲び祈って遣って下されば嬉しく存じます。