花の都、フィレンツェ。
ルネッサンスの花が開いたのもこの街、天井のない美術館とも言われている。
当時、この街の絶対的権力者だったのがメディチ家。
その、メディチ家ゆかりのウフィツィ美術館の主役となれば、ルネッサンスの巨人ダ・ヴィンチの 「受胎告知」とメディチ家の庇護を受けた、初期ルネサンス、フィレンツェ派の画家ボッティチェリの 「春」と 「ヴィーナスの誕生」。
話は少しそれる。
15世紀初頭、僅か28歳で天に召されたマザッチョ。
彼の出現によって、教会からの束縛から解放され、溌剌と自由に自己を表現するための芸術運動、ルネッサンス・文芸復興の花が、奇跡のように開いたとされる。
彼に続くフィリッポ・リッピからさらに、息子フィリピーノや弟子のボッティチェリへと続くのだが、この頃から対象を自由に解釈した等身大の宗教画が描かれ始め、やがて、教会のためだけではなく、貴族や豊かな商人などの求めに応じて肖像画を描くようになった。
以来、画家たちにとって《理想の女性像》は永遠のテーマ?なのだ。
話は戻って、あまたある名画の中で《理想の女性像》となれば、誰?
ペトロ 至って大真面目に 「モナ・リザは少し趣が違うなあ」と思案投げ首。
然らば、ラファエロの 「ヴェールを被る婦人の肖像」(パラティーナ美術館)のラ・ヴェラータ(写真上左)か、盛期ルネサンス・ヴェネツィア派のティツィアーノ描くところの 「聖愛と俗愛」<ボルゲーゼ美術館蔵>の世俗のヴィーナス(写真上右)でどうかと、無邪気なもの。
そこで、今日のテーマだが、<フランクフルト>の<シュテーデル美術館>に、臆面もなくこれぞ理想の女性と言って憚らない一枚がある。
ボッティチェリの、そのものずばり 「理想の女性像」、別名 「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」(写真中上)だ。
彼の 「春」の世俗のヴィーナス(写真中下左)、「ヴィーナスの誕生」の天上のヴィーナス(写真中下右)、「ヴィーナスとマルス」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)の女神ヴィーナス(写真下右)。
これらの女性像、篤とごろうじあれ、みんな、同じ顔に見える?
また、不思議にもヴィーナス、世俗が着衣で天上(聖愛)は裸体とは如何に?と思うが、こういうことになっているらしい?
もとよりカタリナ、ボッティチェリへの関心も低く 「理想の女性像」の前を素通り。
ペトロはただ単純に 「マニフィカトの聖母」の聖マリア、(写真下左)確かに美しいと思うのだが・・・。
大型連休、小ブログも休もうかとも思ったが、毎日が日曜の身に連休もないだろうと、前号 「二文字押切灰」(カタリナ投稿)に次いで小編をアップ。
それに、随分と長くなってしまったけれど、なんせ《理想の女性像》がテーマなもんやからご勘弁を。(所蔵美術館の記載がない絵は、すべてウフィツィ美術館蔵です。)