“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

逗子海岸の風景

2022-04-30 10:32:33 | Weblog

29日11時過ぎに東京を出発し逗子に来た。

昨日は、低気圧の通過で午後から雨模様とのことでしたので、早めに出発。

天気予報通り正午には、雨が。夕方になるにしたがって荒れ模様となった。

 今朝、7時過ぎにリビングのカーテンを開けたら、靄もなく素晴らしい天気。

富士山もくっきり。

 8時ごろ海岸に出かけた。

 渚橋から望む富士山、江の島。

川から上げた砂。高く積み上げられていた。

カメラに映ったままの画素数および最大投稿画素数で。

海岸にはたくさんの人たちが・・・。

遠泳をするのだろうか。

潮が引いて白波がきれい。

 

海岸には、例年出店する遊び場ができていた。

逗子海岸映画祭の会場。

会場には大型スクリーンやスケートボード施設等が・・・。

ステーキ宮前まで来て、振り返った。

 春靄がないなんて春には珍しい。

 天気が良いので、今日は葉山まで行ってみようと思っている。

 上皇、上皇后が現在葉山に来ているとのこと。久しぶりに晴れた海岸を散歩しているかも・・・。

 

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国立競技場スタジアムツアーに参加 その2。

2022-04-24 16:37:21 | Weblog

 国立競技場のトラックを十分に満喫した後、4階のスクリーン前の展望デッキに上がることとなった。

 入口を一度出て外階段で4階までテクテクと上がる。エレベーターは入口封鎖してある。

 その前に昨日もらったA3の厚手のパンフレットを今日会社に行き、PDF化しPCに取り入れた。ご紹介しよう。

文字が小さくてよく見えないが、スタジアム外部の施設を説明している。正面が中央口であり、4階に上がるのは、右の「空の杜入口」から上がる。

今回のスタジアムツアーには、案内人も説明者もつかない。入場後は全く自由に歩き廻れる。

 4階に上がると入口には、入場した時にもらった腕に巻いた記章を確認している。 確かにスタジアムの周りは、自由に犬を連れた人が散歩しているのでツアー人と区別しなければならない。

 腕に巻いた記章を見せて屋外廊下に入った。

 右にしばらく歩くと、展望エリアの入口が。

 入ると、素晴らしい光景が広がる。

 

 

トラックの左手は、先ほどトーチをもって記念写真を撮った場所。

スタジアム内部の全景が一望できる。

 

庇の屋根の組み具合も手に取るように。

 椅子に座ってしばらくオリンピックの情景を思い浮かべた。「こんな数の椅子がオリンピックに利用されなかったとは・・・」等々。

 十分満足して、廊下に出て来た方向に戻ると、5階に上がる階段があった。

 4階入り口のチェックしている女性に聞くと、「5階は、スダジアム内部を見られず、一周出来て外の景色が見られます」とのこと。 「自分たちは時間も十分にあるし、昨日(4月22日)朝日新聞で紹介された日本一の高さ330m(大阪あべのハルカスを超えた)となった森ビルが新築中のビルも見たいし、一周しよう」となって、5階に上がった。

大きく成長した木はないが、全国の木々が植えこまれているとのこと。

 

木々と遠望を見て散歩するだけでも・・・。(家内の後ろ姿です)

新宿高層ビル群。右端には、先に紹介した西武新宿駅横に建築中の東急歌舞伎町タワー225m。

真ん中の高いビルは、ドコモタワー、左には遠くに東京都庁舎も見える。空には、気球が・・・。

シャクナゲも花をつけている。

ボタン桜(八重桜?)が満開。

家内が教えてくれた「コデマリの花」。満開だった。

 その他、逗子市の市の花「ホトトギス」他多くの花が咲き乱れていた。

右回りで進むと、

神宮外苑の絵画館の建物も見ることができた。

 日本一となった港区虎ノ門と麻布台地区で新築中の超高層ビルを探す。

あった、あった。

中央の3棟の高層ビルの真ん中のビルが工事中で遠くにありながら高く見えるのがそうだ。

渋谷方面。

 女性は、「一周約800mです」と申していたが、外側を歩いていたので、約1kmはあるのでは・・・。でも、東京のビル全体を見ることができたようだった。

 家内がスマホの歩数を見ると自宅を出発してから約9000歩となっていた。

 ゆっくりと歩いて地下鉄国立競技場前駅に戻り、自宅に向かった。

 体が何か火照っている。

  家に帰り、家内と「東京は見るところがまだまだあるね」と。機会を作りいろんなところを歩きたいものだ。

 国立競技場スタジアムツアーは楽しい思い出となった。

 

 

 

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国立競技場スタジアムツアーに参加 その1。

2022-04-23 20:54:30 | Weblog

 今日23日(土曜日)正午30分の国立競技場スタジアムツアーに参加した。 

 東京オリンピック2020(コロナのため1年遅れて2021年開催)の会場として新設された国立競技場、世界の選手が競ったスタジアムを一度は見学したいと思っていたところ、3月末に首記ツアーの募集が開始されたので、早速申し込み。希望の日時を取ることができた。

 今日正午ごろの天候は晴れ、気温25度の温かい日差しとなった。午前11時過ぎに家内と自宅を出発。地下鉄大江戸線で国立競技場前駅まで乗り換えなしでしたので、12時前にはスタジアム前に到着。

 

駅を出て後ろ側に回るともう競技場前。

 時間がやや早かったので、入口の「E」までゆっくりと歩く。

 

入口中央口前の広場。近くにはモニュメントが。

 

 

 中央口を過ぎると入口「 E 」はすぐでした。

各階の外周には植木がきれいに植えられている。

 定時前でしたが入場口に行き、チケット確認のため係員にいろいろと教えてもらう。スマホにチケットの写真を撮ったものでOK。

 15分ほど前に入場口に行き、スマホの写真を見せてスタジアム内に入る。

 

まず目に入ったトラック&フィールド。とても広く、きれい。

 

庇天井は、言われていたように「木」が主流となって組み立てられている。

 階段を下りる途中で観客席をパチリ。ご存じのようにオリンピック開催時は、無観客であったので、67000余の椅子は使われていない。

階段を下ってグラウンドに足を踏み入れた。

 

100mゴールの白線。

中央の芝生広場には立ち入り禁止。

ツアー参加者がコースを走っている。トラックコースは、スポンジでできており、足の感触は柔らかい。

 フィールドに5~6人の聖火リレーをした人達がトーチを持参して記念写真を撮っていた。参加者に順番にトーチを貸していたので、私共もその列に並び、トーチを借りて記念写真。この時とランニングの時だけマスクを外す。

トーチはとても軽いものだった。

 私もトレンチを脱ぎ、コースに出て・・・。ご覧の通りご満悦。

 

世界から選び抜かれた選手たちが走ったコース上を走れるなんて夢のよう!!

五輪マークもはっきりと残っている。

トラック8コースの外には写真のように水はけが施されている。とても深い。 

さあ~次は4階の展望デッキまで上がろうとなり、歩き出した。

 以下は、その2を!!。

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朝日新聞の記事を読んで・・、続きは、

2022-04-17 13:35:32 | Weblog

 昨日の投稿の後、つぎに飼った「義兄からもらったシェパード」について書こうと思っていたが、当時の悲しかったことを思い出して、午前2時まで寝付けず、今朝起きてからもそのことを思い出して時々涙を流しています。とても文章にすることができません。お許しください。

 

 独身時代は、生き物を飼うことができませんでしたが、結婚後は、当初家内が一人で家にいるのはさみしいだろうと白いオームや緑のインコ(大きなオームは飼うのが大変ということで半年ほどでやや小型のインコと交換してもらう。さらに子供が生まれてオーム病を恐れ、元の販売店に返す)、子供が小さいときは、文鳥、はつかねずみ、公園で弱っていた鳩、近くの川で弱っていた鴨(しばらく餌をあげていたら元気になったので、二人で上野公園の不忍池に放しに行った)、そして子供たちが大きくなってからは、ポメラニアン、交通安全の幕舎に入って来たシェトランドシープドック(保健所や警察に相談し、飼い主を探したが見つからず、飼うこととなった)、猫(生まれた直後のまだ目が見えない子猫で自宅の隣りに捨てられていた。一時はこの3匹が同時に家族となった)、新潟市から来たゴールデンレトリバー、そして現在のトイプードル といろんな動物が家族の一員として一緒に生活しました。 

  ※ 家内に聞いたところ、上記のほかにウサギ(近くの神社方面に逃げてわからなくなった)、ザリガニ、熱帯魚、金魚を飼っていたとのこと。

 先代のゴールデンレトリバーのペガサス。

とても頭が良かった。体重約32キロの大型犬だったが、家の中を自由に走り回っていた。

現在、家族の一員であるトイプードルのオレオちゃん。体重3キロ強。 散歩していると知人に「前の犬は大きかったのに、今度は小さいね」と言われます。先代の想いが強く残っているようです。

どの動物も家庭を明るくしてくれました。また、最後まで面倒をみて、先のシェパードみたいなことなくそれらの一生を全うしてくれました。

 ありがとう。

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今朝の朝日新聞の記事を読んで・・・。

2022-04-16 13:23:34 | Weblog

 16日付けの朝日新聞朝刊10ページの記事 “語りつぐ戦争“ の中に「守れなかった愛犬ポチ ごめんね」の記事を読んで、私も同じ経験をしたことを思い出してしまった。この歳になっても“忘れもしない“ 痛ましい。

 朝日新聞の記事。

 父は体が小さくて弱々しい私に「散歩が運動になれば」と雑種の犬をもらってきてくれた。私は名前を「ポチ」とつけて遊んだ。茶色の毛のポチは私によく慣れた。

 父は地区のまとめ役だったので、役場の命令が出ると、一番に犬を供出した。ポチは首に縄を結ばれ、最後の別れになった。私は「ポチ」と声を掛けた。ポチは私の近くに来て悲しい目をした。「助けてくれ!」と言ったように感じた。思わず私は大粒の涙を流し、後ろに逃げた。ポチを守れなかったのだ。もう犬は飼わないと誓った。

 今でも犬は飼わない。飼えないのだ。戦争は小さな犬まで殺してしまう。むごい話である。

 記事の前段は省略しましたが、これと同じことを私も経験している。むごい話を思い出して・・・。

 小学1年の時の記憶をたどって書いてみよう。

 同級のナガイ君が「犬が生まれた。元気に走り回っているよ」と話したので、「私、その犬をもらいたい。相談してみる」と伝え、家に帰って皆にその旨を話した。

 父母は反対しなかったが、祖母が「商売をやっている家では、犬は飼ってはいけない」と反対した。それでも私が「ほしい」とお願いしたところ、祖母は折れた。

 生まれて3~4か月の茶色の小さな犬だった。「チビ」と名付けた。今は室内で飼うのが当たり前だが、当時は、玄関の外で紐でつなぎ飼うのが普通だった。

 人が来るとワンワンと知らせた。これが祖母の言う「商売をしている家では・・・」と言うのだろうか。確かに鳴き声がうるさかったが中型犬だったので、大変可愛く散歩に出かけた。父母は別に反対しなかった。

 そして上の記事にあるようにお国の命令が出ると、すぐだったように思う。私が学校に行っている間に祖母が「供出してしまった」と母から知らされた。私は大声で泣きだし、近所を探し回ったのを覚えている。その時は祖母が一番家主のようにふるまっていた。本当に痛々しい。

 わたくしは幼少の時から動物が好きだった。祖母は犬以外はよかった。いつも自分で猫をもらってきたのを覚えている。

 それからしばらくは父も犬を飼うことはしなかった。長姉が嫁いだ先からシェパードの子犬をもらうまでは・・・。

 私が高校2年の時、忘れもしない。この犬も大変不幸なこととなってしまった。

 今、ウクライナでロシヤの侵攻で戦争が起こっているが、動物たちはどうしているのだろう。小さな犬は抱いているのが見受けられるが・・・。

 戦争はお互いが取り返しのつかないこととなってしまう。

 一刻も早く停止すべきと思う。

 

 

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お墓参りと横浜・山下公園へ

2022-04-11 22:41:14 | Weblog

 11日の朝食時に「帰りは、横浜・久保山墓地に立ち寄ってお墓参りをしよう。3月に行けなかったから。そして1年ぶりに義姉家に寄って元気なところを・・・」と提案したところ、家内「月曜日だから、姉は水泳に行っていていないかも。お兄さんはいるでしょう」と相成った。

 ナビゲーターに行き先を入力し、11時30分過ぎに逗子を出発。

 横横高速道路を走っていて、ナビゲーターをチラチラ見ると、「どうも遠回りするようだ。途中から一般道路に下りて、行こう」となって、いつも行く道とは逆の走りとなってしまった。でも、何とか入口に到着。

 しかし、いつも車を止める場所は、鎖で入場禁止となっている。

 近くの横浜聖霊病院の駐車場に車を入れ歩きだした。駐車場の屋上に出て進むと4~5分で墓地の入口に着く。

 家内は、お花を買いに、お墓を管理清掃しているお店に走る。私はゆっくりと墓地内に入った。

横浜市営久保山墓地は、とても広い。右左二つの谷を含んで、見渡す限り墓地となっている。

 家内の実家のお墓は、入口の管理事務所から3~4分のところにある。義父が横浜で商売していて、景気の良かった時にここを求め、義父が建墓したとのこと。5m四方ぐらいあるでしょうか。周りは、石造りで囲ってある。

 家内が買ってきたお花を飾り、お線香に火をつけ、手を合わせた。

 途中で買い物し、JR〇〇駅から4~5分の義姉の自宅に向かう。

 お兄さんがいたが、先に申したように義姉は留守。上がれ、上がれと申すが、トイレだけを借りて失礼する。

 しばらく走って久しぶりの山下公園に着く。産業貿易センタービルの地下駐車場に車を入れ、1階に上がると公園の入口が目の前。山下公園の海岸に向かって左端のところだった。

 入ってすぐ右には、一面チューリップの花壇。

 

 さらに進み海岸の通りに出る。

 久しぶりに氷川丸をみる。

そして、公園には花壇があるようだ。

 

大型の客船が停泊している。家に帰って調べてみると「飛鳥Ⅱ」のようだ。

 花壇に足を運ぶと、

 

 

 

皆とてもきれいに植えられていた。

 しばらく行くと、「赤い靴はいてた女の子像」。

どこまでも続いている。

「もういいわ」と通って来た入口の近くまで戻った。

 「インド水塔」と表されている。横浜市指定歴史建造物となっているとのこと。

インド水塔の説明の表示。

 横浜市内は、山下公園をはじめ見るところがたくさんある。が時間もなくなってきたので、駐車場に戻り、車に乗り込んで出発した。

 帰りの高速道路に上がるまで一般道を走っていると目の前にロープウエイが。

 ちょうど信号が赤となって車を止めたので、カメラを向けてパチリ。

昨年4月に完成、運行したとのこと。都市内に珍しいものを造ったものだ。

 高速道路に上がって、首都高から三ツ沢を通って第三京浜高速道路を走り、世田谷に、そしてしばらく走ってまた首都高に上がり、西池袋ICまで止まることなく走った。 家に到着したのが午後4時30分過ぎ。

 シャワーを浴びてベットにもぐった。

 今日11日の行動でした。

 

 

 

 

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朝の逗子海岸と田越川沿いの桜

2022-04-09 21:04:56 | Weblog

 昨日正午過ぎに逗子に来たが、下着等が入ったリックサックを忘れてしまった。 

 ここには予備のものを置いていないので、東京に取りに帰ろうかと思ったが、「往復3時間、高速道路代もかかったしまうので、こちらで買おう」となった。

 車を出しているときに管理人が近くに来たので、「近いところで下着等を売っているスーパーみたいなものがあるでしょうか」と聞いたところ「マンションを出たところにあるコンビニには、簡単なものはあるのでは・・・」とのこと。しかし、寝巻等はない」。

 マンションの住民の一人に携帯で問い合わせしてくれる。その人曰く「私もこの近くでは買っていないので、街の一般店以外は知らない」とのこと。

 初めに決心した横須賀のスーパーに行くこととなった。

 大変大きなスーパーですが、衣料関係は、別の会社の経営だったがよいものがそろっていた。

 寝巻、下着類そして靴下すべてをそろえることができた。

 マンションに落ち着いたのが、午後3時半過ぎとなった。

 とても疲れてしまったので、レオちゃんの散歩は家内に行ってもらい、ベットに入った。

 とうとう、来た日はリビングから望む海岸の風景だけとなった。

 朝、3人で海岸方面に散歩に出かけた。

今日9日の朝。リビングから望む逗子湾。

 田越川の河口では、川底の砂等を上げる重機が。

砂等がいっぱいあげられていた。今日は休みのようで、重機はまとめて砂の山上に。

ここからは今までの姿です。

風がやや強くボートは気持ちよく走っている。

 遅い朝食の時、「今日は、久しぶりに鎌倉に行こう」と合意。

 昼前から風がより強くなった。これでは、鎌倉に行っても大変と中止する。

 “家でゴロゴロしていても“ と午後2時過ぎ、自転車で京急線逗子・葉山駅近くの桜を一人で出かけることとなった。

 自転車に電池を取り付けタイヤに空気を入れ、玄関先に出すと、今入れたタイヤの空気がもうなくなっている。

 「これではだめだ」。タイヤの虫ゴムがもうダメになっているのだろう。

 駅近くまで、歩いてゆくこととなった。桜を見ながらの散歩となった。

 途中にある桜は、まだまだみられる。

 

 

 

 

 川の中で何かをすくっている。

 

三浦胤義(たねよし)が承久の乱後に、この田越川のほとりで首を切られたとの記事。 承久の乱と言えば、順徳上皇も乱後に佐渡に流されている。

 

 この辺りは、京急線逗子・葉山駅の裏側を流れる田越川のほとり。

 踏切を渡って右手にある逗子・葉山駅。

 道を挟んで前には逗子市役所、そして左手には、亀岡八幡宮がある。

  今年はコロナの感染が怖く、地元の神社しかお参りしてなかったので、この神社の本殿前で手を合わせた。

 神社の横からJR逗子駅前に進む。

JR逗子駅前。

 駅前から商店街を進んで帰路に就く。

 途中、自転車屋で、今日の自転車のタイヤ状況を話すと、主人「間違いなく虫ゴムのせいでしょう」と自信をもって話す。虫ゴムを買う。

 帰路、逗子開成高校の通りでも桜があったことを思い出し、廻ってみる。

個々の桜はもう葉桜となっていた。

逗子開成高校と言えば、昔、悲しい海難事故があった。その碑が校門の近くにあるので立ち寄り手を合わせた。

 高校から海岸に進む。

海岸では、風がとても強く、砂を巻き上げているが・・・。

 

 ボートも風が強いので危険を察し、上がって来る。

 田越川の近くのマンションまで、風に向かってきつい歩行。ふらふらになって石原慎太郎の記念碑まで着く。階段でしばらく休憩。

 家に着いたら、携帯の歩数は出発してから7500有余歩を示していた。

 体は、やや汗ばんでいたのでシャツを代え、ベットにもぐりこんだ。

 運動不足を補う今日一日の状況でした。

 

 

 

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