“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

菊地大稀選手(佐渡高校⇒桐蔭横浜大)が巨人軍に育成ドラフトに!!

2021-10-14 16:04:34 | Weblog

 ご存知かと思いますが、10月11日行われたプロ野球ドラフト会議で、佐渡市真野出身の菊地大稀君が巨人軍に育成ドラフト第6位に指名されました。

 佐渡島から初のプロ野球選手が生まれるようだ。彼は、最速148キロの右腕投手とのこと。

 巨人軍は、今日14日、菊地大稀君に指名あいさつをしたと。その席で彼は、「佐渡の子供たちに夢を与えたい」と抱負を語ったとのことです。(スポーツ紙)

 菊地君を応援しています。

 「菊地君、がんばれ」

 

 

 

 

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車庫のシャッター交換修理。

2021-10-12 21:33:35 | Weblog

 4日(月曜日)に佐渡から帰って1週間を過ぎたが、土曜日(9日)までは、疲れが取れず、特にブログで佐渡のことを記しているとまだ佐渡にいるような錯覚をし、もうろうとしていた。

 しかし、7日、8日と車庫シャッターの交換修理が予定通り行われた。

 ビルを建ててからのものが、途中1度の修理をしたのみで、今までモーター等基本的なものはそのままにしてきたが、開閉の音が大きくなって来、近所迷惑。最近では、開閉モーターが動かなくなった。

 同じシャッターメーカーに機器等すべてを交換修理することを依頼、この9月中旬修理を始めたが。

古いものの取り外し工事。

 完成確認の立ち合いの際、ガシャガシャの音が頭に響くほど激しく、これでは・・・とその後の工事を中止していた。工事依頼したメーカーの課長も見に来て、「これほどひどい音とは思わなかった」と詫びるほどのものだった。

 その工事がのびのびとなっていたが、この7日から9月に行った修繕工事のものはすべて取り換え、新しい形式のものを取り付けた。

9月に取り付けたものを外しにかかる。

この心棒も取り外す。ここに設置されている機器のリモコンの返却、新しいものと交換が行われたので、心棒から交換したことがわかる。

 以下、工事中は、立ち会っていない。

 午後3時過ぎ、機器の取り付けを終了し、確認の依頼があったので、立ち会った。

 

さび止めのためのバンドが今までと違って取り付けられた。

 先のものとは違い、とても静か。見ると、錆止めを目的とするゴムバンドみたいなものが左右、真ん中の3カ所に取付けられている。

 機器についてはOKを出し、8日天井をふさぐ工事を進めることを了解した。

天井に点検口2カ所をつくりその他は一面アルミ板で覆われた。

 8日朝から職員3名が天井工事をはじめ、午後2時過ぎに終了。

 すべて納得し、11日残金を振り込んだ。

 工事メーカーの課長から「入金の確認ができました。遅れて大変申し訳ございませんでした」との電話をもらって、すべてを終了した。

 これで開閉時の騒音で近所迷惑となっていたことを収めることができ、安心した。

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式典終了。東京に向かって出発する日が来る。

2021-10-09 16:36:14 | Weblog

 3日式典終了後は、実家に帰り雑談。朝5時から目を覚ましていたので疲れがどっと出る。ホテルに行って休む。

 ホテルの部屋でしばらく休んでいると、部屋の電話が。フロントから「Nさんがお見えになっています」。

 一階のフロントに下りると同級生Nさんの奥さんが。「昨日はわざわざおいでいただきありがとうございました。主人は、足が悪いので椅子から動けなかったが、会えてとても喜んでいます。これは佐渡のお米なんでお持ち帰りください」と差し出す。大変恐縮してしまった。

 四日の朝食は昨日と同じく七階レストラン。

食べきれないほどの料理が並んでいる。

朝の朝食。

 おお窓から金北山が輝いているので、部屋にカメラを取りに下りる。

 七階レストランからみる金北山。快晴の空に大佐渡山脈の山々がくっきりと姿を現している。

 朝食をすますと、9時前、ホテルのフロントに。鍵を返すと、ホテル側から「佐渡のお米です。わずかですがお持ち帰りください」と数キロ入り二袋を差し出した。こちらから「大変お世話様になりました。犬は持ち込み禁止となっていることを知っていましたが、車の中では・・・と思いわがままを言ってすみませんでした」と言って、持ってきた缶ビール10本入りの袋をフロントに渡した。大変恐縮していた。 車で出発の時は、二人の従業員が見送ってくれた。

 一昨日立ち寄ったN建具屋さんから昨夕「車で来ているから、家で作っている野菜を持ち帰ってくれ。明日出発前に事務所に寄ってもらいたい」との連絡をもらっていたので、先にその事務所に立ち寄った。奥さんも来ていた。

 しばらくすると、Mスーパーの会長も見える。今は引退して息子にバトン、「会長」となっているとのこと。N建具屋さんの主人と従兄。佐渡に4店舗の大型スーパー店を出しているとのこと。

 5人で話が弾む。共に首都圏真野人会総会に出席してくれた仲。完成ほやほやの東京スカイツリーに佐渡から出席の十数名の皆さんを私が予約招待して登った(佐渡人としては最初)こと、話が尽きない。

 出発の時間が迫っているので話を打ち切り、「またお会いしましょう」と。主人が車の後席に箱いっぱいの野菜を運び入れてくれた。

 失礼して、実家に向かう。もう、時間が迫っているので、二人は仏壇に向かい、手を合わせる。

 義姉もお酒等たくさんの土産を用意している。もう車に乗せきれないほどとなった。

 義姉、甥っ子に礼を述べて別れた。

 両津港に着くと、来た時と同じ船が港に入ってきた。

来た時と同じ「ときわ丸」。

着岸して前部が開きだした。

前部が開く。見ていると車が乗っているところまでに三重の鉄板が。

一番最初のトラックが下りてきた。

 しばらくすると、私共が乗船開始。ワンちゃんがいるので、来るときと同じく4階のペットコーナーに上がる。

12時40分離岸。

 

 今は岸壁で見送る人がいないが、私が学生時代父母が岸壁で見送ってくれたのを思い出し目頭が熱くなる。

 この歳になっても両津港を離れるときは、目頭が熱くなる。特に岸壁が遠くなっていくとたまらない。

「この景色を視るのはこれが最後かなぁ・・・」と考えたりして・・・。

 さょうなら!!

 来た時と同じく私は2等客席に入り毛布をかぶって休む。

 午後3時10分頃新潟港に着岸。車は順次船から降り、走り出した。

 約20分ほどで高速道路に入り、東京に向かう。最初のサービスエリアで、これからの長い走りの用意を整える。

 4時前にサービスエリアを出発。

 東三条を過ぎたあたりで、家内に向かって「社員Sさんのご実家はあの辺りだよ。ガスのタンクが見えるでしょう」と知らせる。

走りは順調。

 その後、道路も混んでなく順調に進み、寄居サービスエリアで休憩。

 所沢インターもスムーズに下りられ、午後8時15分ごろ、自宅に到着。

 早速実家に電話を入れ、無事に到着した旨を伝えた。

  今回の順徳上皇ご遷幸800年記念式典に参加できたことは、一生忘れないと思う。

 佐渡の皆さん、本当にありがとうございました。お元気で!!またお会いしましょう。

 またの機会と思うが、もう車では無理かと思う。危険だから・・・。

<追記>

   車のガソリンは、東京を出発する前に満タンとした。1日から4日東京着までの4日間往復で、メモリの区画8メモリ中、なお3メモリが残っていると表示されている。

 以前乗っていたクラウンマジェスタでは、満タン(約70リットル)にして出発して佐渡に渡り、帰りの新潟港を上がるとガソリン補充が必要であったが、今度のプリウスPHVでは、満タン(約50リットル)にして佐渡に渡って、東京に帰って来てもなお、残っている。マジェスタでは、高速利用で約10㌔/リットルだったが、今回のプリウスPHVは約40㌔/リットルと表示されており、消費がとても少ない。

 今後のために記しておきたい。

 

 

 

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順徳上皇佐渡ご遷幸800年記念式典に参加 その3

2021-10-07 12:13:18 | Weblog

"今日(3日)はいよいよ首記記念式典が開会される。友人たちに会えるかしら?" と胸が躍り、午前5時には目を覚ます。

 

6階の部屋からの展望は真野湾を一望でき素晴らしい。写真は3枚合成したもの。

 2日、両津港着岸5分ほど前に記念事業実行委員の監事Sさんから携帯に、「明日朝8時に真野御陵で御祈祷があるので出席ください」との連絡が入った。船の中で更に車に乗っていたので電波状況が悪く、とぎれとぎれであったが、内容がほぼ掴めた。

 御祈祷に参加するべくホテルを出発。家内とワンちゃんを実家で降ろし、午前8時前に真野御陵に着くと、もう、6~7名の実行委員の方々が観光センター前に集合していた。

 御陵前の御祈祷が午前8時に始まった。祭司は二宮宮司とのこと。

 

御祈祷に参加した人たち。(手前の空席に私が座っていた)

祭司の指示で各人が榊をささげ、拝礼する。

 約20分ほどで終了。全員 御陵を下り、真野宮を参拝。

 今日の式典場所の「真野ふるさと会館 多目的ホール」に向かう。

 家内に電話を入れると、すでに実家を出発したとのこと。

  会場に到着すると、首都圏佐渡連合会の「ふるさと里帰りキャンペーン(1日~3日)」に参加した人の内20名余りの人が着席していた。

 午前9時30分式典開催。式次第にのっとりまず順徳上皇の生涯と佐渡ヶ島のビデオが上映された。

 以下、開会あいさつ、主催者挨拶、来賓挨拶と続き、基調講演前に渡津神社雅楽会による雅楽の演奏があった。

高野実行副委員長による開会挨拶状景。内容は略します。

山本修巳実行委員長の主催者挨拶状景。

 佐渡市長渡辺竜五氏の来賓挨拶状景。

 首都圏佐渡連合会会長山本顕男氏の挨拶状景。

続いて渡津神社雅楽会による雅楽演奏が始まった。

渡津神社雅楽会による雅楽の演奏。

雅楽演奏に聞き入る参加者の皆さん。約百数十名でしょうか。

しばらく休憩の後、基調講演が始まった。

 山本実行委員長による演題「佐渡の順徳上皇」として約30分話された。

 

 順徳上皇はいわゆる「承久の変」で、承久3年(1221年)7月、24歳で佐渡にご遷幸となったこと、とても知徳で和歌を愛し、いくつかの歌を残していること、45歳で崩御。真野の丘で火葬され、遺骨は京都に収められたこと等について話された。

 次いで、記念講演として新潟大学人文学部准教授中本真人先生の講演が始まった。

演題は、「順徳上皇『禁秘抄』について」。

 『禁秘抄』の内容はよく知らなかったが、天皇の日常生活に関わることが多いとのこと、そして慣習の乱れた部分については必ず正すようにと訓戒めいた言辞がみられるとのこと。『禁秘抄』の執筆の時期は不明のようですが、順徳天皇の御在位中から譲位後にかけて書かれたものとのこと。

 この中で特に記憶に残った言葉(現代語訳)『第一はご学問である。学ばなければ古来の道理に暗くなる』。すごい言葉ですね。耳が痛い。

中本先生の講演を聞くだけでもこの記念事業に参加した価値があったと思った。

基調講演、記念講演は、持参したレコーダーに納めたので、後でゆっくりと聞いてみようと思う。

 次いで、順徳上皇は、学問に優れていたこと、百人一首の百番目に歌が入っていることから、この800年記念事業として短歌を募集。応募数は、小学生から卒寿を超えられた方まで600余首あったとのこと。

 その中から小学生の部、中学生の部、高校生の部、島外一般の部、島内一般の部のそれぞれについての優秀作品について高野実行副委員長から表彰状と記念品が手渡された。

 その中で私が特に心に響いたものを紹介します。

 

 

 

 

 

  いずれも素晴らしい歌ですね。

 午後1時前、これから試食する「稗の粥について」実行委員会顧問豊原久夫氏による説明があった。順徳上皇に対する地元の人の好意として振る舞われたものとのこと。

  「これほどに身の温まる草の実を ひえの粥とは誰かいふらむ」

                           順徳院物語より。

   「稗の粥」が試食として出席者の皆さんに振る舞われた。

「稗の粥」。

出席者の皆さん、「稗の粥」を試食する。

 最後に閉会の挨拶として実行委員会顧問三浦基裕氏(前市長)が立たれ、参加者に対して御礼を述べられた。

 すべてが終了、解散となった。

 私は、ワンちゃんが車に居たので、皆さんと別れ車に走った。

 実家に立ち寄り、しばらく雑談。

  佐渡滞在2日目も八幡館に宿泊の予定。

  八幡館に帰る途中、国府川の橋で太陽が沈む直前の様子、空が赤く染まっているのに気付いた。八幡館のロビーを小走りに走り6階に上がる。

二見半島の山に沈む太陽。

 今日の800年記念事業は参加してよかった。ご無沙汰している方々に会うことも出来たし・・・。

 (文字数オーバーのためこれ以上かけません)

 

 

 

 

 

 

 

 

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順徳上皇佐渡ご遷幸800年記念式典に参加 その2

2021-10-06 15:31:42 | Weblog

 10月2日午前8時過ぎ、新潟グランドホテルを発って新潟港佐渡汽船に向かった。車で約10分。

 天気は快晴。午前9時ときわ丸への車の乗船が始まった。出航は、9時20分。

 ワンちゃんも船賃を支払っているので、指定の場所(4階の船後部椅子席の左端にペットコーナーが設けられている)に家内と同席。

 本当はその場所を動いていけないのだが、小さなワンちゃんなので、ママが抱いて後部甲板に出た。

後部甲板で・・・。

 いよいよ出航。ロープが外された。

 

カモメが見送ってくれた。

佐渡に向かう。私は2等船室に行き、毛布をかぶって横になって休んだ。

 

両津湾に入る。金北山頂上は雲がかかっている。

 既定の時刻に両津港に着岸。車も順次走り出し、下船する。

 実家のある真野に行く途中に、母親の実家がある真野金丸地区を通るので先に立ち寄った。従兄夫婦が在宅だった。仏壇に手を合わせ、ご無沙汰を詫びる。しばらく雑談。そして、今春東京で亡くなった別の従兄、並びにその両親が眠っているお寺(種徳院)に行き、墓前で手を合せ無沙汰を詫びた。(花は、両津カヤノ生花店で買い求める。両津の街を走ったが、土曜日正午過ぎであるのにお店はシャッターがほとんど下りている。びっくり)

 金丸の従兄と別れ、実家に向かう。10分ほどで到着。義姉としばらく雑談して真野御陵に向かう。

 観光センターのSさんが迎えてくれた。

 売店で販売している佐渡名産の赤玉。素晴らしい光景。奥の森が真野御陵の林。

真野御陵入口。

火葬塚の入口。

 ここで手を合わせて拝礼する。

 真野新町の花屋で墓参り用の花を買い求め、父母等が眠っている四日町大願寺に向かった。

住職は、大正大学で教鞭をとっているので留守。

父母の眠るH家の墓に花を添え、無沙汰を請う。H家の墓は大小十数個並んでおり、歴史を物語っている。

 そして親戚の墓3か所ほどを巡り花を添え、手を合わせた。ここから実姉のいる相川二見地区に車を走らせた。姉は健在だった。

 再び真野地区に帰り、T元市長や親しい同級生の家を廻った。

 再び、実家に寄り義姉と雑談。

 もう、午後6時となっていたので、今晩のお宿として予約している国際佐渡観光ホテル八幡館に向かった。

八幡館のロビーは広く素敵。

八幡館は昭和天皇や秋篠宮ご夫妻がお泊りになってる、佐渡でも由緒あるホテル。昭和天皇等がホテルに滞在した時の写真が飾られている。

佐渡芸能「鬼太鼓の道具」も飾られている。

 私共には、6階(客室としては最上階)の海側の部屋に案内された。真野湾が一望できる。

 時間がなかったので、先に夕食となった。2階の別室での食事とのこと。

夕食の料理がすごい。いくら食べても次から次と運ばれてくる。食べきれない。

 食後、温泉大浴場に入り、体を癒した。

 ワンちゃんは、ホテル内への同行を禁止されている。車は、バス停車用の場所に案内された。この場所は、照明も届いていてワンちゃんの面倒を見るのに最適。ホテル側の気遣いのようだ。

 明日は、いよいよ順徳上皇ご遷幸800年式典です。

 

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順徳上皇佐渡ご遷幸800年記念式典に参加 その1

2021-10-05 17:48:09 | Weblog

 10月1日からコロナの非常事態宣言解除の予報で、3日に行われる首記行事に出席のため急きょ佐渡へ帰ることとなり、9月28日夕方、ホテルや佐渡汽船の予約を始めた。

 2日に佐渡に渡ればよいと当初佐渡汽船の予約を2日の12時過ぎ新潟港出航として確保したがよく考えると、佐渡両津港到着が午後3時過ぎになり、それから親戚や友人周りをしたら夜になってしまうことから、朝9時20分新潟港発の便に変更。

 そのためには、新潟で1泊することが必要となり、急きょ佐渡汽船新潟港に近い信濃川べりの新潟グランドホテルに素泊まり予約をした。

 何しろ“家族″と言えばワンちゃんも家族。一緒に前日の1日午前11頃車で自宅を出発した。

 台風の影響で関越道高速道路は長岡辺りまで雨、最高速度も80㌔制限がかかっていた。

 ワンちゃんのおしっこのことがあるのでほぼ2時間ごとに休憩することにしていたが、雨のため外に出ることができず、とうとう湯沢を過ぎて「大和スマートサービス」まで走ってしまった。

雨がやんでいる。

大和スマートサービスから山の方面を望む。

 その後は、小雨の中、一気に新潟市まで。

 新潟市に入り佐渡汽船方向に行く途中に、新潟日報社の近くにトヨタ自動車新潟本店があったので、1時間の充電をさせてもらった。車がプリウスPHVですので、充電すればガソリンの節約になる。

 ワンちゃんのおしっこ時間だったので1時間、付近を散策した。

 そして、午後5時ごろ信濃川べりの新潟グランドホテル駐車場に入った。

 もちろん、ワンちゃんは車の中で持ってきたワンちゃんベットで休むこととしている。

 午後10時過ぎに車から外に連れ出し、約30分ほど川べりの公園を散歩。これさえすれば朝の5時過ぎまで、おとなしく熟睡することが分かっているので安心。

 私共は、素泊まりのためお風呂に入って、すぐにベットにもぐりこんだ。

 こんなことで無事第1日目が過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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