“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

第3回地域フェスタ “ドサッと佐渡 みーちゃ鼓童” に出かける。

2019-10-26 17:53:07 | Weblog

 昨日の午後から降り続いた関東地方の大雨は、またも千葉県内で被害をもたらした。

 ニュースで「茂原地方に豪雨」と報じていたので、外房に住んでいる友人に午後7時前に電話(携帯)したところ、「東京に出かけた帰りで、現在外房線の誉田駅ですでに4時間電車が止まっている。電車の中で休んでいる。電車が動くまでここにいる予定」とのこと。「気を付けるよう!」伝え、電話を切った。

 心配になって9時ごろ再度電話したが、つながらなかった。注意するよう留守電に入れて・・・。

 今日電話を入れたところ、数人の乗客と一緒で誉田駅から歩き出した。2時間余り歩いて自宅にたどり着いたとのこと。家には、浸水はなかったと。 無事でよかった。 

 外房線は結局、終日運転を取りやめたそう。

 

 一転して、今日26日は、朝から快晴。

 予定していた大正大学で開催される第3回地域フェスタ「ドサッと佐渡 みーっちゃ鼓童」に家内と出かけた。

 JR巣鴨駅から徒歩約12分の大正大学校庭内で午前10時30分から開催されるのに間に合うよう自宅を出発した。

 JR巣鴨駅からは、金の道で歩いており、場所も分かっているので、中山道とげ抜き地蔵尊通り商店街を一直線に進む。

 

商店街の途中にあるとげぬき地蔵尊「高岩寺」正門。

商店街を過ぎ、中山道庚申塚通りに入ると、鼓童ののぼり旗が立っていた。

中山道庚申塚通り側にある入口から大正大学構内に入る。

 大学の校舎内では、地域創生学部の生徒たちが、地域の名産品販売に精出していた。

佐渡の物産を販売しているコーナー。

 ガラス窓の外を見ると、会場の椅子がすでに2/3ほど埋まっていた。

 私共が座った椅子は、後ろから3列目ほど。椅子はすぐに埋まった。

 定刻の10時30分、地域創生学部の生徒が司会を務め、副学長があいさつに立った。

副学長は、「地域創生学部の生徒の一部は、この行事と重なって現在実習に入っていて、佐渡に滞在している」旨を述べ、「地域の人たちと一緒になってこのフェスタを成功させたい」と述べられた。確かに佐渡出身のU助教授の顔が見えない。

 副学長の挨拶が終わると、今年5月大学内に結成されたばかりの太鼓集団「鼓鴨(こおう)」が太鼓をたたきはじめた。集団は現在21名で、佐渡の「鼓童」の指導を受け練習に励んでいるとのこと。

 

 鼓鴨の生徒たちの演奏。 1曲だけだった。

 次いで、地元商店街の人たちが1984年に結成した「鼓友」の太鼓集団が演じ始めた。

 まずは子供たちの集団。

 20名あまりの集団が激しく太鼓をたたく。

そして大人たちの鼓友集団10名あまりで演奏。よく揃っている。青空のもと気持ちよさそう。

 

いよいよ世界中を廻っている太鼓集団「鼓童」の出番が来る。今日の出演者は9名。

 司会者は、「鼓童の演劇中録音、録画は禁止」を会場にお願いする。そして、椅子席の左右には、学生たちが撮影禁止の立て札を持って立つ。 但し、地元鼓友とのコラボには撮影OKとのこと。

 9人一人一人が自己紹介。それぞれ出身地を述べられたが、同じ県の人はいなく、全国から集まっている。鼓童の演奏がはじまった。

 二人による大太鼓が素晴らしい。体がブルブルと共鳴する。また、座って足を延ばして夢中に叩く筋肉隆々の演者のエネルギー溢れるバチさばき。素晴らしい。

 太鼓は、世界中で心が一つになれるものと司会者が説明、その訳は、生まれる前のお腹の中で聞く音が、この太鼓の音と似ているからだそう。太鼓の音を聞くと心が安らかになるとのことで、世界中で受け入れられているのだそう。

 約30分の演技が終わり、地元鼓友の人たちとのコラブが始まった。これは録画OKなので一斉にカメラが上がる。

 

 リズミカルなばちさばき。

 午前中の演奏が終了、観客は一斉に立ち上がった。

 校舎内に開店している地域(宮城県、山形県、岐阜県、徳島県、鹿児島県そして新潟県佐渡島)それぞれの売店は、購入客でいっぱい。会場の側面では、佐渡汽船がテントを張り、佐渡カレーを特売、買い求める客で行列ができていた。

 佐渡の物産コーナーに佐渡地酒「至」があったので買い求め、大変お世話になっている「鼓童」の引率者Gさんに手渡した。

 昨年は、この会場に見えた鼓童S専務理事や北前船A代表の姿がなかった。また、見かけた佐渡出身の知り合いは少なかった。(佐渡汽船関東営業所Mさん、昨年金の道蕨~板橋間を同行したトヨタカローラHさんの2名) 首都圏で郊外で観られる鼓童の演舞としては唯一のものなのに・・・。

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇陛下 「即位礼正殿の儀」 が行われた。

2019-10-23 09:06:40 | Weblog

 10月22日午前中は、雨が時折激しく降っていたが、正殿の儀が行われる午後1時過ぎには、雨もやみ、薄日が差してきた。

 その模様をお伝えします。自分の記録としても収めておきたいものですのでお許しください。

 

「皇居 松の間の前庭」。 写真のすべては、NHKのLIVE放送の映像をカメラに収めたものです。お許しください。 

 外国から出席の高位の方々を含め約2000人が参列する中、高御座、御頂台の幕が開けられ、天皇陛下は、即位を宣言した。

 

 「天皇陛下のお言葉」を述べられる姿。

 お言葉で、「上皇陛下の国民と苦楽を共にされながら・・・」と述べられ、「・・・国民の幸せと世界の平和を願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり・・・」 と述べられたときは、感極まるものがあった。

 

松の間から庭を挟んだあい向かいには、歴代の総理大臣等が立ち並ぶ。

 歴代の福田、小泉、森元総理大臣らの姿が見える。

 イギリスのチャールズ皇太子の姿も見られる。チャールズ皇太子は、上皇陛下の即位礼正殿の儀の時も参列された。

 安倍総理がお祝いの言葉を読み上げ、最後に「万歳」三唱する。

 

 「即位礼正殿の儀」は滞りなく進み、天皇陛下、皇后陛下らが退席し、すべてが終了した。

 

 我が人生で、今上皇となられている明仁上皇の即位礼正殿の儀と今回のものと、2回見ることができとても感激している。

 特に、今日の即位礼で述べられた「・・・世界の平和を願い、国民に寄り添う・・・」のお気持ちは、上皇、上皇后陛下が進められてきたものを引き継いでいくという宣言であり、日本の明るい未来を世界に予想させるものであったように思います。

  

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風19号首都圏を直撃。

2019-10-13 09:23:53 | Weblog

 10月12日、早朝から、首都圏の交通機関は、正午ごろからJR山手線をはじめすべての交通機関が停止するという放送が流れていた。

 午前7時過ぎには、弊社も臨時休業を決め、社長が全従業員に連絡。

 10時前に店舗に行ったら、社長が見廻りに来たようで、ガラスドアは目張りをしてあった。

 西武新宿線は、正午過ぎに運転を取りやめたようで、線路は静か。

 近年にない大型の台風と放送しているので、マンションの人たちに、ベランダにある洗濯棒をベランダの床に下ろすよう掲示板に張り出したら、午前中にベランダの洗濯棒が片づけられた。家内曰く、「みんな掲示板を見ているんだね。いい人ばかりだから・・・」。

 私も、マンションの周りを見廻り、危険なものはすべて車庫に入れたり、自転車置き場にある自転車を倒して風に飛ばされないようにした。

 雨が今までにないすごい降り。2本離れた小路では、区役所の人たちが、夕方6時過ぎに土嚢を運んできて、シャッター前等必要なところに並べていた。

 当マンションは、すべて万端。窓のすべてに明かりがともっていた。

 強い雨脚がずっと続いていた。午後5時過ぎから風が吹き出した。しばらくすると、19号台風は、伊豆半島に上陸との放送。

 風雨が最高潮になったのが午後10時30分前。ガラス窓に強い風と雨が音を立てて吹っ掛けていた。 ダムの放水が始まると放映している。下流は大丈夫かしら? と心配。

 30~40分でガラス窓に吹っ掛けていた風が収まる。突然と言っていいほど静かになった。

 「もう通過したんだね」と。

 午後11時過ぎに、マンションの周りを見廻ってみるが異常なし。

 テレビでは、川の氾濫が放映されている。

 被害にあわれた方、お見舞い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐渡で開催の同期会翌日の行動。

2019-10-03 08:10:25 | Weblog

 昨夕の二次会が終了したのが、午後11時過ぎ。隣の4人部屋の布団にもぐりこんだが、懐かしくて話が弾む。

 9月30日(月曜日)、日本晴れ。午前6時30分ごろ一人で数十メートル先の佐和田海岸に出かける。

佐和田海岸から二見方面を望む。穏やかな海。とても気持ち良い。

一巡後、同ホテル経営の2号館前の松林を散策。

朝食は、この建物の1階だそう。

懐かしい松ぽっくりがたくさん転がっている。一つを拾って持ち帰ることとした。

玄関側に廻ると懐かしい「ホテル浦島」の建物。

「ホテル浦島」の初代開業経営者は、私の遠縁にあたる。設計者は、これまた親戚の亡M氏。もう、建物は古いが、料理が食べきれないほど盛り沢山で有名なので、利用する人が多いと聞く。

 2号館で宿泊した人たちで朝食。

 

 楽しかった「傘寿の祝いの集い」の話で盛り上がっている。

  朝食後、皆さんとの再会を訳して別れ、小生は真野の実家に。

 しばらく姉と雑談して、近くの大願寺にお墓参りにむかう。

懐かしい山門。

大願寺の境内。

鐘突き堂。

 墓前で、持参の花束を分けて、それぞれに差し水を上げ、近況を報告、手を合わせた。

 その後、親戚の墓を廻り、それぞれに花を添えた。

 実家でしばらく雑談、休憩後、真野地区でお世話になっているNさん、Mさん等の自宅にお邪魔して雑談。友人に頼まれている佐渡の能面の所有者を聞き出す。近くに宝生流の名取りがいることを教えてもらう。 その自宅にお邪魔して、「能面をお持ちのようだが、紹介してよいか」を尋ね、了解を得る。

 そして、春に開設した「きらりぅむ佐渡」を見学するために相川に向かった。

 まずは相川金山に上がる。

金山前のバス案内板のデザインがすぐれているとのことで、新潟県から賞をもらったと記憶している。(?)

 

金坑道への入口。 坑道内は何度も見ているので今回はパス。

坑道内を一巡後に出てくる場所。団体が出てきたのでしばらく待つ。

 車に戻り、金山を下る。

佐渡奉行所跡。 建物は復元したもの。 ここも二度ほど入っているので今回はパス。

当時最先端の技術を誇った北沢浮遊先交選鉱場跡。 

 シックナー。

 ここまでは、写真に収める程度で、今日の目的である4月開設の佐渡金山ガイランス施設「きらりぅむ佐渡」に向かった。

「きらりぅむ佐渡」の玄関。

「さどまる俱楽部」のカードを示して中に入る。客が誰もいないので、受付案内人が一つ奥まで一緒。 大判の前で写真を撮ってくれた。

ここまでは撮影可能とのことでした。

 中は、4部屋に区分されており、それぞれには人が入ると映写が始まる。それぞれが5分~10分程度。西三川の砂金取りから始まり、つるし銀山、相川金山坑道での作業、金の取り出し選鉱場での作業の説明が映写でなされる。

 4部屋を過ぎると、坑道内の模型がある程度で何もない。

 受付にいた女性に「何か物足りないなぁ~」の感想を述べた。

 曰く「この施設はガイダンス施設なので、実物等は、それぞれ現場の施設でご覧になってください」とのこと。

 「それはそうでしょうが、何か物足りないなぁ~」が私の感想。

「きらりぅむ佐渡」を出発し、七浦方面を目指した。

 

「春日崎 」。

夫婦岩。

 経営者のS社長に聞きたいことがあったので、事務所に立ち寄ったが、生憎出かけたとのこと。

携帯に電話したところ、午後5時ごろまで帰らないとのこと。

 売店でお土産を買い、真野に向かう。

 実家でしばらく休憩、昨晩の疲れがどっと出てきたので、早めに今晩宿泊の両津の「佐渡グランドホテル」に向かった。 明朝早いので、両津で宿をとったもの。

 佐渡グランドホテルの玄関。

 ホテル脇から両津市街を眺める。

 夕食を注文していなかったので、実家からもらった赤飯を食べ、風呂に入る。

 風呂から上がったらバタンキュー。

 翌10月1日午前9時15分の出発のフェリーに乗船するため、両津に向かう。

両津大橋にある佐渡出身の親松英治(日展会員)さんの作品前で車を止め、4つの作品(佐渡の春、夏、秋、冬)を鑑賞。

 すると、帰りに乗るフェリーが入港してきた。

おけさ丸。

9時35分発に乗船、佐渡を後にした。

離陸後観る両津港と金北山。 

カモメが見送ってくれた。

おけさ灯台ともお別れ。 

 「もう、何回佐渡へ来れるだろうか」と頭によぎる。

 船の中から一昨日会えなかったゴールデンレトリバーの生家のOさんに電話。つながった。

 新潟に着いたら、以前家内ともどもで食事した「ステーキ宮」で会うことにした。高速道路にも近かった。

 近況報告と利口だったベガちゃん(犬)の話が弾む。1時間半ほど雑談して東京に向け出発。

 インターに近かったので、すぐに高速に入ることができ、一路東京へ。

 

 忙しい佐渡滞在だったが、とても実のある毎日だった。

 「これから何度佐渡を訪れることができるのか」と問答しながらの運転。

 いけないことだが、結局自宅までノンストップだった。 車の中の信号では、「運転がふらついているから休むように!!」との注意が出ていた(追い越し車線を走っているとき、後ろから猛スピードで迫ってくる車を避けるため、走行車線に入り、また追い越し車線に出たら注意信号がつく)が渋滞もなくスムーズだったので…。

 自宅に着くと、愛犬レオちゃんが玄関に出て飛びついてきた。家内の話では、「夕方になると玄関で数十分座って帰るのを待っていたよ」とのこと。かわいい。

 (注) 3日間の総走行距離 811km。 燃料消費 31.1km/ℓ 。9/24ガソリンを満タン(約40リッターのタンク)にして、東京新宿 ⇒ 逗子 ⇒新宿 ⇒ 新潟 ⇒ 佐渡(真野、相川、相川七浦海岸、⇒ 新潟 ⇒ 東京新宿 と走った(途中充電せず)が、タンク残量メモリーは未だ、2メモリーが残っている。 現在の車は省燃費となっているようだ。

 

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中学同期の「傘寿の祝いの会」が佐渡で開催。

2019-10-02 11:44:46 | Weblog

 9月29日(日曜日)、佐和田地区にある「ホテル浦島」宴会場において、真野中学第8回卒同期の「傘寿の祝いの会」が開催された。

 今回が最後の同期会との触れ込みで、島外から14名、島内から13名合計27名の参加。

 私は、当日午前7時に東京の家を車で出発、当祝いの会に参加した。その模様等についてお伝えします。

 午前7時過ぎに家を出発して、練馬ICから関越高速道路に入る。途中石打サービスエリアで一休みして、その後は新潟港まで一気に突っ走る。走行距離約330km。所要時間3時間30分ほどでした。 

 乗船まで時間に余裕があるので、5年ほど前に亡くなったゴールデンレトリバーの生家に向かったが、あいにく留守。新潟港に引き返す。

 12時35分、新潟港を出発。一路両津港に向かう。

  15時前には、両津湾に入る。予定通りの時刻15時5分に上陸。

 本線を通って真野の実家に向かう。兄嫁が温かく迎えてくれた。

 仏壇前で帰ってきたことを告げ、合掌。

 まだ、開催時刻まで間があったので、真野御料に向かう。

真野御料入口。

 

真野御料は順徳上皇の火葬塚。首を垂れる。

 実は、高校卒業して佐渡を離れてからは、帰郷するごとに必ずお参りしている。一度も欠かしたことがない。

 御料入り口前の売店横には佐渡の銘石「赤玉」を展示している。素晴らしい石ばかり。

  売店のS奥さんは、いつも金紛の入った茶を入れて迎えてくれる。実家とは、長いお付き合いで昨年亡くなった大奥さんもいつも私を気持ちよく迎えてくれた。本当にありがたい。

 新町通りにある同級生のN氏宅前に車を止め、仲の良かったN氏に会う。元気な様子。

 今日の同期会に欠席されると聞いているので彼を誘うが、「いや、いや」の一点張り。

 諦めて実家に立ち寄ったのち会場に向かう。

 もう受付が始まっていた。

 佐渡在住で今回大変苦労なさって開催にこぎつけた世話人K氏と首都圏の在住の同期会世話人が受付をしている。 席はくじ引き。1番を引いてしまった。

 定刻の午後5時30分、K氏の司会で祝いの会が始まった。

今回の祝いの会の世話役Kさん。とても元気そうな姿。

 まずは、黄泉路に旅立った同志に対して、黙とう。

 次いで、今回の世話人代表ということで、Tさん(元佐渡市長)があいさつに立った。

Tさんの挨拶。

 Tさんは、ここまで生きてきたことに感謝を述べ、楽しい会にしようと協力を呼び掛けた。

 次いで、首都圏の世話役をしているNさんが乾杯の音頭。

 Nさんによる乾杯の音頭。

 着席した出席者の皆さん。 (ブログ仲間のNAOさん、右側の2番目の席にいる人があなたの親戚のIさんです。私の横の席でしたのでつい思い出してNAOさんに電話、Iさんとも話されてよかったですね。彼も大変喜んでいました)

 

 お酒の寄付も出席者数にしては多い。寄付した人の名前が「あの世での同期会」となっているものもある。

 久しぶりですので、顔は何となく判るのだが、女性の名前が出てこない。

 ビールを注ぎ一巡して、やっとすべてがわかった。たいへん和やか。

 そのうちに同期の二人がはりごまの演技を始める。練習をしたのか二人の息はぴったり。

 また、Tさんの三味線に導かれて佐渡おけさが始まった。

有志による佐渡おけさ。

 席のあちこちでは、昔話に花を咲かせていた。懐かしいなぁ~。

 約2時間30分の予定時刻もあっという間に過ぎる。

 今度は、新潟から出席の世話人K氏が締めの簡単な挨拶。

Kさんの締めの挨拶。

 これが最後の同期会ということでしたが、名残惜しそう。

 佐渡在住の女性たちから、いちじくやお菓子等お土産をたくさんもらった。

 また、下記のような記念品を作ってきた人がいたようで・・・。

根付でしょうか。 名前が「さちえ」と入っていますので、埼玉から参加の女性と判明。ありがとう。

 会場を3階の部屋に移し、二次会が始まった。出席者は約半分の14~5名。

 ここではやはり、今後の同期会をどうするかの話となった。

 「今度は米寿に会おう、いや、長すぎるから3年後にしよう」とかの意見、「3年後の世話役をやってもいい」という人も表れ、会の名前は、「生き残りの会としようか」など、和気あいあいとなった。皆同期ゆえ、気を許している。

 佐渡在住の先のTさんはじめKさん、Mさんも島外の人と一緒にこのホテルに宿泊となっている。島外から来た人に「楽しかった」との心遣いのようだ。つい甘えてしまったが、とてもありがたい。

 やはり同期は、良いものですね。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする