“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

日大理工学部の生徒が佐渡の海岸で日除け施設作成。

2019-07-19 22:33:49 | Weblog

 日大理工学部の生徒が佐渡達者海岸で地元の竹材を使用して日除け施設を作成、オープン式には多くの人が集まった旨の7月19日付の新潟日報記事を、バンブープロジェクト生を引率している日大教授細田晴子博士がメールで送ってくださいましたので、ご紹介します。

7月19日付の新潟日報記事。(無断掲載お許しください)

 なお、同記事の下段には、佐渡市の姉妹都市である国分寺市の水泳協会遠泳交流会が真野湾を舞台に約7kmをリレー形式で真野長浜海岸から佐和田海岸を目指して遠泳が行われたとの記事も載っています。

 真野湾で毎年行われる遠泳は、今回で27回目とのこと。

 11月初旬の国分寺まつりでは、いつもこの水泳協会会員の皆さんが佐渡物産販売コーナーで佐渡物産の宣伝に努めています。とてもありがたいことです。

 素晴らしいことですので合わせてご紹介します。

 

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東京新潟県人会 令和元年 納涼まつり が開催された。

2019-07-16 01:44:42 | Weblog

7月15日(月曜日、海の日祝日)11時20分から、ホテル椿山荘東京 5階 グランドホール「椿」に於いて、首記納涼まつりが開催された。

玄関脇にある椿山荘の看板。

 納涼まつり出席者は、花角新潟県知事をはじめ泉田衆議院議員ら来賓およそ200名を含め総勢約800名との発表。椿山荘のグランドホールがほぼ満員となる盛況な会となった。

 当日の模様を写真を中心に簡単に報告します。

会場受付風景。

マスコットキャラクター「トッキッキ」も受付広場に見え、愛嬌を振りまいていた。

 

東京新潟県人会根津常務理事が総合司会を務め、納涼まつりは定刻に始まった。

 まず、全員起立のもと、宮森美里さん指揮による国歌斉唱。そして、この1年間に不幸にしてこの世を去った人への黙祷。

 式次第に則り、小林会長による会長挨拶。

小林東京新潟県人会会長の挨拶。

 小林会長は、大倉初代会長がこの会を立ちあげてから109年目になる旨をまず報告、花角県知事をはじめ多くの来賓の方ほか出席者の皆さんに対し会への参加の御礼、また、県人会館の建設に対する協力御礼を述べられた。

小林会長の挨拶に聞き入る出席者の皆さん。 

続いて、川村東京新潟県人会館理事長の挨拶。

川村会館理事長の挨拶。

 川村理事長は、新会館建設の進捗と建設寄付金の状況について報告された。新会館の完成は、来年8月頃の予定、テナントの入居等が始まり秋10月頃にはオープンとなる予定で進んでいる旨を報告した。

 次いで多田実行委員長の開会の辞が述べられた。

 今年の標語は、「郷土愛で繋がる人の輪」である旨を述べられた。

 司会者から今日参加された来賓の一部を紹介。また、お祝い品の紹介が行われた。

 

 来賓を代表して、花角新潟県知事、泉田衆議院議員、市町村長を代表して桜井柏崎市長の3名が祝辞を述べられた。

花角新潟県知事の挨拶。

 県知事は、ふるさとを想う熱い思いの出席者の皆さんに感謝を述べ、9月に開催される国民文化祭らのイベント開催予定、訪日観光客の動向、食文化の更なる発展等について述べられた。

  

 泉田衆議院議員の挨拶。

 泉田衆議院議員は、先日の新潟秋田県内の地震に対する県人会の支援に感謝を述べ、佐渡金銀山の世界遺産登録への更なる協力を呼びかけ、世界遺産への登録を実現したい と述べられた。

桜井柏崎市長の挨拶。

 桜井市長の挨拶については、私共壇上脇に集合したので、詳細を聞き洩らした。

「佐渡金銀山の世界遺産登録に向けての取り組みについて」と題して、伊藤佐渡市副市長が 佐渡を世界遺産にする首都圏の会の会長はじめ理事らを従えて壇上に上がり、現在の進捗状況について話された。

伊藤佐渡市副市長、佐渡を世界遺産にする首都圏の会のメンバーが壇上に並ぶ。

壇上に上がって世界遺産登録の進捗状況について述べる伊藤副市長。

 伊藤市長は、知名度を上げる、応援してくださる皆さんとの連帯感等の目的で行われた金の道の成功、佐渡相川に開設された「きらりぅむ佐渡会館」の開設、世界遺産登録への署名活動等現在の運動状況、そしてさらなるご支援をお願いしたい と話された。

 いよいよ鏡開きが行われた。

 県人会報に継続して広告協賛くださった皆さんが壇上に上がり菰ダルに小槌を振り上げた。

 

平新潟県人会名誉顧問による音頭で乾杯。

平名誉顧問の音頭による乾杯。

乾杯の終えた出席者の皆さん。

しばらく歓談の後、様々なアトラクションが始まった。

 佐渡奉行の代官衣装をまとった坂田首都圏の会会長、逸見同副会長は、主催者である小林新潟県人会会長、そして花角新潟県知事、泉田衆議院議員、宮田文化庁長官らをはじめ多くの方々へ挨拶に廻った。

 

小林会長と両代官役。

左から、代官衣装の坂田首都圏の会会長、伊藤副市長、花角県知事、戸田元佐渡汽船社長、代官衣装の逸見副会長。 花角知事から感謝の言葉と力強い協力の言葉をいただいた。

 泉田衆議院議員と代官衣装の両者。 泉田衆議院議員から力強い協力のお言葉をいただいた。

宮田文化庁長官と佐渡から参加した廣瀬市会議員、両代官役。 宮田長官からぜひとも世界遺産登録を実現したいとの力強いお言葉をいただいた。

 そのほか、荒川区民らの参加するテーブルや首都圏佐渡連合会参加の各郷土会テーブルにあいさつ廻りをした。 

 廻って感ずることは、世界遺産登録に関して皆さん、うわべだけの協力でなく力強い心からの励ましであった、感謝・感激だった。

首都圏の会のテーブルに着席するグループの一団。全員首都圏の会の銘が入ったブルゾン「佐渡を世界遺産に!!」を上着の上に羽織っている。会場の中ではひときわ目立った。

 平服へ着替えして会場に戻り、しばらくの間飲食を楽しんだ。

 その間、壇上では、いろんなアトラクションが次々とおこなわれていた。

 

 

 

アトラクション状景。 

 アトラクションの合間に、8月4日、18日放映のNHK連続ドラマの「いだてん」には、佐渡の水泳選手のことや佐渡おけさの放映がある旨、首都圏の会和泉理事からのマイク説明が聞こえた。

ステージの踊りに合わせて輪踊りが広がる。

 

時間の進みが早く、もう、閉会の時間に近づく。

県民歌の斉唱が始まる。

県民歌の斉唱。

出席者全員が起立して 万歳三唱。

 細田実行副委員長による閉会の辞ですべてが終了した。

 

 今納涼大会は、いつもの通りたいへん盛況であった。会場を埋め尽くす約800名という参加者があることは、首都圏に在住する新潟県出身者のふるさと想いがとても強いことがひしひしと感じられた。この納涼大会は、今回で五十数回目の開催とのことですが、これからも益々盛大に続くことと思います。

 

 

 

 

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首都圏佐渡連合会主催「文化講演会」が開催された。

2019-07-14 17:20:58 | Weblog

 7月13日(土曜日)14時から、アイビーホール青学会館に於いて首記文化講演会が開かれた。

講演会への出席者数144名とのこと。

 その模様について簡単にお伝えします。

 定刻になったので伊豆野文化芸能部会長が司会を務め、まず山本首都圏佐渡連合会会長の挨拶で始まる。

山本会長の挨拶。

 山本会長は、今回講演をされる山本修巳先生宅に立ち寄ったときのことや山本家の生い立ちについて話された。

 続いて、佐渡市から出席した伊藤副市長があいさつに立った。

 伊藤副市長は、

  ① 島内は人口減が進んでおり、年間約1000人減であること。

  ② 佐渡金銀山の世界遺産国内推薦の現状。

  ③ 来年のオリンピックの聖火が佐渡島内を駆け巡る予定であること。

  ④ 春のジェットホイルの正体不明の物体に衝突した件。

  ⑤ 先日の新潟、秋田地震での被害がなかったこと。

  等について詳細に説明された。

 首都圏佐渡連合会坂田相談役が講師の山本先生と同期ということからあいさつに立ち、山本先生との思い出を述べられた。

 司会者から今日の講師山本先生を紹介。

山本先生の講演状景。

 先生は、大台を超えた年齢のため椅子に座って公演を始めた。

 まず、江戸時代に作成された鳥観図が当家にもあったと知らされていたがわからず、3年ほど前に東大史料編纂室で見つかったことを話された。大変珍しいものであると言われていることを話された。 

 先生はスライド等を使わず、次写真のような5ページに及ぶあらかじめ配布した資料に基づいて話が進められた。

資料表紙に示されているように、山本家の先祖から400年に及ぶお話であった。

山本家の初代の清九郎が寛永7年(1630年)に16歳の時、親族とともに佐渡にわたって来、佐渡相川金銀山の仕事に就いたことから始まり、真野新町に移住したこと、仕事内容等について、また、清九郎の二世、三世の仕事内容、塩の在庫、質屋業、酒造業、金融業等をしていたこと そして 半衛門時代に奉行所との関係 その地位を高めたこと 等について詳細に話された。

 中間に休憩があったが約2時間講演が続いた。

 講演後質疑を2人から受けた。

 なお、終りにあたって司会者から、先生に同行され上京された奥さんが紹介された。

次いで、佐渡市から出席された山本地域振興課長が約30分間、地域振興課が現在進めていることについてスライドを使って説明された。

地域進化の現状を話される山本課長。

 

 

 

山本課長は、特にふるさと納税への協力や「さどまる俱楽部」への加入紹介であった。

 プログラムに則り予定通り終了したので、閉会の挨拶が郷土連絡委員会榎谷委員長によって行われ、終了解散となった。

 懇親会は、3階に変えて行われたが、小生は、所用のため直接帰宅の途に就いた。

 今日の山本先生の講演会の感想を述べさせていただきますと、山本家の来島400年について詳細に話されましたが、佐渡島との関連特に金銀山相川奉行所との関連を述べられたら出席者の皆さんもさぞ理解されたのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

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親松英治工房展に!!

2019-07-12 08:52:25 | Weblog

 7月11日(木曜日)午後1時、日展会員篆刻家で同級生の柳 濤雪さんと一緒に逗子を出発し、日展会員親松英治工房展に向かった。

 また、運よく佐渡から上京の高野元市長(小学からの同級生)は、電車で直接同工房展に向かった。

 工房現場は、藤沢市みその台、聖園(みその)女学院大学の広い敷地内にあり、同女学院の正門から入った。

 逗子から15kmほどの距離だが渋滞がひどい。でも、予定の午後2時ちょうどに現場に到着した。

 高野さんは、やや遅れて近くの駅からタクシーで聖園女学院大学の正門に到着。迎えに出た私の車で構内から工房現場に向かった。

 3人が合流。改めて親松さんに挨拶、記帳した。

 親松さんにまず撮影の可否をお聞きし、許可を得る。

 工房入口には2メートルほどある木造の作品。

 

その奥には、約3mほどの胴体から下の大きな作品。

そしてその奥には、顔までのマリア像。

大きすぎて全体像は撮れない。 

親松さん本人の大きさと比してその大きさがお判りでしょうか

 合わせると9mほどの高さになるのだそう!! 何とこの工房に来て間もなくの時から作り出し、40年になるとのこと。気が遠くなる期間!! 皆、呆気に。 もう仕上げに入っており、近々完成だとか。 しかし、未だ収まるところが決まっていないとのこと。 大変な力作です。

 さらに奥に入ると、小作品が並んでいた。

 

 

 

作品の皆、大変な力作。

工房を去るにあたって記念写真。

近くに人影がなかったので、4人まとまって撮ることができず、代わり代わり撮り合った。

 それから、200mほど離れた自宅に招待され、奥様の点てたお茶をいただきながら小1時間話が弾んだ。

 親松さんは、佐渡市河崎地区の出身で現在○○歳とか。3年ほど前の日展で、内閣総理大臣賞を得た大変な彫刻家。

その時の作品は、聖園女学院に収められているとのこと。

 大きなマリア像を完成させると、大磯にある自宅に転居されるそう。

 元気に作品を作り続けてもらいたいものです。

 工房展は、来る7月17日まで開かれています。お近くの方は、ぜひ伺ってみていただきたいと思います。

 

 親松さんに見送られて3人で逗子に向かい、レストランで食事。

 柳さんを自宅までお送り、高野さんと私は、留守番をしていたワンちゃんを連れ、車で東京に向かった。

 

 

 

 

 

 

  

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鎌倉花火大会2019年観賞に出かける。 

2019-07-10 22:33:17 | Weblog

 ここ数日間梅雨空で憂鬱だった。今日10日は快晴とはならなかったが、微風(それも北風で、岸から沖合に吹く花火見学に絶好の条件)で穏やかな天候となったので、約3km先の鎌倉海岸で開催された第71回鎌倉花火大会2019年に自転車で出かけた。

 途中、逗子湾の海上にある不如帰の記念碑を観ながら約20分で材木座海岸に着いた。

逗子湾にある不如帰の碑。

今日は、穏やかな天候なので、花火の上がる真正面まで行こうと由比が浜海岸まで進む。

 以前この鎌倉~逗子海岸線は、有料道路だったため材木座海岸から由比が浜海岸の信号までガードレールが張り巡り抜ける場所がない。

 この辺が最適と思われるところで、自転車を持ち上げガードレールを超え、歩道に。

 海の家が途切れたところで最適な場所が見つかった。

 三脚を立てカメラを設置。以前買い求めたカメラのリモコンシャッターを取り出して試験するが、動かない。仕方なく、直接手でシャッターを押すこととなった。でも、三脚が昔のものでしっかりしていたので見たところ手振れがなく、ほっとした。

由比が浜海岸には、人人…。前年の人出は15万人とのこと。昨年は風の向きが岸に向かい、煙が海岸に向かってきてきれいではなかったとのこと。それでもこの人数。

 今年は、材木座海岸から由比が浜海岸という長い海岸線が人人人で埋まっていたので、前年より多いのではないでしょうか。

 19時20分前に、実行委員長の挨拶が終了すると、最初の数発が打ち上げられた。

 

これからの約50分間、区切れなく打ちあがった。

ご覧ください。

 

鎌倉海岸花火大会では、この水中花火が有名。

 

 

 

昔の花火と違って花火の色がとてもきれい。

 

 

 

水中花火がとてもきれい。

 

素敵な色合い。

 

 

 

 

素敵。

 

フィナーレに近づくときれいな色合いの花火がたくさん上がった。

 

フィナーレはどこも同じく、数十発の連続打ち上げ。でも、色合いがとても素敵だった。

 久しぶりの鎌倉花火観賞だったが、色合いがとても素敵。

 フィナーレ後海岸から上がってくる人が大変多く、歩道はノロノロ。ガードレールを乗り越えることはとてもできそうにない。

 観念して、滑川の信号まで自転車を引いて人の渋滞に続いた。

 花火の途中で佐渡の同級Tさんから電話が入ったが、スピーカーのすぐ横だったので話ができず、家に帰ってから連絡。

 最後の同級会開催について皆と打ち合わせしているとのことで、予定は9月末と決定したとのこと。

 明日は、一昨年日展で内閣総理大臣賞を受賞した佐渡河崎地区出身の日展会員の親松英治さんの工房展(期間7月10日~7月17日)を、逗子に在住するこれも日展会員のヤナギさんと伺う予定。

 このことを電話のTさんに話したところ、「明日、上京するから、工房展に一緒に行きたい」と相成った。

 久しぶりに親松さんの工房内を見せていただくことに感謝、期待しています。

 

 

 

 

 

  

 

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逗子海岸への眺望と海岸状景

2019-07-09 20:45:42 | Weblog

 梅雨空が続いていることに加え、ここ2~3日最低気温が18~19℃、最高気温も25℃に届かず、肌寒い日が続いている。

 逗子に来てから4日目となるが、雨が続きまた昨日は昼頃太陽が顔を出したが、風が強く肌寒くて海岸への散歩を避けていた。

 そんな中、ベランダからの眺めが6月に来た時と違うことに気づく。

 6月15日に撮影したものと今日(7月9日)撮影したものとをまずご覧ください。

   

判りますか。

 なぎさ橋珈琲の建物の左手の松2本(虫にやられたのか昨年から上部から枯れ出していた)が切り倒されていた。

 部屋からの眺望は、以前に報告した左手のF電工の4階建保養所が取り壊され更地となったことと合わせ、逗子湾の眺望は大変良くなった。

 今日9日夕方、初めて海岸を散歩した。

 以前に紹介したかもしれませんが、石原慎太郎の「太陽の季節ここに始まる」を建立した時に寄付した方の名前が(○○万円以上だったと思いますが・・・)写真のように階段の側面に張り付けられている。

 

多額寄付者の名板。

階段の側面に張られている名板。床にも張られているが、文字が読めなくなっている。

 海岸砂浜につくられた海の家は、オープンしていた。寒くて泳ぐ人はほとんどいないが、海の家では、大きな声がしていた。

日テレリゾートの海の家。

しかし、海の家のほとんどは、低調のようだった。

沖合には毎年設置される浮いている飛び込み台。有料だが、人はいない。

寒いので、遊びに来た高校生たちが、潮の引いた川の淵で釣り等をして遊んでいた。

 この寒い梅雨空は、いつまで続くのだろう。予報によれば、来週も続くようだ。

 明日10日は、鎌倉由比が浜での花火大会。ここからは、大崎の一山を越えた場所となるので、例年打ち上げると空が明るくなるが見えない。打ち上げ本数約2500発。

 例年6月に開催していた逗子花火大会は、市予算の都合で決定されずのびのびとなっていたが、やっと9月27日に行われることとなった。約7000発が40分余りの時間に打ち上げられる湘南一の規模だったが、市の負担が大きかったようだ。現在寄付を募っている。 

 今年は、前に遮るものがないので、打ち上げからきれいに見ることができるようだ。

 

 

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浄土宗大本山光明寺の日曜法話に出席。

2019-07-07 16:43:39 | Weblog

 日曜日の今日も肌寒く霧雨が続いているので、鎌倉市材木座にある浄土宗大本山光明寺の日曜法話の拝聴に出かけた。

 昨年4月、新宿戸山の浄土宗寺院にお墓を建立した関係で、お寺から7月下旬に行われる法話の案内が来ている。これに出席の返事を出したばかりだが、関東地区の大本山である浄土宗大本山光明寺(浄土宗総本山は、京都にある知恩院)の法話(日曜法話は第1、第3日曜日)を機会があれば聞きたいと思っていたので、幸いであった。

 大本山光明寺の境内は手前から総門、山門、本堂となっており、とても広い。

総門。

山門。鎌倉に現存する最大の山門との説明がある。

 総門と山門の間に駐車場がある。この大本山光明寺は、入場料や駐車場代を徴収していない。

本堂。

日曜法話の案内看板。

 午後2時をすこし回っていたのですでに法話が始まっていた。ここから本堂の中に入る。30名余の方が椅子に腰かけていた。一番後ろで法話に聞き入る。

 法話は、大本山光明寺布教師 奥田昭應上人とのこと。(終了後、整理を始めたお坊さんに聞きました)。 内容は、開祖法然上人の父の遺言や比叡山での長期の修行、そして開祖法然上人の教え等であった。

 約1時間の法話。皆、真剣に聞き入っていた。

終了後、お坊さん等は出席者と会話し、和やかな雰囲気を作っていた。

本堂の右手にある「三尊五祖来迎の庭」。

 石にはそれぞれ上人の名前が付けられている。中央の一番大きな石は釈迦。法然上人は釈迦の前の中間の大きさの石に付けられている。

 法話を聞いて、父の遺言である報復の禁止や、法然上人の慈悲の精神等再認識するものが多々あり、とても良かったように思う。

 

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6月を振り返って・・・。

2019-07-01 08:21:42 | Weblog

 6月18日の新潟、秋田地震時は、テレビの緊急地震速報で知ることとなった。

 その夜、いつものようにブログを書いていたのだが、「ふるさと新潟がたいへんなことになっているのに、遊びに出かけたブログは如何かな??」と考えてしまい、取りやめることとした。

 それ以降日記として残していることに躊躇してしまった。どうしてか? 私にもわからない。

 その間の行動を、会社の業務を除き列記してみたい。

 

 〇 17日 葉山の御用邸まで自転車で出かける。

 

裕次郎の石碑と裕次郎灯台。

 御用邸正面。

 

海岸の葉山御用邸海岸小磯の鼻と大浜海岸葉山公園方面とを結ぶ橋。

自転車を公園の脇に置いて、ここを渡って御用邸裏の小磯の鼻海岸広場に向かった。

小磯の鼻芝生広場には、テントを張って寝そべっていた。

我自転車、電池が小さいため、葉山付近でほぼ半分となる。右向こうの白く長い塀が御用邸。

 

〇 足立区議会議員のルーツ調べに奮闘。

 5月26日の足立区議会議員選挙結果の詳細が28日の新聞に発表、その中に小生と同じ苗字の方が、38歳で4回目の当選をしているのを見つける。26歳から議員をしていたことになる。 あまりない苗字なので興味がわき、PCで調べた事務所の電話番号にかけてみた。議員の母親が電話口に出てくれた。

 「この苗字の呼び方は何と呼ぶのですか」

 「○○です」 

 「足立区のお生まれでしょうが、元々はどちらのご出身ですか」

 「北海道です」

 「実は私、新潟県の佐渡出身ですが、私の集落から北海道に行かれた方が多いのですが・・・」

 「実は、私の主人の3代前の祖祖父は、佐渡・真野出身と聞いています。北海道に妹がいますので、聞いてみます」

 それから1週間ほどして電話が来る。

 「妹にいろいろと聞いてみたが、それ以降はわかりません。一度皆で佐渡に行ってみようと思っているんです」

 等々から始まって、3代前の状況を話してくれた。私の境遇と似ていることにびっくり。

 私、小さい時に母から聞いたことですが、「北海道の○○に養子に行くところを兄弟の一人だけを遠くに出すのを私が反対したんでやめたんだよ」とのお話。

 但し、足立区の方の祖祖父のお仕事が、私をもらいに来た家の仕事とが違っていた。

 それから田舎に電話して、「佐渡から北海道に行かれた○○さんという人がいないか」聞いてみた。

 佐渡の姉から「○○さんに問い合わせたら、名前とお仕事、家の関係等が一致する人がいたよ。○○さんという家だよ」

 早速、足立区の方に電話してその旨を知らせた。ルーツがわかり大変な喜びよう。

 聞くところによると、北海道に行かれた人は、苦労したが成功して、田舎の神社にある○○を寄付してくれた人だとのこと。

 等々。

 この夏にはみんなで佐渡に行かれるとのこと。足立区のHさんのルーツがわかり、私も大変うれしい。

 

〇 車の買い替え。

  小生が使っている会社の車が今年3月の車検で19年。現在20年目に入っている。トヨタマジェスタ。弊社の5代目でマジェスタは2代目。

 たいへん好きだったが、最近、老人による事故が頻繁に起きていることに息子が心配して「自動ブレーキのある車に買い替えたら…」「この車を最後にしようと思っているんだが・・・」「いや、ブレーキのある車に替えた方がいいよ」 

 となって、いろいろと検討を始めた。

 「もう、人を乗せてドライブすることはない」と考え、いろいろと当たってみた。

 トヨタクラウンをまず考えあたってみたが、大きいだけで魅力がない。いろいろと考えた末、トヨタプリウスPHVに決め、先日、東中野店に伺った。

これならば自動ブレーキもついているし、遊びに出かけるぐらいの距離ならばガソリンはほとんど使わない。

 4日ほど前に契約の運びとなった。納車は9月中ほどとのこと。

 

〇 庭の手入れ。

  サボテンが3つも花を付けた。

サボテンの正式名はわからないが、一度に3つも花を付けるのは珍しい。

今年のチェリーセージ・ホットリップスの花は白が多しい。

五葉松は先日、一部の枝が枯れていたので心配したが、枯れた部分を切り落としたりしたところ無事に復活した。

百日紅がきれいな花を付けている。

 

〇 梅ジャム造り。

 それほど背が高い木ではないが、今年は花を多く付けたせいか梅がとても多い。

 先日来、赤くなった実をもぎ取って食べたりしたが、とても間に合わない。

 先日から冷蔵庫に保管していたものを含めて6月30日、ジャム造りをした。

 

虫がかじっているところ等を取り除き、水をまったく加えずになべに入れ煮始めた。

とろとろ火で煮始めてから数十分後、種とエキスを分離。

砂糖をたっぷり加えて、とろとろで数分煮る。

出来上がったものを保管瓶に移す。

 

 6月中ほどからの記憶をたどって記しました。

 会社の仕事以外でいろんなことがこれほど起きているんだ と我ながらびっくりしているところです。

 これからはやはりその都度記して残したいと思っています。

 

 

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