噛みつき評論 ブログ版

マスメディア批評を中心にしたページです。  姉妹ページ 『噛みつき評論』 もどうぞ(左下のBOOKMARKから)。

ゴーン氏を一様に批判する日本メディアの異様さ

2020-01-12 22:36:05 | マスメディア
 アラン・チューリング。英国の数学者であり、コンピーターの祖、さらにナチス・ドイツの暗号エニグマの解読に成功した人物である。とくに暗号解読によって第二次大戦の勝利に大きく貢献した功績は大きい。計算機科学のノーベル賞と言われるチューリング賞は彼の業績を讃えたものである。しかし、チューリングは1952年、同性愛で逮捕・有罪となり入獄か、化学的去勢を条件とした保護観察かの選択を迫られる。入獄を避け、女性ホルモンの投与を受け入れたが、2年後、自殺したとされる。41歳の若さであった。

 名誉回復の動きが起き、2009年、政府として正式な謝罪が表明された。死後50年以上が経過している。さらに2011年イギリス政府に対してアラン・チューリングの罪の免罪を求める21,000以上の署名が集まったが請願がなされたが、これに、法務大臣はチューリングが有罪宣告されたことは遺憾だが、当時の法律に則った正当な行為であったとしてこれを拒否した。法を優先する法務大臣らしい判断である。2013年になりエリザベス2世女王の名をもって正式に恩赦決定したとされる。

 偉大な業績を持つ人物であっても僅かな違法行為によって社会から葬られることは少なくない。百の功績と一の罪であっても、差し引き九十九で評価されることはない。その裏には成功者に対する嫉妬もあるのだろう。そして罪の基準は時代により、また国により異なる。つまり絶対的なものはない。イランやソマリアなどでは今でも姦通・不倫すると石打刑にされるそうである。そんな国には絶対住みたくないが、それでも法に従うことが正義なのである。

 さて本題はゴーン氏の事件である。逃亡以後の報道を見ていると、何故か日本のメディアのほとんどはゴーン氏に批判的である。その批判の主なものは、自分が正しいと言うなら、日本の裁判で証明すべきだ、というものである。けれどゴーン氏は日本の裁判の公正性が信用できないから逃亡したということなので、これでは批判にならない。まず公正であることを示す必要がある(人質司法・拘束期間の問題、弁護士の立会など)。また日本の司法しか知らない人が、日本の司法が欧米よりも公正であると言うことはできない。

 一方、ゴーン氏の主張する陰謀説が説得力を持つと思うのは、最初に逮捕された理由が有価証券報告書の虚偽記載、つまり報酬額の記載が間違っていたという、投資家に影響を与える粉飾決算なら別だが、逮捕されるような重罪に思えないからである。オウム事件の時、マンションでのビラ配りは建造物侵入、偽名での宿泊は旅館業法違反で逮捕された。微罪逮捕はやろうと思えばできるのである。西川元社長らも同罪の筈だが、こちらは司法取引のためか不起訴。ゴーン氏に対する他の容疑も日産の積極的な協力なしでは難しかったのではないか。ゴーン氏に対するクーデターという見方は十分な現実性がある。

 日産の幹部連中がゴーン氏の違法行為をしらみつぶしに調べ上げ、それを検察にチクったのであろう。司法取引があったとされるのはチクった方にも罪があったことを示している。ここまで進展したのは日産と検察の利益が一致したことが考えられる。しかし、どんな事情があるにせよ、ゴーン氏を追放する手段としては、実に汚い手法である。日産内部の争いなら内部で片づけるべきで、司法と共謀するのは見苦しい。この事件を報じたメディアの情報のほとんどは日産と検察から出たものであり、一方的なものであることに注意したい。その結果に沿ってメディアもゴーン氏を批判しているが、もうちょっと独自の調査、多面的な・見方ができないものか。無罪を主張している弁護士などもいるが、メディアがそれを取り上げることはない。

 一方、フランスの有力紙、フィガロの読者に対するアンケートで「ゴーン氏が日本から逃げ出したのは正しかったか」と尋ねたところ、77%が正しいと答えたそうだ。ウォールストリートジャーナルも好意的である。レバノンでの記者会見場では記者から何度も拍手が起きたという。海外でも批判的なメディアもあるが、日本と違うのは批判一色ではないことだ。日本のメディアは一色になるのが好きなようである。本当に自由な言論ができる国なのか、ちょっと気になる。報道の自由度ランキングで、日本は72位という変な順位を頂戴しているが、それがもっともらしく見えてくる。それは政府の圧力などではなく、過度の同調性や忖度、あるいは見識の不足によるものだと思うが。

 それにしても今回の逃亡劇は見事であった。16億円かかったそうだが、それに没収された保釈金15億円、計31億円のコストである。それでも敢えて実行したゴーン氏はよほど日本の司法が信じられなかったのだろう。もし私がイランや中国で逮捕され、その国の司法が信じられないなら逃亡を考える。日本の司法はイランや中国ほどではないが、欧米諸国との差はあるようだ。長期間の拘留、妻キャロルさんとの接見の長期にわたる禁止、弁護士の同席が許されないなど、ゴーン氏にとっては我慢できなかったのだろう。殺人などの重大容疑ならともかく、虚偽記載や背任などでこの処遇は素人の常識として腑に落ちない。

 ゴーン氏はリスクを冒して逃亡に成功した。勝者はゴーン氏であり、敗者は日本の司法である。日本は15億円をもらったのだから、つべこべ言わずあっさりと負けを認めた方がいい。ゴーン夫人の逮捕状をとるなど腹いせをしているようで見苦しい。勝負はついたのに、執拗に嫌がらせをやっていると、ゴーン氏の反撃を招くことになりかねず、さらに恥をかくかもしれない。日本の司法は国内だけにしか通用しないのである。

 アラン・チューリングの免罪要求に対して、当時の法律に則った正当な行為であったとしてこれを拒否した法務大臣は法の論理を重視した結果であろうが、謝罪や恩赦は法の論理よりも優先されるべきものがあったことを示している。むろんゴーン氏は清廉潔白の人物であるとは思っていない。叩けば多少の埃は出るだろう。ともかく日本におけるゴーン氏の功績を忘れて、日本中が批判一色になるのは恩知らずの汚名を着せらることになりかねない。