た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

バリへ(四日目)

2009年05月22日 | essay
 バリ滞在、残すところあと一日。
 常夏の日差しは今日も底抜けに明るい。
 昨日はいろいろ移動した。最終日は「息子」のSに心ゆくまでプールを堪能させよう、ということに妻と話が決まった。

 プールサイドで、旅の初日から知り合っていた日本人家族(Eさん)と合流する。さっそく水球もどきが始まる。いくつもの歓声が折り重なる。
 Eさん一家には今回の旅で大変お世話になった。毎日のようにプールで一緒に遊んでもらったことになる。子どもは同年齢の子どもと遊ぶことを何よりも好む。Eさんに二人の男の子(小学3、4年生)がいるおかげで、小学5年生のSは滞在中ずいぶん退屈せずに済んだ。部屋に招かれることさえあった。
 水球に飽きたのか、子どもたちはウォータースライダーを始めている。
 ここまで親密にしていただいたのだ。こちらの事情を話しておく方がよかろう。そう私は心に思った。
 Eさんと並んでプールに胸まで浸かる。お互い小休止、といったていである。子どもたちも奥さん方も離れた所にいて、声が届かない。今がチャンスである。
 ───今回の旅ではSがずいぶんお世話になりました。
 ───いやいや、こちらこそ。子どもたちがS君、S君と言って喜んでますよ。
 私は日差しのまぶしさに目を細めた。
 ───顔つきや互いの呼び方でだいたいお察しされていると思いますが、Sは、 私の実の子じゃないんです。
 ───そうですか。
 ───母親の連れ子です。
 ───うーん。でも、とてもあなたになついていると思いましたよ。
 ───ええ。優しいところがあって、本当に私によくしてくれています。すごく気を遣ってくれているのがわかるんです。でも当然、彼なりに悩みもいろいろあるでしょう。私だって、急に小学5年生の親になったわけだから、手探り状態です。どこで叱ればいいかとか、どれだけ叱ればいいか、とか。彼には私を「お父さん」と呼ぶ必要はない、と言ってあります。私も君のお父さんになるつもりはない。でも、我々は一つのファミリーだ、と。おわかりいただけますか? 今のところは順調な方だと思います。でも何も問題が起こってないわけじゃない。あなたのご家族には、今回の旅行では、ずいぶんお世話になりました。彼も本当に喜んでいます。だからこそ、こちらの事情をお聞かせしておこうと思ったんです。
 ───そうですか。でも本当に三人、実の親子みたいですよ。まあいろいろ大変なところもあるでしょうけど、頑張ってください。
 我々二人は胸まで水に浸かりながら、おおよそ以上のような会話を交わした。まるで天気について話しているような、それは至極穏やかな会話であった。
 会話が終わる頃、子どもたちがわあわあ言いながら戻ってきた。

 さて、奥さん方は彼女たち同士で話し込んでいたらしい。その内容は男たちのそれよりずっと白熱していた。ホテルのチェックアウトは朝十時だが、飛行機が出るのは真夜中の十二時。丸一日、何をして待ちましょう? プールだけってのもねえ・・・。パンフレットに何かないかしら? まあ、ラクダだって! ラクダに乗るのはどう? ねえあなた、あなた。ラクダに乗れるんだって。
 私は首をひねった。ラクダ? バリにラクダなんているのかい? 何でもいいのよ。ちょっと楽しそうじゃない。
 話は急速にまとまり、二家族で一台タクシーをチャーターし、ホテル・ニッコー・バリ・リゾートにラクダ乗りに向かうことになった。タクシーはもちろん、昨日の「ロッキンロッキン」氏である。

 動物を利用した観光はどんなに楽しいものでも、必ずそこはかとない寂しさを伴う。これが私の自説である。かつてクマ牧場というところで、くぼ地の中の多数の熊が人間たちを見上げている────中には餌を要求してセメントの床をいつまでも叩き続ける熊もいた。セメントと爪の打ち合うがつ、がつ、という音が、いつまでも耳の中にこだました────場面に遭遇し、ひどく物悲しくなったことがある。まあそういうことである。ラクダか。ラクダってほんとに人間を乗せたがっているのかなあ。
 危惧した通り、ニッコー・バリの海岸の一角、ひどくうらぶれた囲いの中にいたラクダたちは、どれもこれも、もう人間どもを背中に乗せるのなんてうんざりだ、という顔つきをしていた。遠い国から輸送されてきたらしい。さぞかし故郷に戻りたいことだろう。我々が近づくと、予想外の大きな声で啼き始めた。ジュラシックパークをほうふつとさせる声である。Eさんの下の子どもが泣き出す。妻を見ると、完全に硬直している。それでもわれわれは何とかして全員がラクダに分乗し、五百メートル程度の道のりを往復した。
 私は妻と同乗した。私自身は、田舎育ちで小さいころから牛やヤギと戯れていたせいか、ラクダにもそんなに抵抗がない。揺れるのが楽しいくらいのことである。しかし私の前に座る妻の背中はラクダのこぶよりも硬かった。船一切が駄目な彼女である。ラクダが立ち上がって歩み始めたら、言葉も出なくなった。振り向くのさえ辛そうである。顔半分だけ私の方に向け、どうしてラクダなんかに乗ろうと言い出したんだろう、と青い顔でつぶやいた。 

 ラクダ終了。みんな一度に日焼けした顔をしている。さて、次は何をしよう。
 近場にそういろいろな施設があるわけではない。我々は迷った。少し離れていますが、サンセットが美しい寺院があるみたいです。そこへ行ってみますか? と私が提案した。Eさんは了承した。妻は、子どもたち大丈夫かなあと心配したが、そう選択肢があるわけではない。子どもたちはどちらかと言うとホテルのプールを所望している。ラッコじゃあるまいしそう水にばかり浮いていられるか、とここは大人の選択を押し通した。はい、じゃあみなさん次はウルワトゥ寺院へ移動! ほら君たち、GoGo!────即席のツアーコンダクターのような心構えになって、私は何とか今日一日を乗り切ろうとしていた。

 ウルワトゥ寺院は想像以上に観光客が多く、広かった。そして想像だにしなかったことに、観光客と同じくらいたくさんのサルがいた。
 入口から数百メートル歩いたところで、Eさんの子どもがトイレに行きたいと言い出した。ツアーコンダクターの私が責任を持ってご子息を雪隠にご案内しましょうと請け負ったはいいが、肝心のトイレがない。子どもは泣きそうである。人に尋ねるたびに何度か違う方向を案内され、ようやくトイレは入口にしかないことが判明した。数百メートルを戻り、また数百メートルを子どもと歩む。ニッコー・バリで「子どもたちが心配」とつぶやいた妻の言葉の真意がようやく理解されてきた。私は子どもを乳児期から育てたことがない。だから、彼らと移動することがいかに労力を要するか、わかっていなかったのだ。子どもとの遠出は、つねにトイレや空腹や泣きべそとの戦いであるのだ。
 寺院は断崖絶壁の海岸に建っていて壮大だが、壮大すぎて境内を移動するのにかなりの時間を要する。人波の中ではぐれないようにするのが精一杯である。おまけに油断しているとサルがちょっかいを出してくる。この、人間より三本毛の足りないならず者たちは、光りものが大好きらしい。Eさんの奥さんは一瞬の隙に髪留めを奪われてしまった。何だかとんでもない所にみんなを連れてきたなあと自省する。ま、これも旅のハプニングだ、ツアコンもそこまで責任持てねえよとすぐに開き直る。その辺が私らしいと嘆息しながら、遥かかなた、水平線の日没をじっと見入った。

 帰りのタクシーの中では、さすがにみんな疲れ果てていた。そういう場面では当然起こりうることだが、子どもたちの間に事件が持ち上がった。最後部座席に三人陣取って何やら楽しげにふざけ合っていると思ったら、一人が泣き出したのである。泣いているのはEさんの次男のM君である。我が家のSが彼の膝を殴ったかしたらしい。私はすぐにタクシーを路肩に止めさせた。
 助手席から降りて後部座席に回る。私の剣幕に、車内は静まりかえっている。
 私はSに説明を求めた。「だって向こうが・・・」と言い出す彼はすでに泣きべそをかいている。泣きなさい。Sよ。君は一番の年上でありながら一番年下の子どもを泣かせたんだ。子どもの喧嘩にいいも悪いもない。しかし、君は年上としての配慮を忘れて衝動に身を委ねてしまった。私に叱られなさい。
 私は彼を叱りつけ、それから仲直りにM君と握手させた。助手席に戻り車を出してもらう。しかし一度凍りついた空気を解凍するのには相応の時間がかかる。誰も一言もしゃべらない。仕方なしに私がつまらない冗談を言ったが、誰も笑わなかった。やれやれ。

 夕食の時刻であった。一同、疲労と空腹と気まずさで、我慢の限界に達していた。Eさんが日本食を望んだので、目についた寿司屋に入る。Eさんは大きな船盛りを注文すると、「ビールをとにかく、なるべく早く」と付け加えた。確かにみんなそんな気分であった。
 旅というのはつくづく不思議なものである。抑圧された時間の後ではままあることだが、その宴会は異様に盛り上がった。今日一日のことを何もかも忘れるほどみんな和気あいあいとした。Sは私に何度もビールを注いでくれた。「イッキ」と要求するから、滅多にしないことだが一気飲みもして見せた。彼を見つめると、はにかむように微笑み返す。Sのすごいところは、私がどれだけ怒っても、それが終われば、相変わらず私を慕ってくれるところだ。何事も心に引き摺りやすい私より、よっぽど人間ができている。参ったな、一番勉強しなくちゃいけないのは結局この私か、と思いながら、グラスを大きく傾けた。

 ホテルに無事帰還。すでに真夜中である。奥様方は「ロッキンロッキン」のタクシーを利用し、連れ立って買い物に出かけた。元気である。旦那方と子どもたちはプールへ向かう。さあ、お待ちかねのプールだ。バリでの、最後の。空港へ行く時刻が来るまで、ぞんぶんに遊びなさい。
 チェックアウトは午前中に済ませてある。大丈夫かな? とEさんが心配した。
大丈夫ですよ。私はEさんに缶ビールを手渡し、うなずいてみせた。実際には大丈夫かどうか私にもわからない。とがめられたら止めればいい。あまり細かいことは考えられない気分になっていた。
 「水着がない」とSが言う。
 じゃあ裸で泳ぎな。大丈夫。暗いから誰も見えない。それに、何も身に着けずに泳ぐのは解放感にあふれていてとっても気持ちがいいんだ。
 「本当だね。気持ちいい」
 そうだろう。
 「でもやっぱりパンツをはくよ」
 ご自由に。
 夜のプールは実に素敵であった。水底からの照明のおかげで、淡いブルーと闇の色が混在している。我々の他には誰もいない。静かで、自由で、少しだけ神秘的であった。私とEさんはデッキチェアでビールを飲み、子どもたちははしゃぎながら飛び込みを始めた。順番に助走して、何やら決め台詞を叫びながら水しぶきを上げる。もはや警備員に聞こえようが聞こえまいが知ったことではない。そこにいる誰もが、短くも思い出深いバリの最後の夜であることを強く意識していた。
 「何とかかんとかぶたのケツ!」
 「○○のバカヤロー!」
 「バリ島、ありがとう!」
 おお、そうだ。バリに感謝しておきな。私は2本目の缶ビールを傾けた。最高だ。バリは確かに最高の島だったよ。

 いつまで経っても、誰も注意しに現れなかった。太っ腹のホテルなのか。それとも、あまりに広くて、子どもたちの絶叫も聞こえなかったのか。
 やがて妻たちが戻ってきた。両手にはち切れんばかりの袋を提げて。
 我々は腰を上げた。いよいよ出立の時が来た。
 

     ☆  ☆  ☆


 バリへの家族旅行は、こうして幕を閉じた。再び飛行機に搭乗し、長い帰路をたどって我が家に着いたころには、棚田地帯で買ったバナナの葉(?)の帽子は、緑から黄土色に変色していた。遠からず旅の思い出も同じ運命をたどるであろうことは、いかにも予想できたので、推敲不十分ながらここに記した次第である。(完)
   
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