た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

八ヶ岳山麓にて一句

2023年09月25日 | 俳句

 

 

まあだ、まだ、と 枯れて実の成る 蕎麦の言ふ

 

 

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残暑・日本海

2023年09月19日 | essay

 一年に一回は海を見たい。私の住む信州は「海なし県」と言われ、物理的にも精神的にも海が遠い。遠いと余計見たくなるのが人情である。

 車に乗せろと発狂する犬を乗せ、日本海に向かう。

 暑い。でも海はそこにあった。

 波打ち際まで下りていこうと砂浜に足を入れたら、火にかけたフライパンの上を歩いているようだった。犬もびっくりしている。これで少しは懲りるといい。だが火傷は困る。犬を抱き上げ、退散する。

 海辺のカフェを見つけ、避難した。ナポリタンとコーヒーフロートを注文し、海を眺めながらゆっくりと時を過ごす。

 潮風が心地よい。犬は寝ている。

 水平線に向かっていくつか問いかけてみたが、返事はなかった。

 帰宅後テレビをつけてみると、本日は新潟が日本最高の37度越えを記録したとのことだった。わざわざ一番暑い日を選んで行ったらしい。思い付きで行動すると、そういう馬鹿を見る。まあそれでも、海とじっくり対峙できてよかった。答えは聞けなかったが、背中を押してもらったような気がする。

 明日からも頑張れそうだ。

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愚者の独り言

2023年09月14日 | 怪談

街に向かって悪態をつく。

空に向かって暴言をはく。

自分の陥った境遇のすべてを

自分以外のすべてに責任転嫁して

顔をどす黒く染めて呪う。

「馬鹿野郎! てめえ」

 

それから小さな声で謝る。

力なく視線を落とし謝る。

自分のしてきた事すべてと

自分のしてこなかったすべてに

顔を薄赤く染めて謝る。

「馬鹿野郎が・・・・・・・」

 

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蝶ヶ岳二度目

2023年09月05日 | essay

 登山靴が重い。

 五十になるまでは感じなかったことだ。

 年齢と結びつけて考えること自体が、足取りを重くさせるのか。

 道端にはキンポウゲやイワカガミがのんきに咲いているというのに、まるで親の仇のように汗だくの顔でそいつらを睨みつけながら、一歩一歩よじ登っていく。

 一人登山は寡黙なばかりでつまらない。しかしそれを年に何度かやらないと、自分が駄目になってしまいそうな気がする。そう思って登る。息が切れる。膝が痛い。暑くて暑くて堪らない。おい、お前。と自分に問う。駄目になってしまいそうって言うけど、じゃあ駄目にならなければ、お前はいったい何になるのだ。何にもなってないではないか。駄目になってもならなくても大して変わりがないじゃないか。その程度のちっぽけな存在じゃないか、お前は。なのになんでこんなに苦しむのだ。

 登山靴が横に這う木の根に引っ掛かり、転びそうになった。

 五十になるまではなかった失態だ。くそっ。

 五十、五十とうるさい奴だな。年齢とやたら結び付けて考えたがるのは、つまり区切りをつけたい、ということか。お前のここまでしてきた苦労に。忍耐に。ちっぽけな冒険に・・・お前はもう、隠居したい、ということか。五十だから、と微笑んで。静かに茶でも啜りながらこれから先を生きるつもりか。

 蝶ヶ岳は階段ばかりで疲れる山だ。ずっと眺望も悪い。ただ頂上まで来ると、一気に視界が開けて気持ちがいい。それだけを期待して登る山である。数年前一度登って懲りたはずなのにまた登っている。汗だくのみっともない格好で。階段の度に立ち止まり、肩で息をしながら。

 ここまで来たなら歩けよ。なあ。ここまで来たというそれだけの理由でいいから。

 歩け、ほら。

 

 山には目に見える頂上がある。人生の頂上は、後からしかわからない。

 だから人生は、登山のようにはいかない。

 

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