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草刈機

2020年07月20日 | essay

 先月、ついに草刈機を購入した。

 刈り払い機とも言う。両手にハンドルを握って操作し、長い竿の先についた金属刃がいかにも金属刃らしい音を立てて並み居る草をなぎ倒す、あの草刈機である。農業に本腰を入れている人はみなビーバーと呼ぶ。ただし私の買い求めたのはいわゆるビーバーではない。ガソリンを入れて紐を引っ張り、エンジンを掛けるがなかなか掛からない、というやたら取り扱いの難しそうなあれではない。充電式で、極めて軽量であり、刃先も小さく、これじゃあなぎ倒せるのはクローバーくらいじゃないかと思わせるほどの、本腰を入れて農業をしている人から見れば、おもちゃだと言われかねない代物である。実際、近所の人にそう言われた。

 だがおもちゃで十分なのだ。何しろ刈る場所なんてごくわずかであり、我が家の猫の額ほどの敷地内にはない。もっぱら隣の空き地を刈ってあげるために買い求めたようなものだからだ。それも、隣の空き地を刈れば、うちの庭が続いているように錯覚して見える、というさもしい考えからきている。

 動かしてみると、軽量な割にはちゃんと働く。音はひ弱に聞こえるほど小さい。もう四、五回は使った。

 昨年は高枝きりばさみを購入した。そのときも、いよいよこんなものを購入するようになったか、という覚悟めいたものがあったが、今回の草刈機で、いよいよその覚悟は固くなった。何というか、粋なジャケットを着こなして、カクテルグラスを手にしながら大都会の夜景を見下ろす、というような生活は一生断念する、という意味での覚悟である。本格的な農業とも違うが、田舎の町の、より山すそに近い場所で、庭いじりや家庭菜園の真似ごとをしてこのまま老後まで過ごすだろう、という覚悟である。ちなみに家庭菜園で言えば、今年は一畳もない畑に、スナックえんどうやピーマンを植えたが、どれもうまくいっていない。たまに自家製のスナックえんどうなどが申し訳なさそうに食卓に上っていると、びっくりするくらいである。

 これであとは手押しの耕運機でも買えば、典型的な地方暮らしは完成するであろう。しかし耕運機を使うほどの畑でもないので、さすがにためらっている。高枝きりばさみは、先日、庭木にできた蜂の巣を駆除するのに使った。なかなか便利である。草刈機は四、五回目にして、そろそろ切れ味が悪くなってきた。

 

※写真は高原院。四季折々の植物をこまめに愛でるのも「地方暮らし・自然派」の大切な行事である。

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