た・たむ!

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初恋

2018年05月25日 | essay

 昔、隣の家に可愛い女の子が住んでいた。

 隣と言っても田舎のことだから、水田を挟んで百メートルほど離れていた。同い年だったので、小さい頃は互いの家に行き来してよく一緒に遊んだ。彼女が遊びのルールを説明し、私がそれに従う。大体がままごとのようなものである。男友だちと泥んこになりながら遊ぶのとはまた違った女の子独特の雰囲気があり、幼い私はそれを好んだ。

 小学校に入る年齢になると、互いを異性として意識するようになり、何より周りがはやし立てるのが煩くなって、自然と疎遠になった。学友たちに好きなのかどうか問い質され、あんなやつ嫌いだと告白せざるをえなかったのを、今になり寂しく振り返る。

 彼女には元気な弟がいた。ある日の下校時、その彼は親の農業を継ぐことを私に向かって高らかに宣言した。私は非常に驚き、感心したのを覚えている。農業なんて地味で辛いイメージしかない時代であった。農業の後継者不足が深刻になりつつあった。でもこの一家は安泰だ、と思った。

 それから数年が経ち、彼らの親が林業に失敗して借金を抱え、土地と屋敷を手放さなければならなくなった。

 ある晩、隣の家から尋常でない犬の鳴き声が聞こえてきた。彼らは犬を一匹飼っていたのだ。一向に鳴き止まないので庭に出て遠目に伺うと、同級生の女の子とその弟が、どうしていいかわからず泣きながら犬をあやしている。私は何が起こったのかわからず、母親に尋ねた。母親は首を振りながら、「何か悪いもんでも食べたのかね」とだけ答えた。犬の鳴き声と犬の名を呼ぶ子どもたちの声は、そのあともかなり夜更けまで、月夜に響き渡った。

 しばらくして、隣家は空き家になった。人が住まないと家は駄目になるというのは本当で、一年も経たないうちにその家は崩れ落ちて見る影もなくなった。

 同級生の女の子に再び会うこともなかった。

 その事件以来、私は世の中を肯定的に見るのを止めたように思う。それまでの私は、全てが平和で、順調に行くものだと信じていた。私はのんびりした田舎に育ったのんびりした子どもであった。その事件を通じて私はひどい衝撃を受けた。不幸というものがいかに容易に手の届くところに転がっているかをまざまざと思い知らされた。私はおそらく、少しだけ大人になった。と同時に、私の淡い初恋も終わりを告げた。

 今になって、それがわかる。

 

(おわり)

 

 

 

 

 

コメント
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