た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

とうじ蕎麦

2024年03月03日 | essay

 開田高原にとうじ蕎麦を食べに行く。

 木曽路を走るのは嫌いじゃない。山の緑が近く、木曽川に洗われた空気が心地よい。すれ違う車も少ない。木曽福島で右に折れ、陸橋を渡り、なだらかな裾野を上る。トンネルを抜けて開田高原に入れば、別世界のような静謐な白樺林が迎え入れてくれる。気温も一段下がる。

 御岳山はたなびく雲の向こうで、頑固おやじのように腕組みをしてでんと構えている。

 目的地は初めて行く店である。天候の悪い日が続いたせいか、駐車場にはバイクが三台ほどしか見当たらない。古民家の板張りの廊下をどしどしと歩いて広間に通された。低い長机が四、五列並んでいて、座布団は積み重なった山から自分で摘まんで敷く。温泉場の無料休憩室のような気楽さがある。バイクの男たちはもう食べている。ごついジャケットを着ているが、顔を見ると結構な年である。会話が明るい。

 我々夫婦は隅のテーブルを陣取り、メニューを広げて思案した。とうじ蕎麦と、すんきのとうじ蕎麦がある。すんきは赤カブを発酵させて作った酸っぱい漬物だ。真剣な討議の結果、普通のとうじ蕎麦とすんきのとうじ蕎麦を一人前ずつ頼むことにした。

 待つこと数分。カセットコンロに火を点け、鍋を掛けて、さらに数分。ぐつぐつ煮立った所に、蕎麦を投じる。ラクロスの網棒を小さくしたような竹細工を使う。湯にいい加減通し、椀に取ってから啜る。

 旨い。寒い日に温かいことをしているからか、旨い。出し加減がちょうど良い。味を変えて二つ楽しめてなお良い。ずるずると何杯でもいける。あまりに夢中で食べたので、七味の存在に気付いたのは蕎麦がもう残り少なくなった時点だった。七味で味を締めて、最後の一杯をあおった。

 畳に手を突いて腹をさする。大満足である。

 会計を済ませて店を出て、腹ごなしに近くの河原まで歩いた。雪解けの水が渦を巻いて流れていた。岩と岩の間に流木が白いむくろを晒している。

 くさめを一つ。

 「春は名のみの風の寒さや」か。

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