た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

独鈷山

2021年04月16日 | essay

 

昔、人類には豊かな時間があった。ただ豊かな食がなかった。

だから彼らは時間を費やし、食のために奔走した。

今、世間には豊かな食が溢れ、その代り豊かな時間を失った。

それを取り戻すため、彼らはお金という名の富を費やす。

そのお金こそ、時間を犠牲にして得たものであるのに!

堂々巡りは古代から、人類の性(さが)である。

ごく稀に、その堂々巡りを脱する者もいる。

豊かな時間のために、潔く他を犠牲にできる者である。

人はかつて、彼らを隠者と呼んだ。今は変わり者と呼ぶ。

どちらにもなり切れない中途半端な輩が

ときどき野に出て、深く息をつく。

※写真は独鈷山。


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