じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

十一月二十三日

2007-07-07 | 随想(essay)
 『当然』に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はたゞ 『必然』に生きてゐる。少なくとも此の二筋の『句』に於ては『酒』に於ては―

 燃えてしまったそのまゝの灰となってゐる

 風の夜の戸をたゝく音がある

 しんみりぬれて人も馬も

 昭和五年も暮れかけている。明くる六年は大変な年となりますが、山頭火先生には浮き世の風は吹き寄せてはこないような雰囲気です。しかしいつででも、あちこちの友人知人から世情や世間話が早くしかも正確に届けられる。心静かにとみせながら、その深奥はなにかに突き動かされていなかったとはいえないのです。