子どもは、本当に学校に通わせたほうが良いのか?
10歳の男の子が書いた「見てる、知ってる、考えてる」、そんなことまで考えさせてくれる本ですね。
不登校は一つの才能
その男の子は、中島芭旺(ばお)君ですが、自分は不登校だと言い、この本には「僕は不登校は一つの才能だと思っています。 それは不登校するという決断をできる才能。 自分を信頼できるという才能」と書いています。
こういう視点が持てたら、人生はガラッと変わるんだろうなあと思いますが、普通は、社会の常識の壁がどんどん張り巡らされて、10歳にもなるとその常識に絡めとられるようになるんだろうと思います。
人は勝手に育つ、そう思うようになったきっかけは智頭の森の幼稚園「まるたんぼう」でした。
3歳の子どもが、「今日の森の光は黄色が強いね」と言った!!4歳児が3歳児が片づけを終えて降りてくるのを20分も待っていた。
誰に教わるわけでもない、自ら会得した?もともと持っている?子どもたちの凄い力の一端を知りました。
今の学校って必要?
昨年出会った衝撃的な本は「アナスタシア」でした。
アナスタシアの息子は、タイガの草むらでクマと狼が面倒を見ながら子育てをしている。おもちゃやおむつなどを持参した父親にアナスタシアは、そういうものが子どもの育つ力を削ぐから不要だと言う。
3巻に出て来るシチェチーニン先生の学校は、小学生から高校生までの公立学校ですが、必修科目は武術と伝統舞踊。先生という名のつく人はなく、自分たちで学び合うのが基本。子どもたちは学校や自分たちの家も作ってしまう。今、子どもたちが自分たちの教科書作りを進めている。ロシア、すごい国です。
カリキュラム消化第一主義の今の学校って必要なんだろうか?行かないほうが良いのではないか?
それでも、支える環境を整えることは大切なんだろうなあ。いや、ひょっとしたらそこも不要?
ただ、探求したいと思えたとき、それを一緒に準備できるといいんじゃないかと思えるのです。
ピュアな大人でありたい
ばお君は、「いつのまにかいい子になって、何を好きなのか何を嫌いだと思っているのかわからなくなってしまって、ロボットのように同じことを話す」と。
そして、「正解のない世界で生きて行く僕たちは、好きなことをやる勇気が必要だ」「幸せになりたいって願いました。それは幸せじゃないって思っている自分がいただけで、気付いたらもうすでに、生まれたときから叶っていたものでした」
常識の壁がなくなると、自分の好きなことをして、ありのままに生きれる、それが幸せ?
人が幸せに生きて行く原点のようなものを、はっ!と気付かせてくれるばお君の言葉です。
クリスタルチルドレンとかさまざま言われますが、こんな子どもたちが増えているように感じ、この子たちが地球の危機を乗り越える力になるんだろうなあと思います。
そんな子どものピュアな心を大切にでき、支えられるピュアな大人でありたいとも思いました。
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