ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ラロトンガ行:百年の呪い

2016-06-26 | 旅行
話はこれにとどまらず、100年前にさかのぼるのでした。
と言ってから早1週間


内容も4月に行ったクック諸島のラロトンガの話なら
日記も後出しで、すべてがズレにズレてますが
書いてる本人に反省の色はなく(笑)
このままシレシレっと続きます


楽園に忽然と現れたお化け屋敷は30年近く野ざらしのホテル

完成していたらシェラトン・ホテルになるはずでした。



しかし、この話は30年どころか100年前から始まりました



地元の人にはバイマアナ(Vaimaanga)として知られるこの地は
 
19世紀の終わりにNZからの入植者ウィリアム・ジョン・ウィグモアが
地主のモレ・ウリアトゥアから借り受け、プランテーションにしていた
借地でした。


ウィグモアといえば、そう見てきたばかりのこのウィグモア滝!

入植者の名前を冠していたんですね


20世紀に入り両者は土地の所有権を巡って関係が悪化し、
1910年にモレが借地権の更新をしないことに決めると、
怒り狂ったウィグモアはモレを射殺してしまいます。


植民地にありがちな不平等判決でウィグモアは過失致死に問われ
ごく短期間服役しただけで、NZに帰ります。


1913年にウィグモアは舞い戻り、引き続き土地の返還を拒んだため
モレの娘のメトゥアはこの地に呪いをかけ、
「この地でなされるいかなる事業も失敗に終わる」
と宣言しました。


呪いを最初に証明したのは、ウィグモア本人でした。
プランテーション事業は破たんし、彼はこの地を去りました。


その後もさまざまな投資家がこの地にカネをつぎ込み、
パイナップル園だの、トロピカルハーブやスパイス栽培だのが
行われたものの、みな大きな痛手を負って去っていきました。


1987年にイタリア資本による超高級ホテル建設が決まり
起工式が行われていると、招かざる客だったモレの孫モレルアが
伝統的な戦士のいでたちで突然現れました。


今まさに首相がお披露目した工事の定礎板を打ち付けた礎石を
モレルアが木の槍で突くと、石が割れたといいます。
これを見た地元民は依然呪いが解けていないことを察しました。


その後、数々のデベロッパーが工事の再開を目指すものの失敗し、
NZ人デベロッパーも2003年、2006年と、最近では2014年に
オークランドを拠点とするミラガ・グループが4000万ドルの
再建計画を発表し、2016年年央の完成を目指しましたが


4月現在でこの通り



ホテルという場所は人の出入りが多く、風水の悪い場所が多いそう。

それに輪を掛けて、完成前から百年の呪いが解けない場所


これはもう完全に取り壊して100年以上前の姿に戻してあげて

ストップ・ゴーストタウン
と思ってしまいますが、島にはそんな資金もなく・・・・・


目の前の美しい海が眩いばかりでした



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