ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

廬生が得たもの…『邯鄲』(その1)

2012-11-02 06:39:03 | 能楽
11月15日に ぬえが勤めさせて頂く『邯鄲』についてですが。。

え~、じつは もうすでに師匠の稽古も受けまして、昨日は稽古能で初めてお囃子方や地謡とともに稽古を致しました。この能についてこのブログで考えるには、あまりに時間が足りない状況ですが。。例によって舞台進行を見ながら能の解説、併せて ぬえが考えていることなどを書き連ねてみようと思います。。

まずもって。。稽古を始めて、これは大変な曲だと思いました。いろいろな面で相当に難易度の高い曲であるのは、ある程度予想はしていましたが、これほど難しいとは。よく言われることですが「邯鄲は。。簡単じゃないよ」と経験者は口を揃えるところです。が、しかし。お囃子オタクを自認する ぬえから見ても囃子の手配りと合方の難しさは超一級ですね。技術的な難易度も相当に高くて。。以前この曲を勤めた方がひと言。。「よくこれで習物じゃないな。。」

さてまずお囃子方が幕より登場し、また地謡が切戸口より登場してそれぞれ所定の位置に座着くと、作物の一畳台と引立大宮が幕から持ち出され、脇座に据え付けられます。

引立大宮とは柱が折り畳んであって、一畳台に載せて舞台に持ち出され、舞台の上でお客さまの目の前でその柱を立てて組み立てられる作物の屋台のこと。これに対してすでに組み上がっている屋台の作物を「大宮」とか「大屋台」などと呼びます。引立大宮は『鶴亀』などに例がありますが「大屋台」はほとんど使われることがありませんね。むしろ屋根を藁葺きにした「大藁屋」(『大原御幸』などに使用)や板葺きの「大板屋」(『雨月』に使用)など、赤地の金襴の屋根衣(やねぎぬ)を飾った「大屋台」よりも屋根の材質を替えた作物の方が身近に感じられます。

また不思議なもので、舞台上で組み立てられる、言うなれば即席の、未完成の「引立大宮」の方が、台輪(だいわ=床の縁にあたる部分)を持つ「大屋台」よりも豪華に見えますね。白布で作った「包地」(ぼうじ)を巻く分量が少なく、「屋根衣」や「台掛け」(だいかけ=一畳台を包む布)など金襴の部分が占める比率が大きくなるからでしょうか。

「大宮」に対して「小宮」という作物があります。こちらは『楊貴妃』や『竹生島』『龍田』など甚だ多用されておなじみの作物ですね。こちらは「引立小宮」というものはなくて、すべて台輪の四隅に柱を立てて作ります。「引立大宮」は一畳台の四隅に明けられている丸い孔に柱を差し込んで、舞台の上で組み立てるのですが、「小宮」のために明けられている孔はないので、「小宮」は楽屋で作り上げて完成品が舞台に持ち出されます。「小宮」はシテ一人だけが中に入るために小さく、床面積は半畳の広さで作るわけですが、大宮の豪華、仰々しさに対して華奢で瀟洒に見えますね。なお藁葺きの「藁屋」というバリエーションがあって『菊慈童』や『景清』に、また格子状の壁と扉を取りつけた「萩小屋」は『安達原』や『蝉丸』『籠太鼓』に使われます。

さて『邯鄲』に戻って、引立大宮の作物が完成すると、後見の一人がその後ろに着座します。後見が定位置の後見座をずっと離れている曲もこれだけでしょう。後見はシテの世話をする役目があって、『邯鄲』ではシテはほとんど脇座の作物の中にいるため、後見の一人はこの場所に着座する事になるのです。

舞台の準備が整うと、ようやく最初の登場人物・間狂言が登場します。邯鄲の里で旅館を営む女主人の役で、縫箔の着付けに側次を羽織り、ビナン鬘ではなくシテ方と同じ本鬘を着けているのが珍しいです。鬘を結うのは難しいので、かつて狂言方にこのあたりを聞いてみた事があるのですが、やはり狂言方で鬘を着けるのは『邯鄲』ぐらいなものだそうで、何年かに一度ぐらいしか回ってこない役どころのため、やはりきれいに鬘を結うのは難しく、鬘を着けるところだけは楽屋でシテ方に頼んだりする事もあるのだそうです。

まあ、これは仕方のないところですね。ぬえも、ワキ方の角帽子や狂言のビナン鬘、脚絆のようにシテ方にない装束は着付けることができません。角帽子だけは遠方の催しでワキ方が楽屋働キを連れずに一人で来演された場合などでシテ方が着付けをお手伝いする事も何度かあったので、かろうじて。。『邯鄲』の間狂言の鬘は、狂言方として通常この役には用いる装束ですが、着用の頻度が著しく低いものは、いつでも上手に着けられる、というものでもないでしょう。『紅葉狩』などでワキが弓を射る扮装のため左肩を脱いでいることがありますが、これもシテ方が着けるとすると難儀だったりします。右肩はしょっちゅう脱いでいるのに。。

『邯鄲』の間狂言・宿の女主人は枕を肩にかついで登場します。

狂言「かやうに候者は。唐土邯鄲の里に住まひする者にて候。わらはは古、仙の法を行ひ給ふ御方に。お宿を参らせて候へば。お宿のためと仰せられ、邯鄲の枕と申すを賜りて候。これを召して一睡まどろみ給へば。少しの間に夢をご覧じ。来し方行く末の悟りを御開きある枕にて候。今日もお旅人のお泊まりあらば。こなたへ申し候へ。その分心得候へ、心得候へ。

枕はシテ方が用意して楽屋で間狂言にお渡しします。間狂言は舞台に登場すると常座に立って上記のように名乗りと枕の来歴を語り、枕を一畳台の上に置きます。このとき狂言方大蔵流では上記を一気に語ってから枕を置き、和泉流では枕の来歴を語るところまで語って、枕を置き、再び常座に戻って「触レ」と称される最後の文言。。すなわち旅人の到着があれば知らせるように、という部分を謡うようです(家により違いはあると思いますが)。

間狂言が狂言座(橋掛リ一之松の裏欄干)に着座すると、シテの登場の奏楽「次第」が演奏されます。

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