この、能『夕顔』のシテが天上して消える終曲のあたりは、同じ本三番目物の能の中でもかなり特異だと思います。多くの三番目物の能。。いや、曲柄に限らず多くの、所謂「複式夢幻能」では本性を現した後シテはワキ僧の回向に感謝しつつ、往時の出来事を仕方話として語ることによって懺悔としますが、このためについにシテが「往生を遂げた」という大団円で終曲を迎える能はそれほど多くないように思います。
『井筒』にしろ『東北』にせよ、こうした能の多くは僧の夢が覚めたところで終曲するのであって、主人公が僧の回向と本人の懺悔によって救済されたという印象は残るものの、本当に死後の安寧が主人公にもたらされたのかどうかには含みが持たせてあって、観客の想像に任されているのです。こうした能の終曲の場面は、静謐な能であるほど余韻が深まるので、能の作者は当然そこを狙ってこのような終曲を用意したのだと思われます。
一方、多くはないけれども、能『夕顔』のように主人公が成仏できた喜びを表して、浄土に? 赴く様を表して終わる曲もありまして、『江口』や『誓願寺』、『当麻』『海士』などがその部類に入ると言えると思います。じつはこれらの曲に共通した特長があって、それは主人公そのものの生死を物語るストーリーでありながら、その能のテーマが経文や、あるいは仏法そのものの礼賛にある曲で、少なくとも最後の場面ではそうした経や仏神が高らかに賛美されて終わるのです。
『夕顔』はこうした一連の能ともまた少し違っていて、あくまで僧の回向があり、シテはそれに帰依した事によって成仏するのであって、終曲部分では単純にその喜びを表現するという趣向になっていますね。僧が唱える具体的な経文の文句も『夕顔』には出てきません。しかし、シテが僧を頼りに仏の教えに帰依する、ということは序之舞の前にはっきり書かれていて、キリでは「雲の紛れに失せにけり」と、シテが昇天していく様子が描かれています。
まるでシテが菩薩に変身したかのような錯覚さえ覚える終曲部ですが、その前に「変成男子の願いのままに」とありますし、ワキも待謡でわずかに「法華読誦の声絶えず」と言っているので、ここは『法華経』に見える八歳の龍女が男性の姿となって南方無垢世界で成仏した、という説を念頭に置いているのでしょう。もっとも夕顔が男性や龍の姿に変身した、と読むよりは、やはり菩薩のような姿となったと解したいところですね。
閑話休題。
能『夕顔』については少々問題もあるようで、後シテが登場してすぐに「物の怪の人失ひし有様を現す今の夢人の跡よく弔ひ給へ」と言っているのに、実際には人。。すなわち夕顔上自身が物の怪によって命を奪われる件が舞台上で表現されない、という指摘があります。
これについて、ぬえも最初は同じような疑問を持っていたのですが、じつは後シテが登場した姿が、そのまま「人失ひし有様」。。つまり犠牲者のそれなのですよね。実際には若女の面を掛け、長絹に緋大口という優美な姿で後シテは登場しますから、印象としては凄惨な姿を想像することは出来ませんが、後シテは続けて「見給へ此処もおのづから気疎き秋の野らとなりて」と言い、ワキも「池は水草に埋もれて。古りたる松の蔭暗く」と同調すると、さらにシテが「また鳴き騒ぐ鳥の嗄声」と言い、ワキが「さも物凄く思ひ給ひし」と夕顔の心を気遣っています。
この「気疎き秋の野ら」「池は水草に埋もれ」というのは『源氏物語』の中で源氏と夕顔が「何某の院」に早朝に到着し、日が高くなった頃に起き出して格子を上げて見た庭の光景で、また「鳥の嗄声」は夕顔が物の怪に襲われて人事不省になったときに源氏が聞いた梟の声です。
すなわち後シテが登場した場面は、場所こそ「何某の院」ではありますが、ワキ僧が訪れた時から一気に時間が遡ったように、源氏と夕顔とが愛を語らいあった、そして物の怪が夕顔を襲った「あの時」の様相が現前したのでした。
これを見てワキは「さも物凄く思ひ給ひし」。。「さぞ恐ろしく思われたことでしょう」と夕顔を気遣ったわけで、そう考えてみると、じつは後シテは実際の舞台に現れる優美な姿ではなく、命を奪われた苦しみの姿で登場した、と考えることができます。実のところシテ自身も「心の水は濁り江に引かれてかかる身となれども」と言っているわけで、物の怪を遠回しに言った「濁り江」に引かれて「かかる身」。。この世ならぬ身となった姿を現したと考えるのが自然でしょう。
そうであれば定めの取り合わせに逆らう事にはなりますが、後シテの面装束には工夫の余地があるかもしれません。
が、作者の狙いは陰惨な夕顔の死の事件の再現にはありませんね。
こうしてワキ僧の前に夕顔の死は示されたわけで、「物の怪の人失ひし有様を現す今の夢人」というシテの言葉に矛盾はないことになります。
そして、そこからシテは気持ちを変えて「かかる身となれども、優婆塞が行ふ道をしるべにて。来ん世も深き契り絶えすな」と言います。これは前述の通り、夕顔邸で夜を明かした源氏が、明け方に夕顔を「何某の院」へと誘うときに詠みかけた歌で、原作では近所から聞こえてくる行者・御嶽精進の礼拝する声に自分の夕顔に対する思いを重ねて、来世も深い契りを結びたいものだ、と言っているのですが、能では御嶽精進をワキ僧に置き換えて、シテはその教えに帰依し来世に導く便りとしよう、と自らに向かって言っているのです。
すると。。このあとに置かれた序之舞はシテ夕顔がワキ僧の弔いを神妙に受けている姿なのであって、能でシテが舞う理由としてしばしば挙げられる「報謝の舞」というものよりも、ずっと精神的なものだと考えるべきだと思います。
考えてみれば夕顔が僧の弔いに感謝して。。「舞を見せる」のは不自然ですよね。ここは僧の教化をありがたく受けている姿と考えたいです。
さらに序之舞が終わるとシテが言う言葉も「お僧の今の弔ひを受けて数々嬉しやと夕顔の笑みの眉」。シテは僧の弔いによって成仏できることが限りなく嬉しいのです。ですからこの序之舞は、最初は有難く読経を聞く敬虔で静かな心であり、その後だんだんと、浄土に生まれる確信を得て喜ぶ心なのでしょう。序之舞は『夕顔』の場合10~15分も掛かりますが、これほど長い舞の場合、途中からシテの気分が変わってくる、ということは能ではままある事です。長い舞の中でシテの心情の変化を表現するのは簡単ではありませんが、そのような心持ちを忘れずに舞いたいと考えています。
『井筒』にしろ『東北』にせよ、こうした能の多くは僧の夢が覚めたところで終曲するのであって、主人公が僧の回向と本人の懺悔によって救済されたという印象は残るものの、本当に死後の安寧が主人公にもたらされたのかどうかには含みが持たせてあって、観客の想像に任されているのです。こうした能の終曲の場面は、静謐な能であるほど余韻が深まるので、能の作者は当然そこを狙ってこのような終曲を用意したのだと思われます。
一方、多くはないけれども、能『夕顔』のように主人公が成仏できた喜びを表して、浄土に? 赴く様を表して終わる曲もありまして、『江口』や『誓願寺』、『当麻』『海士』などがその部類に入ると言えると思います。じつはこれらの曲に共通した特長があって、それは主人公そのものの生死を物語るストーリーでありながら、その能のテーマが経文や、あるいは仏法そのものの礼賛にある曲で、少なくとも最後の場面ではそうした経や仏神が高らかに賛美されて終わるのです。
『夕顔』はこうした一連の能ともまた少し違っていて、あくまで僧の回向があり、シテはそれに帰依した事によって成仏するのであって、終曲部分では単純にその喜びを表現するという趣向になっていますね。僧が唱える具体的な経文の文句も『夕顔』には出てきません。しかし、シテが僧を頼りに仏の教えに帰依する、ということは序之舞の前にはっきり書かれていて、キリでは「雲の紛れに失せにけり」と、シテが昇天していく様子が描かれています。
まるでシテが菩薩に変身したかのような錯覚さえ覚える終曲部ですが、その前に「変成男子の願いのままに」とありますし、ワキも待謡でわずかに「法華読誦の声絶えず」と言っているので、ここは『法華経』に見える八歳の龍女が男性の姿となって南方無垢世界で成仏した、という説を念頭に置いているのでしょう。もっとも夕顔が男性や龍の姿に変身した、と読むよりは、やはり菩薩のような姿となったと解したいところですね。
閑話休題。
能『夕顔』については少々問題もあるようで、後シテが登場してすぐに「物の怪の人失ひし有様を現す今の夢人の跡よく弔ひ給へ」と言っているのに、実際には人。。すなわち夕顔上自身が物の怪によって命を奪われる件が舞台上で表現されない、という指摘があります。
これについて、ぬえも最初は同じような疑問を持っていたのですが、じつは後シテが登場した姿が、そのまま「人失ひし有様」。。つまり犠牲者のそれなのですよね。実際には若女の面を掛け、長絹に緋大口という優美な姿で後シテは登場しますから、印象としては凄惨な姿を想像することは出来ませんが、後シテは続けて「見給へ此処もおのづから気疎き秋の野らとなりて」と言い、ワキも「池は水草に埋もれて。古りたる松の蔭暗く」と同調すると、さらにシテが「また鳴き騒ぐ鳥の嗄声」と言い、ワキが「さも物凄く思ひ給ひし」と夕顔の心を気遣っています。
この「気疎き秋の野ら」「池は水草に埋もれ」というのは『源氏物語』の中で源氏と夕顔が「何某の院」に早朝に到着し、日が高くなった頃に起き出して格子を上げて見た庭の光景で、また「鳥の嗄声」は夕顔が物の怪に襲われて人事不省になったときに源氏が聞いた梟の声です。
すなわち後シテが登場した場面は、場所こそ「何某の院」ではありますが、ワキ僧が訪れた時から一気に時間が遡ったように、源氏と夕顔とが愛を語らいあった、そして物の怪が夕顔を襲った「あの時」の様相が現前したのでした。
これを見てワキは「さも物凄く思ひ給ひし」。。「さぞ恐ろしく思われたことでしょう」と夕顔を気遣ったわけで、そう考えてみると、じつは後シテは実際の舞台に現れる優美な姿ではなく、命を奪われた苦しみの姿で登場した、と考えることができます。実のところシテ自身も「心の水は濁り江に引かれてかかる身となれども」と言っているわけで、物の怪を遠回しに言った「濁り江」に引かれて「かかる身」。。この世ならぬ身となった姿を現したと考えるのが自然でしょう。
そうであれば定めの取り合わせに逆らう事にはなりますが、後シテの面装束には工夫の余地があるかもしれません。
が、作者の狙いは陰惨な夕顔の死の事件の再現にはありませんね。
こうしてワキ僧の前に夕顔の死は示されたわけで、「物の怪の人失ひし有様を現す今の夢人」というシテの言葉に矛盾はないことになります。
そして、そこからシテは気持ちを変えて「かかる身となれども、優婆塞が行ふ道をしるべにて。来ん世も深き契り絶えすな」と言います。これは前述の通り、夕顔邸で夜を明かした源氏が、明け方に夕顔を「何某の院」へと誘うときに詠みかけた歌で、原作では近所から聞こえてくる行者・御嶽精進の礼拝する声に自分の夕顔に対する思いを重ねて、来世も深い契りを結びたいものだ、と言っているのですが、能では御嶽精進をワキ僧に置き換えて、シテはその教えに帰依し来世に導く便りとしよう、と自らに向かって言っているのです。
すると。。このあとに置かれた序之舞はシテ夕顔がワキ僧の弔いを神妙に受けている姿なのであって、能でシテが舞う理由としてしばしば挙げられる「報謝の舞」というものよりも、ずっと精神的なものだと考えるべきだと思います。
考えてみれば夕顔が僧の弔いに感謝して。。「舞を見せる」のは不自然ですよね。ここは僧の教化をありがたく受けている姿と考えたいです。
さらに序之舞が終わるとシテが言う言葉も「お僧の今の弔ひを受けて数々嬉しやと夕顔の笑みの眉」。シテは僧の弔いによって成仏できることが限りなく嬉しいのです。ですからこの序之舞は、最初は有難く読経を聞く敬虔で静かな心であり、その後だんだんと、浄土に生まれる確信を得て喜ぶ心なのでしょう。序之舞は『夕顔』の場合10~15分も掛かりますが、これほど長い舞の場合、途中からシテの気分が変わってくる、ということは能ではままある事です。長い舞の中でシテの心情の変化を表現するのは簡単ではありませんが、そのような心持ちを忘れずに舞いたいと考えています。