ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

震災から1年~追悼集会に参加(その1)

2012-03-29 21:21:01 | 能楽の心と癒しプロジェクト
だいぶ旧聞に属してしまうかもしれませんが。。

去る3月9日から12日にかけて 6度目となる宮城県訪問公演を行って参りました。今回の日程だけはどうしても外せなかった。。だいぶスケジュールの確保にも苦労しましたが、震災から1年のその日、石巻・湊小学校ほかで行われた追悼集会に出席するためです。そういった主旨の集会ですから今回は公演はなく喪服で黙祷を捧げるだけ。。のつもりだったのですが、やはり公演を行うことになりました。もう街並みや道もわかっている通い慣れた街でしたが、今回はだいぶ緊張しながら当地に入った ぬえでしたが。。やはり旧知のみなさんとお会いすると話が弾んで。深刻になり過ぎない追悼集会。。とても感動的でした。

年末から年始、そして2月と、「能楽の心と癒やしプロジェクト」としての最近の活動は極寒の季節の訪問でした。地吹雪も体験したし、吹雪の山道も走りました。でも、そういう難しい時期だからある程度まとまった日程を組んで東北に赴くことが出来た、とも言えます。さすがに3月に入って気候が少しやわらぐと、公演などの予定も立て込んできて、なかなかまとまった旅行のスケジュールを立てるのが難しくなってきます。今回は ぬえが最もまとまった日数を確保することができ、先発隊として先に現地入りしたのですが、笛方のTさんは東京での催しの都合があって、追悼集会がある3/11の前夜に東京から高速バスに乗り、当日の早朝に石巻に到着する、というハードスケジュールでした。

そして今回はゲストとして太鼓方のKくんも参加してくれました。Kくんは独自に震災被害の支援活動を行っているのだけれども、今回はそれとは別に ぬえらが行っているような被災地の真ん中に入り込んでの活動に賛同してくれ、参加を決めてくれたのでした。やはり夜行の高速バスを利用しての石巻入りで、大変だったろうと思いますが。。

さて ぬえはそんなわけで彼らよりも少し早く、3月9日に千葉県での稽古を終えたあとの正午頃に高速に乗り、一路石巻を目指しました。昨年末以来久しぶりに一人で運転。やっぱり宮城県は遠いな~、と思いつつ、それでも通い慣れた道なので のんびりと走ってゆきました。。と言いたいところですが実際は公演が近い伊豆の子ども能の打合せの電話やらで いちいちサービスエリアで停まりながらの行程。。そうだ! そういえば今回は伊豆の国市の子ども能参加児童のお母さんたちに、被災地の仮設住宅の集会所に寄付する絵本やおもちゃの提供を呼び掛けたのですが、なんとこれがレイちゃん(←愛車)いっぱいになるほどの支援物資となりました! いや、ホント、装束などの ぬえの荷物もありますから、車内は ぬえ一人が乗って満杯の状態。もしもスケジュールが合ったとしても、TさんやKくんも同乗して同じ日に石巻に向かうのは不可能な有様でした。

夕方遅くに石巻に到着し、関係者に連絡をして夕食を済ませ、これから3泊の長きに渡ってお世話になる石巻市商工会議所の佐藤氏のお宅にお邪魔しました。

じつは今回の訪問では宿泊場所が一番の問題でした。3.11という震災から1年目になるこの日は全国から人々が集まって、あちこちで追悼集会やイベントが行われるのは必至で、ホテルはおろか(募金を活動資金としている ぬえたちは最初から有料の宿泊施設の利用は視野に入れていませんでしたけれども)、ボランティア団体の拠点や事務所も、それぞれの団体の関係者で一杯の雑魚寝状態だろうことは容易に想像できたからです。そこで ぬえは迷惑は承知の上で、個人のお宅に宿泊させて頂けないか、これまで石巻で出会った(お世話になった)市民の方にお願いしてみることにしたのでした。

最初にお願いしたのが佐藤さんで、ありがたい事にふたつ返事で引き受けてくださいました。思い起こせば佐藤さんとのお付き合いも偶然から始まったようなもんだなあ。。

亀戸の夜能(3/25)

2012-03-28 08:21:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
行って参りました、亀戸の夜能。

開演は夜だったのですが、なぜか昼に会場に着いちゃった ぬえ。σ(^◇^;) 仕方ないので楽屋入りする前にグランドオープンが迫る東京スカイツリーの間近に行ってみました。はあぁ、大きいね~(←バカ丸出しコメント) じつはこの辺りは ぬえの母方の故郷なのでした。昔は下町の雰囲気にあふれていたけれど、いつの間にか様変わりですね。しかも「業平橋駅」はスカイツリーの開業に合わせて「とうきょうスカイツリー駅」に名称を変えるんですってね! ん~、『伊勢物語』由来の名前が消えてしまうのは惜しいなあ。

そしてようやく会場となった亀戸香取神社へ。あまり社域は広いわけではないけれど古く由緒正しい神社で、平将門の乱の際に追討使・俵藤太が戦勝祈願をし、その後も頼朝や家康の篤い崇敬を受けたとのこと。社殿や社務所は関東大震災や空襲の被害を受けた地域ですので鉄筋コンクリート造りですが、相当立派な建物でした。そうして本殿に対面するように建てられた神楽殿がこの日の上演会場です。これまた鉄筋コンクリート造りではありますが、入母屋風の屋根も備え、かなり雰囲気のよい建物でした。



この日は「亀戸フェスティバル」の中での公演で、江東区文化コミュニティ財団(亀戸文化センター)が主催者として全面的に公演のご後援を頂き、ぬえたち「能楽の心と癒やしプロジェクト」のチャリティ公演とさせて頂くことができました。神楽殿の前には ぬえらプロジェクトの活動内容を写真展示し(加藤昌人さん、シギー吉田さん、山口宏子に写真提供頂きました。クレジットもちゃんと入れておきましたよ~)、募金箱を設置させて頂きました。開演前にはじっと写真を見つめるお客さまもおられて、しばし被災地の現状や ぬえらが行っている活動について説明させて頂きました。

昼間はとても暖かかったのに、日が暮れるに従ってぐっと寒くなってきました。開演はメンバーのスケジュールに合わせて夕方6時半からと少し遅めの設定だったのですが、ここの前に他の催しに出演しているメンバーから上演時間が大幅に遅れている!と連絡が。。とりあえず装束は着けて、急遽解説を伸ばして対応したのですが、お客さまには寒い中お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。m(__)m

師家の梅若紀長師の仕舞『融』、プロジェクトメンバーの小梶直人くんによる狂言『棒縛り』に続いてようやく ぬえの『羽衣・和合之舞』の上演。舞台は橋掛リもなく囃子方と地謡が座るとかなり狭くなってしまうので、全体にサラリと演じるように勤めることにしました。

ところでこの神楽殿ですが、舞台の外側にぐるりと一段下がって回廊のような部分があるのです。本来ならば高欄だけが舞台に取りつけられているのでしょうが、ここではその部分だけが一段下がっている。これは。。と思った ぬえはそこを使うことにしました。

キリの「七宝充満の宝を降らし」で舞台からその回廊に下りて、下居して扇を前へ出す例の型をやってみました。照明が当たらないのは承知の上ですが、お客さまから少し離れた舞台ですし、相当高さもあるのでお客さまからの距離はどうしても気になるので、このような型をすることでお客さまに少しでも近づいての演技ができます。



へへ、じつはこのアイデアが浮かんでも、最小限、それを知っていないと上演時に困る演者だけにそれを伝えておきました。そうして他の演者が到着する前に、装束が汚れないように入念に回廊部分を拭き掃除する準備も整えて。実際この型をやるとみなさんびっくりされたみたいですね。演者もそうで、まさかそこを下りるとは思わなかった、とか あそこを使えるならオレも下りればよかった、なんて言っている人も。(^^ゞ こういうのは新鮮味が重要なので、みんなで下りちゃうとワケがわかんなくなっちゃいます。ここは「秘すれば花」の心で。

でも実際には、上演時には面の眼の穴の中に照明の光が入って反射してしまって、正面に向くとほとんど何も見えない状態だったのです。こういうこと、仮設の舞台では時々ありますね。もう、高欄に下りる型をするかどうかはずっと迷いながら、下見で舞台を見た記憶とか、眼で見える情報をずうっと蓄積しながら、最後に決断して回廊に下りることにしました。一歩間違うと転落の危険もあるので、こういう場合は恐怖心との戦いでもあります。まあ、無事に型はできたのですが、もう少し思い切りよくやりたかったのですが。

舞台の上からは照明で目がくらみながらも大勢のお客さまが見えていることはよくわかりました。また脇正の方向には、通りがかりに広い道路の歩道で足を止めてご覧になっている方もありましたので、こちらにもアピールしながら演じるようには心がけておりました。

終演後、募金箱を開けてみると、なんと 65,000円の募金が寄せられていました。募金なのに切りの良い金額が不審ですが、これは集計時には端数があったのですがメンバーのひとりが重い小銭の山を紙幣に両替してくれたついでに切り良い金額になるように寄付を追加してくれたのでした。

改めまして、ご来場頂きましたお客さまに深謝申し上げます。開演が遅れ、また寒い中お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした。にも関わらず、たくさんの募金をして頂きました。併せまして御礼申し上げます。またチャリティ公演に賛同し出演してくださった能楽師の方々にも御礼申し上げます。プロジェクトの次回の活動はGW頃になるかと思いますが、高速道路の無料化措置も廃止となり、次第に活動も難しい状況になると予想されます。テレビ番組も3.11を過ぎてから震災の被災地の報道がめっきり減り、風化の恐れも出てきました。これからも変わらぬご支援をお願い申し上げます。m(__)m

子ども創作能、鎌倉に進出!

2012-03-20 02:32:31 | 能楽
ぬえが子どもたちを指導している伊豆の国市の「子ども創作能」ですが、なんと今年は初めて伊豆を飛び出して鎌倉市にて上演することになりました!

伊豆の国市子ども創作能『伊豆の頼朝』 鎌倉公演

【とき】4月8日(日)午後2時~2時30分
【ところ】鎌倉宮 拝殿(鎌倉市二階堂154)
     交通=鎌倉駅東口より京急バス「大塔宮」行き終点下車すぐ
【内容】舞囃子『盛久』ぬえ
    子ども創作能『伊豆の頼朝』伊豆の国市在住の小中学生
    (入場無料)

今年は大河ドラマで『平清盛』が取り上げられた影響か、頼朝の活躍を扱った子ども能『伊豆の頼朝』は引っ張りだこです。そうしてこの日、鎌倉市で開かれる「鎌倉まつり」のイベントの一つとして子ども能を上演させて頂ける運びとなりました!

先週、その下見に会場となる「鎌倉宮」を訪れて参りました。鎌倉宮は明治天皇の御願によって建てられた比較的新しい神社ですが、拝殿がそのまま神楽殿としても利用可能な不思議な造り。しかし、これは神殿の造りとして一つの流れを持つものだそうで、そういえば伊豆の守山八幡宮も、山上の本殿を仰ぐ急な石段の下に建てられている神楽殿でいつも子ども能を上演させて頂くけれども、あれは神楽殿ではなく拝殿なのであれば、石段の有無を別にすれば鎌倉宮と同じ造作なのかもしれません。すみません。。ぬえ、無知なもので、よくわかってない。。





むしろ ぬえが気になるのはご祭神が護良親王であることで、「建武の新政」の実現に貢献し、非業の死を遂げた彼を顕彰するために、明治天皇が最期の地とされる場所に建立したのが鎌倉宮なのです。う~んご祭神は源も北条も。。いや足利を含めて武士全体のことをお嫌いであろう。。

ですからここでの上演前と、それから伊豆で最後のお稽古をしたあとも、子どもたちはお祓いを受けさせて頂く事をお願いしてあります。まあ、頼朝の挙兵を扱った子ども能ではあるけれど、事件そのものは800年の昔の話だし、子どもたちが勤める舞台ですから、ご祭神も祝福してくださるでしょう。はじめて伊豆を飛び出して遠征公演に向かう子どもたち。期待してるよ~~(#^.^#)

ところでこの催し、ご来場頂きたいのはヤマヤマなのですが、なかなか会場にたどり着くのは大変らしいです。。というのも、この日鎌倉で行われる「鎌倉まつり」では2,000人におよぶパレードが鎌倉駅~鶴岡八幡宮の間の若宮大路を進むことになっていまして、こうなると道路は大混雑するのです。なんでも、徒歩で25分も掛かる鎌倉駅~鎌倉皇子の移動を、もしこの時間帯に車で移動するとなると1時間以上掛かるのだそうです。「結局、徒歩が一番早いですよ」というのが地元の方のお答えでした。

そんなわけで、脚力に自信のある方のみご来場をお待ち申し上げます~ σ(^◇^;)

鎌倉宮の下見の帰り道、逗子マリーナに寄ってみました。ああ、このあたり、学生の頃は深夜に父親の車を持ち出してよくここまで来たものだなあ。あの頃は川端康成に心酔していましたもんで。。




亀戸の夜能(震災チャリティ能楽公演)のおしらせ

2012-03-19 03:59:21 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう1週間後に迫ってしまいましたが、東京にて「能楽の心と癒やしプロジェクト」の震災チャリティ公演を行います。
忙しい狂言チームも久しぶりに合流しての完全な形でのプロジェクト活動+プロジェクトに賛同してくれる能楽師の仲間たち。ぬえは現地で着ている装束を着て現地で勤めた曲を、現地の住民さんたちの前で演じている気持ちで勤めます。入場無料ですので、その分のお気持ちは募金箱へ!(笑)

亀戸の夜能 ( 東日本大震災チャリティー協賛)

【とき】2012年03月25日 18:30~20:30
【ところ】亀戸香取神社 神楽殿(東京都江東区亀戸3−57−22)

【内容】
・仕舞「融」 シテ    梅若紀長
        地謡    中村裕/古室知也

・狂言「棒縛り」
     シテ(次郎冠者)小梶直人
     アド(主人)  大蔵千太郎
     アド(太郎冠者)吉田信海

・ 能 「羽衣」和合之舞
     シテ(天人)  ぬえ
     ワキ(白龍)  野口能弘
     笛       寺井宏明
     小鼓      幸正昭
     大鼓      安福光雄
     太鼓      吉谷潔
     地謡      梅若紀長/中村裕/古室知也

主催 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団亀戸文化センター
協力 能楽の心と癒やしプロジェクト/亀戸香取勝運商店街/香取神社

問い合わせ 江東区亀戸文化センター 03−5626−2121

当日配布のプログラムなどで「能楽の心と癒やしプロジェクト」のこれまでの活動のご紹介や、被害のあった現地の状況などを写真でご紹介する予定です。
※写真提供:加藤昌人/シギー吉田/山口宏子の諸氏ほか

どうぞお誘い合わせのうえご来場をお待ち申し上げます~~

当日地域で行われる「亀戸フェスティバル」の中で上演させて頂きます。
「亀戸フェスティバル」では多数イベントが行われるようですね~

講演会「亀戸の魅力を語る 裏路地と東京スカイツリー のある風景」
対談:志村秀明( 芝浦工業大学教授)/泉麻人( コラムニスト)
会場:カメリアプラザ・3 階カメリアホール
【関連展示】「懐かしいの亀戸と今しかできない 建設中の東京スカイツリー 写真展」
期間:3 月24 日( 土) ~ 31 日( 土)一般応募作品

「亀戸香取勝運商店街 春の陣・香取神社・福神橋」3 月25日( 日) イベント
まちかどアーティスト (糸あやつり人形/ガマの油売り/バイオリン演奏/ジャグリング/猿回し)
亀戸散策ツアー
香取小学校 亀戸鼓笛隊  15:00 ~ 16:00 

「亀戸十三間通商店街」3 月25日( 日) イベント
まちかどアーティスト
ローラースケート教室
いたずら大好き!  道路にチョークでお絵かき大会
東京スカイツリーまで歩こう!

決算報告

2012-03-15 01:18:04 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
宮城県気仙沼市・石巻市・大崎市訪問活動(2012年2月10日~13日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い)    117,424円
     前回活動繰越金(ギエ扱い)    15,338円
     銀行口座募金(ボラ扱い)      13,000円
     大崎市募金(ボラ扱い)       29,951円
     大崎市募金(ギエ扱い)       28,662円
     預金利息(ボラ扱い)            3円     収入計  204,378円
                          内訳:ボラ 160,378円 ギエ 44,000円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費   48,928円
     (ガソリン代              24,918円)
     (小林わかば交通・宿泊費)    24,010円

    ◎雑 費    1,680円
     (DVDディスク等          1,500円)
     (プログラム印刷費          180円)       活動費計  50,608円

  〈寄付金〉
    ◎被災者支援団体寄付金     44,000円
     (チーム神戸へ          22,000円)
     (明友館へ            22,000円)       寄付金計  44,000円


                                  支出計   94,608円

 【収支差引残額】                         残額    109,770円
                          内訳:ボラ 109,770円 ギエ 0円
※注※
・例によって宿泊はすべて現地関係者ご厚意により提供されたため支出なし。

・こちらも恒例であるが、食費については旅行がなくても掛かる費用であること、遊興との誤解を招くこと、酒食の区別がつきにくいことから経費として支出しなかった。

・収支差額(104,767円=すべてボラ)は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。

・今回はプロジェクトのメンバーではない小林わかば氏の交通・宿泊費を支出したが、氏は今回の訪問活動の目玉企画である「パレットおおさき」プラネタリウムでのチャリティ公演の企画をプロジェクトにもたらして頂いたばかりか、運営~投影時のアナウンス、さらには石巻市大橋仮設住宅での公演でも司会・解説・撮影の労を勤めて頂いた。プロジェクトへの功績は大であり、またこの支出はプロジェクトの口座に募金頂いたボラからではなく「パレットおおさき」公演でお客さまから寄せられた募金の中から公演に必要な経費として支出をしたと考えることもできるので、特例として支出を認めた。

・大崎市・パレットおおさきプラネタリウム館で行ったチャリティ公演の際に募金箱に寄せられた募金の総額は 58,613円である。ボラかギエか募金者の意向は判断できないため、以下の基準に基づいてほぼ等分に配分することにした。
 ①3/11の震災1年の日を境にボランティア団体の活動は大幅に変化が予想される。現実に「能楽の心と癒やしプロジェクト」が支援する対象として明示している「チーム神戸」は3月中にて現地の活動を終了する旨を聞いており、「明友館」も3月末にて現在の拠点を市に返却し退去する予定である。ほかに今後も引き続いて現地で活動を続ける信頼すべき団体を見つけ、当プロジェクトとして義援金の提供先を明示できる段階になるまでしばらくギエは保留されるべきで、これまでに寄せられたギエの総額を上記2団体に寄付することで一旦清算することにした。
 ②パレットおおさき公演にて募金箱を設置することは、当初施設側から公的機関であることから難色が示された。すなわち被災地への直接的な支援金、つまりギエであれば問題ないが活動資金、つまりボラの募金は使途が明確でないので問題、という事であった。結果的にはプロジェクトの活動に信頼を頂き、またブログで決算書を明示している事が評価されてボラとしての募金も認められたが、館の意向を尊重し、募金の総額をギエと ボラに等分することにした。
 ③このことから上記2団体への寄付金をきりの良い金額にし、かつこれまでに募金頂いたギエの金額を精算するために、パレットおおさきでの募金を等分(29,306円5分)に分け、これまでのギエ募金額(15,338)と併せたギエ金額(44,644円5分)のうち端数(644円5分)をボラに繰り入れた。これによりギエはこれまでの募金と今回のパレットおおさき募金を合わせて 44,000円となり、これを2団体に等分に寄付した。

・今後のギエ募金については、引き続き受け入れるものの、現地で活動する信頼すべき団体が見つかってから、またある程度金額がまとまってからこの団体に寄付する。

                                           以上
  平成24年3月5日





                           「能楽の心と癒しプロジェクト」


                               代表   八田 達弥

                                    (住所)
                                    (電話)





活動報告書(2/10~13)

2012-03-14 10:44:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
すでに3月の活動を終えて帰京致しました。まずは取り急ぎ2月の活動報告書を作りましたのでご高覧賜れば幸甚でございます~

能楽の心と癒しプロジェクト
宮城県訪問活動(2012年2月10日~13日)


 〔活動報告書〕

【趣旨】
 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒しプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、すでに2011年8月15日、9月26日~30日、12月24日~2012年1月1日の3度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市および気仙沼市にて能楽を披露する活動を行って参りましたが、このたび記録写真撮影のための写真家1名(※注2)とともに去る2月10日より4日間に渡り宮城県内の3都市の計12カ所にて4回の仮設住宅および仮設商店街での能楽の上演、1回のチャリティ公演および1回のワークショップを行いました(※注3)。とくに大崎市でのプラネタリウム公演の催しをコーディネートしてくださった小林わかば氏も同行、大崎に限らずプロジェクトの活動に参加してくださいました。またプラネタリウム公演ではピアニスト・山本実樹子さんをスペシャルゲストとしてお招き致しました。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただしスケジュールの都合により狂言方2名は大崎市のチャリティ公演のみの出演。
※注2 今回の訪問に同行してくださった写真家Y氏(匿名を希望しております)もスケジュールの都合により一部公演のみの参加となりました。
※注3 今回の上演場所は①・南町紫市場(仮設商店街)内「カドッコ」②気仙沼市・大谷公民館(大谷仮設住宅の集会所として機能)③気仙沼市・波路上地区・地福寺④石巻市・大橋仮設住宅・集会所1⑤大崎市・パレットおおさき・プラネタリウム館⑥石巻市・立町復興ふれあい商店街(仮設住宅)。

【活動記録】
 2月10日(金)
  八田・寺井の2名が早朝に東京を出発、大崎市・パレットおおさきにて12日に予定されている公演の打合せおよび会場設営を一部進め、それより気仙沼市に移動。
気仙沼市・南町紫商店街内「カドッコ」にて児童ミュージカル劇団「うを座」劇団員対象のワークショップを行う。
 2月11日(土)
八田・寺井、気仙沼市大谷公民館(本吉町)にて大谷仮設住民さん対象に「能楽の心と癒やしをあなたに」と題して能『菊慈童』の一部を上演
午後、気仙沼市階上地区の地福寺にて津波襲来時刻に合わせて独謡一管『江口』を手向ける。「能楽の心と癒やしをあなたに」として能『菊慈童』の一部を公演。終演後は石巻に移動、明友館に宿泊。
この日、大蔵・小梶と小林わかば氏、パレットおおさきにて会場設営を続行。
 2月12日(日)
八田・寺井は石巻市大橋仮設団地 集会所1にて「能楽の心と癒やしをあなたに」として能『菊慈童』の一部や能楽ワークショップを上演。小林氏も石巻に来訪、大橋仮設公演に参加して解説や写真撮影を担当。
その後一同は大崎市に移動、大蔵・小梶、ゲストの山本実樹子氏、写真家のY氏もパレットおおさきに到着。
夕刻、パレットおおさきプラネタリウム館にて「星と能楽の夕べ」と題して狂言『神鳴』、能『羽衣』の一部のほか山本氏によるピアノ演奏も上演。小林氏は天文解説を勤める。
終演後、八田・寺井・Y氏は石巻に戻り、大蔵・小梶は大崎市泊。山本、小林氏は帰京。
 2月13日(月)
八田・寺井、石巻市の仮設商店街「石巻復興ふれあい商店街」にて「能楽の心と癒しをあなたに」と題して能『菊慈童』の一部を上演。この公演は石巻市商工会のコーディネートによる。また曹洞宗庄内青年部の炊き出し活動とのコラボ公演である。
終演後夕方に石巻を出発して帰京。

【収入・支出】
  プロジェクトの活動はすべて募金によって行われております。募金にはプロジェクトのボランティア活動資金として使わせて頂くもの(以下「ボラ」)と、被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)に分けられます。今回の活動にあたって「ボラ」は前回活動繰越金(117,424円)および銀行口座への新規の募金(13,000円)の総額 130,424円となり、「ギエ」は前回の活動繰越金のみ 15,338円でした。
  そのほか今回の活動中に「パレットおおさき」のチャリティ公演「星と能楽の夕べ」におきましてお客さまより多額(58,613円)の募金を頂戴しました。これは使途についての募金者の目的が明確になっておりません。この取り扱いについてプロジェクトのメンバーと協議し、「ボラ」「ギエ」にほぼ同額に近い金額にて二分する事と致しました。これについて、今後被災地への関心が薄れてくると同時に我々プロジェクトの活動資金も困窮が予想され、我々の活動も大きく考えれば被災地への支援ですから、使途の指定のない募金も全額「ボラ」扱いでよいのではないか、という意見も出ました。しかし会場を提供してくださった「パレットおおさき」では本来物品の販売は許可されても、使途が明確でない直接活動資金の募金を呼び掛ける事は許可されないところ、今回の我々プロジェクトの活動に理解を示して頂き、また活動報告・決算報告をネットにて公にしている事を評価頂き、「ボラ」としての募金も認めて頂きました。このご英断に報いるため、全額を「ボラ」として頂くのではなく、「ギエ」との折半とする事と致しました。
  一方「パレットおおさき」でお客さまから頂戴した募金を「ボラ」「ギエ」に完全に二等分にしなかったのには次の理由があります。①本プロジェクトにおいて集められた「ギエ」=義援金の寄贈先は被災地現地にて活動を続けるボランティア団体とし、具体的にはこれまでプロジェクトのメンバーが現地活動を行うにあたりお世話になっている「チーム神戸」と「明友館」に限定しております。ところが震災から1年を迎えた現在、それぞれの団体は現地活動から撤退、あるいは縮小する事をすでに取り決めております。②従って、今後の「ギエ」については、それを現地被災者のために純然たる用途で用いられる団体を他に探す必要があります。③一方これまで当プロジェクトに寄せられた「ギエ」は上記2団体への寄付として取り扱う事を明示して参りました。④このため、3月11日の震災1周年の日を境に、それまでに当プロジェクトに寄せられた「ギエ」全額を上記2団体に寄付する事で清算し、この日より後に当プロジェクトに寄せられる「ギエ」は別の然るべき支援団体を見つけてから、そこに寄付することと致しました。⑤現状では「ギエ」は前回活動繰越金の15,338円であり、今回の「パレットおおさき」チャリティ公演に寄せられた募金 58,613円を完全に二分して(その場合 29,306円5分)、これに加算し、さらにこれを2団体に等分する事は煩雑を極める。⑥そこでパレットおおさきでの募金を等分(29,306円5分)に分け、これまでのギエ募金額(15,338)と併せたギエ金額(44,644円5分)のうち端数(644円5分)をボラに繰り入れた。これによりギエはこれまでの募金と今回のパレットおおさき募金を合わせて 44,000円となり、これを2団体に等分に寄付した。
  頂いた募金の使途につきましては別紙「決算報告書」にて改めてその内訳を明示致しますが、今回の活動終了時で残額 109,770円(内訳:ボラ 109,770円 ギエ 0円)となっております。これらは今回の活動繰越金として次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。関係者各位に対し、厚く御礼申し上げます。
  これに対してプロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。現在被災地支援対策として白河以北の高速道路について無料化措置が取られていますが、さらに引き続き石巻市災害ボランティアセンターから発給される「災害派遣等従事車両証明書」の認定を受けることで東京~白河間の高速道路料金も免除されております。しかしいずれも3月31日をもって制度の廃止が決まっており、今後の活動には困難が予想されております。
  宿泊につきましても今回は関係者のご厚意により石巻市および東松島市の個人宅に寄宿させて頂きました。また参加者のすべての食費はそれぞれ個人的に支出する方針を堅持しております。
  これにより今回の支出の内容は公演プログラムの印刷費、記録用ビデオテープ、などの事務雑費のほかはもっぱら交通費(ガソリン代)に限られることとなりました。また今回は「パレットおおさき」チャリティ公演の企画からコーディネート、さらには星空解説や石巻・大橋仮設団地公演にまで実演参加してくださった小林わかば氏の旅費(宿泊費)・交通費(新幹線代)はプロジェクトから支出することに致しました。氏はプロジェクトのメンバーではありませんが、今回の活動の企画から参加し、実演も行った貢献が多大なこと、また氏への支出がこれまでプロジェクトにお寄せ頂いた皆様の募金からの支出ではなく、「パレットおおさき」でお客さまから頂戴した募金からの支出と考えることもできるため、かような判断とさせて頂きました。
  今回の活動費の支出合計は「チーム神戸」および「明友館」への寄付金44,000円を含めて94,608円となりました。また活動とは直接関係ありませんが、銀行預金の利息として 3円の収入が発生しております。
  これらの結果、収支差額として109,770円の残金(「ギエ」は清算されたため「ボラ」のみの残金となります)出ました。これは次回の訪問の活動資金として活用させて頂きます。現状では来る3月31日をもってボランティアセンターから発給されていた「災害派遣等従事車両証明書」の廃止が宣言されており、今後の活動には資金的に困難な状況が予測されます。引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。
 「ギエ」につきましては、今後も引き続き募金を募りますが、金額がまとまってから、また現地で活動されている信頼すべき支援団体を見つけてからそこに寄付する予定でございます。

【成果と感想・今後の展望】
  プロジェクトとして4回目となる今回の支援活動では、石巻市・気仙沼市の以前から活動を続けている町での活動を充実させたほか、とくに宮城県大崎市「パレットおおさき」でのチャリティ公演が印象的でした。津波被害こそなかったものの、地震被害があり、また沿岸の被災者を多く受け入れている「被災地」でのチャリティ公演は初めての経験です。結果は150名の定員が満員となり、募金も58,613円という多額に上りました。単純計算でもお客さまお一人につき390円が寄付された事になり、さらに家族連れ、お子さんの参加も歓迎という館の方針を考えれば、1家族単位ではもっと多額の募金を下さった事になります。およそ東京や他県では考えられない数字で、被災地に向けられる宮城県民の感情を痛感するとともに、我々プロジェクトの活動の重要性も再認識致しました。また公演内容そのものも、プラネタリウムでの演能は初めての経験で、ピアノの山本実樹子氏の演奏もあり、芸術面でも大きな成果を挙げられたものと考えております。
  気仙沼市では、現地の児童ミュージカル劇団「うを座」の団員の子どもたちに2度目のワークショップが実現しました。元気な子どもたちの笑顔はいつもながら我々の活動に大きな励みとなっております。今回の活動がまず「うを座」の子どもたちとのふれあいから始められた事は我々の志気を大いに高めてくれました。さらに「うを座」の千田基嗣さんの尽力により、はじめて気仙沼の仮設住宅での上演が実現致しました。本吉町の大谷海岸そばの大谷仮設住宅がそれで、同日に行われた波路上地区の地福寺とともに激甚災害地です。どちらも八田はb6月から復興状況を見ている土地での上演は感無量のものがありました。わけても地福寺では大震災のちょうど11ヶ月目のその日その時刻に当たりました。これまでの活動でも11日に現地にいた事は1度もありませんで、この日はちょうど津波の襲来時刻15:26が公演準備時間に当たっていたため、急遽 紋付を着て震災犠牲者のために地福寺で作られたご位牌の前で 独謡一管『江口』を手向けさせて頂き、それより公演とさせて頂きました。地福寺の片山住職は復興のためのイベントなども数多く手がけておられ、我々プロジェクトの活動にも深い理解を頂くことができ、終演後は大変な歓迎をしてくださいました。また大谷仮設でも住民さんの手作りの「ナイロンたわし」を販売するプロジェクトがあり、少しずつではありますが、前へ進んで行く気力に大変感動致しました。
  大崎市「パレットおおさき」でのチャリティ公演につきましては上記でも多くご報告致しましたが、我々のみならず館としても、また職員個人としても大崎市民や沿岸被災地域のための活動を数多く行っておられます。とくに「パレットおおさき」では「絆プロジェクト」として市民のために家族の結束を高めるため、家族で星空を見る催しを開いたり、様々な活動を行っておられます。我々プロジェクトとも、今後とも共同して企画を進めて行く予定であります。
  石巻では大橋仮設団地と、これまた初めて石巻市の仮設商店街での公演が実現しました。大橋仮設では大勢の住民さんが集まってくださり、楽しい時間を過ごすことができました。わけても小林わかばさんが解説として出演、写真撮影なども勤めてくださり大活躍。また、仮設住宅での上演の方法もようやく一つの形を成したのはこの場所での公演だったと思います。仮設商店街である石巻立町復興ふれあい商店街での公演は、店舗が小さいため屋外での上演となりました。こちらは湊小学校避難所時代からご一緒に活動している曹洞宗庄内青年会のみなさんが7人もお出で下さり、炊き出しボランティアに精を出されました。あとで聞いたところでは、やはり熱心で柔和なその活動ぶりが大変好評だったそうです。また商店街を応援しておられる石巻商工会のみなさんとも大変懇意になり、さらには商店のみなさまからも大変お喜び頂くことができました。こちらでは大変に強い絆が生まれたと感じております。どれも地元の方々との信頼関係が生まれたからこそ実現できた事と感謝しております。
  報道につきましては今回の活動では気仙沼・大谷仮設住宅での公演が「三陸新報」紙によって報道頂いたほか、気仙沼・地福寺公演と石巻立町復興ふれあい商店街公演が事前に予告記事や広告として掲載され、さらに石巻立町商店街の公演についてはその後「」紙においてお客さまからの感想文が寄稿されました。地元のみなさまに次第に受け入れられている実感を思い、感無量です。
  しかしながら、当地の現状は必ずしも楽観を許さないのは前回と同じ感想で、むしろ状況はより悪くなっているように思います。被災者の収入の問題、仮設での孤独の問題、食料支援などボランティアの減少や受け入れ態勢の削減化、世間の被災地への関心が薄れてゆく予想。3月11日を過ぎて被災地がどう動いていくのか。今後も支援を続けていけるよう努力を重ねてゆく所存です。どうぞ今後も変わらぬお力添えを賜りますよう伏してお願い申し上げます。

平成24年3月5日

                         「能楽の心と癒しプロジェクト」
                            代表   八田 達弥
                            (住所)
                            (電話)

【新聞報道・広告記事】

三陸新報<2012.02.08>



三陸新報<2012.02.08>



石巻かほく<2012.02.12>



河北新報<2012.02.20>


気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その14=旅の終わり)

2012-03-10 00:01:00 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~今日は予約投稿です。これがアップされる頃、ぬえはまたまた石巻にいるはずです。明日は震災から1年となるその日ですね。みなさんはどこで過ごされますか? …ぬえは湊小の追悼集会で、やはり能を舞っております。。

さて2月13日、立町復興ふれあい商店街での公演を終えると、商店街のお店の方々からいろんなプレゼントを頂いてしまいました。分けてもこれ! 復興ふれあい商店街の中の「戸田海産物店」さんから頂いた 昆布やわかめ、ひじきの詰め合わせ。激ウマ!でした。そういえばこの前日に気仙沼本吉町のお寺・地福寺のご住職からも「この時期は海草の類が旨いんですよ。昆布なんて こちらじゃ しゃぶしゃぶにして食べるんですよ?」なんてお話を聞いていました。

まあ。。三陸で ぬえが食べたおいしいもの、といったら秋の気仙沼で頂いたカツオの衝撃的な旨さが忘れられない。それに、地福寺さんでもこの時期では食べられない旬の食材の話になって、まずウニでしょ? それからアワビ。。とそんな豪華な話になってしまいました。いつもそんな高級なもの食べてんのかいっ! それから比べれば「いまは海草」なんて言われると急に、なんだかみじめな、損をした気分になったのでした。ところが東京に帰ってこれを食べたら、その旨さにやっぱり衝撃を受けちゃいました。あなどるなかれ、三陸の海産物。これは今回おみやげに買って帰るつもり!

やっぱり夕方になって、今回の訪問もとうとう終わりになりました。気仙沼の「うを座」の劇団員の子どもたち、大谷仮設のみなさん、地福寺のご住職と住民さん、石巻の大橋仮設のみなさん、大崎市プラネタリムにお出で下さったみなさん、立町復興ふれあい商店街のみなさん。それから関係者の明友館、チーム神戸、パレットおおさきのみなさん、「うを座」や会場を提供してくださった南町紫市場仮設商店街のみなさん、大変お世話になりましたっ!

で、最後にコイツを。

ぬえのお得意、みんなで「おすまし」画像です。

「うを座」の子どもたちも…



大橋仮設のみなさんも…



明友館の千葉恵弘さんも…



曹洞宗庄内青年会のお坊さんも…



なぜか言われないでも「おすまし」する人も(笑)



笑えばみんなハッピーですじゃ!


気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その13=加藤昌人さんとの再会)

2012-03-09 00:28:05 | 能楽の心と癒しプロジェクト
こちらはカメラマン・加藤昌人さんの写真。今回は東京から撮影に駆けつけてくださったYさんのほか、シギー吉田さん、そうしてこの加藤昌人さんと、3人もの個性的なカメラマンさんとご一緒になった訪問公演でした。

加藤昌人さんは千葉県に在住で、やはり湊小でずっと活動を続けてこられました。人呼んで「記念写真屋さん」。被災地で記念撮影!? そうなんです。そうして加藤さんは被災者にカメラを向けない写真家。…ますます訳が分からなくなってきますね。

じつは加藤さんは ぬえが初めて湊小に行ったその日にお会いしているのです。去年の7月1日、何も分からない状態で石巻に行き、明友館の千葉恵弘さんのご紹介でチーム神戸を頼って湊小避難所に赴いて1日中床掃除をして。その夕方にテノール歌手の小栗慎介さんのミニ・コンサートに飛び入り出演をさせて頂いた、その時。加藤さんは住民さんたちにコンサートの写真を撮ること、住民さん方も写り込むだろうけれどもお顔は決して撮りません、というような事をお伝えして、そうして写真を撮り続けていらっしゃいました。

次に加藤さんにお会いしたのは、元高校教師で、やはり湊小の支援をしておられる松田隆夫さんが主催して9月に東京で開かれた写真展『津波が来た学校 ―石巻・湊小学校―』でのこと。ツイッターで見つけたこの情報をもとに見に行くことを決めた ぬえはチーム神戸のリーダーの金田真須美さんと連絡を取ったところ、「カトウさんによろしく」ということでした。それが誰か分からないままに写真展に行った ぬえ。お会いして「ああ~~っ、あのときの。。」加藤さんもすぐに気づいてくれまして、ここで長くお話をさせて頂き、湊小のこと、石巻のこと、そうして加藤さんの撮影スタンスについて、あらゆる情報を頂きました。

このへんの経緯はこのブログの記事、写真展「津波が来た学校」(9/4~9/9 東京・吉祥寺)(その2)に詳しく書いておきましたので、加藤さんのスタンスについてもこちらをご参照ください。

そういえばその後、ぬえが「能楽の心と癒しプロジェクト」を立ち上げてから、活動の原点となった7月1日の湊小避難所での飛び入り出演の映像や画像が欲しくなりまして、そのときそこにおられた加藤さんに伺ってみました。「あの時、写真を撮っていませんか?」お答えは「いいえ、撮っていません」。。なぜか。「だって、私は飛び入りだったあなたに撮影してよいですか?とお聞きできませんでしたから」。。ごもっとも。無断で人の写真を撮らない、という加藤さんの固いスタンスであるのです。その後は加藤さんとは年末にも石巻でお会いしましたし、ずっと懇意にして頂いております。

で、この日、石巻・立町復興ふれあい商店街に ぬえが出演することは加藤さんにもお伝えしてあったのですが、加藤さんのスケジュールと ぬえの上演時刻が、じつはこの日初めて重なり、加藤さんは ぬえの上演の撮影に来てくださいました。

装束の着付けもほぼ完了した楽屋(仮設商店街の空き店舗)に、突然顔を出した加藤さん。ああ~、お久しぶりです~、とご挨拶したら、加藤さんはにっこり微笑んで ぬえにこう言いました。

では ぬえさん、『今日は ぬえさんのことを撮影してもいいですか?』(*^。^*)

ああ~、この日をどんなに待ったことか。

『はい、結構です』(#^.^#)

こうして撮って頂いた写真がこれ!















この日は東松島で能面を打っておられる木村健人さんとも知り合い、実り多い1日となりました。

気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その12=立町ふれあい商店街~曹洞宗庄内青年会のみなさんと)

2012-03-08 20:53:41 | 能楽の心と癒しプロジェクト
プラネタリウム公演を終えて、大崎でラーメンを食べると、地吹雪の中一路石巻に戻りました。スーパー銭湯で汗を流すと「みなと荘」の明友館さんに2泊目のお邪魔をして、明友館の千葉恵弘さん、斉藤良太郎さんのお二人と深夜まで談笑して、ようやく眠りました。

翌朝、2月13日は ぬえにとってはちょっと寝坊気味の朝6時起床。大崎とこの石巻の活動の最終日の撮影に東京から駆けつけてくださった写真家のYさんと待ち合わせてまた女川の被災地に向かいました。マリンパル女川や周辺の様子…ぬえにとっては前日と同じ場所を廻りましたが、思い立って雄勝公民館に行ってみることにしました。

これが雄勝公民館。津波によって観光バスが屋上に乗り上げていることで有名な場所ですが、まだ ぬえは訪ねたことはありませんでした。ところが笛のTさんの情報で、近々この観光バスは撤去されるのだそうです。震災から1年近く経ってようやくこちらも復旧に向けて動き始めたようです。そこで撤去される前に一度見ておこうと思いまして。

なんだか不思議な光景ですね。公民館の建物も観光バスも、一見すると無傷のように見えます。ただ、誰かのいたずらで ちょい、とバスを乗っけたような。。

さて本日は石巻の中心部、立町(たちまち)にある「復興ふれあい商店街」で、今回の訪問では最後の公演がありますので急いで戻らねばならない。。のですが、そうして道を急いでいると、いつしか周囲は見慣れた風景に。「ここは。。?」。。なんとそれは大川小学校のすぐそばでした。全校児童のうち7割近くの犠牲者を出した悲劇の現場。ぬえはここには、またしても偶然に通りかかったのでした。。



前回ここに来た時は気づかなかった…いや、まだあの頃は学校の周囲にはうずたかく瓦礫が積み上げられていましたから、ここまでたどり着けなかったのだと思いますが、東北が生んだ偉人・宮沢賢治の言葉とともに世界中の子どもたちが手を繋いでいる壁画があったのですね。。



石巻に戻って、明友館に運び込んだままになっていた伊豆の子ども能のママたちからの支援品…お菓子やおもちゃ、体操着などを千葉恵弘さんに引き渡し、それから今日の公演会場である「立町復興ふれあい商店街」に向かいました。



到着してみると、すでに曹洞宗庄内青年会のみなさんはテントの中で炊き出しのご準備中でした! …覚えていますか? 曹洞宗の山形県からのボランティアのお坊さんたち! 渡辺祥広さんがリーダーとなって、ぬえなんかよりずっと以前から湊小に通い、住民さんたちに茶菓をふるまいながらお話相手になっておられる方々です。ぬえは9月にはじめて湊小で渡辺さんたちと一緒に活動させて頂いて、その謙虚な振る舞いにいたく感激したのでした。ぬえなんぞが煌びやかな装束をまとって舞をお目に掛けるのとは対照的に、作務衣を着て楚々と水菓子を勧めておられる。。その姿は本当に清くて美しいものでした。以来、ぬえは石巻に行く計画ができるたびに渡辺さんに連絡を取って、ご一緒に活動できないかお伺いしております。

前回、年末に石巻で活動した際にも渡辺さんはご多忙のところ単身でお出ましになり、ご一緒の催しを行いましたが、今回はなんと総勢7名のお坊さんたちが集まってくださいました。



「立町復興ふれあい商店街」は、市の中心部に作られた仮設商店街です。もとは駐車場だったようですが、ここをつぶしてプレハブの仮設の建物を造り、ここで被災した店舗の仮営業を再開させる、というもの。なんといっても現地で今必要なものは仕事、雇用なんですよね。生活の再建のための第一歩。でも、いくつか仮設商店街を見てきましたが、このような良い立地での営業再開は、本当に幸運。。稀有な例だと思います。


気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その11=プラネタリウム公演の開演)

2012-03-06 23:30:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この金曜日から ぬえら「能楽の心と癒やしプロジェクト」では石巻を訪れて参ります。ぬえにとってはこれが6度目の訪問になります。ほかにも様々にやる仕事があって、それらをこなしながら準備を進めているのですが、遅々として捗っていまへん。。石巻の関係者とも折々連絡を取り合っていますが、そんな時に出る話題の中には厳しい石巻の現状を想像させるものもありました。。今、ぬえは心が痛いです。

でも一方、伊豆の子ども能の保護者のお母さん方から絵本やらおもちゃやら ぬいぐるみやらが大量に寄贈されました。いまレイちゃん(←愛車)は おもちゃ満載。(^_^; これらは仮設住宅の集会所に寄贈してくるつもりでおります。あ~、少し心がやわらぎました。

さてプラネタリウムでは。。

ぬえは当初、ここでの公演の話が出た時、星空の下で舞う能のロマンチックな部分ばかりを考えていたのですが、パレットおおさきの遊佐さんらスタッフの意向としては「年齢を問わず、家族連れでも楽しめる催しにしたい」とのことで、急遽プロジェクトの中の狂言チームの重要性が増してきました! 「星と能楽の夕べ」というタイトルの公演は、まず狂言方・Oくんのアイデア満載のオープニングで開演。能楽ミニ・ワークショップと、それに引き続いて狂言『神鳴』の上演でした。なるほど、天空の話につなげるにはピッタリの選曲だし、なにより面白いですからね。武悪の面を掛け、鞨鼓を腰につけた神鳴さまって姿も楽しいし、それが天から落ちて腰を打ち、医者に治療してもらう、という発想がなんともユニーク。



ここまでを明るいままのプラネタリウムで上演し、これからいよいよ星空の投影になります。ぬえは『羽衣』の装束をすでに着けていて、ずっと楽屋でスタンバイ。。とは言ってもなんせ人手がない楽屋ですから、ぬえも『神鳴』のシテの面を着けてあげたり、出番まで何かと立ち働いていますので、自分が面を掛けるのは出番の少し前。

星空の投影では幽玄堂さんのアナウンスにより星座のお話がされました。それも「星と能楽の夕べ」というタイトルに合わせて、日本で古来親しまれてきた星座の呼び名などのお話です。やがて山本実樹子さんのピアノの演奏が始まります。最初は幽玄堂さんのアナウンスの影にいるように、やがてソロの演奏になります。

ぬえも暗闇に目を慣らすためにこの頃に面を掛けて舞台袖で床几に腰掛けてこの演奏を聴いていました。ああ、星空の下でのピアノ。。なんて美しい。。って、何にも見えないじゃん! 。。こ、ここまで暗いのか。。



→山本実樹子さんのブログピアニスト山本実樹子のmiracle日記
の当該記事

ピアノ演奏から、幽玄堂さんは月に住む天女のお話へ。ぬえも『羽衣』の本文をはじめて読んだときに、この白衣黒衣の天人の話を知って、古人の想像力の豊かさに感激したものでした。やがて笛の一管の演奏となり、これに引かれて ぬえが登場する、という段取りで、さて歩み出したのですが、やはり中央が、大小前の位置がよくわからない。。まあ、ままよ!と正面に向きましたが、よくわからないけれど大体合っているみたい。正面も暗闇の中でライトだけがまぶしく目に入り、中央の見当をつけるために正面に吊しておいた小さなランプが頼りですが、これも時々見えるか見えないか。だいぶ不安を抱えながらですが、舞い始めました。



ここに客席のシートの出っ張りがあって。。ここは袖をぶつけるような突起があったな。。なんて考えながら舞いますが、後ろを向いたら壁に当たっている照明が描く5つの光の輪を数えて、それで中心を見定めるという離れ技。頭の中ではコンピューターがフル回転です。とは言っても ぬえの頭の中のコンピューターは文系ですから計算は苦手。一度床の突起につまづいてしまいました(!)。何とか体勢を立て直しましたが冷や汗が。。文系PCはGPS機能を持たない役立たずでした。そのうえ大変なのは、客席が急勾配のプラネタリウム特有の舞台構造。ぬえはその最低部で舞うことになりますから、すべての型を上に向かって行わないといけないんです。ぬえは上へ45°傾きながらのサシ込や招キ扇というのは、ここで初めて体験しました。

ん~、でもやっぱりロマンチックですわね~。序之舞の神秘的な印象がこの暗闇によく合っていると思います。お客さまには星空が見えているんだなあ。。と思って気持ちよく舞っていました。が。。気持ち良すぎて序之舞を一部省略したのさえ忘れて、フルバージョンの序之舞を舞ってしまうところだった。お笛がなんとか合わせてくれまして事なきを得ましたが。。すいませんでした~。ここでも文系PCは感傷にひたっちゃってフリーズしていたんですね。。

こうして『羽衣』の上演を終えて、すぐに面をはずしてカーテンコールのため再び舞台に出ました。もちろん本来の能楽の公演ではあり得ないことで、またこういうロマンチックなイベントでは興醒めでもありましょうが、入場無料のチャリティ・イベントですから、我々の活動も知って頂き、応援をして頂きたいのです。ここで ぬえたちがこれまで石巻や気仙沼などで続けてきた活動のこと、被災地の現状、これからの視点などを ぬえからお話し、募金へのご協力を呼び掛けました。大崎市だって震災の被害を受けた被災地ですが、沿岸地域の津波被害は内陸部とは比べものにならないですから。。



同じく石巻などで独自の活動を続けられている山本実樹子さんにもご自身の活動について語って頂きました。山本さんは絵本やCDなどを作ってその収益を被災地に贈る活動もされていて、今回もその活動をされていました。お一人での来訪でしたから、終演後はすぐにロビーに行って。。多忙な1日でしたね~

ぬえからはまた、客席の最後部、一番高いところにあるプラネタリウムのコンソールにいる幽玄堂さんを、この企画のコーディネーターとしてご紹介。そして出演者ではないけれど、第4のプロジェクト・メンバーとして、同じくコンソールにいる「パレットおおさき」のスタッフのみなさんをご紹介しました。前述したと思いますが、「パレットおおさき」の職員さんは独自に石巻などで支援活動を行っておられ、館としても「絆プロジェクト」として大崎市民のために活動をされておられます。そして何より幽玄堂さんの企画に、ぬえたちの活動に惜しみないご協力を頂いたのですから。

お客さまからは喝采を頂きました。喜んで頂けたかなあ? …ところが終演後に楽屋に届けられた募金箱の中を見てびっくり! プラネタリウムの定員が150名なのに、集まった募金の総額はなんと 58,613円でした(!!)満員と考えて単純計算で割ってみてもお客さまおひとりにつき390円の募金を頂いた計算になります。お子さんも多かったし、なにより募金ってのは100円とか小銭が集まるものだとばかり思っていましたが。。笛のTさんは「やっぱり東京でやる募金とは違う。。ここの人たちにとって津波の被災地は人ごとではないんだね」と感慨深げでした。ロビーではアンケートも集められていたそうです。結果はまだ ぬえには伝えられていませんが、いまから楽しみにしています!



今回のプラネタリウム公演「星と能楽の夕べ」は ぬえにとって忘れ得ない経験になりました。ご協力頂いたみなさん、幽玄堂さんやパレットおおさきのみなさん、山本実樹子さん、そして何より寒い中を集まって頂いた大勢のお客さまに心より感謝を申し上げます。

…外に出てみたら。。地吹雪でした。


気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その10=大崎市・プラネタリウム公演)

2012-03-06 02:45:33 | 能楽の心と癒しプロジェクト
お待たせしましたっ

今回の宮城県訪問活動のメイン・イベント、大崎市でのプラネタリウム公演がこの日(2/12)の夕方に「パレットおおさき」の愛称で親しまれている「大崎生涯学習センター」で開かれました。こちらはマニアックな批評眼をお持ちの能楽愛好家(こ、これで肩書きはいいのかな~?)・幽玄堂さんのプロデュース・コーディネートにより実現したチャリティ公演です。ぬえもこれでもう半年以上東北支援公演を行っていますが、東北地方で本格的なチャリティ公演をするのはこれが初めて。

幽玄堂さんは今年のはじめにも近藤乾之助師をお招きして東京のプラネタリウムで謡を聞く会を催されていますが、これも震災チャリティの催しでした。ぬえはかなり以前から幽玄堂さんを存じ上げておりますが、まさかプラネタリウムに太いパイプを持っているとは知らなんだ。。と思ったら、なんでも流星の研究会の会員でもあって? なに? 近藤先生とは割と懇意で? …アナタは何者ぢゃ??

そんなワケで、この東京での催しの準備を進めている過程で「パレット大崎」のプラネタリウムに勤務される遊佐徹さんと意気投合し、宮城県・大崎市でもプラネタリウムで能楽公演をしよう! と盛り上がったらしい。そうして宮城県であるならば、と、当地で活動を続ける ぬえにオファーを頂いたのでした。最初にこのお話を聞いた瞬間、ぬえの心の中にはバーッと星がきらめいて。その下で舞っている『羽衣』の天女の姿が自然にイメージできました!…『羽衣』で天女が舞っているのは昼間のはずですけれどね…(^_^;

それにしても、プラネタリウムの星の下で舞えるなんて、なんてロマンチック! こういう素晴らしい企画を ぬえに与えてくださった幽玄堂さんには感謝です~

で、幽玄堂さんとは連絡を取り合いつつ、昨年のクリスマスの頃から元日にかけて行った東北での活動の際にも ぬえと笛のTさんは「パレットおおさき」に伺って、綿密に打合せをし、また今回の活動でも初日の気仙沼での催しの前にまず当地を訪れて機材のチェックや場当たりなどを致しました。

ところがこの機材チェックで大問題が発生しまして。詳しくはすでにこのブログで今回のご報告の冒頭でお話させて頂きましたが、要するに暗闇を必要とするプラネタリウムの星空の投影の前で、スポットを浴びて ぬえが舞うなんてのは矛盾ですね~。そもそも、こんな暗い場所で能面を掛けて舞おう、ってのが考え方として無理があるのでした。

とはいえこの打合せをした2月10日の、その2日後には本番がやってくる。いや、それより前に心配すべきは、この日の夜には気仙沼で能楽ワークショップが予定されていることでした。館の遊佐さんとも意見やアイデアを出し合っていろいろと試行錯誤して、その結果、ふだんは星空の投影の補助に使うような小さなランプを駆使して、星空も、その下で舞うシテの姿も見える絶妙のバランスの照明が用意されました。これを確認したところでもう時間切れとなり ぬえたち2人は気仙沼にに向かい、あとはプロジェクト狂言チームと幽玄堂さんがこの翌日に当地で会場の下見と準備を行う予定になっているので、この日は ぬえたち能チームの意向だけをお伝えしてあとの仕上げはお任せ、ということになりました。

ここまでがこのプラネタリウム公演の実現に向かう準備段階のお話。

この日、2月12日に「パレットおおさき」に入った ぬえらは狂言チームとも合流し、急いで上演の準備に取りかかりました。この日の公演では、大晦日に石巻の開成仮設団地でご一緒したピアニスト・山本実樹子さんにもゲストとして出演して頂いたのですが、こちらも準備に余念なく。。とはいえ「パレットおおさき」のプラネタリウムにはアップライト・ピアノしか設備にはなく、ご無理を我慢して頂いたと思います。

さていよいよプラネタリウム公演の開演です。。




気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その9=大橋仮設住宅…写真家シギー吉田氏との出会い)

2012-03-04 11:47:25 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この写真、良いですよね~。「心」が写っている。。
この写真を撮ってくださったのは、石巻市の大橋仮設住宅で出会った写真家・シギー吉田氏です。

大橋仮設団地は、昨年末に行った巨大な開成仮設団地とは比べられないけれど、とても大きな仮設住宅でした。





まずは自治会長さんにご挨拶して早速に会場となった集会所で公演準備。幽玄堂さんは上演する『菊慈童』の曲目解説などの役で出演して頂くことになりました。ここでも面装束や扇などの展示品を並べると早くも開演時刻が迫っていて、すぐに装束の着付け。



いつもそうなんですが、公演準備までは ぬえが一番忙しいと思いますが、装束を着付けてからは笛のTさんが超多忙になります。お客さまへのご挨拶から演目解説、上演では笛を吹き、いやその前に ぬえの着付けの仕上げとして面を掛けるのを手伝って頂いたりもして頂くし、終演後も ぬえが控室に帰って装束を脱いでいる間に またまた能楽ミニ・ワークショップをしなければなりません。。いやいや違うな、上演前に ぬえが装束の準備をしている間にもTさんは会場の周囲にチラシを貼りに行ったり、会場の入口にプロジェクトの活動の説明版を置いたり。。あ、だいたいチラシもすべてTさんが作成から印刷手配まですべてやっているんだった。ぬえはこういうの無能ですから手伝っても足手まとい。。申し訳ないです~~(×_×;)

こうして装束を着けた ぬえが出番を待っていると、控室は集会所の入口なのでお客さまが次々に入って来られます。ぬえはわざとアコーディオン・カーテンを開けて、面は着けていないけれど装束が着いたままの姿で「どうぞどうぞ」とご案内。だいぶ驚かれました。お客さまは住民さんだけではなく、この日ずっと集会所に物資を運び込んでおられた黒人のボランティアさんたちも物珍しそうに入って来られます。あとで伺えば、クリスチャンのボランティア・グループの方とのことでした。

さて上演になったのですが、この日の公演ではさらにもう一人のゲスト? が。それは年末に石巻市役所で公演をした際に声を掛けてきてくださった石巻市民の相澤利喜子さんで、今後も石巻で活動されるのであれば連絡が頂きたい、とご丁寧にご住所を教えてくださいました。今回も例によってバタバタと旅行準備をしていましたので、出発直前にご案内のハガキを出させて頂いたのですが、なんとこの大橋仮設団地と、翌日の石巻市・立町(たちまち)復興ふれあい商店街(仮設商店街)での公演にどちらもお出ましになりました。それならっ、というわけで、この日は急遽『菊慈童』のお後見をお願い致しました。「ええ~~っ」と驚いておられましたが、まずまずお上手に勤めて頂きましたよ~ (^^)V

終演後、これまでの仮設公演で思ったことを実行。それは面を外して装束の姿のままでのお客さまtの記念撮影で、これは盛り上がりました! 幽玄堂さんもTさんと一緒に解説をしたり、上演中は撮影にまわってくれたりと大活躍。







その後 ぬえが着替える間にTさんの能楽ワークショップ、続いて洋服になった ぬえが扇などをお見せして日本文化について解説する、という、これもそろそろ恒例になってきた段取りで進み、予定時刻をだいぶ過ぎて終了しました。

終了後に今回の話題、シギー吉田さんからお声を掛けられ、撮影した写真をお届けします、とのことでした。吉田さんは高校時代にラグビーの練習中に首の骨を折り重体となり、一生車椅子の生活と診断されたもののリハビリによって奇跡的な回復を遂げ、その後出会った写真撮影の道で「松葉杖のカメラマン」として活動されています。

その時は「逆境に抗ってがんばっておられるんだなあ」と思った程度だったのですが、送られてきた写真を見てびっくり! こんな良い写真を撮る方がおられるのですか~!

→シギー吉田さんのサイト SHIGGI XXX

で、タイトル画像と下記の写真がシギー吉田さんの写真です。(二次利用を防ぐため、クレジットは ぬえが入れさせて頂きました)










子ども創作能 上演写真が出来てきましたよ!

2012-03-03 02:09:54 | 能楽
去る2月18日に大仁神社で行われた「おおひと梅まつり」に参加した子ども創作能。

本番の写真が出来てきました!
撮影は子ども能をずっと撮影してくださっているYさんです。ありがとうございます~

まずは仕舞『小袖曽我』。難しい仕舞に、個人的にもお稽古をしてくれている みーちゃん(中1)とひとちゃん(5年)が勤めてくれました。



『小袖曽我』は子どもには難しい仕舞ですが、伊豆に関係ある曲だし、お稽古を続けている二人をあえて抜擢! お稽古は大変だったようだけれど、当日は立派に舞ってくれました。とくにみーちゃんは中学生になったのに子ども能を一生懸命続けてくれています。この日も子ども能『伊豆の頼朝』では北条時政の役を勤めてくれました。仕舞が終わってすぐに装束を着けて。。忙しい日でしたね~(いまはテスト中なんですって。がんばれ~)

続いての仕舞は『竹生島』。勤めたのは仲良し三人組のゆかべ、いちい、りさべです。ともに小4生ですが、なんと去年の4月から同じ学校で同じクラスになりました。学閥かっ?? しかも先日までは いちいが学級委員を勤め、そのあと現在はりさべが学級委員なんですって。エリートかっ??



で、始まりました! 子ども創作能『伊豆の頼朝』! まず登場するのは頼朝(ゆいぴ=5年)、北条政子(カホちん=6年)、北条時政(みーちゃん=中1)の源氏軍。高倉院から挙兵の宣旨を受け、後白河法皇からも院宣を賜って、善後策を相談します。



ついに挙兵を決意した頼朝は、伊豆山神社、三島大社、そして遙かに都の石清水八幡宮を遙拝して戦勝を祈願します。見よ! ゆいぴのこの眼!



ちなみに石清水八幡宮はこちら! この1月に参詣して参りました。さすがは戦さ神。拝殿の前に矢が。。



頼朝が出陣を決めると政子も氏神の守山八幡宮に歌を捧げ、舞を奉納します(このへんから台本は史実を離れた ぬえの創作になります。。)



さて一方こちらは平家の伊豆目代・山木兼隆。大役を勤めるのは なんと今年ぴかぴかの1ねんせいになったばかりの たけちゃん! 「伊豆の国市子ども創作能・ちっちゃいものクラブ」のメンバーだけあって(←うそ)腰帯がデカく見えること。子方用の腰帯を用意しなきゃ。。



ちょうど三島大社の祭礼の日にあたり、警備が手薄になった8月17日、源氏軍は山木邸に押し寄せます。



不意を突かれた平家。それでも郎党は太刀を抜いて奮戦します。平家の郎党はサラ(4年)と、やはり1ねんせいのさきべ。三人とも立ち方は初めてだけど、どうしてどうして堂に入っているじゃありませんか!



そして源平入り乱れての白兵戦! ちゃあんと1対1の斬り組みもあります。



平家の郎党が討ち取られ、ついに頼朝と兼隆の一騎打ち! 史実ではありませんが、やっぱボスキャラは最後に出ないと。(笑)



で、ここが『伊豆の頼朝』最大の見せ場の兼隆の側転です。さすがに能に側転なんて型はないのだけれど、見せ場を作るのに悩んで、2年前に いちいの兄貴のライチが兼隆を勤めたときに「何かみんながビックリするようなこと、できない?」と聞いて、それで側転に決まったのでした。この側転をやりたいために子どもたちの間では毎回 兼隆役が一番人気です(笑)



ついに兼隆は捕縛され、連行されて行くのでした。ん~全体としては『正尊』ですね。これは。毎年改作の手を加えているんだけれども、初演時には史実に忠実に作りまして、『正尊』は念頭にあったものだから、頼朝は前場では読み物まで謡う場面を作ったものでした。



終演後はみんなそろって舞台の上からご挨拶~。みんな良くできました!



ここからは当日のスナップ集。
まずは楽屋で装束を着付けられる たけちゃん。



終わってからピストルのおもちゃを買ってもらってガッツポーズの ゆいぴ。なんでやねん。



動けば腹が減る。腹が減れば出店で買い食いをしたくなる。だが、なぜ焼き芋なのだ。焼き芋片手にピース! はいはい、お嫁に行く時に結婚式の「思い出ビデオ」で写し出してもらおうね~。



かくして「梅まつり」公演は無事に終了しました。正直、そんなに期待していなかったはずの1ねんせいの大活躍で あっけに取られた ぬえ。今年は「頼朝挙兵830年祭」ということで伊豆の国市で大々的に盛り上がるようで、子ども創作能もなんと! 鎌倉公演まで予定されています。乞うご期待!

気仙沼・石巻支援公演、行って参りました(その8=女川町と石巻・大橋仮設団地)

2012-03-02 10:50:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
早朝の万石浦。美しい夜明け。寒いのは半端ないですけどね~。水面には氷が浮いていました。

こちらも8月からずっと見守っている女川町の中心部。マリンパル女川というとても立派な観光施設が港に面して建っているのですが、地盤沈下でその敷地の大部分は海中に没してしまっています。



女川町も瓦礫の撤去はだいぶ進んでいましたが、マリンパルはそのまま。。ここは駐車場? いいえ、ここはお土産屋さんなど小さな店舗がたくさん出店していたショッピング・コーナーだったそうです。



2つある建物の1棟ではこのように少しずつ内部も片づけられ始めているのですが、建物の周囲が水没して近づけないもう1棟はデッキの瓦礫もそのまま残されていました。
それどころか、ずっと気が付かなかったのですが、この二つの建物は空中に架けられた回廊によって繋げられていたのですね。それがすっかり落ちてしまい、跡形もなく流されてしまったのでした。



こちらも同じく横倒しになった建物。横倒し、というのが女川で見た被害の特徴的なところですが。。地盤の関係によるのでしょうか。そのような建物もだいぶ少なくなったとはいうものの、まだまだ残っています。もう観光地のようになってしまった横倒しになった交番。







公演時間も迫っていたので急いで石巻に帰りましたが、途中で「木の屋水産」の巨大な鯨缶詰や湊小学校なども見て回りました。どれも年末に見たまま。。そうして、それらはみいんなうっすらと雪化粧をしていました。

さて明友館でTさんを拾って、すぐに石巻駅へ。う~寒そう。駅舎の屋根の上を飛んでいるジェットも風邪ひいちゃいそうですね~





じつは今日は大橋仮設団地での公演には、この日の夜に予定されている大崎市のプラネタリウムでの公演をコーディネートしてくれている幽玄堂が参加したのでした。幽玄堂はこの前日はプロジェクトの狂言チームと一緒に大崎市で打合せと公演準備をしていてくれたのですが、被災地での能楽の活動を実際に見たいという希望があったので、今朝は早起きして石巻に来てもらって ぬえたちに合流し、ご一緒に大崎仮設へ向かうことになりました。

まずは石巻まで来たのだから、被害地域を見て頂かなくてはなりません。まずは元旦に舞囃子『高砂』を奉納した住吉大島神社に参拝してから門脇や湊、鯨缶を見て、それから大橋仮設団地へ向かいました。

大橋仮設団地は、石巻の市街地の少し北寄りの開北橋のたもと。。石巻消防本部の建物のとなりにある、大型の仮設団地です。今回の公演場所は「集会所1」。大型の仮設団地だけあって集会所も複数ありますね。逆に仮設団地の規模によっては集会所ではなく「談話室」という小さな施設があったり、それさえもない小さな仮設団地もあります。

避難所が仮設住宅に移行して以来、ぬえたちはこのような集会所で公演を行っているわけですが、こういう広いスペースがないと どうしても能楽の上演は難しい。本当ならば、集会所も談話室もない小規模の仮設住宅こそ支援の手が差し伸べられないのであって、ぬえたちも手厚く支援を行いたいところではありますが。。しかしボランティア団体の中には、こういう小規模仮設ばかりを廻って支援を続ける人々もあります。う~ん、幅広い人材がこの土地に来ているのですね。