ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『井筒』~その美しさの後ろに(その12)

2007-08-31 00:59:12 | 能楽
思い出だけに生きている。。結局前シテが言っているのはそういう事なのでしょう。すでに紅入唐織を着た若い女性の姿からはかけ離れたような物言いで、そして夕暮れ時に彼女が現れた理由が、塚に供えるための水を運ぶこと。。すなわち墓参りなのです(今回のおワキのお流儀の詞章ではシテは水を運ぶだけではなく、花を供え香を焚いている、と言います)。『井筒』の舞台面の美しさは表面的なものにしか過ぎず、この曲の影には、つねに「死」のイメージが重ね合わされている。。この次第~サシの詞章がそのことを物語っているのに、巧妙な作詞によってそれがうまく隠されているように思います。

ところが、それに続く「下歌」「上歌」では一転して仏の救いに一筋の光明を求める彼女の心が描かれています。

シテ下歌「ただ何時となく一筋に頼む仏の御手の糸、導き給へ法の声
 上歌「迷ひをも。照らさせ給ふ御誓ひ。照らさせ給ふ御誓ひ。げにもと見えて有明の。行方は西の山なれど。眺めは四方の秋の空。松の声のみ聞ゆれども。嵐はいづくとも。定めなき世の夢心。何の音にか覚めてまし。何の音にか覚めてまし

「げに何事も思ひ出の。人には残る世の中かな」とサシで謡われた「世の中」という現実は、上歌で「定めなき世」と「夢」と表現され、夢であるこの世から仏の世界への覚醒を願う、という文章です。「何の音にか覚めてまし」はちょっと難解な表現ですが、「まし」は推量の助動詞で、「何の音であれば、この定めない世の中に生きている、という夢から覚めたものだろうか」という意味でしょう。「行方は西の山なれど」は仏教で常住の象徴とされる月が、目で見たところの変化をしながらも、絶えることなく常に西方浄土を目指して運行する様子、「眺めは四方の秋の空」はその月が発する光が穢土である現世をあまねく照らしている、の意。

この上歌、能にはよくある仏教的な彼岸志向の文章ですが、じつはここにも作者の「仕掛け」が施されているのではないかと思います。ここまで舞台が進行したところで、お客さまにはこの不思議な女性がどうやらただの人間でないことは察せられているでしょう(まあ、そう見えるかどうか、演者の力量にも左右されることではありますが。。)。そして いずれ露わになる通り、彼女はじつは幽霊の化身であるわけです。すなわち、すでに死の世界の住人である女が悟りを願っているのであり、それは彼女が救われない煩悩のためにいまだに仏の元に赴くことが出来ない「苦しみ」を言っている、という事になります。その煩悩の原因こそが「思い出」であり、そして私たちは知っているのです。彼女は後場で恋する男の衣冠装束を身につけて、男装して現れることを。。なんだか。。救われない。。

それにしても ぬえはこの上歌が大好きなんです。なんというか悲しく孤独なのに、一抹の光明を信じるけなげで美しい心。それがこの上歌にはうまく表現されていますね。これと もう一つ。『弱法師』のシテの上歌にも同じ清らかで無垢な信仰の心が現れていて、これもまた ぬえが好きな上歌なのですが、『井筒』の上歌は『弱法師』よりもさらに清澄な心が感じられて。

でも。。彼女、結局救われないんですよね。。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その11)

2007-08-30 00:06:54 | 能楽
本日、師匠に『井筒』のお稽古をつけて頂きました。まあまあ、今回はいつもの自習の成果が出たのか、あまり叱られるような事もありませんでしたし、またかえって ちょっとビックリするような着眼点のアドバイスを頂くことができました。これを活かしてさらに稽古を重ねてゆこうと思います。また今日は先輩が地謡を謡って下さったのですが、その地謡の質の良いこと! 同門ながら感心しました。

さてシテが次第を謡い終えると、地謡が低音でその文句を繰り返して謡います。「地取り」と呼ばれるこの謡は、次第の時には必ず謡われるもので、たとえば『羽衣』などでは能の中盤に「東遊びの駿河舞、東遊びの駿河舞い、この時や始めなるらん」と次第が挿入され、これは地謡が謡うので「地次第」と呼ばれていますが、この場合もやはり地謡はこの次第を謡ったあとに「地取り」を繰り返すように謡うのです。

次第の謡はときに「その能のテーマ」と言われる事がありますが、内容を考えると ぬえは必ずしもそうは思わないけれど、「地取り」があることによって、その文意が強く印象づけられるのは確かですね。「テーマ」というよりも、脚本に底流するもの、曲が終わってもお客さまの心には響き続ける問題提起のようなものが描かれているように思います。

ところで『井筒』のシテは次第で「暁ごとの閼伽の水。月も心や澄ますらん」と謡いますが、これによればシテは「暁」に水を運んでいる、つまりワキと邂逅するこの場面も「朝」という事になってしまいます。ぬえはそれではちょっと舞台設定としてはおかしいと思っていましたが、「あかつき」という音には「暁」のほかに「閼伽杯」という語もありますね。「閼伽杯ごとの閼伽の水」。時刻を明示せず、水を運ぶという作業の永遠性も連想させるこの謂いとしてこの句は読むべきでしょう。やはり荒廃した廃寺で旅僧が幽霊と出会うのは夕暮れ時がふさわしい。

次第を謡い終えたシテはついで「サシ」と呼ばれる拍子に合わない詠吟を謡います。

シテ「さなきだに物の淋しき秋の夜の。人目稀なる古寺の。庭の松風更け過ぎて。月も傾く軒端の草。忘れて過ぎし古へを。忍ぶ顔にて何時までか待つ事なくてながらへん。げに何事も。思ひ出の。人には残る世の中かな

とっても含蓄のある叙情性に富んだ言葉。ただ、「忘れて過ぎし古へを。忍ぶ顔にて何時までか待つ事なくてながらへん」という言葉はいろいろな意味に解釈できそうです。「人目を忍びつつ、いつまで待つ甲斐もないままに生き永らえるようとするのか」(新潮日本古典集成)「いったいいつまで、何の期待することもなく、生きながらえていようぞ」(日本古典文学集成)「いつまで待ってもかいがあるわけでもないの人目を忍んでいつまでこうして生きるのだろう」(三宅晶子氏・対訳でたのしむ)「待ってみたところでこれからさき、そのかいがあろうとも思われないのに、忘れきれずに偲んでは、いつまでこの世に生きながらえようというのか」(西村聡氏・皇学館大学紀要)「待つことなしに永らえられようか。とても永らえられない。待っているから生きている」(大谷節子氏・作品研究<井筒>上)と、最近でもいろいろな訳文が提出されているようですが、ぬえは「忘れ去られた昔の、いまでは人口にものぼらない小さな自分だけの幸せ。その思い出だけにすがって、いつかまたあの美しい日々が戻ってくる事を信じているのに、待つばかりの自分がここにいる。その日は来るのだろうか。それを疑ったら、自分の存在そのものがなくなってしまうのに」と読みましたが。。どうでしょう?

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『井筒』~その美しさの後ろに(その10)

2007-08-29 01:32:18 | 能楽
シテの面は、『井筒』などのように前シテと後シテが同じ年格好の女性で、同じ種類の面を掛けるのであれば、前後で掛け替えるという事はありません。ともに若い女性であっても前シテが若女で後シテが十寸髪を掛ける『巴』のような曲は例外ですが、後シテを増にするのであれば前シテも同じ増で通します。

そこで問題になるのが中年女性の面である「深井」が前シテの面の選択肢に入っているとうこと(という事は後シテも同)でしょうか。さすがに「深井」を掛けて無紅の装束を着て演じられた『井筒』を見たことはありませんが。。しかし観世流の装束付けにはほとんどの鬘能のシテが掛ける面には、若女のほかに深井も併記されているのです。

深井は古くは「深女」と書かれた例もあって、これで「ふかいおんな」と読みます。これとは別に「浅女(あさいおんな)」というのもあって、女面は、時代やその面の表情によって意外に幅が広い分類のされ方をしています。ぬえが聞いたところでは、観世宗家にとっても若作りで美しい「深女」があって、どうもその面をかつての太夫が若い女性のシテ役に多用したことから、装束付けに若女と「深女」が併記されるようになり、それが時代と共に「深井」と混同されてしまった、との事ですが、これは ぬえが仄聞しただけで真偽は不明です。しかし ぬえ、『井筒』の前シテを「深井」を掛けて無紅の装束で演じるのは。。案外思っても見ない大きな効果を生み出すのではないか、と密かに思っています(理由は後述します)。。まあ、初役の今回はその試みをしてみるわけにもいきませんが。。

さて「次第」の囃子を聞きながら静かに登場した前シテは、橋掛りを歩んで、やがて舞台に入り。。なせかお客さまに背中を向けて、斜め後ろ、囃子方の方向を向いて謡い出します。

シテ「暁ごとの閼伽の水。暁ごとの閼伽の水。月も心や澄ますらん

「次第」の囃子で登場して、その登場した役者が一人だけ(ツレやワキツレを伴わない)の場合のみ、必ずこの形式で役者が謡い出します。これはなぜなんでしょうね? 鏡板に描かれた老松が春日神社の影向の松であり、そのご神体の松に向かって謡うのだ、と かつては言われていました。最近ではシテのその日の謡の調子を囃子方に聞かせて、シテの意図をよく知らしめるためだ、などとも言われているようですが、ぬえはどちらの説も次第に限って行われるこの型の理由を説明するには ちょっと無理があると思いますね。

『邯鄲』など橋掛りで次第を謡う場合は、やはり役者は後ろを向いて謡い出しますが、鏡板の「影向の松」に向いているとはとても言えない位置関係だし、「次第」の囃子で登場しても、登場人物が複数であれば舞台で(『富士太鼓』や『望月』などは橋掛りの場合も)役者が向き合って謡うわけですし。また、これらの説では、「一声」や「出端」など他の登場音楽では正面に向いて謡い出すのになぜ「次第」の場合だけがこの型で謡い出すのかの説明になっていないですし。。

ぬえはこの型については、「次第」が前シテあるいはワキの登場にばかり用いられて、後シテの登場には用いられない事に注目しています。もちろん後ろを向いて謡い出す型は後シテの登場の場面には不向きであることは論を待たないでしょう。前シテが自分の素性を明かして中入し、残されたワキは間狂言の語リから、前シテはじつはある人物の幽霊の仮の姿だと知り、夜もすがら読経してその跡を弔うところに登場する後シテ。このような定型的な脚本に立脚するならば、後シテの登場は独白こそ伴っていても、その気持ちは最初からワキの回向に引かれているはず。ここで後ろを向いて謡うのではワキに対する気持ちが利きません。

このように「次第」という登場音楽は、その型から、登場人物の気持ちが自分の内側に向いている事を表しているのです。そこにいるワキの姿は目に入らず、シテはすでに自己完結している。『井筒』であれば、業平の塚。。つまり墓に清めの水を運ぶ、という前シテの姿だけがそこにあるのです。後ろを向いて謡うのは、「独白」の表現の極端な形でしょう。これは漂泊の旅僧であるワキにも似合う演出で、さればこそ同じ性格を持つ役者が、シテ・ワキを問わずこの形で登場する事が可能になるのです。

複数の登場人物が登場して、向き合って「次第」を謡う場合もこれに大差はないでしょう。「次第」のあとに必ず地謡が低い声で同じ文句を謡い、その間に役者が正面に向き直り、そしてその次に謡われるのは自己紹介である「名宣リ」か独白のサシ。自己紹介と言っても、能ではお客さまに向かって自分の名前を名乗っているとは言いにくい面があるから、やはりこれは独白の一種でしょう。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その9)

2007-08-28 12:47:02 | 能楽
「次第」の囃子に乗って登場した前シテ。謡本の前付けによればその扮装は次の通りです。

面=若女または深井、小面。鬘。胴箔紅入鬘帯。襟=白二枚。着付=摺箔。紅入唐織。木葉(木葉入水桶にも)。水晶数珠。

師家の装束付けの記載もこれと全く同じで、鬘能の前シテの典型的な姿と言えるでしょう。ちょっと違うのは扇を持っておらず、代わりに木葉と数珠を持っている点でしょうか。弔いの気持ちが色濃く現れた姿で、『野宮』の前シテも木葉を持って出ますが、こちらは鬘扇を右手に持っています。むしろ去年 ぬえが演じた『朝長』の前シテに通じるものがあるように思いますが、型も共通するところがあるのです。非常に抹香臭い、というか、「死」のイメージが、じつはこの『井筒』にも漂っているのです。鬘能の典型のように言われる『井筒』ですが、ちょっと異色な点も多いのが、この装束付けにも現れていると思います。

面白い話ですが、観世宗家の装束付けと ぬえの師家の装束付けには、時折 違いがあったりします。そりゃもちろん「これは誰?」と思うような極端な違いはありませんが、細々としたところに違いが散見されますね。大きな違いでは、ぬえの師家では鬼神役のときにかぶる事が多い「赤頭」に「足し毛」を付けない、というのがあります。赤頭を着るときには、赤い毛の中に観世宗家ではひと握りの「白毛」の「足し毛」を交えて完全な赤い鬘にはしないのですが、これは『石橋』と『猩々乱』に限って「足し毛」を入れないのだそうで、この2曲を尊重して、ほかの曲では「足し毛」を交えるのだ、と聞いたことがあります(ほかにも諸説あり)。

ところが ぬえの師家では「足し毛」はまったく用いません。いつも真っ赤な頭で勤めています。いや、例外もあるのですが。。それは煩雑だから次の機会にご紹介しましょう。

こういう大きな違いのほかに、ぬえの師家では女の役には ほとんど扇を持っています。これまた、他家では扇を持たない『清経』のツレなどでも、師家では扇を持って出るのです。『安達原』とか『藤戸』とか、中年以上の下賤な役などの、扇が似合わない曲もあるので例外はあるのですが、若い女性の役であればまず間違いなく扇を持って出ます。

この点、『井筒』は師家でも木葉(あるいは水桶)と数珠と持つとされていて、ぬえの師家の前シテの姿としてはかなり異質な印象を受けます。こういうところもこの曲の不思議な一面を垣間見せているような思いがします。

なおシテは摺箔には白地に金の箔のもの、唐織はシテは段のものを使うのが定めです。持ち物については、今回は木葉にするか水桶にするか考えたのですが、昨年の『朝長』で水桶を使ったし、『井筒』の小書「物着」のときに水桶を用いることも多いので、小書なしの今回の上演では木葉もよいかな、と考えていました。そんな折り、先日楽屋で造花の木葉を持って立ってみたところ、これもひとつの印象を与える姿かな、と思い、今回は木葉で勤めようと思っております。本当は水桶の方が床に置くときにラクではあるのですが。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その8)

2007-08-26 18:19:45 | 能楽
ついでながら、登場音楽には上記のように「笛がときどき吹く」ものの他に、「笛が終始吹き続ける」もの、「笛だけが一管で吹く」もの、そして「笛は吹かずに大小鼓だけが演奏する」もの、さらに登場音楽はなく登場人物が無言のまま登場する場合もあります。

笛がときどきアシライを吹く「次第」や「一声」、「出端」の場合は前述のように、省略の形にかかわらず幕上げのキッカケと笛の吹き出しが一致するので、何度目か、お笛が吹き出すときに幕の方をご覧になれば、役者が登場する瞬間にあたります。なんだか手探りの説明ですが、省略により演奏の形態が少し変わるので、普遍的な説明は難しいことをご了承下さい。

「笛が終始吹き続けるもの」は「早笛」とか「大べし」、「真之来序」などがあり、またお笛の流儀により「アシライ出し」というのもあります。これらはお笛の吹き出しがキッカケとなって役者が登場するのではありませんから、大小の手組、あるいは太鼓が加わっていれば太鼓の手組を聞いて幕を上げます。この説明は繁雑を極めるので今回は省略しますが、総じてお笛が吹き続ける登場音楽はどちらかといえば短いものが多いので、役者の登場までそれほどお待たせしないでしょう。

「笛だけが一管で吹くもの」は「名宣リ笛」だけです。これも前述しましたので解説は省略しますが、ほかの登場音楽と決定的に違うのは、ワキの登場の場合だけに演奏される点と、ワキが幕を上げてから、その姿を見てお笛が吹き始める、つまり役者(ワキ)の登場の方が一瞬早いことでしょうか。

登場音楽がない役者の登場は、シテや、あるいはワキツレなどが舞台に登場してすぐ名宣リになる場合に多く使われます。つまりワキであれば「名宣リ笛」が吹かれるはずのところ、その登場する役者がワキではなく、シテやツレ、ワキツレなどである場合は笛が「名宣リ笛」を演奏してくれず、したがって役者は無音の中しずしずと舞台に(あるは橋掛りに)登場して、いきなり発声することになります。シテ中心にほとんどの物事が運ぶ能の中にあって「名宣リ笛」というワキ専用の登場音楽がある、というのは興味深いですね。

そのほかにもいくつか役者の登場の形態があります。囃子方が座着くと黙って登場して、脇座などに着座する「出し置き」という方法は、『清経』のツレなど、あらかじめそこに居る、という事を表す演出で、こういう場合は、そのあとにワキなど「来訪する」者があるのです。登場の場面を二度続けて演じない、という工夫でしょう。変わったものには「盛久」があります。観世流ではシテが幕を上げて、いきなりセリフを謡いながら歩み出して橋掛りに登場するのです。このシテの役は囚人で、その左右に牢駕籠を持つ(シテの頭上に差しかける)二人のワキツレがつき、そのあとから護送役人のようなワキが続いて登場します。シテは牢駕籠に乗せられながら、護送役のワキに今生の名残に清水寺への参詣を願う、というのが登場の場面。。しかしお流儀によってはこの演出ではないらしいですが。。

今回は登場音楽の話に脱線してしまいました。次回より『井筒』の前シテの登場の実際についてお話しようと思います。。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その7)

2007-08-25 08:24:35 | 能楽
いま、『井筒』の作物に付ける薄を作っています。。と言っても造花屋さんで買ってきた薄とその葉を組み合わせているだけだったりしますが。。(^^ゞ これは『一角仙人』の剣を作った苦労とはぜ~~んぜん違って、ふんふふ~~~んと鼻歌交じりに、最も美しく見えるように薄の造花をいじくっているだけ。小道具がすべてこんなにラクに出来るといいな~。もっとも、全体がかしぐ事のないようにステンレスの芯を入れたり、造花用のテープで形を整えたり。こまごまと手を入れなくてはなりません。そこがまた楽しいのだが。

でも今回自分で作物の薄の部分を作ってみて、よく考えてみると、『井筒』の作物の薄って、自然の法則とはずいぶん矛盾している事に気がつきました。作物の薄は葉が青いでしょう? でも薄は穂は夏から出るけれども、『井筒』の舞台が設定されている秋の頃のものは枯れたものか、あるいはその寸前で、葉は茶色がかっているはずなのです。青い葉は夏の薄。そんな自然の法則に従ったのか、時折は白茶けた葉の薄を作物につける演者もあるようです。でも。。ぬえの正直な感想では、これはあまり美しくないな。。やっぱり葉は青い方が良いと思います。ここまでくると理屈ではない。そういう事も能にはしばしばありますね。

そんで、造花屋さんで買った薄には、しっかり茶色い葉がついていました。ですから薄とは別に細長くて青い葉の造花を探して買い求め、薄の穂についている茶色い葉をそぎ落として、青い葉と組み合わせるのです。当初、薄はほんの四株ほどの穂があれば十分で、それ以上ではうるさいだろう、と思っていたのですが、意外や組んでみるとそれでは少な過ぎで、急遽 穂をもう三株買い足して、合計七株の薄を組み合わせることにしました。青い葉も二十本買ったのですが。。さてこれらを組み合わせたらどうなるだろう。。? あまり全体が太すぎるようだったら穂も葉も少し減らすようにしますが。。

舞台経過の説明に戻りまして。。

ワキが下歌を謡って、その終わりに笛がヒシギ(「ヒーーー、ヤーーーーー。ヒーーーー」という「知ラセ笛」。その甲高い音色は楽屋にもハッキリ聞こえ、「さ、これから登場だ」という気持ちになります)を吹いて、前シテの登場音楽である「次第」が演奏されます。

八拍で一小節の能の音楽体系に則りながら、「次第」ではそのリズムをわざと崩して打ちます。この演奏の中のキッカケを聞いて、前シテは幕を上げさせて舞台に登場します。

よく幕上げのキッカケについてご質問を頂くことがあるのですが、なるほどお客さま、とくに脇正面のお席に座っておられるお客さまにとってはシテやワキがいつ登場するのかが分かっていると幕の方を振り返って登場の瞬間をご覧になりやすいかも。

登場音楽にはいろいろな種類があって、また本当はそれぞれの囃子には役が登場する前に長大な前奏があるため、現代では少し省略して上演する事が普通。またその省略の仕方にもいろいろなやり方があるので、一概に役が登場するキッカケを説明するのは難しいのですが。。

「次第」や「一声」「出端」といった、笛が「ときどき演奏に加わる」囃子の場合は、必ず登場人物が幕上げをするキッカケと笛の吹き出しが一致しています。ですから、大小鼓(あるいは太鼓も)が演奏する中で、笛方が笛を口に上げて構えたら、幕を方をご覧になって頂ければ、と存じます。省略の仕方にもよりますが、今回の『井筒』の場合は前シテの登場音楽である「次第」も、後シテの登場音楽である「一声」も、ともに「一段」というやり方で省略します(もっとも一般的な省略法です)ので、この場合は前述の「ヒシギ」を含めて、三度目に笛が吹くところが「幕上げ」となります。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その6)

2007-08-24 01:25:11 | 能楽
前回、おワキの型をご紹介するのを忘れていました~

着きゼリフのあと作物に向き「これなる寺を人に問へば」と謡い、「立ち越え一見せばやと思ひ候」と謡いきると大小鼓はアシライを打ち、その中でおワキは作物の前へ行き正面に向いて「さてはこの在原寺は」とサシを謡い出し、着座して 下歌「昔語りの跡訪へば」と謡い、その最後のところで「妹背をかけて弔はん」と数珠を両手で持って正面の作物の方へ合掌します。この文句に付けて囃子方はシテの登場音楽の「次第」を打ち、その中でワキは立って脇座に行き着座します。

ところでこの『井筒』という曲はおワキにとっては大変な曲なのです。じつはここでおワキは脇座に行って着座すると、もう能の終わりまで一度も立ち上がらないのです。(!)

おワキは、お客さまからは ずっと着座しているような印象をお持ちだと思いますが、じつは最初から最後まで着座したまま、という曲はあまり多くありません。多くの能では、まず最初にワキが登場し、「名宣リ」「道行」があって、それから一旦脇座に着座してシテの登場を待ちます。ところがシテが登場して、下歌上歌など一連の謡を謡いきってワキとの問答となるとき、おワキは立ち上がっておシテと問答をするのです。問答が進み、やがて地謡が最初の謡どころ(最初の同吟、という意味で「初同=しょどう」と言います)を謡い始めると着座して、シテは最初の型を行う、というのが常套のパターン。その後はたいていは曲の最後までおワキは着座したままの事が多いようですが、『三輪』や『高砂』などのように前シテが残した言葉に従ってワキが別の場所に移動して後シテを待つような曲では、中入の後にワキは立ち上がって「待謡」を謡う曲もあります。また『実盛』などにもワキが立って居座を替えて「待謡」を謡う場合があり、特殊な例では『道成寺』や『朝長』の「懺法」などでも中入のあとでおワキが立ち上がります。

もっとも、前シテとの問答でおワキは立ち上がる曲であっても、ワキツレはずっと着座のままです。『盛久』や『三井寺』『船弁慶』など、ワキツレが演技をする曲は別ですが、多くの曲ではワキツレは「道行」が済むとワキの下に着座して能が終わるまで動かない事が多いのです。現在 舞台でおワキを勤めておられる演者も、すべて修業時代から長年ワキツレを勤めて、それからおワキのお役を頂けるようになっていったのです。おワキは着座されるのが仕事とはいえ、やはり大変なことだと思います。

それがわかっているから ぬえも『井筒』のお相手のおワキに出演のご依頼を申し上げるときには気を遣いました。でも、たとえば、まずスケジュールの空きをお伺いするときに、「曲は何?」と主催者に聞いてから出演するかどうか考えるようなおワキは、ぬえの知っている限りではおられませんね。「来年のこの日はご都合は如何ですか?」「はい、空いています」「あ、それでは是非ご出演をお願いしたいのですが」「ああ、ありがとうございます」というやりとりがあって、それから「曲は何?」となります。ぬえみたいな立場では「それが。。井筒をお願いしたいのですが。。」とお答えすると「井筒!」と絶句されたりしますが。(^◇^;)

ところが、こんなこともありました。かなり以前になりますが、どこかのパーティーであるおワキ方の大先輩とお話をしていて、ついその先日に ぬえの師家の催しで『芭蕉』が出たときの話題になりました。『芭蕉』は『井筒』と同じようにおワキが一度も立ち上がらない曲で、しかも上演時間が2時間を超す大曲です。その地謡に出ていた ぬえも足が痛かったので、何気なくこのおワキに「大変でしたでしょう」と問いかけてみたのです。そのお返事がすごかった。

「うん。芭蕉にはワキツレがいないでしょう?(ご自分の)先生の横にワキツレとして座った事がないから。。座った曲なら“ああ、この曲のワキはこうやって謡うんだなあ”って分かるんだけど。これは先生がどうやって謡うのか横で聞いたことがなくて。。僕のは芭蕉になっていたかなあ。。?」

こんな深い見識でおワキを勤めておられたのか。。大先輩なのに、よくまあ ぬえなんぞにこんな本心を吐露されるものだと驚きましたが、老女能の一歩手前、という感じの『芭蕉』で、このお言葉の感じではあるいはこの方には初役だったのかも知れず、おワキも普段に倍加して緊張して勤められたのかもしれません。しかし。。「足が大変でしたでしょう?」という意味で問いかけてしまった ぬえは恥じ入ってしまいました。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その5)

2007-08-23 03:27:37 | 能楽
『井筒』では「道行」も「着きゼリフ」も省略されていますが、それが単純に上演時間の短縮が目的で省略されたのではないことは、次のサシ、下歌の存在によってハッキリします。

ワキサシ「さてはこの在原寺は。いにしへ業平、紀有常の息女。夫婦住み給ひける石の上なるべし。風吹けば沖つ白浪龍田山と詠じけんも。このところにての事なるべし
 下歌「昔語りの跡訪へば。その業平の友とせし。紀有常の常なき世。妹背をかけて弔はん。妹背をかけて弔はん

この後にすぐ前シテの登場音楽たる「次第」が演奏されるのです。「我この程は南都に候ひて」と、当初は奈良にいた「一所不住の僧」は、「これより初瀬詣でと志し候」と目的地を述べておきながら、その直後に置かれたセリフは「これなる寺を人に問へば。在原寺とかや申し候」と、いきなり旅の途次の地点である石上寺の旧跡にワープしてしまいます。さらにここでは彼は「これなる寺を人に問へば」。。ワキは石上に到着しただけでなく、すでに在原寺の旧跡について誰かに問うた後なのですね。。ワキがワープしたのではなくて、じつはお客さまがタイムスリップさせられたのです。

ワキの自己紹介とさえ言えないような「名宣リ」(ワキは名前さえ持っていない。。)。唐突な場所の移動。さらに時間さえ超越して、一人在原寺の廃墟にたたずんで感慨にふけるワキの姿がここにあります。ぬえは考えるのですが、これはワキを能の中で終始「孤独」にさせておくための作者の意図的な省略なのではないでしょうか。

まず名もない僧が舞台に登場する。彼は奈良で「霊仏霊社拝み巡りて候」といい、さらに「又これより初瀬詣でと志し候」と長谷寺参詣に足を伸ばそうという熱心な仏教信者で、その「一所不住の僧にて候」という文言からも、彼には孤独な修行僧の影が自然と重ね合わせられるでしょう。そんな彼が旅の途次に訪れたのは石上の在原寺の旧跡です。ここは廃寺で、しかし仏を祀った旧跡。真摯な修行僧が宿泊するには打ってつけの場所と言え、これまた彼の性格を雄弁に物語ります。そこで上に掲出したように『伊勢物語』に思いをはせて感慨にふけるワキ。どうやら彼には文学的な素養も十分にあるようです。そんな彼が『伊勢物語』に思いをはせている時、その前に忽然と現れて、古びた塚に水を供え、花を手向ける若い女。これは否が応でもシテの登場に神秘的な意味を付与する事になるでしょう。

すなわち、シテの神秘性を高めるために、ワキは「名宣リ」を謡っても、わざわざその名前は消し去られて、文学的な素養もある教養の高い熱心な修行僧という、幽霊であるシテ、それも紀有常の娘という実在性というよりも『伊勢物語』の登場人物である「井筒の女」の出現を見届ける霊能力がある人物である事が強調されているのです。強調されている、というよりは、むしろそういうワキの性格付け以外の一切の情報は意図的に隠されている、と言った方がよいかもしれません。

このように描かれたワキが登場して初瀬への旅の途中に石上を訪れるとき、常套の通り「道行」を謡うことによって、紀行文の特色として、旅の途次のさまざまな風景の移り変わりが観客の想像に上ることを、作者はよしとしなかったのではないでしょうか。同じように「これなる寺を人に問へば」という部分の代わりに本当に間狂言を出して、俗世の人間とワキに問答をさせてしまっては、孤独な修行者の姿は霧散してしまうでしょう。

作者は「真摯で孤独な修行者」が『伊勢物語』にゆかりの深い在原寺の旧跡に立ち寄り、そこで感慨にふけるという、シテが登場するまでの舞台設定をここに描きたかったのだ、と ぬえは考えます。それ以外の方向にお客さまの気持ちをそらせるような「道行」も、狂言との問答も、あえて排除したのが『井筒』という曲なのではないでしょうか。ぬえにはそういう作者の意図がありありと読めるのですが、もしそれが正しいならば、すべては前シテの出現に神秘性を付与するのが目的であるでしょうし、室町時代初期にそこまで考えてこの曲の台本が書かれていたとするならば、その先人の見識は、相当なものだと思わざるを得ません。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その4)

2007-08-21 20:52:42 | 能楽
名宣リを謡ったワキは、この時点では「南都」つまり奈良にいるわけですね。その名宣リの最後にワキは二足出ながら両手を前に出して合わせる型をします。「立拝(たっぱい。達拝とも書く)」とか「掻き合わせ」などと呼ばれる型で、名宣リの終わりを示すとともに、この型を見て囃子方が打切を打って、「道行」となるキッカケになったりする型です。『井筒』では「立拝」のあとワキは両手を下ろしながら二足下がり、すぐに次の文句を謡います。

ワキ「これなる寺を人に問へば。在原寺とかや申し候程に。立ち越え一見せばやと思ひ候

これは「着きゼリフ」と呼ばれる謡と同類の文句です。「着きゼリフ」とは、「急ぎ候ほどに、これははや○○に着きて候」と、旅行の目的地、あるいは中継地点に到着したことを表すセリフです。能のワキの登場後の通例の動作では、「名宣リ」を謡ったあとに「道行」と呼ばれる紀行文を謡い、その中でワキは正面に(あるいは斜に)三足ほど出て、くるりと向きを変えて元の位置に戻り、そのとき「道行」が「○○に着きにけり」という文句で結ばれることで、ワキが旅をしてある地点に移動した事を表すのです。「道行」を謡い終えたワキは正面に向き、「急ぎ候ほどに、これははや○○に着きて候」と、「道行」の最後に現れた地名をもう一度唱えた「着きゼリフ」を謡い、これにてお客さまには、これからシテが登場して事件が起こる場所を想像して頂くことになります。

ところが『井筒』では「道行」もなければ「着きゼリフ」に常套の「急ぎ候ほどに。。○○に着きて候」という文句もありません。いきなり「在原寺」と言われればお客さまは「あれあれ?」と思うかもしれませんが、「在原寺」は「石上寺」のことで、歌枕である事を考えれば、昔はこれだけで いまワキが立っている地点がいまの奈良県天理市のあたりだということが納得されたのでしょう。

ここで注意しなければいけないのは、ワキが「これなる寺を人に問へば」と言っている点です。ガイドブックなどない時代、旅の途中に立ち寄った場所の事をワキは知る由もなく、興味を引く場所については当然現地の人に尋ねたでしょう。これも能では間狂言が登場してその場所についての説明をする場合があります。たとえば『松風』では、『井筒』と同じく「名宣笛」で登場したワキのあとから目立たぬように間狂言が登場し、ワキが舞台に入る頃、間狂言は「狂言座」(橋掛り一之松の裏欄干の前)に着座します。ワキは間狂言を無視して「名宣リ」を謡いますから、間狂言はこのときワキと一緒に旅をしているわけではないのです。「名宣リ」を謡い終えて「着きゼリフ」を謡ったワキは(『松風』は、これまた『井筒』と同様に「道行」を欠く曲です)、正先に出された松の立木の作物を見て不審に思い、「須磨の在所の人の渡り候か」と、橋掛りの狂言の方へ向いて問いかけます。「渡り候か」と言っているので、これもまたワキは須磨の浦人の役の間狂言を発見して言っているのではなく、何気なく「誰かこのあたりの方はおられませんか?」と問うているのです。ワキの問う声を聞いて間狂言は立ち上がり「須磨の在所の者とお尋ねは。如何なる人にて渡り候ぞ」とワキを見て答えます。「おや、誰か近在の者を呼んでいる。誰だろう」というような感じですね。この間狂言から松の木の由来を聞いたワキは、ここではじめて「そんな物語があったのか。それではその二人の姉妹の跡を弔っていく事としよう」と思い、その行動が、後に登場するシテとの邂逅の要因となるわけです。

ところが『井筒』では「道行」も、「着きゼリフ」も、そして間狂言との問答も省略されているのです。このような省略は上演時間の長い曲ではしばしば見られる演出ですが、「次第」でワキが登場して「道行」もあり、さらに間狂言との問答もある『楊貴妃』のような例もありますし、また短い曲なのに「道行」がない『菊慈童』のような例もありますから、単純に上演時間の短縮のために省略されているとばかりは考えにくい。ここはやはり、ワキの紀行の道程よりも、これから事件が起きる「在原寺」にお客さまの意識を集中して頂くための演出と考える方が妥当だと思います。

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『井筒』~その美しさの後ろに(その3)

2007-08-20 23:58:03 | 能楽
さて ぬえが『井筒』について解釈。。というほど大げさではないけれども考えているところは後に述べるとして、例の通り舞台の進行を見ていきましょう。

囃子方が幕から、地謡が切戸より登場してそれぞれの座に着くと、後見が井筒の作物を幕から運び出し、正先に据えます。井筒の作物の高さは腰より少し低いくらいでしょうか。竹で作った正方形の台「台輪」の四隅にやはり竹の柱を立て、その上に木製の井桁を組みます。そのひとつの隅、お客さまから見て奥の方の隅にススキを立てるのですが、これは演者の好みによって右に立てても左でもよい事になっていて、師家の型附にも
「井筒の作物 左か右に薄を付 正中先へ出す」と、ごくあっさり書いてありました。この型附では、うがって読めば「左側が本来だが右側に付けてもよし」とも読めるのですが、後シテの演技に大きく関わってくる決断ですから、シテにとってもじつはこの選択は大変難しいのです。

後見が引くとワキが幕を上げて登場し、その姿を見て笛が「名宣リ笛」を吹きます。この「名宣リ笛」ってのは叙情的でとってもよいですね。地謡に座っていても、本三番目物の曲で「名宣リ笛」を聞くのは ぬえはとっても好きです。この「名宣リ笛」、じつは単純な構造の譜でできあがっています。「中ノ高音」、「六ノ下」という、地謡が謡っている中でごくごく普通に吹かれるアシライ吹きの譜が演奏され、それまでにワキは舞台に入り、足を止めます。この後に短い「名宣リ笛」特有の譜が吹かれて、それに合わせてワキは今度は足を引き、笛が吹き留めるとワキは「これは諸国一見の僧にて候」などと名宣リを謡い出します。

「名宣リ笛」には「真」「行」「草」の違いがあって、その違いはすべて、このワキが足を引く時に吹かれる「名宣リ笛」特有の譜の違いによるものです。ワキが橋掛りを歩んでいる間は「真・行・草」の違いはありません。ただ、「真之名宣」のときにはワキは正中で止まり、「行」のときには常座と正中の間ほどのところ(太鼓座前ほどのあたり)、「草」は常座に止まるのです。それから「草」「行」「真」の順に足を引く際の譜の長さが長くなり、それにつれてワキが引く足数も違ってきます。

ちなみに「真之名宣」は『道成寺』『猩々乱』などの習物の曲の場合、また『熊野』など本三番目の曲にも使われます。最も頻繁に見かけるのは「草之名宣」で、ワキが一人で登場する(ワキツレを伴わない)曲の場合には「草」で演奏されます。「行」は。。ぬえは「ワキツレを伴う場合で習物でない曲」に演奏される、と聞いていたのですが、実際には「あ、普段と違う譜だ。。この曲は習物でもないし。。これが行之名宣か。。」と思った事はほとんどないのです。去年 ぬえが勤めた『朝長』でもワキツレを伴う、また習物ではないけれどある程度の位を持った曲でも「草」であるようでした。どうも不思議に思って囃子方に尋ねた事があるのですが、現在では上演頻度の少ない「行」は扱いが曖昧になっていて、「草」に替えてしまう事も多いのだとか。『井筒』では「草之名宣」ですが、これも『熊野』が「真」である事を考えると どうも寂しい感じも受けますが、実際の演奏に触れてみると、仰々しい「真」が『熊野』に似合うのに対して、シンプルな「草」が淋しい曲目である『井筒』にはふさわしいのではないかと思います。

舞台常座に立ったワキは笛が吹き留めると「名宣リ」を謡います。(以下詞章は今回の「ぬえの会」の上演に沿って、シテは観世流、ワキは下掛り宝生流の本文で表記します)

ワキ「これは一所不住の僧にて候。我この程は南都に候ひて。霊仏霊社拝み巡りて候。又これより初瀬詣でと 志し候


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第8回狩野川薪能(その6~終了しました)

2007-08-19 21:44:04 | 能楽
昨日、伊豆の国市での「狩野川薪能」が終了しました。天気予報では荒天が予想され、雨天会場に変更になったのは残念でしたが、結果的には大成功だったのではないかと思います。

前日から当地に入った ぬえは子どもたちの最後の稽古をしていたのですが、子ども創作能の方はどうにも もう一つ覇気がない、というか声が小さい。。これは半年間の稽古の間じゅう、ずっと気になっていて、例年の子ども能と比べても、今年の子どもたちは元気がないなあ。。というのが正直な感想でした。もちろん声を出すことは稽古の間じゅうずっと要求していたのですが、なかなか声が出てこない。まず謡の音程そのものが低い事が大きな声にならない原因なので、高く高く、大きく大きく、と、稽古しているこちらの方が声が涸れちゃったい。まさか催しの前日の稽古でもそこを注意する事になるとは思いませんでしたが。。

ところが当日のリハーサルを経て本番になってみると、あれ? みんな大きな声が出ています。本番の緊張感で声がうわずったのが、結果的によい音程に落ち着いたのでしょう。まずまず これならば客席にも響いていたことでしょう。終わったところで、ことに稽古の段階で声が小さかった地謡のみんなをほめてあげました。お役を頂いた6年生の子たち、武士として登場した5年生のみんな。存分に活躍できたようでした。手前味噌ではありますが、台本はかなり面白く演出してあるつもりなので、今回はそれぞれの個性に、頂いたお役がうまく合ったのではないかな、とも思います。可憐な夢知(ゆうち)の安千代の役、それに従う あゆみの従者役の独特の雰囲気、凛とした ひかりの小四郎役、恐ろしげというよりは にこやかにそれらと戦う彩花の大蛇役も、これはこれで面白い効果が出たのではないかな。みなさんお疲れさまでした~ (#^.^#)

引き続いての仕舞『東方朔』は子ども能ならでは、ということで四人で舞う事にしました。義成(よしみち)・圭恵(たまえ)・悠希・春奈の四人は、中学生になってからも薪能に参加してくれる逸材。はじめはまったく同じ型で、途中から型が別れていって、最後は舞台上で演者がすれ違う型があるこの仕舞、四人では舞台で交通事故も起きかねないかも知れない難しい仕舞だったかもしれませんでしたが、また中学生になって部活も忙しくなってくると稽古も休みがちになったりする場合もあって、なかなか演技に自信が持てなかった四人でしたが、当日が近づいて来るにつれて気持ちが合ってきたようで、本番では自信に満ちた仕舞を演じてくれました。

そして連管「破之舞」。上は中学生、下はなんと小学3年生というメンバーでこれほど吹けるとは驚異的。以前にも書きましたが、彼らが地元の郷土芸能での演奏に慣れ親しんでいたことも大きかったでしょうが、やはり先生の寺井宏明さんの指導力でしょう。連管とは何人かの笛の演奏者が一緒に曲を吹くことですが、今回は寺井先生が後見について、なんとプロの大小鼓、太鼓の伴奏に合わせて吹くのです。鼓の手を聞きながら、そのテンポに乗って吹くのですから、これはなかなか至難。でも圭恵・結衣・百夏・朱夏・百恵の五人はみんな良く吹けていたし、何といっても楽しんでいました。どうやら彼らは寺井先生の伊豆のお稽古場に出かけて稽古を受ける事も多かったようですが、そのお稽古場の寺井先生のお弟子さんは子どもたちが加わる事で大喜びで、なんでも毎回たんまりお菓子をもらっていたそうな。。はは。

玄人能『一角仙人』は ぬえも楽しみにしていましたが、明日香・ありさの二人は、これまた存分に成果を発揮できたと思います。アクシデントもあったようだったけれど、それを克服しながら、まずお客さまの前で演じきる事を全うできた彼らは、この日だけは完全にプロの意識で舞台に臨んでいたと思います。シテとの忙しい斬組も、最上のタイミングで決まりました! それにしても今回稽古をしてみて『一角仙人』の龍神役は本当に大変なことも改めて感じました。なんせこれほどカッチリ決まっているはずの能の舞台進行でありながら、複雑で多数出されている作物の間を縫うように演じなければならないこと、シテと三人の斬組もあって、どこで事故が起きるかわからない危険性も排除できません。その上、今回は雨天会場であったとはいえ、稽古では屋外での薪能を想定して、天候や風の強さによって様々な注意が必要なことも彼らには納得してもらわなければなりませんでした。彼らには普通の稽古のほかに「臨機応変」という事まで教えることになったのです。それらを乗り越え 乗り越え、とうとう最後まで演じきった彼らには100点満点以上のものを上げましょう。彼らは中学生になる来年も薪能に参加する事を希望してくれました。

また来年、狩野川薪能は巡ってきます。来年になると、もう9回目かあ。10回目の記念すべき薪能に向けて、また彼らも1歩ずつ大人になっていきますね。ん~~来年こそ、あの城山の下の河川敷の会場で、青空の下でやらせてあげたいっ。 (^。^)

最後になりますが、薪能の実行委員会のみなさん、わけても実行委員長の遠藤先生、子どもたちの稽古の連絡役や準備に驚異的な行動力を見せてくださった相磯さん、舞台設営のため遠方より労をいとわず協力してくださる明野薪能の実行委員会のみなさん、この薪能を最初に始められ、毎年子どもたちのためにスケジュールを合わせて奔走してくださる大倉正之助さん、子どもたちを指導してくださった、そして薪能の成功のために協力して出演してくださる能楽師のみなさん。みなさんのお陰で薪能を今年も催すことができました。心より感謝申し上げます~~ m(__)m

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奇想天外の能『一角仙人』(その25)

2007-08-16 00:20:00 | 能楽

今日は東京で「狩野川薪能」の申合を行いました。

子方の二人は緊張していたようで、謡も型もちょっと小さくなってしまったようでしたが、まあ今日で様子が分かっただろうから、本番に向けてまたよい経験になったことだろうと思います。

それにしても『一角仙人』の龍神の役は大変だ。今日は岩屋の作物が上演中に崩壊しかける、という事故が発生してしまいました。もともと作物はそれほど精密に出来ているわけでもなく、二つの岩が微妙なバランスで寄り添っているものなので、何かの拍子でそのバランスが崩れると、龍神の登場前にこういう事故が起こることも考えられます。今日は申合なのでよかったけれど、これが本番で起こってしまったら。。お客さんから失笑が漏れてしまいますね。しかも今回の『一角仙人』は野外での上演。突風だって起こるかもしれません。

そこで今日、申合が終わったところで龍神役の二人の子方には「当日は作物を自分たちでも内側で支えていて」と指示を出しておきました。「最後には自分の身は自分で守るんだよ」とまで言い添えて。と言うことは、龍神は作物の後ろで身を隠していながら、同時に作物を片手で支えている。さらにもう片手には剣をずっと携えていて、さて岩を割る直前に作物を支えている片手をパッと離し、瞬間的に剣をおっとり、岩が割れる瞬間にガバッと立ち上がって、すぐに舞働を舞い、そしてシテと格闘、最後は二人だけで舞台を締めくくる、というわけか。。こりゃ本当に大変な役だ。観世流がこの役を大人のツレとして勤めるようにした理由も、これなら納得がいきます。

それにしても。。今回の子方二人は、とても能の舞台に初めて登場するとはとても思えないぐらいの完成度を見せています。これぐらいの新たな要求にもきちんと応えられるだろう。我ながらよくまあ あそこまで指導できたものだとも思うけれども、また一方 囃子を聞きながら謡う、とか舞働を舞わせるとか、キリはシテがいない状態で二人だけで舞わせるとか、よ~~く考えると、アマチュアの小学生相手にずいぶん ぬえも無茶な要求をしたものだ。(^◇^;) ま、結果的にはできたんだから文句はありませぬが。

それと、小学6年生ともなると、やっぱり子方としてはかなり大柄ですね。結局振り袖の子方用の厚板には寸法が合うものがなく、これと法被は大人用の装束を流用する事になりました。半切はなんとか子方用を使いましたが、これは大人用のものを穿いてしまうと、もう作物の中に二人が収まることが不可能になってしまうからです。作物の後ろで、満員電車のように窮屈な状態で出番まで待ち続けるのはつらいでしょう。。しかも真夏の野外の舞台が会場だし。

今日の申合では子方二人には装束を着付けて勤めさせたのですが、終わってみると汗だらけで青い顔をしています。あちこちを紐で縛られて装束が着いていて、そのうえ今日の暑さ。でも本番はもっともっと暑いのです。このあたりの様子も今日はよくわかったでしょう。本番まであと3日。あさっての前日には ぬえは伊豆の国市に入って公演準備に取りかかり、子どもたちに最後の指導をして当日に臨みます。

あ~~神様、彼らがこれまでの稽古の成果を十分に出すことができ、薪能が成功しますように~~


タイトルの画像は、やっと仕上がった ぬえ作の「剣」。もうちょっと品よく作りたかったけれど、まあまあよく出来た部類に入るでしょう。しかしこれまた数ヶ月を費やして苦労して作り上げました~
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『井筒』~その美しさの後ろに(その2)

2007-08-14 02:05:58 | 能楽
『井筒』は素直に作られたように見える能です。それは作者であることが確実とされている世阿弥自身も「祝言の外には井筒・通盛など直成能也」(『申楽談儀』)と記しているほどなのですが、反面、考え始めると次々に疑問が湧いてくる能です。

前シテが語る美しい恋の物語。その円満な恋の成就に対して、後シテが「人待つ女」として一人で現れるのはなぜなのか。なぜ女は業平の形見の「冠直衣」を着て男装して現れるのか。そもそもこの能の原拠であろう『伊勢物語』二十三段の「田舎わたらひしける人の子ども」と紀有常女(業平の妻とされる)との関係はどう考えるべきなのか。。

ぬえは学生時代に『井筒』の能についてよく考えていました。まだその頃は この能の後シテが垣間見せる孤独の蔭そのものよりも、やっぱり前シテが語る美しい恋の物語に心動かされて、単純に「これほど恋を全うした二人なのに、どうして後シテは一人で登場するのだろう」と不思議に思っていたので、その解釈をいろいろに思い巡らしていたのですね。

学生時代の ぬえは、この後シテはワキ僧に「おのろけ」を言いに出てきたのかなあ? なんて最初は思ってみました。ま、これは問題外な発想なわけですが。。若いってスバラシイ。(・_・、)

次に ぬえが考えたのは、「ひょっとしてこの後シテは幽霊なんかじゃないんじゃないか?」という事でした。相思相愛の二人が添い遂げた美しい思い出が宿る廃墟。そこにある傾きかけた軒や前栽、立木などは彼らの美しい愛の思い出を見届けた目撃者でした。漂泊の修行者であるワキ僧がこの廃墟に泊まるとき、その神通力の故でしょうか、はたまた月の明るさのためか、深まった夜の霧の中に、ふとその記憶が投影されてしまうんじゃないか。。? つまり彼女は「思い出」そのものなのではないだろうか。。
これまたちょっと青いかもなあ。。

その後『伊勢物語』の中に紀有常が現れる十六段のすぐ後に「あだなりと名にこそ立てれ桜花」の歌が載せられた十七段が置かれていること、「筒井筒」の段の直後に、三年間待ちわびた男の後を追って清水のほとりで亡くなった女が描かれる二十四段があり、そこには「梓弓ま弓つき弓年を経て」の歌が載せれていることなどを知り、どうやら『井筒』の世界は単純に「美しい恋物語」とばかりは括れない複雑で暗い影も併せ持った曲だという事がわかってきました。またこの能の作品研究などを読み進めていくうちに、『井筒』は『伊勢物語』そのものではなく、その古注が原拠になっている事、その古注の中には『伊勢物語』所収の歌と『井筒』に引かれる歌との異同の説明がつくものがある事(そもそも「筒井筒」って言葉さえ『伊勢物語』には現れてきませんし。。)、さらに「老いにけらしな」という後シテの言葉や前シテの「待つことなくて長らえん」の解釈について諸説があって、いまだに解決を見ていない事などを新たに知る事になりました。

これほど能を代表する曲のように言われていながら、じつは『井筒』は問題が多い曲なのです。数ある能の作品の中には、『井筒』に限らず、脚本に論理的な矛盾があったり、いまとなってしまっては言葉の意味がわからなくなってしまった台詞があったりするものです。極端な例ではシテが誰の幽霊なのか、イマイチはっきりしない曲まであるという。。(^◇^;) 能楽師は、それでもなんとか自分に折り合いをつけて舞台に立ちます。つまり舞台の当日までには自分なりの解釈を持ってしまうのですね。

役者は研究者とは違うから、自分の解釈には証拠はいらないんです。「自分はこういう意味だと思って演じている」という確固とした信念さえあれば。逆に言えば「よくわかんないけど謡本に書いてあるからその通り謡っている」ってのは ぬえは許せない人だったりします。やっぱり役者なんだから、お客さまの前で自分が演じている、謡っている、その内容については責任を持たなければいけないでしょう。どんな細かい部分についても、自分が演じた事について問われたら「こういうつもりで勤めている」と必ず答えられなければならない、と ぬえはずっと思ってきました。まあ、そういつも考えている能楽師は多いとは思うけれど、証拠が要らない、っていうのがくせ者で、極端な解釈で演じている方もありますけれどね。。難しいところです。


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作物と能面の話

2007-08-13 03:11:47 | 能楽
今日は師家に行って、1週間後に迫った「狩野川薪能」での『一角仙人』の作物の「岩屋」を作っておりました。日曜だってのに仕事がな~~い (T.T)

岩屋の作物は、ちょうど『道成寺』の鐘の作物を半分に割ったような形で、さらにそれを二つに分けて、これを舞台で割ることになります。骨組みは竹で、さすがに『道成寺』の鐘のような鉛の重しは内蔵されていないのですが、それだけにこの作物自体を自立させるように竹の骨組みを組み上げるのは結構難しかったりします。そして、その骨組みの上に紺地などの緞子で覆って完成なのですが、この緞子の重みでまた全体の重量バランスが狂ってきて、ますます自立は困難になるという。。(;^_^A だから『殺生石』にしても『一角仙人』にしても、この作物を出すときは中に隠れている役者の登場前に作物が崩壊しないように、後見も細心の注意をしていますし、これを支える後見を別に出したりします。

今日は ぬえ、師家に所蔵されている「岩屋」の骨組みの上に緞子を取り付ける作業をしていたのですが、なんと完了までに6時間も掛かっちゃったい。

3次元の骨組みの上に2次元の布を巻き付け、あちこちを糸で綴じ付けて形を作るのですから、時間は掛かるだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。たとえば『道成寺』が上演されるときは、これはもうシテ一人で鐘の作物を作り上げるとすると完成までに数日を要する作業になってしまうので、このときは同門が先輩も後輩もなく一致団結して、公演の事前に日を取り決めて、寄ってたかって作物を作り上げます。これはまあ、お互い様なので『道成寺』が出る、となると自然に同門から「いつ作物を作る?」って話題にもなります。

ところが『殺生石』や『一角仙人』となると、やはり作物を作る労力はとんでもなく掛かるのに、なんとなくシテの責任において作り上げるのが当たり前、って感じになりますね。どうしてなんだろう? だからシテを勤める人は、やっぱり先輩よりは後輩にお手伝いをお願いするようになり、2~3人で事前に集まって作り上げます。今回はなんとなく ぬえは一人で作り上げるような気分で最初からいまして、後輩も「その日に作るんですか。お手伝いしますよ?」と言ってくれたのですが、まあ、師匠のご用もあるだろうし、それじゃ、ってんで「手が空いてたらお願いするね」という程度の約束をしました。

ところが今日 師家に到着してみると、お装束蔵を後輩数人が忙しそうに行ったり来たりしています。聞けば師匠が、師家に所蔵されている能面のリストを作り直しているのだそう。それもすべての古面を出して、保存状態を確認し、ナンバリングして、そのナンバーを和紙に墨書して面裏に貼り付ける、という本格的な作業で、そのために後輩たちはこの日に集められていたのでした。こりゃ大変な作業なので、だ~れも ぬえが同じ日に作物を作る事なんて忘れちゃってる。(×_×)

それで ぬえは一人で作物に緞子を縫いつける作業を始めた、というわけです。まさか6時間掛かるとは思ってもみなかったし、一人で巨大な作物に緞子を縫いつけるのは至難でした。ピンとまではイマイチ張れていません~~

で、夕方にこれを終えて、ようやく能面の方の作業を少しだけお手伝いしました。ひゃ~~こんなに面があるのか。ぬえがお手伝いを始めてからも作業の終了までに3時間を費やし、ぬえが見た限りでは350面ぐらいはあったようでしたが。。初めて見る面もあり、「へえ。。これは。。」と思うような上作もいくつもありましたね。これほど師家の所蔵面を一堂に見る機会があるのだったら、作物製作は別の日にすればよかった。

思い出すなあ。ぬえがまだ学生の頃、師匠に連れられて某所に展示されている数々の能面を拝見しに行った事を。そこには とんでもなく美しい「父ノ尉」があって、ぬえが見惚れていると、師匠は「あ、それはうちから譲ったものなんだよ」と何気なくおっしゃる。「ええっ!!こんな良い面を手放されたんですか?」「そう。増と取り換えてもらったんだ」「ええっ。。(増ならばたくさんお持ちではないですか。。)どうしてこんな良い「父ノ尉」を手放したんですか。。?」「??そりゃ見解の相違だね。「父ノ尉」なんて滅多に舞台では使えないし、この「父ノ尉」は古いものだから彩色が傷んでいて触るとボロボロ剥落しちゃうし。。もちろんこれに匹敵する良い「増」とは取り換えてもらったよ」。。絶句。どこの世界の話を ぬえ、聞いているんだろう?

あ! しまった。この体験を今日の昼間に思い出していれば。。

今度、機会を見つけて師匠に伺ってみよう。。「あの。。例の「父ノ尉」のお話、覚えていらっしゃいますか? あの「父ノ尉」に匹敵する、交換した「増」ってのは。。どれなんですか?」
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『井筒』~その美しさの後ろに(その1)

2007-08-11 00:15:53 | 能楽
来月、9月9日の「重陽の節句」の日、久しぶりの自分の主宰会「ぬえの会」の第三回公演を東京・喜多能楽堂で催させて頂きます。今回 ぬえが上演する曲として選んだのは、世阿弥作で能を代表する曲といわれ、鬘能の中でも能の代名詞に近い地位を占める名曲『井筒』です。

第一回の「ぬえの会」では『道成寺』を披き、また第二回目では『松風』を取り上げて、それぞれの曲に挑戦したわけですが。。もちろん第一回目は「能楽師の卒業試験」といわれる『道成寺』を披くこと、それ自体が目的でした。あの時は。。ホントに命を賭けちゃったけれど。。そして第二回目の『松風』を上演したのは、この曲の中に「人間が狂気に走る」その瞬間が捉えられている、と感じたからでした。「あら嬉しやあれに行平のお立ちあるが。松風と召されさむらふぞや。いで参らう」。。ここをいっぺん舞台の上で謡ってみたい、というのが上演の動機です。思えば無茶な動機ですが、役者ってこんなものかなあ。。とも思っています。今でも。

今回の「ぬえの会」で『井筒』を取り上げた理由。。それは「能楽師として避けて通れない曲」だから、というのが偽らざる本音です。なんて安直な。。と思われてしまいそうですが、学生時代から能に親しんだ ぬえとしては『井筒』という曲は、もちろんずっと憧れの曲でもあったし、能楽師として修行を始めてからは、憧れ。。でもあり続けてはいますが、もっと複雑な感情で見る曲になりました。これだけ素直な曲に見えていながら、じつは難しい問題も含んでいる曲であろう事は、地謡としてこの曲に参加する度に感じていましたし、それが何であるのか。。どうやら鬘能として括ってしまっただけでは見えてこない本質もどこかに隠されているようです。この曲を演じるのは、素直に表面をなぞるのか、そういう方法もあるかと思いますが、もっと発散される演じ方もあるのではないか、と思ってみたり、また一方、この曲は鬘能であるからこそ なんとか狂気の一歩手前でシテが踏みとどまっている印象をも受けます。どうやら大変な曲であるらしい。昨年『朝長』を上演しましたが、その難しさとは違った、外には明確には出てきていない感情の部分がこの曲にはあって、それを舞台の上で解釈して出してみるのか、それでは説明に堕してしまうのか。。

考えれば考えるほど、テーマそのものがオブラートに包まれたような、そんな手の届かない部分を感じるだけにもどかしさばかりが先に立つ能だとも思います。まさに「避けて通れない能」かなあ。

で、これだけ長いお付き合いの曲なので詞章はもうとっくに頭の中に入ってしまっているのですが、今回その言っている内容をよ~~く吟味しながら謡い方を組み立てていたら。。新しい発見がありました。これは今まで気づかなかった。。やっぱり「読み込み」ってのは大切です。この話題は追々に。。

いま『井筒』の稽古でテープに合わせて一人で舞っていると。。とっても悲しくなってくるんですよね~。。この「序之舞」は、ほかの曲のそれと同じ演奏、同じ型なのですが、『井筒』の中にあると、たまらない「孤独感」がシテに迫ってくる。。これって何だろう。。

やっぱり上演するのは難しい曲だとは思うけれど、避けて通らなくてよかった、とも思います。自分としてこの時期、この年齢で演じるのも、これまた ちょうど良いのかな、なんて思ったり。でもまず、お目汚しがないようにもっと稽古しなきゃ。


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