ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第18次支援活動<石巻市>(その1)~仙台空港で金田さんと再会!

2013-12-28 03:42:37 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう明後日には気仙沼に向けて出発する身なのですけれども、まだご報告していない活動が。去る12月上旬に石巻にお邪魔し、仮設商店街での上演と神社での奉納をさせて頂きました。

最近はどうも東京でのスケジュールの合間に東北に行き、2日間程度の活動をして帰るような活動が多いですね。震災の年の暮れには9日間で14公演をこなしたこともありましたが。。自分の周囲も含めていろいろ事情が変わってきたのかなあ、と思います。ぬえの東北を思う気持ちはほとんど揺らいでいないですけれどもね。

さて今回の活動は、笛のTさんからの情報で、すでに何度も出演させて頂いている石巻の仮設商店街「石巻立町復興ふれあい商店街」が この12月に開設2周年を迎え、記念イベントが開かれる、と聞いて、これは是非出演させて頂かねば、と考えて、それこそ出発の2週間前あたりから計画を立て始めました。ぬえはその時学校公演があって東北地方にいたのですが、そこから何度も電話をかけて、2日間だけの活動が決まり、まずは商工会経由で 立町商店街さんでの活動を決め、それからもう1日の活動を。。これは東京に帰る移動時間も含んでの活動になるので仮設住宅での活動は断念、地元の神様への奉納をさせて頂くことに致しました。それが羽黒山鳥屋(とや)神社です。宮司さまは石巻鎮守で北上川沿いに鎮座する住吉大島神社の宮司との兼任で、そちらでは何度もお邪魔させて頂いておりましたが、宮司さまのお住まいでもある鳥屋神社への参拝はこの日が初めてでした。いろいろと思うところのあった奉納でしたが、まずは活動全体のご報告からー。

【12月9日(月)】

未明に笛のTさんをピックアップして一路石巻へ。明け方に仙台に近づいた頃、「チーム神戸」代表の金田真須美さんがこの日神戸から早朝便にて空路石巻に向かう、とfacebookに書き込みをしていたことを思い出して連絡をとってみると、ぬえたちが仙台を通るちょうど同じ頃に仙台空港に到着することがわかり、急遽お迎えに上がることに。

今回の活動では金田さんもちょうど石巻に滞在中と知って「チーム神戸」の事務所に泊めて頂くことになっていたのですが、金田さんが仙台に到着するのは ぬえたちと同じ日だという事に気づいていないほど、今回の活動は急に決まったのです。

仙台空港。。震災の3ヶ月後に訪れて以来久しぶりにここにやって来ました。いや、もう1度くらい通りかかった事くらいはあったかも、ですが、意識して様子を見ながら訪れたのはじつに2年半ぶりかも。当時は空港の1階のガラスはベニヤ板で塞がれ、周囲には瓦礫の山や積み上げられた車がありましたが。。

金田さんと出会って車で石巻へ。かつては片道12時間かけて神戸から石巻に通っておられた金田さんも、最近は石巻に足となる車を置いておいて、神戸から仙台までは空路を使うことが多くなっているようです。ずいぶん移動は楽になったのかと思いきや、神戸から関空~仙台空港から石巻。。それも湊にある事務所まで行くのはずいぶん大変みたいです。この日も早朝便、とは聞いていましたが、伺えば6時のフライトだったそうで。。神戸のご自宅から、まずその時間に関空に行くための交通があって、さて宮城県までひとっ飛びとは言っても仙台空港からアクセス鉄道で市内に入り、次にJR仙石線に乗り換えて石巻に向かうのですが、松島から先。。東松島市の区間は津波被害によって今でも運休しています。代行バスに乗り換えて矢本まで行き、そこからまた鉄路で石巻駅まで。石巻駅からも湊までは交通の便が悪く、結局事務所に至るにはタクシーを利用される事が多いのだとか。

ちょうど仙台空港に到着される時間と同じくして到着した ぬえも偶然でしたが、金田さんにとっては車でのお迎えはずいぶん時間が節約できたみたいで良かったです。車内でそんな事や拡幅されつつある三陸自動車道のこと、町の復興とはどこを以て言うのか、という難しい話から、気仙沼で見た白鳥のこと、石巻にカモシカがいるらしい、という話まで、談笑しながら石巻に到着、もう朝の始業時刻になっていたので、まずはいつもお世話になっている観光協会にご挨拶させて頂きました。

決算報告書(10/20~21、11/2)

2013-12-24 00:58:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第17次被災地支援活動(2013年10月20日~21日、11月02日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 284,872円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     直接頂戴した募金1件(ボラ扱い) 10,000円
     預金利息             19円        収入計  327,391円
                           内訳:ボラ 294,891円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費(御子柴聖子分)23,814円
     (ガソリン代            3,074円)
     (新幹線代            20,740円)
    ◎交通費(内野浩乃分) 10,000円
     (高速バス代            5,500円)
     (高速バス代           4,500円)
    ◎交通費(桜井均分) 24,940円
     (新幹線代            24,940円)
    ◎宿泊費    8,000円
     (2人×1泊            8,000円)       支出計   66,754円

 【収支差引残額】                         残額    260,637円
                          内訳:ボラ 228,137円 ギエ 32,500円

※注※
・この度は「カンベ」さまより10,000円の募金を頂いた。プロジェクトの活動にかかる資金は主に募金によって賄われている。プロジェクトの活動にご理解を頂き、ご支援を頂いた諸兄には、改めて深謝申し上げます。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回の活動は本年3月の活動以来ご協力頂いているNPO団体JIN'S PROJECTとの共催である。それにより同団体のご厚意の仲介を頂き、企業さまよりプロジェクトメンバー2人についてのみ、使途は交通費に限って補助金のご支援を頂いた。関係各位に深謝申し上げる。
・本決算報告書は活動資金を募金として提供頂いた方へのご報告であるため、支援企業さまからのご支援にかかる費用は上掲しなかったが、内容は次の通りである。交通費 63,270円(内訳:高速道路通行料金 12,350円、ガソリン代 9,000円、高速バス16,300円、新幹線25,620円)印刷費2,600円(チラシ印刷費)
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・近来銀行口座へ継続的に活動資金を募金してくださる方も複数あり、またボランティア団体JIN'S PROJECTさまのご厚意により、活動によっては同団体との共催の形を取ることによって支援企業さまからの補助金を頂ける機会も増えてきた。しかしながら今後も息長い支援活動を続けてゆくために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。


 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上

  平成25年12月23日




                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付




活動報告書(10/20~21、11/2)

2013-12-23 21:43:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
20日間以上に渡ってブログの更新ができずにおりました。申し訳ありません~
師家の催しで大役を頂いていたり、新作能の公演があったり、はたまた年末に被災地に行く予定を立てて、その準備に追われたり。。こうしている中にも今月初旬に石巻での活動も展開しております。
それらのご報告も進めなければなりませんが。。
とりあえず、10月下旬~11月初旬に掛けての活動の報告書をようやくまとめる事ができましたので、こちらを公表させて頂きたいと思います。



能楽の心と癒やしプロジェクト
第17次被災地支援活動(2013年10月20日~21日、11月02日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに16度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難している旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田、寺井は、去る10月20日~21日、および11月2日の3日間に渡り宮城県・東松島市および岩手県・陸前高田市内にて計3回の能楽の上演および奉納を行いました(※注2)。

今回の活動は東松島市の仮設住宅での慰問活動がNPO法人「JIN'S PROJECT」との共催、陸前高田市の「奇跡の一本松」の前での奉納上演、および同市の「産業まつり」での上演は「JIN'S PROJECT」さまの主催で、当プロジェクトはこれに協力させて頂いての活動となります。

今回の活動では東松島市において、ピアニスト・御子柴聖子さんのほか、はじめてフルート奏者の内野浩乃さんに出演を願い、仮設住宅にて「能とピアノの夕べ」公演を行いました。これは従前より上演してきた「星と能楽の夕べ」のうち星空の投影を除いてコンサートと能の公演としたもので、すでに8月に石巻の「秋田屋庭園」にて上演し、また同月 気仙沼市の地福寺さまで催された「送り火の集い」も、名称こそ違えピアノ・コンサートと能との競演という性格は同じ公演で、プロジェクトが目指す「文化の復興」という目標に沿っての活動の一環と捉えております。今回は八田のアイデアでフルート奏者を入れて活動しましたが、御子柴さんと内野さんは初対面でありながら この無理なお願いを快く引き受けてくださり、事前に集まって選曲や練習をして頂きました。当日はあいにくの大雨でしたが、住民さんも多数お集まりくださり、また出演者からも花束を住民さんに贈るなど、有意義な活動が出来たものと考えております。

陸前高田市はかつてプロジェクトとして活動をした事がない未知の街で、震災のあった2011年に「奇跡の一本松」の視察をしていた程度でした。この度はJIN'S PROJECTさまからのお話で、市の協力を頂き、この一本松の前での奉納が実現致しました。この奉納上演は「ともしびプロジェクト」さまのご協力によってキャンドルが点され、ようやく天気も安定してきた中、大変幻想的な雰囲気での上演となりました。また朝日新聞社の取材を頂き、翌日の新聞にてこの上演は写真入りで報道されました。なお朝日新聞デジタルサイトでは同奉納上演の動画が公開され、これはまた後日「YOUTUBE」でも紹介されております。またJIN'S PROJECTさま関係で別に撮影された映像も同じくYOUTUBEにて公開されております。

http://www.youtube.com/watch?v=23r08ULwzzI
http://www.youtube.com/watch?v=cES7MJ3Lb0A

陸前高田市の「奇跡の一本松」は、震災前には全長2kmにおよび7万本の松が立ち並んでいた、まさに白砂青松の名勝だった「高田松原」の中で津波に流されずにたった1本だけが残った、まさに奇跡の松です。震災後にすぐにこれを保存する運動が起こされましたが、やがて津波をかぶった事による塩害のために松は枯死、この松を復元保存する作業が全国規模で展開されました。こうして元の姿を取り戻した松ですが、現場は現在、被災地区のかさ上げのための工事現場のただ中で、そうした条件もあるため、管見によれば復元作業の完成記念式典より後にイベントの類はほとんど開かれていないと思います。

今回はJIN'S PROJECTさまの尽力により陸前高田市のご協力を頂き、一本松周辺の工事現場の方々にもいろいろと便宜を計って頂いて奉納させて頂いたことは、震災後の復興の歴史の中で大きな意味を持つと思います。このような貴重な機会を得させて頂いたことはプロジェクトにとっても、一能楽師としての自分にとっても、大変光栄なことでありました。

陸前高田市の「産業まつり」は、市が主催する産業振興イベントで、JIN'S PROJECTさまの提案によりステージイベントのひとつとして参加させて頂きました。「奇跡の一本松」奉納の12日後のことでしたが、同奉納上演と一対を成す活動ですので、同じ17次支援活動の一環と考えております。前述のように活動の実績がない当プロジェクトとしましては、この2つの活動を足がかりにして、今後 陸前高田市でも仮設住宅の訪問等の活動を展開していきたいと考えております。

このように、今回は離れた2つの期間の活動をまとめて17次支援活動としております。今回は何と言っても陸前高田市の「奇跡の一本松」での奉納上演が、プロジェクトの活動としても、震災後の復興の段階の中においてもまさにエポックメイキングと言える活動でした。これははじめてJIN'S PROJECTさまの主催の催しへの協力出演でしたが、また「能とピアノの夕べ」公演にフルートを入れてみるなど、全体として新しい可能性を予感させる活動となったと思います。また往路夜行バスを利用した陸前高田「産業まつり」公演では、早朝到着した能楽師の休憩場所を気仙沼市民に提供頂きました。関係各位のご尽力に深謝申し上げたいと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただし都合により今回は八田・寺井の2名での活動となった。
※注2 今回の上演場所は①東松島市・グリーンタウンやもと①応急仮設住宅 ひまわり集会所②陸前高田市・奇跡の一本松前③陸前高田市・私立第一中学校仮設グラウンドの3箇所。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(以上能楽の心と癒やしプロジェクト)/桜井均(能楽師・太鼓方=一本松奉納のみ)
東松島「能とピアノの夕べ」共演者:御子柴聖子(ピアニスト)/内野浩乃(フルート奏者)
【協力者】
 増島清人(ボランティア)
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト
 NPO法人 JIN'S PROJECT (陸前高田市の催しのみ)(東松島市の活動はプロジェクトとの共催)

【活動記録】
 10月20日(日)
早朝にJIN'S PROJECT代表の折尾仁氏および奉納関係スタッフ、朝日新聞記者さまともに東京を出発、昼頃に東松島市に到着。矢本のイオンにて花束を購入、その後グリーンタウンやもと仮設住宅に楽屋入り。ピアニスト・フルート奏者も到着して準備を行い、16:30より「能とピアノの夕べ」公演。能『羽衣』を上演。本来は「ひまわり集会所」の外で夕暮れの景色と調和させながらの公演の予定だったが、折からの大雨のため会場を集会所内とする。仮設住宅の集会所での上演だが、囃子と装束着付けの体験コーナーは割愛。床にLEDキャンドルを置き、照明を落としての上演は、それでも効果的だったと思う。どちらかというと住民さんの興味を惹いたのはコンサートの方で、アンコールの希望も出た。

終演後は住民さんの宴会が予定されていたらしく、そこへの出席を求められたが移動の予定で断念。参加住民約30名。終演後ピアニストらと別れて気仙沼へ移動し宿泊。(JIN'S一行は陸前高田市方面にて宿泊)

 10月21日(月)
午後~夕方に予定されていた陸前高田市「奇跡の一本松」奉納まで時間があるため、気仙沼にて買い物などをしてから陸前高田へ。午後JIN'S一行と合流して「奇跡の一本松」の前へ。天候は回復気味で、太鼓の桜井均氏も到着して午後遅く~夕暮れ時までの奉納。能『羽衣』を上演。
終了後、桜井氏やJIN'Sスタッフさんらを一ノ関駅まで送り、そのまま未明に帰京。

 11月2日(土)
東京でのスケジュールの問題があり、この日は前夜から夜行バスにて気仙沼に入り、市民さんの協力を得て早朝に到着した我々の休憩場所を提供頂いた。朝食後、陸前高田の第一中学校の仮設グラウンドに到着。10:00前より「産業まつり」が開式され、11:30頃にトレーラーのステージで能『羽衣』を上演。

終演後に「産業まつり」の各ブースを見て回り、気仙沼市民さんにより一ノ関駅まで送って頂き、帰京。

【収入・支出】

  プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができ、今回もプロジェクト・メンバーの八田・寺井の交通費のみご支援を頂くことができました。このご援助を頂いたことによって、東松島市での活動にご協力頂いた御子柴聖子氏(ピアニスト)、内野浩乃氏(フルート奏者)の交通費をプロジェクトの活動資金より支出することができました。また今回の活動のうち、陸前高田での活動はJIN'S PROJECTさまの主催によりますが、スポンサー企業さまの助成の使途がプロジェクトのメンバーの交通費に限られていたため、一本松での奉納のみ参加頂いた能楽師(太鼓方)桜井均氏の交通費はやはりプロジェクトの負担としました。

  募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

  プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 317,372円(内訳:ギエ284,872 円ギエ32,500円)があるほか、今回の活動中の前後に1名の個人(カンベさま)より活動資金として10,000円を頂戴致し、また預金利息19円の収入がありました。よって計327,391円(内訳:ボラ 294,891円 ギエ32,500円)が今次活動の前に計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 260,637円(内訳:ボラ228,137円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。

  プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第17次となる今回の支援活動では、はじめて仮設住宅で「能とピアノの夕べ」の活動を行い、それが初めてフルートを入れての上演であったこと、また東松島市の仮設への訪問活動そのものが約1年半ぶりであったこと、などがプロジェクトとして目新しい体験でありました。また初めての活動場所である陸前高田市での活動はJIN'S PROJECTさまのご厚意により実現できたこと、同市での活動は初めて主催がプロジェクトでなくJIN'S PROJECTのプロデュースによるものだったこと、「奇跡の一本松」での奉納上演が初めて動画として配信されたことなど、プロジェクトにとってまさに初めてづくしの活動だったと言えます。

一方、被災地の状況は、気仙沼鹿折に残されていた「震災遺構」である第十八共徳丸の撤去作業が開始されるなど、震災の記憶は確実に風化が進んでいる事を実感します。共徳丸の撤去によって鹿折地区に人が集まらなくなることが予想され、近くにある仮設商店街「鹿折復幸マルシェ」や、鹿折地区全体の復興への影響が懸念されてもおります。震災遺構の保存については被災各地で様々な議論が起きておりますが、結果的に次々と撤去されているのが実態で、人的被害があった建物の撤去は当然の感情とは言いながら、そのために震災の記憶の風化がまた進むであろうことを考えたとき、遺構の保存も必要なのではないか、と考えます。

さらに仮設住宅も仮設商店街も、段々と使用の期限が近づいてきているとのことです。震災から2年半を過ぎて被災地は大きな転換点を迎えつつあると言えるでしょう。我々能楽師の立場としては震災遺構の保存についても仮設住宅・仮設商店街からの次の段階への移行についても無力なのではありますが、常に住民さんと寄り添い、復興に向けて歩み行く姿を励まし続けてゆきたいと考えております。どうぞ今後とも変わらぬご支援、ご教示をお願い申し上げる次第です。




平成25年12月23日




                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その13)

2013-12-01 02:07:47 | 能楽の心と癒しプロジェクト
陸前高田の「産業まつり」。いや~賑やかですね~。ちょっとブースをひやかして、巨大なホタテ焼きを差し入れで頂き、自分は伊豆でお世話になっている方々に超美味の「おつまみ昆布」を買いこみました~。



こちらは一本松の保存作業について説明するブース。







京都で型取りをして。。という程度しか ぬえは聞いていなかったのですが、愛知県や神奈川県や。。あちこちの多くの人の努力によって松は再生を遂げたのか。

この松について、枯死した松を形ばかり復元しても意味がない、という意見もあるでしょうが、7万本の松原の中で唯一生き残った、という事実そのものに価値があると ぬえは思います。そして、これだけ多くの人の力が結集されて再現された松は、この松を残したいと願う多くの人々の復興にかける願いが形になったものでありましょう。そうであればすでにこの松にはそうした人々の魂が宿っているのです。

このあたり、もう少し詳しく ぬえの意見を述べた文章が、JIN'S PROJECTによって作られた一本松の奉納の動画の紹介ページに載せられていますので、よろしければご参照ください。

JIN'S PROJECT 一本松奉納のご報告

動画自体はYOUTUBEでご覧になれます。

能楽『陸前高田 一本松奉納』~羽衣

こうして陸前高田を後にして、帰りに気仙沼・鹿折の「復幸マルシェ」さんに立ち寄って、団平さんの「支那そば」を頂きました~。ボランティア仲間から聞いてはいましたが、うん! 聞きしにまさる美味さ!





団平さんのご主人の塩田さんとも記念撮影~



最後に、ついに先日解体作業が終わったばかりの 第十八共徳丸があった場所に行ってみると。。





影も形も。。痕跡さえも残っていませんでした。
あれほど保存か解体か議論が巻き起こっていたのに、なくなってしまうと、あまりの あっけのなさに茫然。
周囲では盛んにかさ上げ工事が行われて、大変な喧噪でした。

このブログを書いているのが2013年の11月末。ちょうど宮古市・田老の「たろう観光ホテル」が震災遺構として残されることになり、国から保存のための助成が行われる、というニュースが伝わってきました。そして一方、女川町の倒壊したビルが解体されることになった、という報道を同時に聞きました。NHKのドキュメンタリー番組でも震災遺構が取り上げられていて、広島の原爆ドームも同じように保存か解体かで議論が分かれ、保存が決まったのは実に終戦後30年を経る時間が必要だったこと、それが今では「財産」として認知されているという。

ぬえは こういう場であんまり政治的な? 発言はしないようにしているのですが、共徳丸がなくなった今、女川町の倒壊ビルは保存するべきだと思います。そのためには行政が強く主導して「保存する」と決定するべきでしょう。住民さん。。とくに遺族の意向はもちろん大切だけれど、撤去されてなくなってから何を言っても遅い。未来に震災の教訓を伝え、次の災害に備えるのには、形が必要です。そして復興のために人に集まってもらうためには、そして東北地方以外の国内での震災の記憶の風化を防ぐためにも、形が必要です。たとえ今は観光地に堕したように見えて腹立たしく思っても、見るのもイヤだという方がおられても。。ぬえは被災者でないから簡単に言えるのだと言われても、すみません、この国で同じ轍を踏むことがないように、どうかここは我慢して頂きたい。。被災地の自治体が住民さんに寄り添ってあげて、そうして保存に理解を得られるように努力してほしいです。

。。。。

。。こうして第17次活動は無事に終了、ちょっと駆け足の活動でしたが、思うところも大きい旅でした。そして翌日の伊豆の子ども能公演も、そのまた翌日の東京の舞台も大過なく勤めることができました。東京の舞台では斬組の中でちょっと膝を痛めてしまいましたけど。。

                                           (この項とりあえず了)