ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

気仙沼・御崎神社にて奉納能

2016-02-18 09:49:20 | 能楽の心と癒しプロジェクト
これまた、昨年6月の活動のご報告。。

はじめて南郷地区の災害公営住宅で活動したあと、唐桑半島の先端にある御崎神社に向かいました。
気仙沼市街からはかなり離れているというのに、この神社は崇敬を集めているようですね。主祭神として祀られているのは やはり漁業に携わる方の多い土地柄とて大海津見大神でした。それどころか、伝承ではほど近い小島・児置島に神が降臨したのがこの土地に神社が鎮座した由縁とのこと。

奉納は翌日でしたが、この日は神社のご厚志を頂いて「御崎荘」に泊めて頂くことになっていました。「御崎荘」は旅館で、現在は休業中。海を見晴るかす客室に泊めて頂き、そのうえ夕食まで大広間でごちそうになり、ん~、プロジェクトの活動の中でも屈指の厚待遇を受けてしまいました。。ありがたや~



翌朝、早朝に起きて御崎。。すなわち唐桑半島の突端にあたる岬までの遊歩道を歩いてみました。小さな灯台や文学碑とともに、かつて嵐に遭った漁船を助けた鯨の霊を祀るという鯨塚、神が降臨した児置島、そこから神が八艘の船に乗って上陸した場所と伝える八艘引と呼ばれる岩場。。ここは神話の世界です。





そぞろ歩いて岬を一周して、陽沼・陰沼と呼ばれる入り江を見下ろす展望台にさしかかった時。
突然目の前にカモシカが現れました!



以前にも気仙沼市内や山中でカモシカと遭遇したことはあるけれど、今回は至近距離! そのうえこの場にいるのは ぬえ一人! こりゃ、ヘタに動くと襲われるな。。と思い、視線はカモシカから外さないまま ゆっくりと海に面した展望台へ続く階段を 横歩きしながら下って行くと。。やがてカモシカ様は ぬえが来た道をゆっくりと。。人間に道を譲ってもらったのが当たり前のように、ここはオレの領土だぞ、と言わんばかりに悠然と立ち去って行きましたとさ。



朝食も神社のおはからいで頂戴し、さて朝10時から『羽衣』を奉納上演させて頂きました。奉納場所は関係者とも事前にかなり話し合ったのですが、前日に場所を実見して、社殿からは一段下がった場所。。社務所と手水舎との間の参道で執り行うことと致しました。

社務所で装束に着替えさせて頂き、やがて石段の下からご祭神に拝礼してから奉納させて頂きました。石畳のうえで条件は悪かったけれど、とても清浄な空気を感じて、こちらもとても気分が良かったです!









終了後、御崎荘の玄関ロビーで簡単な能楽ワークショップも。

こちら、美しい方は宮司さまのお嬢さん。それから今回 御崎神社での奉納をとりまとめてくださった、菊地隆太郎さんにもモデルになって頂いて、装束の着付けのデモンストレーションもできました。











帰りがけには唐桑にあると聞いていて、一度行ってみたかった「唐桑半島ビジターセンター」の中にある「津波体験館」にも行きました。



これは震災の前からある施設で、それほどこの地方では津波は恐れられていたのです。三方向に大きく写し出される映像と音響、それに合わせて動き振動する座席、さらに送風機によって約10分間のリアルな津波の体験をする、ライド型の博物館、といった感じ。この施設、震災後は被害の記憶を思い出させる、として住民さんから嫌がられているのでは? と勝手に想像していましたが、施設は震災後に改修され、ちょうど ぬえたちが訪問する少し前には、映像もかつての明治・昭和の大津波のものから東日本大震災の津波映像を中心とするものに切り替えられたのだそうで、深刻な被害への教訓を後世に伝える施設として新たなスタートを切っていました。

気仙沼・南郷地区 災害公営住宅での上演

2016-02-03 08:20:34 | 能楽の心と癒しプロジェクト
昨年の話題の続きですが。。

2015年6月18日(木)と 8月31日(月)の2度に渡って、気仙沼市に建設された「災害公営住宅」にて活動させて頂きました。

災害公営住宅とは、激甚災害によって住宅を失った方々のうち、自力で自宅を再建する見込みがない場合に国や自治体によって供給される住宅で、東日本大震災の場合は特例措置が講じられ、国庫から東日本大震災復興交付金による建設費用の補助を増額して自治体の負担を減らしたり、入居できる住民さんの要件が緩和されたり対策が取られました。震災当初は避難所、その後に建設された仮設住宅と居住の場を変えてきた住民さんは、これをもってようやく定住することになります。

。。が、実際には、まずは震災から4年以上を経てようやく建設がはじまった災害公営住宅の、あまりに遅い進捗。いったん入居時期が発表されたものの、その後 延期された住宅が数多くありました。気仙沼市の場合、市内・郊外あわせて28か所で建設が進む公営住宅のうち、入居時期が予定通りに進んだのは わずか3か所だけだった模様。その遅延の理由も、建設計画の変更なども もちろんあるのですが、「入札不調」「労務確保(の不調)」「資材調達(の不調)」など、どうも下敷きになっている根深い問題が想像されるものも目に付きます。

一方で被災地では すでに工事が始まっている防潮堤の「不要論」が盛んに議論され、また一時は 東京オリンピックのための建築ラッシュによって資材や技術者が高騰しているのだとも まことしやかに囁かれ。。

なんにせよ公営住宅の建設が遅れているために、被災地ではもう何度目になるでしょう、仮設住宅の設置期間が昨年春に延長され、当初法令の定めにより「応急仮設住宅」として建設されたプレハブ等の住居に、被災者は6年間も住み続けなければならない状況です。しかも、6年目いっぱいで仮設が解消されるのかというとそうではなくて、災害公営住宅の整備が完了するのに震災から10年かかる、という予想もあり、今後も毎年国と自治体が協議して延長期間が更新されていくと思われます。

【参考】
応急仮設住宅の供与期間の延長(5年→6年)について(宮城県サイト)

災害公営住宅整備事業 各地区の工事進捗状況(気仙沼市サイト)

災害公営住宅の入居遅延状況(今川悟気仙沼市議サイト)

このように難しい状況ではありますが、まずは気仙沼の住民ボランティアの村上充さんのご紹介により、「能楽の心と癒やしプロジェクト」として市内・南郷地区に完成した公営災害住宅で2度に渡り活動させて頂くことができました。

ここ、南郷地区公営住宅は大きな敷地を持っている、3棟最大10階建ての巨大な集合住宅ですが、じつはこの敷地は南気仙沼小学校の跡地に建てられたもので、小学校自体はとなりを流れる大川が津波の遡上によって水が溢れ、周囲一帯の住宅地とともに被災して、ついに廃校となりました。

敷地の中には校門など往時の痕跡をとどめるものが残され、また建物の外壁のうち下層階にペンキが塗られていないのは、かつての学校の建物の高さを表しているのだそうです。

活動したのは「南郷コミュニティセンター」という場所ですが、仮設住宅であれば集会所にあたるところ。仮設住宅は臨時に建てられたものですが災害公営住宅は恒久的な建物であるため、南郷地区の1区画として正式な行政区画の一部になります。そのためコミュニティセンターは公営住宅だけでなく、南郷地区全体の住民さんのための憩いの施設であり、地区集会所という感じの役割を負って建設されました。

それにしても内部のキレイなこと! これまでプロジェクトが活動してきたのが避難所や仮設住宅、そして仮設商店街、という応急施設ばかりだったもので、ここまで立派な施設での上演はなんだか居心地が悪いような(笑)

6月の上演では、いつも初めての場所では必ずこれを上演することにしている『羽衣』を上演しました。







そして2回目の上演となる8月には『松風』を。





じつは6月の上演では、途中で住民さんの中に具合が悪くなった方があって、ぬえも動揺してしまい、能の上演はできましたが、その後に予定していたワークショップは中止になってしまいました。そのため8月は改めましてワークショップを執り行わせて頂きました。







考えてみれば、震災の年の夏に石巻の湊小学校避難所で ぬえたちプロジェクトが『石橋』を演じたのが、避難所で能楽が上演された最初です。その後、これも石巻で、震災の年の年末に開成仮設住宅で年越しのイベントに参加したのが、これまた仮設住宅での能楽上演の最初。今回も気仙沼・南郷で災害公営住宅で能楽を上演したのも、能楽師として初めてのことだったと思います。

しかし、避難所での初の上演から仮設住宅での最初の上演までが たった半年だったのに対して、仮設住宅での最初の上演から、公営住宅での上演までには3年半の期間が空いてしまいました。
この記事を書いている2016年2月初旬の段階で、少なくとも気仙沼市では あちこちに ちらほらと、ようやく公営住宅が姿を見せ始めた、という程度。震災から5年になるのに。。まだまだ先は長いな、と考える ぬえでありました。