虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもが思うように育たないのは、育て方を失敗したため?

2021-06-26 09:41:07 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

世の中には正しくて善意に基づいた子育てアドバイスがごまんと溢れています。

また園や学校や習い事では、毎日のように、

「そこの場で共有されている常識」を耳にすることでしょう。

子育て中のタレントのブログやネットの掲示板では、子育て中のママはどのように

振舞うべきか厳しい意見が飛び交っています。

 

そうやって母親のもとへ大量に押し寄せてくる情報は、どれも一理あるし、

子育てが順調な時には、日々の指針にしたり、問題を解決したりするのに

役立つ便利なもののはずです。

 

でも、順調とは言えない時……

子どもを育てていれば、否が応でもしょっちゅう遭遇する事態ですが……。

つい必要以上に子どもを叱り過ぎてしまったり、

理想の親像、子ども像と現実とのギャップに苦しんだりしている時期。

それまで何気なく取り込んでいた情報からまるで毒素でも流れ出しているかのように

内面を蝕まれていくようなことが起こりがちなのではないでしょうか。

 

子どもの言動が手にあまるような場合、内面化した多くの情報に責め立てられて、

子どもの気がかりや問題のすべてを、自分の育て方の失敗と結び付けて考えて

おられる方はたくさんいらっしゃいます。

 

でも実際に親御さんに会ってみると、どの方も9割方はきちんと子どもに対応していて、

罪悪感や失敗感は不必要という印象があります。

必要なのは、子どもの個性に添って、ほんの少し接し方を微調整すること、

修正するにしろ自分のあり方のだいたいに自信を持つこと、

子どもの育ちの道筋の大きな流れを把握して、うまくいかない状態に不必要に

うろたえないことではないでしょうか。

 

子どもによっては唖然とするようないたずらを繰り返す子もいるし、

かんしゃくや駄々をエスカレートさせていく子もいます。

年中、文句ばかり言ってやる気がない子もいるし、

激しく動き回って、トラブルばかり起こす子もいます。

自分の言い分を通そうとして長い時間ごね続ける子もいるし、

不安や緊張が強くて、新しい活動に頑として取り組もうとしない子もいます。

 

そうした子と接していて経験的に言えるのは、

子どもの困った行動の多くは接し方を変えたり、十分に甘えられるような時間や機会を

設けたり、過干渉を減らしたり、子どもの長所や強みにスポットライトを当てることで

改善するけれど、だからといって、今、子どもの問題に悩んでいるのは、

それまでの過去の失敗の結果でもないということです。

 

わたしがこうした意見のよりどころとしているのは、

「たくさんの子どもたちと接する機会がある」という点と

「今、困った状態にある子と非常によく似た時期を経た子が、

その数カ月後、1年後、数年後には、

どのように成長していったのか目にしたことがある」という点で

培った勘のようなものです。

が、それは、子どもの言動に途方に暮れている親御さんが感じたり考えたり

判断したりしている内容と、かなりずれがあります。

 

子どもの問題行動がエスカレートしている時、たいていの方は、

「叱りすぎているのでは」「これまでの接し方が間違っていたのでは」と

親の自分にその原因があるのではないかと悩んでいます。

でも実際にそうした子とじっくり付き合ってみると、子どもの気質の側に因があって、

親の叱り過ぎや接する際の悩みを引き出しているように見えるのです。

 

周囲を疲労困憊させるほど困らせる子には、

発達に偏りのある子もごく一般的なもあるでしょうが、

どちらにしろ、際だって魅力的な面を持っている場合がほとんどです。

知能がとても高かったり、美的な感性が優れていたり、好奇心が強く科学への関心が

強かったり、エネルギッシュで粘りがあったりするのです。

繊細で優しい気持ちを持っていたり、

きちんとしよう完璧であろうがんばろうという気持ちが人一倍強かったりする子も

多いです。

わたしが教室で見かける親を困惑させる子のほとんどは、

発達障害による育てにくさがあるか、ハイリーセンシティブな子か、

ギフテッド(ハイリーセンシティブな子や発達障害の子と重なる部分を持っている

ことが多い)の子のいずれかの特徴を持っているように見えます。

ギフテッドは、先天的に平均値よりも顕著に高い能力を持つ子たちのことです。

 

ギフテッドの子どもたちは、神経の感受性が増すことによって通常の人間より

刺激を生理的に強く経験する特徴を持っているとされています。

こうした刺激に対する並みならない反応をすることは、OE(過度激動)と

呼ばれています。

ギフテッドの子らのように高い能力を持っているわけでなくても、

ハイリーセンシティブな子たちは、よくこのOEという精神状態にあります。

 

ポーランドの心理学者、精神科医、詩人であるドンブロフスキは、

OEという平均以上に敏感な精神状態を5つの分野に区分けしています。

 

1精神運動性OE

落ち着きがなく頭の回転が速い印象を与える。話が一気に飛躍する、

頭が働いて眠れないなど

 

2. 知覚性OE

神経質さ。光、音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。

美的感覚にもつながる。


3. 想像性OE

隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られる。白昼夢を楽しむ。


知性OE

広く知られているギフテッドの特徴。知識を渇望し、疑問は研究し、理論的な分析や

真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、

頭脳パズル、知覚ゲームを好む。


5. 感情性OE感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。

より楽しみ、より悲しみ、より怒り、より驚き、より恐れる。深く感情移入し、

愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。

 

子どものOE過度微動が強ければ、育てる親にすれば、

日々、へとへとに疲れ果ててしまうことは想像できます。

でも、こうしたOEの強い子たちの優れた面に光を当てて、

もがき苦しみながら成長していく姿に寄りそい、創造性や強い探究心を発揮する場を

保証してあげるなら、思い通りに育たない不全感は、思った以上の、

想像できなかったほどすばらしい個性の面白さに変わっていくのだと感じています。

また、実際に教室で、そうした姿を目の当たりにしています。


発達障害に似ているけれど、発達障害ではない子 ちがいの決め手

2019-03-17 21:53:24 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

『敏感すぎて生きづらい人の明日からラクになれる本』(十勝むつみのクリニック院長 精神科医 長沼睦雄 )

によると、感覚刺激に対する過敏性を持った「HSP」(非常にセンシティブな人)

自閉症や多動症という発達障害と呼ばれてきた人々(現在は社会の中で生活できる人も多いことが判明したため

神経発達症群と呼ばれるようになったそうです)

はとても似ているところがあるそうです。

不安が強く敏感すぎるHSPは自閉症に、

好奇心旺盛で新しいもの好きのHSS(遺伝的な気質のひとつで、新しくて強い刺激や激しい刺激を求める

タイプで、HSPであり、HSSでもあるという人はけっこういるそうです)

平面が苦手で立体に強い学習症は、HSP・HSSに似ているところがあるそうです。

 

発達障害(神経発達症)もHSPやHSSも

生まれ持った神経の特性で、生まれた後の影響を強く受け、客観視が弱く、

主観的なものの見方が強く、対人関係やコミュニケーションに弱さを持つところが共通しているのだとか。

 

でも、明らかに違うところもあるそうです。

それは共感性をつかさどるミラーニューロンシステムの働きや感情や感覚に使われ方が、HSPでは強く、自閉症で弱いことだそうです。

 

さまざまな神経ネットワークの結びつきHSPでは強く、自閉症で弱いことが予想されるそうです。(HSPと発達障害を合併しているような子もいるそう)

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ほとんど引用ばかりの文章で申し訳わけありません。

関心がある方はぜひ先に紹介した著書を手にとってみてくださいね。

 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <4>

2018-08-20 23:14:32 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

先日、初めて教室に来た4歳の男の子に

「棚の上のものを勝手に取ったら危ないよ。取りたいものがあったら、

先生に言ってね」と注意したところ、すっかりむくれてしまいました。

自分の服についているひもの先をつまんで、そうっとそうっとこちらに近づいてきて、

注射器でちくんと刺す真似なんでしょうけど、それをわたしの腕に押しつけてきました。

顔は「先生をこらしめてやるぞ」と真剣そのものなのですが、

ひもの先は丸いし、押しつけるといっても、そろりそろりとこちらが

気づかないくらいの力の入れよう。

あまりにも攻撃力がない武器に、あきれるやらおかしいやら……。

 

その話を教室に来た少し大きな子たちに話すと、

「先生が4歳の子にやっつけられた」と大受けで、

この男の子は「先生をこてんぱにやっつけた(子どもたちの言葉)武勇伝の持ち主」

として、話の上ですっかり人気者になっていました。

いろいろな年代の子らと、この話題で盛り上がっていたとき、

その反応にハッとする瞬間が何度かありました。

 

普段からちょっと緊張が強いAくんのお姉ちゃんのBちゃんが、

この話を小耳にはさむやいなや、「えっ?悪い子の話?Aのこと?」とたずねました。

内容ははっきり聞こえなかったけれど、

「ええー!先生、やっつけられたの?」「うわぁ、わっるー」という友だちの相槌を

聞いて、Aくんの話だと思ったようです。

 

Aくんはひねくれた性格でも乱暴でもなく、むしろ情に厚くて人懐っこい性質です。

でも、感覚が過敏だったり、力加減を調節するのが苦手だったりするので、

おふざけのつもりで始めた行為がついエスカレートしがちで、

対人面での失敗が多いのです。

Aくん、Bちゃんのお母さんは決して子どもを悪い子扱いする方ではありません。

これまでも子どもたちのことを、悪く言うのを聞いたことがないほどです。

でも、「悪い子の噂」と聞いて、Bちゃんの口に即座にAくんの名前があがったのは、

常に「Aくんが悪さをして注意を受けるかも……」というピリピリした思いが

胸の中にあるからなのかもしれません。

当のAくんは、Bちゃんに「えっ?悪い子の話?Aのこと?」と言われても、

「何でぼくが?」と言い返すわけでもなく、

「ちがうちがう。この間、先生が、おそろしくこわーい目にあったのよ。

実は全然、こわくないんだけどね。ほら、パーカーのフードの部分をキューッとしぼる

部分についているようなひもがあるでしょ。その先っぽは、とんがってもいないし、

固くもなくて……」というこちらの話に引きこまれて熱心に耳を傾けたあとで、

照れたように静かに笑っていました。

 

緊張の強い子たちが、「何か悪さをしてやろう」とか「腹立ちまぎれに八つ当たりしてやれ」とばかりに、

自分の意思で動いた結果、叱られることは稀なのかもしれません。

たいてい、気づいた時には叱られていて、

叱られて初めて自分のしでかしたことに茫然と

してしまうという子がほとんどなのでしょう。

 

高まっていく不安にがんじがらめになって泣き叫んだり、

フリーズしたまま頑なに活動に参加しようとしなかったり、

テンションが上がってつい調子に乗り過ぎたりした揚句、

身近な人をイライラさせたり、がっかりさせたり、爆発させたりする

(緊張の強い子たちにとって日常茶飯事の)出来事は、

周囲の予想以上に子どもの自己肯定感を下げたり、

自分と世界への信頼感を失わさせているのかもしれません。

 

そのせいか、「悪さ」や「いたずら」や「嘘」や「汚いこと」といったダークな話題に敏感で、

先の4歳の子の武勇伝の話をした時ように、タブーとなっている事柄を

ユーモアを交えて、自由に言葉にできる雰囲気があると、

何ともいえないうれしそうな笑顔を浮かべたり、

緊張を緩めてホッとしたような安堵の表情を見せたり、

いきいきと目を輝かせて話に乗ってきたりします。

遊びの世界でも、安全な枠を設けながら、

「これまでこうした失敗を繰り返して、傷ついたことがあるんだろうな」といったことを

自由にアウトプットできるようにしていると、

ちょっと派目をはずしているな……という状態から、

だんだん内省的で落ち着いた状態に変化していって、周囲に打ち解けていきます。

そんな折に、ポロッと口にする言葉から、

「この子は自分はものすごく悪い子だと思い込んでいたんだな」とか、

「自分を信用できなくなっているんだな」と気づくことがあります。

大人が思わず眉をひそめたくなるような『タブー』となっているものや

『悪』と認識されているものと安全な形で関わることが、

緊張が強くてなかなか周囲と打ち解けるのが難しい子を

外の世界との関係へと誘い出すのを、何度も目にしています。

それは、他の人の思いやルールを受け入れることにもつながります。

 

また、周囲はもちろん、自分自身も震え上がらせてしまうような攻撃性を

アウトプットしてしまったり、

「許されないかもしれない」と感じるほどのことをやってしまったりして、

叱られるには叱られたし、泣けるだけ泣いたりしたあとで、

大人のちょっとしたことで揺るがない強さや、

地に足がついたどっしりした姿を肌で感じたときや、

大人がさまざまな視点で物事を眺めていることや、

子どもが思っているより広い視野で考えていることに気づくときも、

子どもは固い殻を破って、自ら外へ歩み出てくるようです。

 

そうしたプロセスを、経験的にはよく知っているし、わかってもいるけれど、

うまく説明できないもどかしさに苦しんでいました。

そこで、助けを求めるように河合隼雄先生の『子どもと悪』を読み返しました。

 

河合先生が、「悪の問題を論じるのに、最初に『悪と創造』を論じるのは、

思いきったことのように感じられるかも知れない」と前置きした上で、

冒頭から、悪と創造の関係について語っておられます。

著書の一部を短くまとめて紹介しますね。

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悪には、文化差のようなものが存在して、個人差を強調しすぎるきらいがある

アメリカでは、子どもが他と異なる意見を言おうとするのを教師も応援しているし、

しっかり他人と同調すると「悪」の烙印を押されそうでもあります。

一方、日本においては、創造性が悪に接近して受け止められる度合いが高いのです。

「いい子」を育てようと、教育熱心な社会では、

子どもが創造的であり個性的であろうとすることが、悪と見なされることも

多々あります。

 

創造性は想像によって支えられていて、想像する力なしに創造はできません。

創造につながっているような想像というのは、表層的なものではなく、

自分の存在全体と関わってくるものです。

想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が含まれ出すので、

悪とかかわってくることもあります。

 

悪は大変な破壊性を持っているものだし、理屈抜きに許されない悪があるのも確かです。

しかし、悪とは一筋縄でいかないもので、排除すればいいというものでもありません。

教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、

結局は大きい悪を招き寄せることになってしまうのです。

 

悪は不思議な両義性を持っています。

それを端的に示す例が、「悪と創造性」ということになります。

悪は取り返しのつかない破壊力を持つ一方で、未知のものを秘め、活力に満ち、

古い秩序を解体して、新しいものを生み出そうとする力にもつながっています。

 

                    『子どもと悪』河合隼雄/岩波書店

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緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <3>

2018-08-20 20:58:00 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

こんなことを書きました。

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そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

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突然のアクシデントに気を取られているときも

子どもの出す「小さなサイン」に気づくことの大切さをいつも感じています。

 

「気づく」なんて、外からはわからないほど地味な行為ではあります。

でも、子どもとの信頼の絆は、「気づく」というささいな行為の重なりの上に

築かれていくのを実感しています。

 

「小さなサイン」には、こんなものがあります。

 

一緒に活動するのを頑なに拒絶している子が、ずいぶん後になって

ほかの子らのしていたことを真似ようとしたり、

ほかの子の遊び道具に触れていたりすることがよくあります。

そうした姿から、「だんだんほかの子のすることに興味が生まれてきている」

「好奇心が動き出している」という子どもの気持ちに気づくことがあります。

そんな時期に、集団への活動に参加することを無理強いすると逆効果です。

自分から集団に入っていきにくい段階の子には、その子のところへ

ほかの子に来てもらうのもひとつの方法です。

それより、後から遊びを真似ようとしている子のもとに、ほかの子を呼んで、

「どうやってするの?教えてちょうだい」と頼んだり、

遊びが成り立つように取り持って人との関わりの成功体験を積ませていきます。

こんなとき、ユーモアがとても役立ちます。

ちょっとしたことをきっかけにいっしょにゲラゲラ笑う経験をすると、

緊張の強い子たちも関わり方のコツをつかんでいきます。

 

残酷なことを口にしたり、遊び方が乱暴でお友だちを驚かせてしまうような子には、

子どもと子どもの間に入って、大人が適度なクッション材になるようにしています。

緊張が強い子たちがお友だちと関わり始めた時、ちょっとしたことで攻撃的に相手を

ののしったり、おふざけのつもりや、思い通りにいかない場面の仕返しに、

相手に手をあげることがあります。

繰り返すので反省がないように見えても、感情がコントロールできないことを

その子自身が一番気にしていることはよくあります。

声が裏返るような興奮した口調で残酷な言葉を吐いていた子が、

次第に冗談半分に甘えた様子で残酷な言葉を口にするようになったなら、

子どもの心は変化しはじめています。

先の記事にこんなコメントをいただきました。

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先日遅ればせながら、こどもを連れてアナと雪の女王を見に行きました。(はやっているのは知っていたのですが、上の子が映画の刺激にどう反応するのか、ストーリーの内容がこどもに見せるのに適しているのか迷っていて遅くなりました。)

内容がどう、というよりLet it go(ありのままで~)の歌が、うちの子も含めてみんな好きなのだなーという感想でした。

この歌のどこがこどもたちの心を捉えるのだろう?とつらつら考えている中で、この歌のちょっとロックな、というか少し痛みを伴う感覚はなんだろうって探っていたのですが、もしかしてこれが自分を開いて、閉じられた快適な世界から飛び出す時の痛みかな、なんてふとおもいました。

ひとりごと的なコメントで失礼しました。また気が向いた時に続きお待ちしています。

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『アナと雪の女王』の姉のエルサの姿は、どこかで緊張の強い子たちに通じるものがありますよね。

 

映画を見た方はたくさんおられると思いますが、簡単にストーリーをわたし流(書き方が偏っていたらゴメンナサイ)

に整理しておこうと思います。

 

ありとあらゆるものを凍らせてしまう危険でパワフルな力を持つエルサは、

生まれ持った特性と才能ゆえに孤独を生きています。

自分の世界に閉じこもって暮らしていたエルサが、

外の世界と接触する戴冠式の日、エルサの力は暴走し、周囲を冬へと変えてしまいます。

それを機に、自分を抑えつけるのをやめてありのままに生きていく決心をしたエルサも

エルサが創造する世界も

本当に美しくて高貴な魅力にあふれていますが、同時にどうしようもない孤独も体現しています。

 

妹のアナの命の危険を顧みず自分を助けようとする姿を目にして、

エルサは、魔法の力をコントロールする術とは、

「恐れ」ではなく、相手を思いやる「真実の愛」なのだと悟ります。

 

最後に、雪と氷を空へ蒸発させた夏に戻った世界で、

エルサは自分の特性や才能を親しい雪だるまのオラフを助けることや

国民たちと真夏のスケートを楽しむために利用するようになります。

 

緊張の強い子たちというのは、活動にも参加せずにじっとしている時も、

無力なわけでも怠惰なわけでもないものです。

自分の内面に周囲を圧倒するような力や思いを秘めている子がほとんどですから。

 その子たちが一歩外の世界に踏みだそうとする時には、

エルサ同様、それまで内に抑え込んでいたまだ社会化されていない感情が

暴発してしまうことが多々あるのです。

それによって、お友だちや親や先生や自分自身を深く傷つけて、

夏だった世界を冬へと変えてしまうかもしれません。

 

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 1 で、

わたしが第三者だからできることは、外の世界とその子の世界の境界面に立って

外と内との橋渡しをすること、

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることで、

その瞬間は、たいてい、無意味で無駄に見えるし、

ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることが多いとも書きました。

 

そんな時、緊張が強い子とわたしの心と心がそれまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感するというのは

どういうことなのか、できるだけ具体的に書いてみたいと思います。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <2>

2018-08-20 19:29:04 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

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この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

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緊張の強い子には、大きく分けて、

内向的だけれど芯が強くて、頑固で攻撃的な一面を持った子と

慎重でおとなしく穏やかな性質で、人が集まる場に行くと無口になって

身動きできなくなる子の2タイプあるように思います。

今回は、前者の「芯が強い子」について書かせていただきますね。

 

子どもの世界はすごいな、と思うのは、どんなに周囲との関わりを遮断するように

して遊んでいる子にもちゃんと揉め事が降ってくるところです。

もしこれが大人の世界なら、

「誰ともいっさい関わりたくない」という雰囲気をかもしている人が

後生大事に抱え込んでいるものを借りに行こうとは思わないですよね。

万が一、貸してもらおう思ったとしても、

「それを手放すなんてこの世の終わり」とでも言わんばかりの深刻な拒絶にあえば、

あきらめてほかをあたるでしょう。

 

でも子どもの世界では、「何が何でもどんなことがあっても貸したくない」という子に、

その子の持っているものが本当に魅力的なのか、自分はそれが欲しいのかなんて

そっちのけで、「何が何でもそれじゃなくちゃ嫌で貸してほしい」という子が

引き寄せられていく瞬間があるのです。

 

 片や手にしているおもちゃを手放すことが、そのまま自分の世界を奪われることや

自分の場を壊されることとイコールでつながっているような緊張の強い子。

 

片や部屋を見渡せば、ほかにいくらでも面白そうなおもちゃがあっても、

緊張が強い子と同じくらいエネルギーを注いで、それを得ることに固執する子。

 

そんな二人は、どこか似ているところがあって、

最終的に大の仲良しへと発展することがよくあります。

教室では、子どもたちの心と心がゆっくりと近づいていく過程を大切に見守っています。

 

誰かが作っていた積み木の駐車場を足で引っかけて壊しちゃった、

どんどんブロックの線路をつないでいた子が自分のスペースに侵入していった……など、

ひとりで静かに遊びたがっているんだから、ずっとそのまま遊ばせてあげる……という

わけにいかないのが子どもの世界です。

 

周囲から距離を置いている子自身も、

おもちゃについては、ほかの子の遊んでいるものがどうしても欲しくなって奪い取りに

いくこともあります。

 

そうして揉め事が起こるときには、

それまでほかの子や大人と交わらないで過ごしていた子も

いきなり感情をむき出しにした状態で接近することになります。

 

緊張が強い子は、もともと人との関わり方に不器用さを持っていることもあるし、

関わりそのものが経験不足でもありますから、

「おもちゃを貸して」「貸さない」「それはわたしがやりたい」「ぼくが一番先」

「ぼくが」といったちょっとしたやりとりが、パニック状態を引き起こしたり、

乱暴に反撃してしまったり、 強い態度で拒絶するため相手の子の手がつい出て

しまった……という事態につながりやすいです。

 

人との関わり方に不器用さや経験不足がある子たちが

ちょっとしたことをきっかけに周囲との激しい衝突を引き起こすときは、

どのような対応をすればいいのでしょう?

 

たいていの親御さんは、予期せぬ事態が起こると、

「こんなときはどうすればいいの?」

「どう言い聞かせてやめさせればいいの?」と目にしている一点への解決法を求めます。

 

わたしが、こういう事態に遭遇した場合、やりすぎたり、引っ込みすぎたり、

激しく感情を爆発させたり、引きこもったりする揺れ幅が大きい期間……

つまり古いものから新しいものへと移り変わって行く途中である『過渡期』として、

扱っています。

子ども同士の揉め事のクッション材となったり、傷ついた子をなぐさめたり、

おしゃべりしたり、物語の世界にあるような解決法を提案したり、

揉め事をテーマにした人形劇を見せたり、一緒になって悪を演じる遊びを表現したり、

粘土や水のような気持ちを落ち着ける素材で遊びを準備したり、

こちらに向けられる攻撃性を受け止めたりかわしたりしながら、

感情の爆発の背後にある新しい心の変化の兆しの一つひとつを、

心に留めていくようにしています。

 

緊張が強い子は、触角の過敏さや鈍感さを持っている子が多いな、と感じています。

触角が過敏だったり、鈍感だったりする子たちは、

粘土や砂に触れるのを極端に嫌がる一方で、手を洗う時の水の温度を気にしたり、

服の素材に文句をつけたりしています(それが一転して、気に入ると粘土遊びばかり

したがったり、ひんやりしてつるんとした手触りのスライムを、しつこく触りたがっ

たりすることもあります)。

 

誰かに軽く触れられただけで、ピリピリした攻撃的な目でにらみつけたり、

身体を硬直させて歯をくいしばってみたり、

人と触れる可能性がある場に近づくだけで足がすくんで動けなくなったり……。

嫌いな刺激を避けるために、ちょっとしたことで感情を爆発させて、大騒ぎしたり、

「こうしたい」とか「これはいやだ」と言い張って、意固地になったり、

訳もなくイライラしだしたと思ったら、いつまでも機嫌をなおさなかったりします。

 

自分に対しては、ちょっとぶつかられただけでも大騒ぎして怒るのに、

親に八つ当たりするときは、子どもとは思えないほどの力で叩いていたり、

おとなしくて自分から揉めるような子ではないのに、お友だちと物の取り合いになった

ときなどに突如、強い力で相手を突き飛ばしたり、物を投げつけたりするので

びっくりすることもあります。

 

緊張が強い子が、自立心の芽生えや友だちを求める気持ちや周囲の期待に応えなくてはと

いう思いや、好奇心といった自分の内からの要請に突き動かされて、

閉じこもっていた自分の世界から外に出てこようとするとき、

目で見ることができたり耳で聞くことができる形で

恐ろしいものや残酷なものがたくさん必要なんだな、と感じることが多々あります。

 

鬼や地獄絵や、ピラニアやサメのように鋭い歯を持った水の中の生き物たちや、

指名手配犯などが遊びの主役になったり、

自動車事故、殺人事件、自殺、暴力、肉食動物が他の動物を食べるシーンなどが遊びの

テーマになったり、子どものおふざけの中で、「ぼっこぼこにする」「死ね、死ね」

「じゃ、死ねば?それ、殺したら?」「くそばばあ、くそじじい」「毒薬」

といった言葉が繰り返し使われたりします。

 

たいていそうした残酷すぎることをいう子に限って、お母さんがちょっと見えなくなるだ

けで涙目になったり、怖がらなくていいようなものに極端に怯えたり、繊細で優しすぎる

一面を持っていたりするものです。

過敏な子たちにとって、安全な自分の空間から一歩外に出てくることや

他者に近づくことは、生死の際に立っているような不安を伴うもので、自分自身の存在を揺るがすような一大事なのでしょう。

最初のうち、とげとげしい攻撃的な態度やハイテンションの冗談や吐き捨てるような

物言いの中で使われていた、残酷な主人公たちや残酷なテーマや残酷な言葉が、

ユーモアを含んだ茶目っ気のある世界で扱われるうちに、次第に必要がなくなって、

等身大の子どもの世界の主人公たちやテーマに取って変わられるようになると、

子どもは周囲の友だちともわたしともとても親しくなっています。

 

過渡期といえば、これまでこんなことがありました。

ほかの子と関わらずに自分の遊びに固執していて、

気持ちが高ぶるとお母さんを蹴ったり叩いたりする子がいました。

その子が、ほかの子らに心を許して遊びだし、新しいより成長した自分を

表現しはじめたのは、激しいかんしゃくを爆発させて、

わたしをポカポカと叩いてきた出来事がきっかけでした。

 

友だちと関わろうとせずに内に閉じこもっていた子が

次第に上手に友だちと遊ぶようになっていった過程では、

ふざけて大人を叩いてくる遊びに興じたり、わざとおもちゃやビーズなどを床にぶちまけたり、乱暴な言葉や残酷な言葉を連発したりする時期を通りました。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 <1>

2018-08-20 18:59:28 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

人や場に対する警戒心が強いために、さほど発達上の問題は感じられなくても

集団生活でうまくいかないことが多い子がいます。

うまくいかないから自己肯定感が下がって、

自己肯定感が下がるから自分の気持ちを素直に表現できなくなって、

さらに集団での活動がストレスになっていく……という悪循環に陥りがち。

 

そうした子が虹色教室に来ると、最初のうちはやっぱり緊張していて、

周囲に対してバリアを張った状態で、閉鎖的な遊び方をします。

狭い同じ部屋にいながら、きょうだい間でだけ打ち解けて、友だちやわたしと

一定の距離を保ち続ける子らもいます。

最初のうち……だけでなく、そうした緊張状態がずいぶん長く続く子もいます。

 

「そうした子にどう接したらいいですか?」

「どうしたら緊張しないようになりますか?」と問われると答えに困るけれど、

わたしが「お母さん」ではない第三者だからこそ、役に立てることはあります。

 

外の世界とその子の世界の境界面に立って、外と内との橋渡しをすることです。

境界面に風穴を開けて、内と外の風通しをよくすることともいえます。

 

この橋渡しの瞬間、風穴が開く瞬間というのは、たいてい、

無意味で無駄で停滞しているように見えたり感じられたりする時間に

起こります。ショッキングな辛い出来事がきっかけとなることも多々あります。

 

なぜって、緊張している子が閉鎖的な自分の世界で遊んでいるのは、

その状態が安心で心地よくて自由だからでしょうから。

もし、外からほかの子と一緒にする活動を求められたり、

内から「他と関わりたい」という衝動に突き動かされたりしたら、

ゆったりリラックスして過ごすことはできないでしょう。

 

たとえ自分自身の好奇心から外の世界へ踏み出したい場合でも、

安全が脅かされて、不快な気分になったり、

イライラしたり、キレやすくなったり、陰鬱で頑固になったりするはずです。

 

そんなときに、外からは、雰囲気が悪くなっていく中で

これといったことをするでなく、後味が悪いまま時間が過ぎていったように見えても、

緊張が強いその子とわたしの心と心は、それまでにないほど近づいて

絆のようなものが生じたのを実感することがあります。

「互いに共有する物語を持った」と言った方がいいかもしれません。

経験的にわたしは、子どもの変容のプロセスの始まりを垣間見たのだろう

と捉えています。

といって、あまりに取るに足らないような主観的なものなので、

言葉にするとなると気が引けるのですが、

緊張の強い子たちが外の世界で自分らしくいきいきと振舞うようになっていく

プロセスはとても似通っていて、

始まりはいつも、誰も目にとめないようなつまらない出来事です。

 

緊張が強い子が、ほかの大人や子どもがいる場で、過度に不安がったり、

新しいことへの参加を拒んだり、ちょっとしたことでピリピリしたり、

不必要なほど頑固になったりするのは、さまざまな原因が考えられます。

 

神経の細かさや高ぶりやすさのせいで内向的な態度が強くなっているのかもしれないし、

触角の過敏さなど感覚統合の問題を持っているため

人に近づくことに防衛的になっているのかもしれないし、

想像力の弱さがあるため未知のことに不安を覚えるのかもしれません。

育ってきた環境や経験の量や親子関係の問題で、本来なら「ちょっと内気かな」と

感じるくらいの性質が融通のきかないものになっていることもあるでしょう。

 

子どもをほかの子らがいる場に連れて行っても、一緒に楽しそうに遊ぶどころか、

怯えたり、イライラしたり、親の背後で固まったままだったりすると、

「何もしないのに、わざわざ連れていくべきなのかな?」

「育て方に問題があるのかな?」「子どもの発達に問題があるのかな?」と

親自身も葛藤や迷いで身動きできなくなるかもしれませんね。

 

 

『プレイセラピー 関係性の営み』の著者、ゲリー・L・ランドレスによると、

子どもには生まれながらに自己実現傾向というものが備わっていて、

そこから学びと変化へ向かう動機づけが生じるそうです。

環境への不適応を起こしていた子どもが変化していくプロセスについて、

ゲリーは次のように語っています。

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それまでとは違った自己に向かうこうした動きは、セラピストの暖かさや関心、

注意、理解、純粋性、共感を子どもが感じ取ると、それに促されて始まります。

心理的な態度が動きを促すというこの傾向によって、子どもは自己志向的に

行動するために、そして自分の自己概念や基本的な姿勢を変化させるために、

自分自身のものすごい量の資質をあてにすることができるようになるのです。

このように、変化するための能力は子どもの中にあり、セラピストが方向づけや忠告、

情報を提供した結果として生じるものではありません。ロジャースが表現したように、

「もし私がある種の関わりができたなら、個人的な発展が生じるだろう」

ということになります。

  『プレイセラピー 関係性の営み』P58(ゲリー・L・ランドレス著/日本評論社)

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子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には?

2018-05-06 07:38:12 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

 

2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。

2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して

自分なりの意見をよく口にしていました。

 

ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。

やりたいことがあっても、他の子がしている間は

身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。

 

これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、

終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。

そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに

全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、

「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、

Aくんが何か言おうとするとお兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。

男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら成長していくものです。

とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。

 

この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、いっしょに遊んでいました。

Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、同じ遊びをしたがるものですから、自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、たびたび思いがぶつかりあっていました。

 

といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま固まっていました。

その表情から、口には出さないものの、Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。

 

この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった工作作品が置いてありました。

それを見つけたAくんは、ゆっくりそれをやぶきだしました。

あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。

「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、Aくんがもらうことができるよ。好きなように改造してみたら?」と問いかけても、まだやぶいています。

やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じではありませんでした。

何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくていじいじしている……そんな感じです。

 

内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、

家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、

攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。

本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく過ごしている子もいます。

でも、そうした子は数年先に、一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)を送る姿を教室でよく見かけます。

 

それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、どうすればいいのでしょう?

内面にうっぷんを溜めやすい子自体がハイリーセンシティブチャイルドという敏感なタイプの子が多いとは思うのですが、ごく一般的な子であっても、今ある環境に圧倒されて過敏になっている時期には、このHSC(ハイリーセンシティブチャイルド)の子と同様の対応が重要になってくるように感じています。

 

そうした敏感な子への対応法は、これまでも何度か紹介させていただいているマイコー雑記のマイコーさんが、

ハイリーセンシティブチャイルドの支援に取り組むセラピストによる「HSCが健やかに育つ7つのヒント」

という記事の中でまとめてくださっています。

 

タイトルだけ箇条書きにすると、次の7つです。

 

1、ダウンタイムを大切にする

2、人ごみを避ける

3、自然を楽しむ

4、創造性を優先する

5、一緒にすごす時を楽しむ時間をもつ

6、自ら選択する機会を与える

7、感情の調整を助けてやる

 

先にあげたヒントは、言葉通り解釈するのではなく、それぞれの子の日常や環境のなかで咀嚼しなおして、

「繁華街のような人ごみには連れて行ってないけど、幼稚園での集団の騒がしさで

疲れているはずだから、静かに自分の遊びに集中できる時間を作ってあげよう」など。

 

Aくんの話にもどりますね。Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。

今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。

 

Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。

自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと、自分への信頼感や自信を取り戻しますから。

 

Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに滑っていくミニカー」にあるのではなく、車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。

他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを詰めようとしていました。

 

 
そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、
Aくんは興味を示しませんでした。
 
 そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。
また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような、どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。
 
ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、ストーリーを展開しながら、それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。
 

ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。

Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。

 

それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と言いました。

Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。

「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやってギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。

教室にはたくさんミニカーがあるから、いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに出してきてあげるよ。先生といっしょに駐車場を作らない?

Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけがいろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、

「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」とBくんのお兄ちゃんも譲りません。

Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと、電車を抱え込んでいました。

しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、

「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。

Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに対して、「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。

 

「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。

「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」

「じゃあ、これは?」「いや」

「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、真剣な表情でこっくりします。

 

「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、全部取っちゃうよ、ってAくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。

それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。

だから、今度はAくんは、この列車は全部自分で使いたいんだって。

ね、今日だけ、お願いよ。

今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを探しに行くことにしたらどう?

お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、

Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」と言いました。

 

するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。

「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?

きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、

それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、笑顔がこぼれました。

 

部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。

「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。

「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、

「見えるよー!!」と答えます。

「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」

「見えるよー!」

Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。

昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか、興味をそそられたようでした。

 

再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続けるお兄ちゃんに、

「じゃあ、列車に聞いてみようよ。

お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、

「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。

 

Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言ってから、急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。

 

Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに並べるわけにはいかないのだとか。

前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。

 

いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。

 

Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが発揮されだしたのはなぜでしょう?

子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

 

 子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。

本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、

「その場で本音を言ってごらん」とアクションをかけるような浅い対応ではなく、

子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、

従う従わないに関わらず、

大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で、

子どもの思いを尊重して対応することです。

Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、

「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、間があいちゃうからダメだ」という

今、敏感になっている秩序への思いが含まれているのでしょうし、

「ぼくが最初に遊んでいたよ」

「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」

「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、ひとつも貸してもらえなかったんだよ」

 という訴えや過去の体験で味わった不満感を再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。

また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という発達上の要求や、

「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、言うこときかなくちゃ。でも、お母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。

 

そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。

訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。

 

不満感が満たされる体験、不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい自分のやりたいことをやりきる時間もいります。

 

自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして、いやな出来事を眺めることも大事です。

 今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。

Aくんは自分の強みを使って、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを

言葉にした瞬間から、

「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を

ごっこ遊びのストーリーの一部として、

ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく対象へと変化させていました。

おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする存在だったお友だちのお兄ちゃんは、Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。


発達障害ではないけれど 集団行動が苦手な子 2

2017-12-31 15:17:22 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

 ずいぶん前に、発達障害ではないけれど 集団行動が苦手な子

という記事を書いたことがあります。

教室での子どもたちの姿について書いたものですが、

別の視点からこのことについて書いておいた方がいいかと思いました。

 

最近、幼稚園等で集団行動が苦手な子を見ると、即座に

「発達障害ではないか」という眼差しが向けられることが増え、

「この子が?」と思う子が療育に通っているという話を聞くことも多くなりました。

わたし自身は医師でもそうした専門家でもありませんから、

この子は発達障害、この子は発達障害でないと、

白黒つけられる立場ではありません。

でも、子どもの身近にいて、多くの子が成長していく姿を見てきた経験からいうと、

集団行動を難しくする感覚の敏感さが、

ハイリーセンシティブ(HSP)と称される人々のそれと

自閉症スペクトラムの人々とそれとでは、

原因が全く異なるのに、特に幼い間は、

困っている姿だけを見て同じ扱いを受けてしまうことに問題を感じています。

 

そのことについて、

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち

というブログに非常にていねいに解説してあります。

 

また同じブログの

創造的な人がもつ複雑で多面的な人格の10の特徴―HSPや解離とのつながりを考察する

 

解離が学べる絵本「私の中のすべての色たち」―逆境を生き抜く勇敢で創造的な子どもたち

も個性的な子どもを理解する上で大切な記事だと感じました。

 

年末、ゆっくりパソコンに向かう時間がなくて、

好きなブログの記事の紹介ばかりになってしまいましたが、

わたしもこうした話題では、書きたいことがたくさんあるのです。

来年、時間がある時にじっくり言葉にしたいと思います。


相談 「ハイリーセンシティブで完璧主義の子への対応に困っています」4

2017-07-03 16:06:30 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

前回までの記事にこんなコメントをいただきました。

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いつも虹色教室のブログを読ませて頂いております。
私の娘も、Aちゃんととても似ています。

娘もちょうど小学2、3年生の頃、ダンボール工作にハマり同じように癇癪を起こして毎日暴言暴力、激泣きしていました。
YouTubeを見ながら作っていたんですが、同じように作りたい!間違えたらダメ!
と頑なにこだわっていました。
今すぐ作りたい!今すぐ完成したものを手に入れたいという思いもあるようで、
ちょっと間違ったり、作業が多いので出来ない出来ない、どうするの?やってよ!と喚いていました。
手を貸すと、そうじゃない!というし、口を出すと違う、ママのせいで間違ったとなるし、本当に大変でした。

そんな娘を毎日観察していて、この子はどこにつまづいてるんだろうと眺めていたらあることに気づきました。
口だしも、手出しも嫌がる子なので、私が娘の状態を再現して見せました。
ママも作ってみようかな?
とはじめて、娘が困っているところで同じように困って出来ないよーと言ってみたり、もう失敗したかも!と困ったり、
そうすると、手出し口出しするより、娘も私のやってることに励ましてきたり笑

散々困ったあとで、あっこうするとどうかな?出来た!やってみたら出来たよ!と喜びを共有したりしていました。
そんな私の様子から、娘も自分でやれるようになりました。
その出来事があってから、娘は物作りに目覚めたようでとても急成長したように思います。
Aちゃんもこの出来事で、何か殻が破れるチャンスかもと思いました!

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コメントをいただきありがとうございます。

いただいたコメントの娘ちゃんの姿は、多くの子が急成長する時にたどる姿でもあります。

また、激しい葛藤状態にある子を成長へと導くカギは、コメント主さんの取った

大人も失敗し、困り、それを工夫しながら乗り越えていく体験を見せることでもあります。

 

今の時代を生きる子たちは、身近な場で失敗したり困ったりした時、知恵を絞って解決していく姿や

ただもたもたと停滞する状態にしんぼう強く向き合うプロセスを見ることは、

ほとんどありません。

ですから、Aちゃんやコメント主さんのお子さんのように

「難しいものも自分だけのアイデアで作りたい」

「最初から完成したものが作りたい」とジレンマを抱いて

大騒ぎしてしまう子は、ある意味、頼もしいのかもしれません。

 

現代の完成品に囲まれた世界は、「自分でやりたい」という気持ちさえ

子どもたちから奪ってしまいがちですから。

 

こうした問題は、工作だけでなく、学習の場でも、

さまざまな問題を引き起こしているように感じています。

即答で答えが出せる1,2年生の学習ではよくできるのに、

2段階、3段階の思考や、すこし面倒な手順を踏まなくてはならない問題は

手も足もでなくなってしまう子がいるのです。

 

勉強で、わからない、できない、という問題にぶつかった時、

時間をかけてじっくり考えてみたり、

他の人の説明に理解しようとする心で耳を傾けたりすることは、一朝一夕に身につく態度ではありませんから、

遊びや工作の中で、少し面倒な作業やこうしたジレンマを体験し、それを乗り越えていくことが

とても大切だと思っています。


相談 「ハイリーセンシティブで完璧主義の子への対応に困っています」3

2017-07-02 17:48:36 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

工作時のAちゃんがお母さんを困らせている態度は次の通りです。

工作での困った態度とはいえ、こうした問題を乗り越えることは、生活全般や学習の問題を

解決することにつながります。

 

★自分の最初に考えたアイデアにこだわりすぎて、

うまくいかない仕組みの微調整をする時にイライラする

 

★うまくいかない原因を尋ねるものの、

修正箇所を指摘されただけで、気分を損ねる


★アイデアが思いつかないと相談するものの、選べるよう複数提案すると、

「それは、お母さんが考えたから、私のアイデアじゃないから絶対嫌だ」と受け付けない


★最終的に毎回、手の付けられない程号泣する

 

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Aちゃんが「自分の最初に考えたアイデアにこだわってイライラする」というのは、

最近、教室でもよく見る姿です。

以前からそうだったかというと、たまにはそういう姿もありましたが、

ほとんどの場合、そうではありませんでした。

むしろ「あまりきれいな仕上がりではなかった」「思ったようにいかなかった」という

事態におおらかで、見た目はイマイチな仕上がりでも、

自分の適当な代用案で満足しているふしがありました。

また、わたしが新しいアイデアを見せると、

「いいねぇ、いいねぇ」と言いながら、積極的に取り入れてもいました。

 

そんなAちゃんが、最近になってどうしてイライラするようになったのか、というと、

最近のAちゃんの工作での目的意識の変化

関係していると思われます。

 

以前のAちゃんは、「こんなものを作りたい」と思ったものの

姿形を似せていくことを目的にしていました。

合掌作りの家屋が作りたいという場合、「これはこんな形だから、こう折ればいいかな、こう切ればいいかな」

という試行錯誤をしていました。それは物をていねいに観察するAちゃんにとって、

努力次第で自分で何とかなる課題でした。

 

でも、教室で忍者屋敷作りでひもや磁石を使った仕掛けを作ったり

キャンデーマシーンを作ったりした後から、

仕掛けのある工作物を作りたがることが増えました。

仕掛け作りは、よく観察することと、がんばることだけでは

どれだけ繰り返しても、どこまで先に進んでも、うまくいかない場合があります。

 

つまり、これまでAちゃんが成功を手にしてきた方法がどれも効かないということであり、

自分の無力さと直面することでもあります。

やりはじめたことを完璧にやり遂げたという実感を持つことが

難しくもあります。

それでも、何度も再チャレンジするところがAちゃんのすごさであり、

号泣に終わるところは、Aちゃんにとって、今ぶつかっている課題が途方もない

ものに感じられるからかもしれません。

そういう時は、十分な心の空き容量がなくなって

激しい葛藤状態の末、泣いて終わりことになりがちですから。

 

具体的にどうすればいいかというと、言葉でアドバイスするのではなく

選択肢をさりげなく見せるといいのかもしれません。

お母さんから「こうしたら?」という提案がくるのではなく

自分がお母さんのしていることの中に必要な答えを見つけるのなら、

「自分で解決したい」という思いが強い子にも抵抗が少ないかもしれません。

 

次回に続きます。