那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

ひろさちや 名僧のひと言より

2013年03月06日 | 宗教
http://shuchi.php.co.jp/article/1032(PHPのweb版から引用)

ひろさちや(宗教評論家)

[最澄のひと言]愚直に歩めば道は開ける

道を求める心があれば衣食のことは自然とついてくる。
だが衣食のことばかり追い求めていたら道を求める心は起きない。

 【原文】
 「道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし」(伝述一心戒文)

 唐から帰国した最澄は、日本の仏教界を再編すべく、文字通り東奔西走する毎日を送るようになります。

 まずは中国で学んだ教えを広めるために日本天台宗を開き、1つの宗派として正式に認めてもらえるよう朝廷に働きかけます。そして、教育制度を整え、後進の育成に道筋をつけ、比叡山の施設を充実させていきました。さらには自ら関東や九州にまで出向き、土地の人々に数えを伝えて歩いたのです。

 国から官費を受けられる立場とはいえ、いくらお金があっても足りない状況だったことは想像に難くありません。

 ですから、「道を求める心があれば、経済的なことは自然とどうにかなる」というのは、最澄の心の底から出た言葉だったのでしょう。

 実は、これと同じような言葉を、「さよなら、さよなら、さよなら」でおなじみの映画評論家、淀川長治氏も残しています。

 「自分の好きなことを何年も何年も一生懸命やっていれば、絶対に金で苦労しない。これは私の持論です」

 淀川氏は、少年時代から映画が好きで好きで仕方がなく、大人になってからも映画以外のことは考えられなかったそうです。

 もちろん、生活するためにはお金が必要です。

 それでも、淀川氏はお金を稼ぐために映画を見るということは決してしませんでした。ただがむしゃらに映画のことだけを考えて、映画のすべてを愛し続けたことが、いつのまにか映画評論家という肩書きに結びついていたのです。

 そんな淀川氏でも、テレビで映画番組を担当したときには、ちょっとした迷いが生じました。映画をテレビで放映する場合、放送時間の関係で監督の意向を無視した再編集をすることがありますが、映画評論家たるものがそんな冒涜に与(くみ)していいのか、と批判を受けることがわかっていたからです。

 しかし、淀川氏は、映画館に足を運べない人もいる、テレビがきっかけで映画のすばらしさに目覚める人もいる、そんな人たちのためにテレビ放映は必要だと結論。結果として番組は高視聴率を得て、淀川氏もお茶の間の顔になりました。

 一本気な情熱が、ここでも道を切り開いたのです。

 時代も、情熱を注ぐ対象も全く違う2人が、同じ結論に達したというところに、むしろ真実が感じられませんか。

 「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」――多少は苦しい道でも、愚直に歩み続ければ道は開ける。若い人にこそ覚えていてほしい言葉です。
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ひろさちやの本は2冊ほど読んだ記憶がある。あまりに平易な文章なので馬鹿にしてしまいがちだが、かなり的確なことを書かれていたと思う。

最澄が言おうとしたことと淀長さんの成功例は「道心」という一点において比較対象にならない。が、要するに自分の損得は抜きにして一つの道を究めていけば食うには困らない、という大雑把な括り方をいえば、両者に繋がりはある。

私には色んなジャンルに、しかも極端に違う分野に様々なアドバイザー的な人物がいる。確かにひろさちや氏の言うとおりそれぞれの分野で名を成しておられる。

一方、私の場合はしばしば書いているように器用貧乏の典型なので、一生をこの道に賭ける、という発想がない。何人かの人から「君は自分を他人ごとのように見ているところがある」と言われた。実際、ある時にはAに熱中し、あるときにはBに熱中し、という風に次々に興味の対象が変化していく。とにかく稽古や修行が好きで、それが趣味道楽に変化してコツが分かったらた別のものにチャレンジしてしまう。自分の職業を規定するのが嫌いでその時の縁に触れて自分の別の面の能力が開いていく。それを見ているのが面白い。
 
自分の中ではそれなりに大きな統一性があり、生きていく上で自然と乗りかかった船なのだが、花開くとき風雨多しの言葉通り、思いもよらぬ出来事が重なり、危篤からどうにか生還して、元のような体に戻るかどうか分からないが、人生を逆算しながら余生の使命をどういう順番でどう克服するか思案中といった所である。
 
道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし

この言葉を噛み締めると、非常に厳しい訓示だと感じる。今の日本に最澄から頭を撫でてもらえる生き方をしている人が何人いるか、疑問に思う。




日蓮聖人の和歌

2013年03月06日 | 芸術・表現
腱鞘炎でパソコンはなるべくやらないようにと言われているので簡単に。
以下は日蓮の歌。


おのづから
よこしまに降る
雨はあらじ
風こそ夜の
窓をうつらめ

ちりしはな
をちしこのみも
さきむすぶ
いかにこ人の
返らざるらむ
 
こぞもうく
ことしもつらき
月日かな
おもひはいつも
はれぬものゆへ


なにか適当な解説があれば貼り付けてお仕舞いにしようと思ったが、創価学会のものしか出て来ず、仕方が無いので解説する。解説する、と言ってもこれらの歌が出来た背景や遺文集は一切無視して、素朴な感想文に留める。

日蓮の和歌は非常に少ない。私の知っている限りはこの3首のみで、簡単に検索した結果でも他には出てこなかった。その理由を少し考えてみたい。

一番上の歌は、所謂「道歌」と呼ばれるもの。本覚思想(凡夫即仏)に基づいている。直訳すると、「雨は放っておけば真っ直ぐ降るものです。風のために雨が斜めに降って夜の窓を打つのです」となり、意訳すれば、人間は本来仏ですが、悪い縁に触れて心が曲がってしまうのでしょう(それを法華経の力でいい縁に変えましょう)というところだろう。     依正不ニ、つまり主体とそれを取り巻く環境は切っても切れない、という考え方にも基づいている。ここを突き詰めていくと一念三千論に至る。

その下の二つは、多分、夫か子供を無くした女性信徒の感情を酌みながら自分の心情を重ねたものだったように思う。二首とも非常に悲しい歌で無常観に溢れている。現代語に訳するまでもない、文字通りの歌だ。


最初の歌には技巧が少し見えるが、3首ともごく真面目な歌で、「日蓮文学」と言われるほど文学的素養も教養もあった日蓮にしては全く意外な感がする。当然日蓮は膨大な和歌を知っているので、もっと多数の多彩な歌が詠めるはずだが、まるで歌には興味がないかのようだ。
 これは想像に過ぎないが日蓮の場合は朝から晩まで読経、説法、書簡に費やす生活だったために、敢えて和歌に思いを込める意義が無かったのかもしれない。
 一見して、推敲を重ねず一気に読んだ歌だと感じる。

かなり前に、書体から人物の性格を読む書道家がテレビに出て、日蓮の書の筆使いを実際に真似て写しながら「情の人」と断定したのを覚えている。実際の日蓮は遺文を読めば分かるように学僧としても天才的(というか天才そのもの)で、兄弟子さえ自分の信徒にするほどの人物だった。同時に単なる学者と異なり、利他(人の幸せを願う菩薩の精神)の側面が非常に強く、知性、喜怒哀楽、大胆さと精妙さ、あらゆる面で桁違いの人物だった。

日蓮聖人の和歌をとりあえず「芸術・表現」のジャンルに入れたが、R・ブレッソンの映画を単なる技術論やテマティック批評で読んでも意味が無いように、日蓮の歌には全く別の入社角度が必要になるだろう。

夜中を過ぎたのでこれで失礼します。