昨夜のNHKで、「NHKスペシャル「A級戦犯は何を語ったのか~東京裁判・尋問調書より~」の放送があった。
私は終戦の年の4月に入隊し国内勤務のまま終戦の8月に復員したので、戦地の経験はないが、戦中を経験した日本人としてこのような放送を聴くのはやはり苦痛だ。
だから私も多くの戦前派と同様に当時の話など私の家族も含めて、殆どして来なかった。
然し、この放送の中で、南京虐殺事件の総責任者として、当時の中支那方面軍司令官であった松井石根大将の話を聞いて、かねてから思っていたことを書く気になった。
つまりこの事件に代表される戦争と言う人の命をかけた戦いと言う、異状事態で起こった不祥事は私たちに多くの教訓を含んでいると思うからだ。
最初に断っておくが私は人のことを非難する資格も気持ちもないし、具体的なこと書く気も全くないので、興味のある方はウエブなどで調べて頂きたい。
<<軍隊もいろいろ>>
私が言いたいのは小泉さんではないが「人生いろいろ、人もいろいろ」だと言う事だ。
それが戦争と言う極限状態になって、極端な形で現れることもあることだ。
・私の子供時代に「まーた負けた○連隊」と言う言葉が流行っていた。
○連隊というのは某地域中心で組織された連隊のことをからかった言葉だ。
つまり強い軍隊もあれば、弱いと言われた軍隊もあった。
・戦争の上手い指揮官もいれば、下手な人もいる。
・戦地でも同じで、現地の人にも配慮するように部下に命じた司令官もいれば、軍規を乱して地域の人達に被害を及ばすのを規制出来なかった司令官もいたかもしれない。
・私が最初に入隊したところは、九州と某地域から召集された初年兵の混成だったが、彼らの要領の良さに驚いた記憶がある。
・昔の軍隊では体罰が有名だが、私が入隊した隊の中隊長は体罰を厳禁していたお蔭で、私が体罰を受けたのは軍隊にいた5ケ月の間にほんの数回だった。
・私がいた分遣隊では、下半身下着を将校マントで隠して点呼に現れた鯖の腐った様な眼をした将校も見たし、鷹のように眼光鋭い空軍将校も見た。
<<戦地での不祥事の原因の一つ>>
・私はいじめ問題に関して、
私が過ごした小学校から旧制中学校までは、当時、特殊階級と思われていた人達出身の生徒も居れば、朝鮮人の生徒もいたが殆どイジメなどなかった。何故なら子供ながらも皆弱いものいじめをするのは、男の恥だ。思いやりのないのは女として恥ずかしいことだと思っていたからだ。
とブログに書いたところ、いや同じ時代にも酷いいじめがあったと言うコメントを貰った記憶がある。
それで、私は始めて、私が子供の頃の北九州は、九州男児の名の通り、男らしさが尊ばれていた、そして当時の重工業の発展で、多くの人達が流入していて、割に開放的なな土地柄だから「いじめ」など殆ど無かったことに気付いた。
・私事だが、私の家もご多分に洩れず、家内の完全な支配下にあるが、いくら癪に障ることを言われても、絶対に手を挙げない。
弱いものいじめは男の恥だという気持ちが心の底まで染みついているからだ。
読まれた方はもうお気づきのことと思うが、私が言いたいのは、戦争と言う極限状態にあるとき、また軍規の規制の及ばぬ戦闘地域では、平時では理性などで押さえつけられていたものが、人によっては突発して思いもよらぬことをしでかす可能性があると言う事だ。
確かに私もほんの断片的ではあるが、そのような事実があったことを戦地からの帰還兵から聞いたことがある。
また多くの人はそのような不祥事と無関係のまま復員したに違いないと言う事だ。
教師の眼の届かぬところでイジメをしていた生徒、気にいらぬ人を余所者扱いして除け者にしていた生徒が、そのまま大きくなって戦地に行けば録でも無いことをしでかす可能性が最も高かかったのだろう。
特定のグループの人達や当時の朝鮮の人達を見くだしていた人達が戦地で土地の人達にどう接したか、想像するだけで頭が痛くなる。
<<戦争の教訓を活かそう>>
時代は変わった。
日本は戦争の反省から平和教育を推進してきた。
平和憲法を持つ日本が少なくとも二度と自分から戦争を仕掛けることはないと思う。
然し平和なはずの日本でも、戦前から戦後しばらくまでは考えられなかった凶悪事件、家庭内殺傷事件、ドメスティク・バイオレンスが続発している。
そして学校ではクラスが荒廃し、イジメの話、とんでもない父兄に悩まされて鬱状態になる教師のニュースが途絶えない。
これで日本が本当に平和と言えるのだろうか。
今の厳しい時代ではストレスを引き起こす条件はどこにもあるし、それが凶悪事件や父兄の信じられない発言に繋がる可能性も大きい。
どのようなストレス状態でも、間違いをしでかさないようにするには、親の躾けや学校の教育が如何に大切かを強調してもし過ぎることはないと思う。
そしてその成果をどんな苦しい時でも活かせるまでに、教え込むことだ。
唯一の救いは、関東大震災のときにデマに踊らされた人達の朝鮮人襲撃事件があったが、最近の阪神、中越などの震災に伴う事件の発生は殆どないどころか、多くのボランティアの人達が救援に参加していることだ。
日本の若者達にも多くの立派な人もいることは、私たちに本当の意味の平和な日本への希望を与えてくれる。
私たちは所謂平和教育だけでなくて、高い代償を払った戦争からもっと多くの教訓を読み取り学ぶべきだと思う。
軍規に反した犯罪行為が起きたときの戦地の環境、それに関わった部隊、兵士、指揮官、司令官が平時にどのような環境にあり、どの様な言動をしていたかを知れば、事件の真相の解明をより深め、現代の様な厳しい時代にそれから得た教訓を活かせることにもなると思う。
私たちはどんな逆境あっても道を誤らない人になりたいものだ。
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私は終戦の年の4月に入隊し国内勤務のまま終戦の8月に復員したので、戦地の経験はないが、戦中を経験した日本人としてこのような放送を聴くのはやはり苦痛だ。
だから私も多くの戦前派と同様に当時の話など私の家族も含めて、殆どして来なかった。
然し、この放送の中で、南京虐殺事件の総責任者として、当時の中支那方面軍司令官であった松井石根大将の話を聞いて、かねてから思っていたことを書く気になった。
つまりこの事件に代表される戦争と言う人の命をかけた戦いと言う、異状事態で起こった不祥事は私たちに多くの教訓を含んでいると思うからだ。
最初に断っておくが私は人のことを非難する資格も気持ちもないし、具体的なこと書く気も全くないので、興味のある方はウエブなどで調べて頂きたい。
<<軍隊もいろいろ>>
私が言いたいのは小泉さんではないが「人生いろいろ、人もいろいろ」だと言う事だ。
それが戦争と言う極限状態になって、極端な形で現れることもあることだ。
・私の子供時代に「まーた負けた○連隊」と言う言葉が流行っていた。
○連隊というのは某地域中心で組織された連隊のことをからかった言葉だ。
つまり強い軍隊もあれば、弱いと言われた軍隊もあった。
・戦争の上手い指揮官もいれば、下手な人もいる。
・戦地でも同じで、現地の人にも配慮するように部下に命じた司令官もいれば、軍規を乱して地域の人達に被害を及ばすのを規制出来なかった司令官もいたかもしれない。
・私が最初に入隊したところは、九州と某地域から召集された初年兵の混成だったが、彼らの要領の良さに驚いた記憶がある。
・昔の軍隊では体罰が有名だが、私が入隊した隊の中隊長は体罰を厳禁していたお蔭で、私が体罰を受けたのは軍隊にいた5ケ月の間にほんの数回だった。
・私がいた分遣隊では、下半身下着を将校マントで隠して点呼に現れた鯖の腐った様な眼をした将校も見たし、鷹のように眼光鋭い空軍将校も見た。
<<戦地での不祥事の原因の一つ>>
・私はいじめ問題に関して、
私が過ごした小学校から旧制中学校までは、当時、特殊階級と思われていた人達出身の生徒も居れば、朝鮮人の生徒もいたが殆どイジメなどなかった。何故なら子供ながらも皆弱いものいじめをするのは、男の恥だ。思いやりのないのは女として恥ずかしいことだと思っていたからだ。
とブログに書いたところ、いや同じ時代にも酷いいじめがあったと言うコメントを貰った記憶がある。
それで、私は始めて、私が子供の頃の北九州は、九州男児の名の通り、男らしさが尊ばれていた、そして当時の重工業の発展で、多くの人達が流入していて、割に開放的なな土地柄だから「いじめ」など殆ど無かったことに気付いた。
・私事だが、私の家もご多分に洩れず、家内の完全な支配下にあるが、いくら癪に障ることを言われても、絶対に手を挙げない。
弱いものいじめは男の恥だという気持ちが心の底まで染みついているからだ。
読まれた方はもうお気づきのことと思うが、私が言いたいのは、戦争と言う極限状態にあるとき、また軍規の規制の及ばぬ戦闘地域では、平時では理性などで押さえつけられていたものが、人によっては突発して思いもよらぬことをしでかす可能性があると言う事だ。
確かに私もほんの断片的ではあるが、そのような事実があったことを戦地からの帰還兵から聞いたことがある。
また多くの人はそのような不祥事と無関係のまま復員したに違いないと言う事だ。
教師の眼の届かぬところでイジメをしていた生徒、気にいらぬ人を余所者扱いして除け者にしていた生徒が、そのまま大きくなって戦地に行けば録でも無いことをしでかす可能性が最も高かかったのだろう。
特定のグループの人達や当時の朝鮮の人達を見くだしていた人達が戦地で土地の人達にどう接したか、想像するだけで頭が痛くなる。
<<戦争の教訓を活かそう>>
時代は変わった。
日本は戦争の反省から平和教育を推進してきた。
平和憲法を持つ日本が少なくとも二度と自分から戦争を仕掛けることはないと思う。
然し平和なはずの日本でも、戦前から戦後しばらくまでは考えられなかった凶悪事件、家庭内殺傷事件、ドメスティク・バイオレンスが続発している。
そして学校ではクラスが荒廃し、イジメの話、とんでもない父兄に悩まされて鬱状態になる教師のニュースが途絶えない。
これで日本が本当に平和と言えるのだろうか。
今の厳しい時代ではストレスを引き起こす条件はどこにもあるし、それが凶悪事件や父兄の信じられない発言に繋がる可能性も大きい。
どのようなストレス状態でも、間違いをしでかさないようにするには、親の躾けや学校の教育が如何に大切かを強調してもし過ぎることはないと思う。
そしてその成果をどんな苦しい時でも活かせるまでに、教え込むことだ。
唯一の救いは、関東大震災のときにデマに踊らされた人達の朝鮮人襲撃事件があったが、最近の阪神、中越などの震災に伴う事件の発生は殆どないどころか、多くのボランティアの人達が救援に参加していることだ。
日本の若者達にも多くの立派な人もいることは、私たちに本当の意味の平和な日本への希望を与えてくれる。
私たちは所謂平和教育だけでなくて、高い代償を払った戦争からもっと多くの教訓を読み取り学ぶべきだと思う。
軍規に反した犯罪行為が起きたときの戦地の環境、それに関わった部隊、兵士、指揮官、司令官が平時にどのような環境にあり、どの様な言動をしていたかを知れば、事件の真相の解明をより深め、現代の様な厳しい時代にそれから得た教訓を活かせることにもなると思う。
私たちはどんな逆境あっても道を誤らない人になりたいものだ。
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