大原の この市柴の いつしかと
わが思ふ妹に 今夜逢へるかも
=巻4-513 志貴皇子=
大原の茂った雑木林の中でいつ逢えるかと思っていたが今夜やっと逢えたよ。という意味。
志貴皇子が歴史に登場するのは、679年天武天皇が皇后と6人の皇子たちを伴って吉野に行き誓いを交わした時。この6人とは、天武天皇の皇子4人(草壁、大津、高市、忍壁)と、天智天皇の皇子2人(川島、志貴)で、このとき、草壁が皇太子となったといわれているが、彼は天皇になることなく、この世を去ってしまう。志貴皇子の立場は微妙なものだったが、その警戒感からか、政治にタッチすることはほとんどなかったといわれている。大津皇子事件などから、身を守るために、目立たぬように一生を送ったが、後に彼の子の白壁王が光仁天皇として即位し、以後一貫して(現代に至るまで)その子孫が天皇となるわけだから、先見の明があったともいえそう。
この万葉歌碑は明日香村・大原の里に建っている。