長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

436. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第7回 - ダ・ヴィンチの動物デッサン -

2021-07-24 20:17:16 | ワイルドライフアート
西洋絵画における写実的な野生生物画の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第7回目の画像投稿である。今回もドイツ・ルネサンスの画家、A・デューラーとイタリア・ルネサンスの画家、ピサネロと追って来た前回までの流れの一環としてルネサンス期の画家であるレオナルド・ダ・ヴィンチの動物の素描作品をご紹介する。

イタリア・ルネサンスの巨匠で人類史上、不二の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452 - 1519年)は絵画作品『モナリザ』、『受胎告知』、『最後の晩餐』等の絵画の代表作品によって世界中に知られているが、野生生物の哺乳類や植物の数多くのデッサンを制作したことでもよく知られている。イタリア・ルネサンスの画家、ジョットの「自然を正面からそれらしく忠実に探究する」という姿勢やドイツ・ルネサンスの画家、A・デューラーやイタリア・ルネサンスのゴシック様式の画家、ピサネロの「神の創造された自然や動物をあるがままに描くことこそが神の意にかなう」という考え方、精神が15世紀イタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチへと受け継がれて来ると、一つの頂点を形成していく。彼は科学的な目を通して自然を描こうとした最初の芸術家である。

今更だが、ダ・ヴィンチは絵画作品の制作のみならず、建築、音楽、数学、人体解剖学、動物解剖学、博物学、植物学、鉱物学、天文学、地理学、物理学、化学、飛行力学、土木工学、軍事工学等々、様々な分野に顕著な業績と手稿を残したことで知られる「万能の天才」と呼ばれた人物として有名である。

特に動物学、動物解剖学に限ってみても徹底した観察と研究、そして今回ご紹介する夥しい数のデッサンを描き残している。その中でも馬を描いた解剖学的なデッサンはよく知られており、騎兵の戦闘シーンを画題とした絵画作品の大作を制作するために執拗に追求し、描き続けているのである。ダ・ヴィンチは人体も含めて芸術のための解剖学を熟知していたために、単なる素描というものではなく、骨格や筋肉、プロポーションなどが実に正確な設計図面のように、そして科学的に描かれているのである。
馬のデッサンで思い出したが、僕が中学生か高校生だったので、今から45年ほど前頃のことである。NHKのテレビ番組でイタリアだったか、イギリスだったか、ダ・ヴィンチを主人公としたテレビ・ドラマが連続で放送されたことがあった。そのドラマの中で、上記した馬の観察とデッサンをする場面が詳しく出て来たのである。ドラマの中で描かれた、ダ・ヴィンチ氏は、馬がいる草原に足繫く通い、長い時間、観察をして正確にデッサンをしていくのである。よくできたドラマであった。僕は何故かこの場面を今でも脳裏に思い浮かべることができるぐらい、よく印象に残り覚えているのである。

ダ・ヴィンチによって切り開かれたこの画家の科学的な自然観察の姿勢が、その後のバロック期のレンブラントやロマン派のドラクロアの作品まで影響を及ぼし、さらに19世紀の印象派の画家たちによって強化され、現代の野生生物を描く画家まで継承されてきているのである。この流れが西洋美術の中の『リアリズムとしての野生生物画』の重要な基礎となったことは、時代を追って作品を観て行けばよく理解できることである。


                        


435. ●シリーズ『リアリズムとしての野生生物画』第6回 - デューラーのインドサイの木版画 - 

2021-07-17 16:51:48 | ワイルドライフアート
コロナ禍の中に企画スタートさせた西洋絵画における写実的な野生生物の表現を追うシリーズ『リアリズムとしての野生生物画』の第6回の投稿である。ここまで、西洋美術の写実絵画の源流として、ルネサンス期のドイツ・ルネサンスの画家、デューラーを2回、イタリア・ルネサンスの画家、ピサネロを2回と投稿してきたが今回は再びデューラーに話を戻す。

デューラーはこの時代のドイツを代表する画家であると共に版画家でもある。金銀細工師を父親としていたデューラーは子供の頃から手先が器用で、版画の中でもとりわけ細密な銅版画(エングレーヴィング技法)が得意であったが、木版画も数多く制作していた。その数多くの木版画作品の中でも特に印象的でインパクトが強い作品の1つが今回ご紹介する野生生物を彫った作品である。

『Rhinocerus・犀』とタイトルが付いた作品はデューラーが1515年制作した木版画である。この木版画は、1515年初頭にポルトガルのリスボンに到着したインドサイを描写した作者不詳の簡単なスケッチと説明文をもとに制作されたとされており、デューラー自身が直接観察し、下絵を描いて木版画に制作したものではないと言われている。ローマ時代以降、1515年まで、』生きた状態のインドサイはヨーロッパに持ち込まれたことはなく、デューラーも本物のインドサイを見たことはなかった。1515年以降も1579年にスペイン王フェリペ2世にインドからインドサイが贈られるまで、ヨーロッパでは生きたインドサイを目にすることができなかった。従って、デューラーの手によるこの木版画のインドサイも生物学的、解剖学的には正確なものではない。それでもヨーロッパでは非常に有名な「インドサイの図」となり、その後3世紀にわたり何度もモシャされ続けたという。そしてヨーロッパでは18世紀末にいたるまで、この木版画の「インドサイの図」は正確に描写したものであると信じられていたのである。今日では専門家に「動物を描写した作品の中で、これほど芸術分野に多大な影響を与えたものはおそらく存在しない」とまで言われている。

簡単なスケッチと書簡の中の説明文を基にデューラー自身、1度も本物のインドサイを見ることなしに、紙にペンとインクを用いて2枚のスケッチを描き上げている。その中の2枚目のスケッチ(添付画像参照)から構図を左右逆にして木版画が制作されたのである。スケッチと木版画を改めてよく見ていこう。喉当てや胸当てが鋲止めされた鎧のような強固な装甲に覆われたどうぶつとして描かれている。この鎧はインドサイの分厚い表皮のしわを再現したものなのか?あるいはデューラーの誤解と想像によって生み出された図像だったのか解明されてはいない。さらによく見ると上脚部と肩部にはイボ状の突起物があるが、これは近年の研究・分析によると、インドからポルトガルへの4か月間の搬送中、狭い船底に閉じ込められて来たために発症した皮膚炎をそのまま表現している可能性があるとも言われている。

まぁ、たとえその描写表現が誤りや空想のものであったとしても、未だにこのデューラーの得意なイメージの野生生物画は古臭くはなく不思議に魅力的であり続けているのである。このことは絵画の力とと言っても過言ではないだろう。


※画像はトップが木版画作品『Rhinocerus・犀』。下が向かって左から木版画の下図となったペン画(2カット)、木版画作品の部分(2カット)。