長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

422. 2020年・令和二年、1年間ありがとうございました。

2020-12-31 18:21:13 | 日記・日常
ブロガーのみなさん、facebook、や instagram 等、SMSでお世話になっている方々、こんばんは。今年もとうとう大晦日となりました。1年間、マイブログにお立ち寄りいただき、またリアクションいただきありがとうございます。感謝しております。

今年は世界中の人々が「新型コロナ・ウィルス感染症」という初めての体験によりとても辛い毎日を過ごさなければならない事態となりました。そして感染症にかかった方々には、この場をお借りしてお見舞い申し上げます。また不運にも亡くなられた方々とそのご家族のみなさんにはお悔やみ申し上げます。

いろいろな方面で影響が出たコロナ禍ですが、特に文化面でも例外ではなく、音楽のコンサートやライヴ活動、演劇の舞台、さまざまな文化的な催しの中での講演会やイベント、そして僕が関わるアート関連でも美術館や博物館の企画展、画廊の個展、グループ展等が人々を集め「密」になるという理由で中止や無期限延期となりました。また開催にいたっても人の足は遠のきほとんど来場者の来ないような展覧会もあったと多方面より伺っています。僕個人も今年予定していた個展やグループ展の9割が中止か無期延期となりました。

なかなかハードな日常が続き精神的にも金銭的にも疲弊している方々も多いことかと思います。とは言え人間、どんな状況下に置かれようとも命のある限り生きていかなければなりません。僕はこのことをなるべくプラスになるように考えながら暮らしています。普段、日々の慌ただしい毎日の中では得られない時間を過ごそうとか、やろうと思っていてもなかなか出来なかったことに着手しようとか…。僕自身は美術家なので作品制作にかけて考えているのですが、時間をかけるだけかけた絵画や版画を制作しようとか、今までの捜索活動を振り返って見直そうとか、コロナ禍が収束へと向かい明けてからの発表活動の計画を練るとか、そういったことなのですが。

長くなりました。皆さんにとって2021年、令和三年が安全な社会となり、実りの多い1年間となりますようお祈りいたします。どうか良い新年をお迎えください。

※画像は昨冬、成田市の北印旛沼へ冬鳥観察に行った時に撮影した夕暮れの沼の風景とカモの群れ。丘陵越しに頂上付近が見えた富士山。


      

421. 『義父の一周忌法要』 

2020-12-13 17:35:19 | 
先月の28日。連れ合いの父、義父の『一周忌法要』に参列するために埼玉県内にある寺院へ行って来た。この日はそれぞれ別の場所で暮らす三人の娘たちも現地集合ということでコロナ禍の中ではあるが久々に顔を合わせることになった。義父が他界したのは昨年の12/17だったのだが、特に長女は他界する年まで義父の家に居候し生活していたこともあり「一周忌には必ず出席したい」と言っていたために法要の日程も長女に合わせ前倒しにすることとなった。

義父本人は東京の浅草生まれ浅草育ちであるのだが、ちょっと複雑な事情で家の墓地は埼玉県内にある。この寺院には連れ合いと一緒になってから何度か訪れているのだが古い歴史を持つ真言宗の寺院である。創建は900年代というから平安時代後期ということになるのだろう。元々は学僧のための寺院だったようであるが、昭和になってからは住職がいる寺院へと替わったと聞いている。現在、境内には立派な本堂と五重塔が建つ伽藍があり荘厳な空間となっている。この日の空は見上げると法事に相応しく「空は青空日本晴れ」で雲一つなく、まさにコバルト・ブルーの抜ける様な空だった。

義父は師範学校を卒業後、長く小中学校の教育に携わって来た人で、児童教育ということに情熱を持ち続け、多くの教え子たちに慕われ、また強い意志を持った人でもあった。定年後も市に児童たちのための図書館を建設してほしいと嘆願したり、絵本などの「読み聞かせ運動」のパイオニア的な仕事を続けていた。僕もいろいろな面で励ましてもらったり、作品制作の手掛かりになるような話を一晩中飲み交わしながらしてもらったりととてもお世話になった。義父が体調を崩して他界したのは昨年の12月、コロナの「コ」の字もない時期だった。ちょうど引き受けていた野鳥版画によるカレンダー原画制作の取材に夫婦で宮城県に出掛けなければならない時期にぶつかったのだが、その頃はちょうど体調を回復、ヘルパーさんに頼んで行かせてもらった。あれは、まさに義父が行かせてくれたのだと今でも語り合っているほどの出来事だった。

三人の孫娘たちもとても可愛がってもらい、それぞれが思い出を多くもらっている。この日、喪服姿ではあったが、家族全員が揃うのは本当に久しぶりである。広い本堂の中での一周忌法要だったが家族だけの少人数で寛いだ雰囲気と香煙の中、静かな祈りの時間が持てたと思っている。昼食を兼ねた「お斎」は義父が墓参で寺院を訪れる度に近隣ということもあり通っていたご自慢の鰻店に向かった。江戸時代から200年続く老舗である。僕も新婚の頃、初めていっしょに墓参に来た時に連れて来てもらった。注文したのはもちろん義父お薦めの「鰻重の特上」。甘さを抑えたタレの味がとても美味い。家族で食事をしながら義父の想い出話に花が咲いた。なにしろ、いろんな意味でとても愉快な人でもあったから…。

義父の本当の命日は今月の17日。長島の家と同じ宗派であることから家の仏壇に僕の先祖や両親といっしょにお位牌が収まっている。仏壇には大好きだった日本酒と果物をお供えすることにしよう。


               


420. 母校の美術学校で『銅版画直刻法実習』を指導する。

2020-12-07 18:26:00 | カルチャー・学校
コロナ禍の中、今年もあっという間に師走となった。先月の21日から今月の5日まで、東京池袋にある母校の創形美術学校で『銅版画直刻法実習』の指導に通っていた。この実習は僕が2002年ぐらいから続けてきた実習なのだが途中学校側の事情により6年間ブランクがあり、昨年よりまた復活した授業である。昨年より専任教官となったS先生が再びロートルの僕を呼んでくれたのである。

銅版画は大きく分けて腐食法(間接法)と直刻法(直接法)とに分けられる。そもそも銅版画というのは「技法の版画」と呼ばれるように腐食、直刻、共に技法が百花繚乱の版画なのである。腐食法はエッチング技法に代表されるように薬品によって間接的に版を腐食して彫っていくのだが、それに対して直刻法というのは版をさまざまな工具を使用してダイレクトに傷をつけて彫って行くのが特徴となっている。直刻法の代表的な技法は、エングレーヴィング、ドライポイント、メゾチント等が挙げられる。フ~ッ…版画の説明というのは何度しても七面倒くさい。このブログを読んでいただいている方々の中で版画についてあまり感心のない人ならば、ここまで僕の解説を読んでも、おそらく「なんのこっちゃあ!?」というのが正直な感想だろう。

要は単純に言って銅の板を直接彫っていく技法なのである。僕は毎回、この短期間の集中実習で学生たちに必ず伝えるキーワードがいくつかある。1つ目は銅版画の直刻法というのは「傷を付ければ版になる」ということ。銅版画は木版画とは逆で凹版であるので、何らかの傷、凹みをつければそこにインクが引っ掛かり版として成立するということである。なので専門的で高価な直刻法の工具以外にも金づちと釘、粗目のサンドペーパー、ワイヤブラシ、カッター等でテストプレートに製版して見せる。2つ目は「指触感覚を大事にせよ」ということ。銅版画に直接いろんな工具、道具で傷を付けて行くとザラザラ、トゲトゲ、ボツボツ、といろんな手触りの肌合いとなる。これを指先で触った感覚を覚えて彫り具合を確かめることが大切なのである。3つ目は銅版画というよりは版画全般に言えることなのだが「彫り、摺りを繰り返すことを絵画で言う描くという行為と同じく考えること」これは最も強調し、実習の期間中、何度も繰り返し伝えている重要なミッションである。つまりこれらの行為を単に作業として考えるな!ということである。版画は英語的には「Blind Work」と言う。これは「どんな版種でも製版をしている時は目を瞑って絵を描いているのと同じことだ」という意味。インクや絵の具を版に付けて摺ってみなければ絵の進み具合が解らないという意味なのである。

実習の対象はファイン・アート科2年生の版画専攻者。今年の学生も昨年同様に中国からの留学生が多かった。日本の子たちも中国の子たちも熱心に制作に励み、いつものことだが実習半ば第1回目の試し摺りをとって絵が見えてきたあたりからとても集中して版に向かうようになる。ちょっと声をかけられないぐらい集中していて版画工房がシ~ン、と静まり返るほど。最終日の講評会には昨年同様、熱い力作の数々が並んだのでした。