長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

416. 『第19回 鉛筆派展』開催中。

2020-09-28 17:38:54 | 個展・グループ展
先週、26日の土曜日に現在開催中で今回から初めて出品している『第19回 鉛筆派展』の会場に行って来た。もう少し早く会場へ行きたかったのだが、締め切り仕事やら用事が重なりようやく行けたのである。この日も午前中は都内、北千住でバードカーヴィングのコンペの審査員として参加し、終了してから電車を乗り継いでJR.国立駅に到着したのは午後遅くになってしまった。同じ都内でも北千住から西東京の国立までは電車に乗って1時間以上かかるんだなぁ…。

ギャラリーは国立駅南口からは線路沿いに徒歩2分ほどの好立地である。ポストモダン風のコンクリート打ちっぱなしのビル、会場はこの1階にある。会場に入ると話している内容からおそらく出品者の知人の方々だろう、けっこう人が入っている。壁には所狭しと全てモノクロームの額装された鉛筆画がかけられていた。モノクロームで統一されていたということと幻想的な作風が多いということ、そして細密に描き込まれた作品が多かったせいか、会場は独特な雰囲気を創り出していた。

会場はとても広くてきれいである。この展覧会を主催している画家の建石修志氏から年頭にお誘いのメールが届いた時に「コートギャラリー国立はとても広くてきれいな会場で東京の中央の現代アートの会場に引けを取らない」という意味のことを窺っていたのでリアルで会場に入ってみると「なるほど!」と頷けるのだった。会場は大きなスペースが2つとその中間に小さなスペースが1つに分かれているのだが、その贅沢な空間に参加者63名、約120点の作品がいっぱいいっぱいに展示された様子は「壮観」と言っても言い過ぎではなかった。会場を1巡してから入り口近くに戻ると出品者で知り合いのO氏とバッタリ出会った。少し立ち話をしてからO氏が「建石さんには会った?」と聞くので「いえ、来ているんですか?」と答えると「今日はビルの2階の教室でテンペラ画を教えているはず、会っていったら?」と言うので、それじゃあということで階段をいっしょに上がって案内してもらった。ちょうど「テンペラ画教室」の授業中、シ~ンと静まり返った教室で生徒さんたちが集中して筆を走らせていた。その中に建石氏が指導する姿を見つけた。O氏が手を挙げて呼んでくれたので挨拶と立ち話ができたが、指導中なので手短にて失礼した。

もう1度、1階のグループ展会場に戻って1巡する。なんせ作品数が多いので見落としているものも多かった。夕刻になってようやく会場を出ると雨が降って来た。実はこの国立の街は20代、美術学校の学生として4年、学校の副手として2年、合計6年間住んだことがある第二の故郷のような街である。わざわざここまで来て「とんぼ返り」ではもったいない。昔日を思い出しながら少し駅の周辺だけ歩いてみることにした。すると南口は街のようすがほとんど変わっていない。あそこの路地に入ると…あった、あった思いドアのジャズ喫茶、その先は美術学校の帰りに仲間とスケッチブックを持って通った2階建ての老舗の喫茶展、大学通り沿いに少し歩くとアルバイトでお金をためては洋書の高価な画集を買った本屋さん…。ほとんど36年前と変わっていないのが嬉しかった。仕上げは保存されている「旧国立駅舎」。国立駅の改修工事によりJRの駅自体は新しくなってしまったが、この大正時代に建設されたかわいらしい様式の駅舎は少し位置を移動されて残されることになった。

なんだか短い間だったけれど昔日にタイムスリップしたような時間となった。建石さん、鉛筆画グループのみなさん、ギャラリースタッフのみなさん、今回、僕の古巣となる街での展覧会に参加させていただきありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

※展覧会は明日9/29(火)午後四時まで。 『第19回 鉛筆派展』コートギャラリー国立 東京都国立市中1-8-32 http//www.courtgallery-k.com








415. 『第19回鉛筆派展』に出品する。

2020-09-21 17:29:20 | 個展・グループ展
今月24日から始まる鉛筆画のグループ展に出品します。本来、今年4月に開催される展覧会でしたがコロナ禍のため今月に延期となりました。そのためDMはございません。
以下、詳細となります。

・展覧会名:『第19回鉛筆派展 - ふたたび物語の森へ - 』

・会期:2020年9月24日(木)~9月29(火)11:00~18:00(19日最終日は16:00まで)

・会場:コート・ギャラリー国立 / 東京都国立市中 1-8-32 Tell 042-573-8282 http://www.courtgallery-k.com
  
・アクセス:JR中央線国立駅南口より線路に沿って徒歩2分

・内容:画家、建石修志氏とそのグループによる今回で19回目となる鉛筆画のグループ展。画廊企画展。出品者63名、120点強による鉛筆画作品を一挙に展示する。
1人1点は物語を主題とした課題作品を出品し、もう1点は自由制作によるものとなっている。

・入場料:無料

・作家在廊日:長島は今回が初出品となります。課題制作はE.A.ポーの物語詩「大鴉・おおがらす」に主題をとった作品を、自由制作は「日本の妖怪」を主題とした作品を出品する。ちょうど締め切り仕事が重なり
会場には26(土)の午後のみ行く予定でいます。

※コロナ禍の中、なかなか積極的にご来場くださいとは言えませんがご興味、お時間ありましたらお立ち寄りください。よろしくお願いします。

画像はトップが今回出品している作品の部分拡大図、下が同じくもう1点の部分拡大図とふだん鉛筆画で使用中のホルダー式鉛筆など。


   


414.『コロナ禍の中ハマっていること』その三・双眼鏡で星空を観察する。

2020-09-19 17:43:50 | 星空・天体
前回、前々回に引き続き、半年を超えたコロナ禍の中でハマっていることの第三弾である。今回は夜空の星の話題。

6-7年前、美術家の鳥友H氏と千葉県北部の海岸部にカモメの観察に出掛けた帰り道、日がトップリと暮れた頃、田舎の人家の灯りが遠い地域を車で走っていて道に迷ってしまった。「しょうがないなぁ、迷ったついでに暗さもちょうどよい時刻になったので星空の観察をして行こう」ということになった。しかし僕もH氏もバード・ウォッチング用の道具の準備しかしてきていない。「天体観測の道具もないのにどうやって星空の観察をするんですか?」とH氏に尋ねると「そんなものいらないんだよ、持ってきた双眼鏡で観察できるんだ」と答えが返ってきた。「えっ、倍率が低い野鳥観察用の双眼鏡でですかぁ!?」

普通に考えれば夜空の星を観察するには数十倍、あるいは100倍以上の天体望遠鏡が必要なんじゃないかと考えるのだが…。疑問に思っている中、その場で双眼鏡を取り出してH氏が観察を始めた「あっ〇〇座がハッキリと観える!それから今夜はよく晴れて大気が澄んでいるので〇〇星雲まで観える!」等と言いながら嬉しそうに夜空を観ている。「せっかくだから長島君も観てごらんよ」
半信半疑のまま漆黒の夜空に双眼鏡を向けてみた…すると、観えるは観えるは肉眼では観ることができなかった無数の星が双眼鏡越しに広がっている。例えようもなく美しい世界。それからはH氏に星のある方向や星座の名前等を丁寧に教えてもらいながら至福の時間を過ごしたのだった。

その後、この時のことを時々思い出すことはあっても、なかなか自分では観察しようというところまで気持ちが動かなかった。コロナ禍の中、版画制作に集中していたある日、1日の作業を終えてベランダに出てボーっと夜空を眺めていた。するとこの日は昼間が快晴の日で空気が澄んでいたので、あの日のことを思い出した。たまたま近くに野鳥観察用の8倍の双眼鏡があったので夜空に向けてみた。すると期待通りにたくさんの星々が出現してくれた。「やっぱりこれは無条件に美しい!」と、いう訳でまたしてもビギナーズラック。僕の自然科学への興味は尽きることはない。今までは地面のコケ植物や雑木林の野鳥を対象としていたのだが、この夏から宇宙を観察フィールドにすることとなったのだ(笑)。

さっそくAmazonのネット通販で「双眼鏡で星空観察」なる入門書を2冊購入、そして手持ちの双眼鏡以外に星空観察専用の「ガリレオ式双眼鏡」というデメキンのように不格好な双眼鏡を新調した。これは倍率がたった2-3倍しかない。元々はロシアで観劇に使っていたオペラグラスが原型らしい。野鳥観察に使用する双眼鏡だって7-10倍程度はあるのだが、こんな低い倍率で果たして天空に浮かぶ星などが観察できるのだろうか?と思っていたが、実際に使ってみると、レンズは明るく視界も広くて肉眼では観ることができない星々がよく観えるのである。

双眼鏡での星空観察ならばコロナ禍の中、ステイホームで楽しむことができる。今月に入って生憎、天候が不順である。快晴の日が来るのが待ち遠しい。その時が来たら1日の制作を終えた時間帯に、またベランダへ出て鳴く虫の声を聴きつつ、冷えた缶ビールで1杯やりながら夜空に輝く星々を観察することにしよう。


                 

413.『コロナ禍の中、ハマっていること』その二・伝説のJAZZマン

2020-09-05 18:35:32 | JAZZ・ジャズ
前回に引き続き、半年を過ぎたコロナ禍の中でハマっていることの第二弾である。

僕がモダン・ジャズを聴き始めて44年が経った。高校二年の春頃、座席が前後だった友人(以後、仮にK君とする)に半端ではない「ジャズ通」がいた。当時の高校生がレコード(LPの時代)で聴いている音楽と言えば,その多くが軽音楽のフォークかハード・ロック、あるいはポップスだったので、このK君の存在は興味深かった。少しだけジャズに興味を持ち始めていた僕はこのことを知っていたので、ある日の休み時間にK氏に思い切って尋ねてみた「ねぇ、モダン・ジャズを聴くなら何から聴けばいい?お薦めのLPを教えてよ」。すると「解った」と一言。翌日には大きな手提げいっぱいにLPを持って来てくれた。「これ長島に全部貸すから聴いてみて、気に入ったらテープにダビングしてみてよ」と気前よく大切なコレクションの1部を貸してくれた。20枚以上はあったと思う。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、アート・ブレイキー、ミルト・ジャクソン、キャノンボール・アダレイ、…そしてフリー・ジャズのセシル・テイラーなんて難解なジャズまで入っていた。そして自宅に大切に持ち帰って片っ端から無我夢中で聴きまくった。「こんな音楽あったのかぁ…何か大人の世界に1歩入れたみたいだな」そしてハマった。ビギナーズ・ラックである。

この日以来、ずっとモダン・ジャズを聴き続けてきた。コロナになってまず音楽で思ったのは好きなジャズを「まとめ聴き」すること。引きこもりには打ってつけの音楽である。しかし、ただ聴くのでは面白くない。何かテーマを決めて聴こうと考えた(真面目だなぁ)。思いついたのは以前から気になっていた「ジャズ・レジェンド」。その定義はこうである「ジャズマンにとって伝説とは?才能やテクニックが優れていても何某かの理由により演奏活動ができなくなってしまったプレーヤーたち」そしてその目安としては残されたリーダー作品(アルバム)が1枚以上、10枚程度を目安として選出して聴いていくこととした。

自分のコレクション、ジャズの専門書、ネットなどを通して調べ始めていくと、この基準に当てはまるジャズ・メンが、居るは居るは…あっという間に20人以上が選出できた。そのほとんどは1950年代~1970年代の初めに集中していた。そして演奏活動を続けられなくなってしまった理由というのが、また十人十色なのである。例えば、天才奏者として鳴り物入りでデビューし、将来を期待されながらも不慮の事故や病気等で惜しまれつつも早世してしまったジャズマン、ハードな演奏活動に耐え切れず中途挫折してしまったジャズマン、契約したレコード会社の企画内容が自分の表現と合わずに失望し辞めてしまったジャズマン、ジャズの演奏以外にもさまざまな能力があり他の仕事に転職してしまったジャズマン、評論家先生のセクハラに遭い引退してしまったジャズウーマン…等々、いやはや調べだすと実に様々な理由があり、奥が深い。そして思い浮かべるとその理由などは小説家や詩人等の文学者や画家・彫刻家等の芸術家のレジェンドとも共通した部分が多く興味の尽きることがなかった。

という訳で自分のコレクション+持っていなかったジャズマンのアルバムはAmazon等のネット・ショップで購入して聴いた。しかしこうした謂わばマニアックで希少なアルバムは現在CDであっても廃盤となってしまっており、中古で入手したものがほとんどであった。ようやく手に入れたその『伝説のジャズマン』たちの極上の1枚を工房に籠もって聴いていると、なんともしみじみとして感慨深い感情が沸いてくるのである。そしてその音の背後にある情念のようなものまで聴き取れるような気がしてくるのだった。

画像はトップが『伝説のジャズマン』のアルバム・ジャケットの1枚。下が同じくアルバム・ジャケット4枚。