長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

425. 追悼 エーリッヒ・ブラウァー画伯 

2021-01-30 17:39:45 | 幻想絵画
2021月24日:オーストリア・ウィーン生まれの画家、詩人、音楽家のエーリッヒ・ブラウァー画伯(Arik Brauer 1929-2021)が92才で他界された。戦後のウィーンで結束された「ウィーン幻想派」を代表するアーティストだった。

日本では、1970年代初めに朝日新聞社主催による大規模な巡回展『ウィーン幻想絵画展』が開催され、当時の美術関係者、美術家、愛好家に話題となり、会場は大盛況となったことが、この時代に現役だった人々の記憶には残っていることと思う。以来、派手さはないのだが、日本では「幻想美術ブーム」が生まれ、1970年代~1980年代にかけて画廊や美術館で企画展が開かれたり、美術雑誌の特集や関連書籍も出版されたことから影響を受けた当時の日本の現代美術家が数多く生まれることになった。「ウィーン幻想派5人衆」等と呼ばれたグループの中心的な画家はルドルフ・ハウズナー、エルンスト・フックス、ヴォルフガング・フッター、アントン・レームデン、そして今月他界したエーリッヒ・ブラウァー氏である。このうち、現在ご存命であるのはフッターとレームデンの2氏だと記憶するがどうだろうか?

僕が初めてブラウァー画伯の絵画作品をリアルで観たのは1980年代の初め、美術学校に入学したばかりの20代初めの頃だった。それは1960年代から国内外のシュールレアリズムや幻想美術を取り扱う東京銀座の老舗画廊、青木画廊での常設展示会場だったと記憶する。6号-8号(A4サイズ~B4サイズ)ぐらいの大きさの板に描かれた油彩画だった。インドのミニアチュール絵画を連想するような、その物語世界は暗い色調の背景の中に鮮やかな原色で描かれた未知の生物が宝石のように鮮やかな色彩で散りばめられ、まるで宝石箱でも覗き込むような気分にさせられた。一種のカルチャーショック状態で、長い時間、作品と対峙していたように思う。「いらっしゃい、ブラウァーが好きなのかな?」と肩越しに声をかけてくださったのは、現社長の青木径氏だった。「えっ、ブラウァーが画廊にいる!」思わず心の中でそう思った。径氏は特に若い頃、ブラウァーに容貌が似ていたのである。以後、この画廊では1999年から画廊企画のグループ展や個展にお世話になるようになるのだが、この時の事を今もご本人に時々、お話をして談笑している。

あの時以来、僕はブラウァー画伯には、その幻想的で超個性的な表現に強く影響を受け、憧れ続けてきたのだった。なので、過日SNSを通して友人なっている方が訃報記事をアップされているのを見つけた時は、かなりショックであった。
ここで、ブラウァー画伯の絵画世界をよく表す彼自らが残した言葉を1つ取り上げたいと思う。

「…つまり私は、事物を二歳半で、あの仔牛を見たのと同じように、すなわち事物が実際にあるがままに、見ることができる人間なのだ。私たちはただ、もはや子供たちが見るように事物を見てはいない。なぜなら始終それを見ているうちに習慣のために鈍化してしまっているからだ。実際には、しかし、事物は私たちの頭上にあって巨大で壮麗なのだ。どんなにつまらない月並みなものにも途方もない形態や途方もない色が備わっていて、輝き、煌めき、どんなに暗い、慰めのない光の中でさえも発光する。時として明晰な瞬間に恵まれると、私には事物が絵画的で壮麗なものに見えてくる。」 エーリッヒ・ブラウァー

「ブラウァー画伯、今まで、その豊かで例えようもなく美しい幻想世界の作品を観せていただきありがとうございました。どうかあなたが生涯に渡り、想像し、描き続けた鮮やかな色彩の楽園のような天上界で安らかにお休みください」
合掌。

※画像はトップが1970年代のブラウァー画伯の写真。下が向かって左から音楽家でもある画伯の特徴を表す娘さんたちとの写真、輝くような色彩の油彩画作品5点(画集より転載)。