みどりの野原

野原の便り

3月16日 河井寛次郎記念館 

2024年03月16日 | Weblog

ずっと行きたかった河井寛次郎記念館へ。
先日、娘に行くことを言ったら「いいよ~。建物も大好き。作品もいいし、私何回も行ってるわ~」という。
楽しみ~。


河合寛次郎記念館 長刀鉾の粽が吊るされている。


入ると河井寛次郎ワールドが広がる。
神棚に変わった形のしめ縄。神棚の側面は棚になっていた。

河合寛次郎といえば、知らない人もない陶芸家。
記念館には数々の作品が飾られているが、飾る・・というより建物に溶け込んでいた。
陶器が有名だが、彫刻や書、まだデザインや文筆もされているのを知る。

有名な方なので、記念館も作品もネットでいくらでも見れる。
受付で、申し出て署名すれば写真撮影もできるのはすごくうれしかったが、下手な写真よりネットのきれいな写真を見ていただくことにして、ここでは、私が好きなことを書く。

入ってすぐにある囲炉裏のある間。
前には丸木から削り出した木の椅子(左の写真)。素敵。


ここは陶房 ここで作陶されていた。整然と並ぶ道具。
寛次郎さんが出てきて轆轤を回しそう。

廊下を進むと・・


素焼き窯 
乾燥した粘土の作品は、この窯で火度600℃から700℃の低い温度で8時間前後素焼き。

その奥には登り窯が残されている。


登り窯 正面  登り窯は多くの人との共同窯だそう。
素焼き後は、この登り窯で赤松の薪を燃料に、1350℃で焼成。
薪は凄い量(2昼夜2000束)が必要だったようだ。


奥に向かってたくさんの焼成窯が並ぶ。
入口上部の穴は、焼成中に内部の状況を見る「色見穴」というものらしい。
入口はふさがれ、小さい火口から加減を見ながら燃料の赤松の薪を補充しながら焚き続けるようだ。
準備されたスリッパで窯の近くに行ける。

登り窯は5代清水六兵衛氏からゆずり受けられたものだとか。
寛次郎さんは登り窯と住居を得て、ここに住まわれるようになった。
そして、ここで、数々の名品が生み出された。
寛次郎さんがなくなって後、1971年(S48)京都府公害防止条例により、街中で火が焚けなくなり、登り窯は使われなくなったのだとか。
その後も登り窯は大事に保存されていて、こうやって見られるのはありがたい。

  
作品棚 手前の壷ほしい(笑)。

陶器はもちろん素晴らしいが、寛次郎氏が設計された建物が素晴らしい。
住まい兼工房となる建物は町家のようであり古民家のようであり、家具調度品なども用の美を重んじる民芸の心を取り入れた居心地のよい空間。
木製の家具や椅子、竹製の家具や椅子、デザイン性のある焼き物・・すべてが建物に溶け込んでいる。


作り出しの長椅子 他にもすてきな椅子があちこちに。


寛次郎氏がデザインして、台湾の竹職人に造ってもらったという竹製棚
竹がこんな風に使われるのか~。曲線の部分の処理に感心。


人間国宝 陶芸家 濱田庄司寄贈の箱階段を上って2階へ。


2階もいい! 朝鮮張りの床(1階も)


吹き抜けに滑車があった。2階へものを運ぶ時に使われるのだろう。


木製の椅子と臼?のテーブル。傷も埋め込んで模様となる。
木の傷、柱のカンナ跡・・みんなそのままいい景色となる。
重そうなこのテーブルも滑車がなければ上げられないだろうな。


拓本摺 (木版に紙を当てて写し取る)
「仕事が仕事をしています・・仕事の一番好きなのは苦しむことが好きなのだ・・」
仕事大好き、仕事一途の寛次郎氏のことばに感銘を受ける。


階段を下った所にあった? キセルの彫刻

オープンで美しい雰囲気に包まれ、心地よい時間を過ごせた。

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