4大公害病の1つ「イタイイタイ病」を引き起こしたカドミウムによる土壌汚染。
それが33年ぶりに復元されたという記事が出ていたのは少し前の3月18日。
私の中では「イタイイタイ病」という病名さえ、遠い過去の思い出。
学生時代の公民で習った知識の1つにしか過ぎませんでした。
私のように無関心な人々に忘れられていた間、地元では、汚染された農地を取り戻そうと、
1979年からずっと土を入れ替える作業を続けていたそうです。
東京ドーム185個分の農地を対象に、汚染土を剥ぎ取って埋め戻し、別の土をかぶせたという。
しかし、ただ土を入れ替えただけではなかったのです。
33年という長い年月に及ぶ農家の人々の苦労…
後日、知人から教えてもらった毎日新聞の記事を見て、胸が熱くなりました。
そして、土壌を汚染することがどんなに取り返しのつかないことであるか知りました。
是非読んでみてください。
イタイイタイ病:農家のプライド支えに 福島にエール
イタイイタイ病の原因物質・カドミウムに汚染された田が復元されるまで、富山市の神通川流域では多くの農家が人の口には入らないコメを作り続けた。同市の兼業農家、吉田清さん(80)も心が折れそうになりながら、「もう一度おいしいコメを作る」という信念で、田を守り続けた。汚染された土壌の復元事業は17日、33年をかけてようやく終わった。今は、東京電力福島第1原発事故で被災した農家を気遣い、励ます。
復元事業開始当時、玄米中のカドミウム濃度が1ppm(ppmは100万分の1)を超えるコメが収穫された田は作付けが禁じられ、0.4~1ppm未満の田は「準汚染米」として国が買い取って、工業用のりに使われた。
吉田さんが所有する約1.8ヘクタールは汚染田に指定された。復元工事が着手された93年まで、米袋に黄色い札をつける「準汚染米」を作り続けた。「何のために作っているのか」。折れそうになる心を支えたのは、先祖代々続く農家としての誇りだった。「我慢に我慢を重ねて私まで9代続けてきた。簡単に離れるわけにはいかない」
復元後の00年、市場への出荷が許された。「ようやく人の口に入るおいしい米を作れるようになった」。安堵(あんど)とともにうれしさがこみあげてきたという。吉田さんは「二度と汚染が起きないように住民も原因企業も努力をしないといけない」と語り、この日の完工式に出席した。
気がかりなのは、原発事故で飛散した放射性物質に苦しむ福島の農家のことだ。「福島の除染の規模は、ここと比べものにならない」と顔を曇らせる。それでも「個人農家が農業を諦めたという話は聞かない。土を相手にする人は芯がある。だから簡単に諦めんちゃ」と言い切った。【岩嶋悟】
毎日新聞 2012年3月17日 12時16分(最終更新 3月17日 12時49分)