佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

2020年大晦日

2020-12-31 | 雑感

今年も残すところ数時間。

テレビをつけると、東京の今日の新型コロナ感染者が初めて1000人を突破した!と報じていた。

今年はまさに、コロナイヤー。
コロナに怯え、コロナに泣き、コロナに苦しみ、コロナに世界中が揺れた。

学校も会社も休みになり、ひきこもりが奨励され、家族が入院してもお見舞いにも行けず、亡くなるときも死に目に立ち会うこともできず、目に見えぬウイルスが人と人を引き離した。

私も生まれて初めて1人での年越しだ。
子どもの時はもちろん、大人になって都会で一人暮らしをしているときも、年末には実家に帰り、一緒に年越しうどんを食べた。(蕎麦アレルギーなので)

結婚してからはもちろん新たな家族と一緒だった。初めは2人で、途中から4人で、そしてまた2人で。去年までは。

今年も夫は年末には帰ると言っていたが、熟慮を重ねた結果、今回は帰らないことにした。何しろ肺気胸に高血圧、不整脈等々の持病があり、感染は絶対に避けねばならないから。

そんなふうに、帰省をしない選択をした人も多く、ことしの年末は飛行機も新幹線もガラガラらしい。

昨日は私の誕生日だった。子どもたち夫婦の優しさが部屋中を明るくした。

いつも夫が買ってきてくれるお寿司を自分で買いに行ったが・・・

私が買うと、こんな安物になってしまう。
でも、美味しかったし、一人にはちょうど良い分量で大満足。ウニもイクラもエビもホタテもみんな少しずつ。少しずつなのがいい。美味しさを噛み締めることができるから。

よく私は買い物で佐世保駅構内を通るのだが、昨日も今日も通常の人通り。例年は改札口の周辺には、子や孫を迎えに来た人たちがたくさん立っている。みんな再会への期待と喜びが顔に出ていて、寒い日でもホカホカとした熱気が伝わってくる。

そんな熱気が今年は全くなかった。

でも、これがずっと続くわけではない。明けない夜は無い、と言うように、コロナもいつかは終息する。来年か再来年か、わからないが、終息する前に、コロナとの付き合い方も見えてくるだろう。恐れ過ぎず、侮らず、そして、コロナ禍を招いたのは我々人間だという認識を持とう。

この星の数多の生きものの1種に過ぎないヒトが、傍若無人の振舞いを重ね、あまりにものさばり過ぎている。森を焼き、水を汚し、CO2を増加させ、気象危機を招いている。他の生きものと、この星自体を苦しめている。これはきっと、いい加減にしろよ!というウイルスからの警告に違いない。

2021年のお正月はステイホーム。静かに家族と祝おう。
家に帰れない人は、家族と電話で話そう。
近くに森や川や海がある人は、そこに出かけよう。
自然の中に身を置いて、自然の声に耳を澄まそう。
街中に住んでいる人は、窓を開けて、風に耳を澄まそう。
空を見上げ、雲や星と話そう。

忘れかけていた何かを取り戻せるかもしれない。

取り戻そう。手遅れになる前に。

 

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「優しさは世界一」の日本人が、電車で老人たちに席を譲らない理由

2017-11-09 | 雑感

古い記事ですが、とても心に残る内容だったので、転載させて頂きます。

笑い・共感・羞恥を覚えつつ読み終え、他の人にも伝えたいな…と思いました。

掲載記事はこちらです。→ http://www.mag2.com/p/news/134840

 

よく「日本人の優しさは世界一」といわれますが、電車の席譲りから横断歩道まで、老人や子供などに対して公共の場で手を差し伸べているシーンに出くわすことはほとんどありません。これはいったいどういうことなのでしょうか? メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』では、NY在住である著者の実体験をもとに、この不思議な矛盾を解説しています。 

 

日米で違う人との距離感

日本に行くとまずいちばんに感じる日米間の違いは「人と人の距離感」です。

日本では知らない人にむやみに話しかけちゃいけないらしい。

ニューヨークで歩いていると、本当によく通行人に話しかけられます。 人が、人に、話しかけている。

まず、世界を代表する観光都市でもあるため、道を聞かれない日がありません(たまにこちらが知らない場所も聞かれますが、せっかく聞いてくれているのだから、適当でも答えてあげるようにしています。 「Sorry, I don’t know.」というのがあまりに忍びなくて、この道をまっすぐ行って2つ目の角を左。 50メートルほど行ったら1つ目の角を右。 知らない場合はどこであってもそう答えるようにしています。 ホスピタリティの国の出身だし「Thank you!」という笑顔に、めいいっぱいの笑顔で「You’re welcome!」と返すようにしています )。

観光客だけでなく、現地のニューヨーカーにもよく聞かれます。 先日は黒人のおばちゃんに「このあたりで、カニ玉食べられる中華料理屋ある?」と、通りすがり。

メニューまでは知らんがな(笑)。 何より、オレ、中国人じゃない。

この人が何人(なにじん)だろう、まで考える間もなく、近くにいたアジア人に聞いてみる。 なぜならアタシは今、チャイニーズを食べたいから。 聞く理由は至ってシンプル。

これが日本だと、やっぱり挨拶なしにいきなり通りすがりの人に「ねぇ、このへんにイタリアンない? ピッツア食べたいんだけど。 できればマルガリータ」って聞くとやっぱり後で「今日ヘンな人に会った」と盛り上がられるんだろうなと思います。

以前、新宿駅で中年の女性に西武線の場所を聞かれました。 「あの〜、スイマセン…お忙しいところ申し訳ありません…」本題に入る前の枕詞が長い。 目が合った瞬間、カニ玉食べたいんだけど!って聞いてきた前述のオバサンとおそらく同世代の方だと思われます。 ものすごく恐縮されるので、本題がただの「道を教えてくれ」だとわかったときは、少し驚きました。

なるほど。 日本で人に道を聞く場合はここまで恐縮しなきゃいけないんだな。 たまたま知っていたので本当(笑)の道案内をしようと「あそこの階段を上がって1回、地上に出てもらって…」と説明前半部分で、「ああ!! ありがとうございます! ありがとうございます! 後は階段上がった時点で、また聞きますので…」とそのまま行ってしまいました。 頭を50回くらい下げながら。

僕の右手の人差し指はまだ階段の方向を指差したまま。 全行程の4分の1の時点で道案内は終わってしまいました(せっかく、今回は知ってたのにw)。

相手の時間をわずかながらでも頂戴することは申し訳ないと思っているのでしょうか。 あるいは申し訳ないと思っていると思わせたいのでしょうか。 あるいは知らない人とそこまで関わりたくないけど、聞かなきゃしょうがないから最小限に済ませようとしているのか。 あるいは関わる時間が長ければ長いほど恥ずかしいから、短く切り上げようとしているのか(多分、3番目か4番目だな)。

どちらにせよ、日頃僕たちがニューヨークで生活している際の人との距離感とあきらかに違うレンジで人が接してる(言葉は母国同士だからホントはもっとコミュケーション取りやすいはずだけど)。日本以外の国だと人と人の距離感が明らかに近いということは覚えておいた方がいい。 特に多様な人種がうごめくニューヨークでは、いちいち、その国の文化、風習に合わせていられないのか、(あるいは他人にどう思われても平気なのか)至ってシンプルです。

知らないから道を聞く

カニ玉食べたいから、中華料理店を聞く。

以前、エンパイアーステートビルの入り口に立っている人にエンパイアーステートビルってどこ? って聞かれたこともあります。 彼にとっては振り向くというひとつの動作よりたまたま目の前を通った僕に訪ねる方が楽だったということでしょう。

ウイークデーの昼間。 信号待ちしてると、いきなり隣のアメリカ人ビジネスマンにネクタイを触られ、「これ、いいね! どこで買ったの?」とか。 地下鉄車内で隣に座っている人に「カッコいい時計だな。 日本製?」とか。 本当によく聞かれます。 ニューヨークあるあるです。 そして、それはとっても嬉しい気分になります。

前々回の日本出張時山手線に乗車した際、隣に座っている20代後半〜30代前半くらいのビジネススーツの男性が膝の上に置いているネイビーのブリーフケースがとても格好よく見え(実はニューヨークはオシャレなイメージかもしれませんが、男性用の鞄はほとんど黒一色。 黒を基調とした製品しかありません)「いいね、ソレ。 どこのブランド?」と聞いた際の彼のすっごく引きつった驚いた顔を忘れることが出来ません。 あきらかに「ヤバい! ヘンな人に話しかけられたっていう顔(笑)。 同乗した反対隣に座っていた僕の知り合いにも「高橋さん、ヤメましょ、ね。 ヤメましょ」となだめられました (笑)。

オレ…褒めたのに…。

身につけている衣類、アクセサリーを褒める―。 実は世界で、人間にとって、ごくごく自然なことが、日本では不自然なことに映る。 そんな社会になってしまっている気がします。

このメルマガで「日本の素晴らしさ」を、「アメリカのバカっぽさ」をここ数回訴えてきました。 日本が世界でいちばん素晴らしい国だという認識は変わりません

でもねー。

ここだけは強調したいのですが、NYの地下鉄でお年寄りが立っている光景をみることは絶対ありません。 15年間ほぼ毎日地下鉄を利用して、そんな景色はただの一度も見たことがない。

たまの日本出張。 1週間の滞在で何度、そんな光景を見たことか―。

そこだけは日本の圧倒的完封負けです。 断言します。

例えば、前に行く人が扉を開けた際、後から来た人の為に扉を手で支える―。

ニューヨークではそれが当たり前の光景になりすぎて、日本に帰ると驚きます。

先日、 est新宿の地下でベビーカー片手のお母さんが、重いガラス扉を片手で開けようと戦ってる。 そのスグ真後ろをオシャレな格好した若いカップルがガン見して一切助けようとしていない(これ、なんかの罰ゲームなの?)。

池袋のホームでおじいさんが買い物袋をぶちまけて転けた時、乗客全員がおじいさんとぶちまけられた買い物の品々を避けて歩き去っていく(モーセの十戒か?)。

前述のカップルの彼氏なんて、彼女に、いいとこ見せるチャンスじゃないの? それとも助けの手を差し伸べることが、ダサいこと、みたいなわけわかんない価値観まで日本は進んじゃってるの? (なんだ、それ 笑)いい人と思われようとしてると思われることが嫌とか?(めんどくせえ 笑)よくわかりません。

東海道本線で茅ケ崎まで行く車内の中、おばあちゃんが立っていました。 四隅の学生くん。 ビジネスマン。 ホストっぽいの。 OLはそれぞれ全員寝たふりか、ゲームに夢中。

僕がいる席からは少し離れてましたが、「おかあさん、こっち来なよ」と手招きして席譲る間も連中は寝たふりか、ゲーム。

(関東の地理に詳しくない僕は、予想以上に茅ケ崎まで遠くて、立ちながら、ちょっと失敗したかなと思わないでもなかったけど 笑)

しばらく経って、おばあちゃんの隣に座っている人が下車した際、おばあちゃん、今、空いた隣の席のシートをポンっ、ポンっと叩き「空いたわよ」と口パクで教えてくれました。

隣に座った瞬間、僕の耳元で「今日ね、主人にね、いいことあったわって帰ったら話すの」と。「なにがあったの?」と聞く僕にキョトンとした顔で「席、代わってくれたじゃなーい!」と嬉しそう。「 ヤメときなよ、そんなことでお父さん喜ばないよ」という僕に「もう10年この線に乗ってるけど、席を譲ってもらうことなんて滅多にないわ」と説明してくれました。

お年寄りが、電車内で席を譲ってもらったことが家族に話すトピックになる国

そこだけは日本は後進国、だと僕は思っています。

「あ。 以前、アメリカ人さんに譲ってもらったことがあるわ。 なんかね、その人はオーストラリアに住んでる白人のオジさんだった」

おかあさん。 多分その人、オーストラリア人だと思うぞ(笑)。 (でもどっちにしても日本人じゃないんだ…)

これらの話を日本の方にすると必ずされる返答があります。

「イヤ、実は日本人もみんな席を譲ってあげたいんだ。 だけど、シャイだから行動に出れないだけなんだよね」

そういった類いの返答をされます。

なるほど。 確かにそうかもしれない。いや、おそらくは僕もそう思います。 アメリカ人より、オーストラリア人より、日本人の方が絶対、優しいということを僕は知っているから。 その意見に100%同意です。

ただ、シャイだから行動に出ないのであれば一生シャイで家に閉じこもってたら? とも思ってしまいます。

人と人の距離感の違い―。 あまりに他人のスペースを尊重する文化は尊重しすぎて、助けの手すら差し伸べないなら。

距離感間違えてるよ

2~3年前、ニューヨークのエンパイアーステートビル付近で射殺事件がありました。この街でソレ自体は珍しいことではないのですが、まだ息のある絶対安静の被害者おせっかいニューヨーカーたち救急車が来る前に運んじゃって殺してしまった事件がありました。 やっぱり日本の方が正しいかも? 距離感。

image by: Shutterstock.com

 

NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』 より一部抜粋

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共謀罪が成立した日

2017-06-15 | 雑感

ついに今朝、共謀罪が成立してしまいました。

「テロ等準備罪」と名前を変えて内容をカムフラージュし、衆議院でも参議院でも強行採決。しかも、参院法務委員会での採決を省略する「中間報告」という異例の手続きを導入しての、まさに強引なやり方。

国連の特別報告者、ジョセフ・ケナタッチ氏は共謀罪が「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と警告していたし、

世界100以上の国・地域から2万6000人を超す作家らが参加する国際組織「国際ペン」は、共謀罪法案に反対し、〈日本国民の基本的な自由を深く侵害することとなる立法に反対するよう、国会に対し強く求める〉とする声明を発表するなど、

国際的な批判を多く受けていたにも拘わらず、議会は廃案に出来なかった。

野党の弱さ、だらしなさを追及する声もたくさん聞こえてくるけれど、それは同時に、私たち国民の弱さ、だらしなさに他ならない。

夕方のニュースを見ていたら、「決め方はよくなかったと思うけど、やはり必要な法律だとは思う」とか「テロは怖いし、オリンピックもあるし、決まって良かった」などのコメントもけっこう有り、びっくり!

私たち日本人はあの頃と何も変わっていない。何も学んでいない。全く進歩していない。

85年前、国際連盟のリットン調査団の報告を否定し、忠告には耳を貸さず、ただ自己主張するばかりの政府を良しとしていた頃と。

あの頃と違って、こんなに情報は得やすくなったのに。

なぜだろう?なぜ、私たちの人権が侵されそうな法案の強行採決を許してしまって平気なんだろう?

不思議でならない。脱力感と不安感でいっぱい。

 

そんなとき、こんなメールをいただきました。

発信者は「あすわか」。
「あすわか」とは「明日の自由を守る若手弁護士の会」のことです。
http://www.asuno-jiyuu.com/

 

 共謀罪(テロ等準備罪)が作られた今、「これからどうすればいいの」
 と震えるすべての方へ。

 どうか、けっして、萎縮しないで下さい。
 その震え、その不安こそが権力の狙いなのですから。
 私たちには自由にものを考え、表現する自由があります。
 心の中を誰にも覗かれない自由があります。
 憲法に違反する共謀罪のせいで、皆さんが自発的に自由を手放したら、
 永遠にこの国の民主主義は帰ってきません。
 一人ひとりが考え、表現し続けることは、「共謀罪」を運用させずに
 死文化させる大きな圧力になります。

 それから、万が一、おかしな政治に声を上げる市民が共謀罪で捜索
 されたり逮捕されたりしても、けっして「犯罪者」扱いしないでください。
 テロ等準備罪というまがまがしい名称で、「もの言う市民」を反社会的な
 存在かのようにレッテル貼りする手口に乗せられたら、排除を恐れて
 みんな考えることを止めてしまいます。
 自由に政治を批判してなにが悪い、という風を吹かせ続けましょう。


 国民の心を侵すことになんのためらいもなく、同法案に賛成した
   政府・与党、すべての国会議員を、私たちは忘れません。
 全身の血が沸くほどの怒りをもって、あなたたちを許しません。

 いくらでも濫用できる条文で「物言う市民」を恫喝する現政権に、
 民主主義国家の舵を取る資格はありません。


 落胆、やりきれない思い、徒労感。すべての重い気持ちで押しつぶされ
 そうになっているすべての人へ。
 それでも希望はあるのです。あなたがその怒りを前向きなエネルギーに
 変えてくれる限り!
 私たちはいまある自由と、自由でいられる社会を手放したくありません。
 子どもたちの尊厳と自由も、穏やかな民主主義の社会も、手放すつもりは
 ありません。
 自由を行使し続けることでしか、自由は守り抜けない――憲法が問いか
 ける「不断の努力」の覚悟を、「彼ら」に見せつけましょう。

 私たちあすわか570名は法律家として、主権者として、「不断の努力」で
 共謀罪を廃止させることを誓います。

 

そして、田中優さんのメルマガにも同様のメッセージがありました。

 

共謀罪成立
 
今日は共謀罪の成立した日だ。戦後の焼け野原から新しい社会を求めてきた時
代の終わる日だ。もちろんこれは悲劇だが、一方で再建の日の始まりでもある。
本当に自由と民主主義を求める勢力が、新たな時代を作り始める日でもある。
 

昨日までの、ただ数とカネと権力に寄り掛かった考えることをしない人たちの
時代から、誰もがきちんと自分の考えを持つための始まりの日でもある。法は廃
止できる。それを目指すことも大切だが、死文化させることも重要だ。すなわち
適用できない状況を作ってしまうことだ。立法機関(国会)は法を作ろうとする
が、実際には使うことのできなかった法文もたくさんある。本来廃止すべき法が
放置されたままになっている事例もたくさんあるのだ。つまり立法は万能ではな
いのだ。
 

憲法は生き続けている。憲法は、憲法に反する法の制定を禁止している。
だから共謀法が違憲となれば、法の側が効力を失う。それが違憲立法審査権の趣
旨だ。ただしそれは個別の事件によって審査されるので、まず法によって罰せら
れる事件が先になければならない。しかしそれが明瞭に違憲であるとすれば、
行政側もその法を使うことに消極的になる。つまり死文化するのだ。

 
共謀法の成立によってそれを「忖度」し、自己規制することが最も危険な変化
となる。抵抗は特別なことをすることではない。今まで通りに暮らすことだ。
大切なのは自己規制せずに今まで通りに在ることだ。そうすることが最大の共謀
法適用に対する規制になる。特別な事情がなければ「違憲立法」となる可能性が
高まる以上、法を使うことができないからだ。

 
抵抗は特別なことではない。法が存在しなかったときと同じように暮らすこと
だ。そして、もしそれが共謀罪の適用対象になったならば、違憲立法だと主張し
よう。なんだか大きな段差を乗り越えてしまったように感じるかもしれないが、
実は事態はあまり変わっていない。それが浸透するならば、次に法を廃止させよ
う。

危険なのは委縮すること、自己規制することだ。メディアがダメになったと聞
くことも多いが、実はテレビ視聴率、新聞購買数ともに減り続けている。今や最
大のメディアがSNSやブログなど、インターネットに移行しつつあるのだ。
そう、自らがメディアになればいい。
 

違う状況になってはいても、私たちには別な次元の自由がある。
そこに次の時代の萌芽がある。
 

2017.6.15 記  

 

そうですよね。 

今のままで、今までのままでいましょう。

共謀罪に忖度することなく、

憲法で保障された人権を行使していきましょう。

憲法こそが最高法規なのですから

 

 

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国会が死にかけている

2017-06-10 | 雑感

国会が死にかけている

http://worldpeace7.jp/?p=1009


アピール WP7 No.125J
2017年6月10日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 高村薫


かつてここまで国民と国会が軽んじられた時代があっただろうか。

戦後の日本社会を一変させる「共謀罪」法案が上程されている国会では、法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない。聞くに耐えない軽口と強弁と脱線がくりかえされるなかで野党の追及は空回りし、それもこれもすべて審議時間にカウントされて、最後は数に勝る与党が採決を強行する。これは、特定秘密保護法や安全保障関連法でも繰り返された光景である。

いまや首相も国会議員も官僚も、国会での自身の発言の一言一句が記録されて公の歴史史料になることを歯牙にもかけない。政府も官庁も、都合の悪い資料は公文書であっても平気で破棄し、公開しても多くは黒塗りで、黒を白と言い、有るものを無いと言い、批判や異論を封じ、問題を追及するメディアを恫喝する。


こんな民主主義国家がどこにあるだろうか。これでは「共謀罪」法案について国内だけでなく、国連関係者や国際ペンクラブから深刻な懸念が表明されるのも無理はない。そして、それらに対しても政府はヒステリックな反応をするだけである。

しかも、国際組織犯罪防止条約の批准に「共謀罪」法が不可欠とする政府の主張は正しくない上に、そもそも同条約はテロ対策とは関係がない。政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである。

政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない。

「共謀罪」法案についての政府の説明が、まさしく嘘と不正確さで固められている事実を通して、この政権が「共謀罪」法で何をしようとしているのかが見えてくる。この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである。

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どこまで落ちるのか、この国のメディア

2017-01-28 | 雑感

「のりこえねっと」(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんが27日、東京MXテレビの番組「ニュース女子」の1月2日の放送に対し、悪質なデマであり人権を深く傷つけたとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会へ申し立てました。

辛さんの見解は次の通り。

 

 1月2日に放送されたTOKYO MX「ニュース女子」は、とにかくひどかった。

 見ていて、こみ上げる怒りを抑えるのがこれほど難しかった経験はかつてなかった。胃液があがってきて、何度も吐いた。その後も、何げない会話の中で突然涙が出てきたり、幾日も眠れぬ夜を過ごし、やっと眠れたと思えば悪夢にうなされた。

 私が、この番組の放つ悪意に冷静に向き合えるようになるまでには、時間が必要だった。友人や報道陣からの問い合わせに簡単な返信すらできなかったことを、この場を借りておわびしたい。

 いま、可能な限り、私の思いを言葉にしてつづりたいと思う。

 「ニュース女子」の手口は、基地反対運動について、徹底的にニセの情報を流すというものだ。

 現場にも行かず、当事者にも取材をしない一方で、反基地運動によって迷惑をこうむっているというニセの「被害者」を登場させる。そして、「沖縄の反基地運動はシンスゴという親北派の韓国人が操っている。参加者はカネで雇われたバイトで、その過激な行動で地元の沖縄人は迷惑している」というデマを流して視聴者の意識を操作する。

 これは、沖縄の人々の思いを無視し、踏みにじる差別であり、許しがたい歪曲(わいきょく)報道である。また、権力になびく一部のウチナンチュを差別扇動の道具に利用して恥じない「植民者の手法」でもある。

 多くの報道で、「ニュース女子」が取材もせずに番組を作ったことが指摘されていたが、彼らは取材能力がないためにネトウヨ情報を検証もせずに垂れ流してしまったのではない。この番組は、「まつろわぬ者ども」を社会から抹殺するために、悪意をもって作られ、確信犯的に放送されたのだ。

 だから、間違いを指摘されても制作会社はコメントを拒否し、MXテレビは「議論の一環として」放送したと開き直っただけだった。公共の電波を使った放送を担う企業としての体をなしていない。

 為政者にとって、自分になびかない者の存在は、自らの優越性を否定されるため最も憎い存在であり、だから国家体制を批判する者には「非国民」のレッテルを貼り、他の国民が寄ってたかって攻撃するよう仕向ける。その手先としてメディアを使う。そこにあるのは「愚かな国民など、この程度のことを吹聴しておけば簡単にだませる」という国民蔑視だ。

 国家権力の素顔を見抜き、闘いを挑んでくる「生意気な非国民ども」に対しては、ただつぶすだけでは飽き足らず、嘲笑して力の差を見せつけた上で、屈辱感を味わわせようとする。「ニュース女子」が、年始特番の、しかも冒頭で私を名指しして嘲笑したのは、私が怒って抗議してくると想定した上でのことだろう。感情的になって抗議してくればそれを笑い飛ばす、抗議してこなければ、「抗議してこないのは、報道内容が正しかったからだ」と宣伝材料に利用できる。どっちにころんでもおいしいというわけだ。

 私も、沖縄の人々も、平和を希求する者は、一方的に攻撃されているのに、それが被害であること、ヘイト・スピーチであることを、被害者の側が実証しなければならないという理不尽な立場に立たされる。私は、毎日仕事をしながら、家族の介護をしながら、シェルターを運営しながら、怒りを抑えて問題を冷静に見つめ、膨大な時間を費やしてBPOに提出する文書を書かねばならない。

 その必要がなければできたはずの、睡眠時間や、家族・友人との大切な時間、幸せ、楽しみといった人生本来の意味をも、一方的に奪われている。相手を嫌でも闘わざるを得ない立場に追い込み、休息する権利、声を上げる権利を奪うのは、それ自体が人権侵害なのだ。そしてこれは私だけのことではなく、沖縄の人々が置かれている状況も同じだ。

 私はなぜ、在日への差別だけでなく、さまざまな差別に声を上げるのだろうか…。

 時に、自分でも不思議に感じる時がある。お金も、時間も、体力も、あらゆるものを犠牲にして、どうしてここまでやるのかと。もっと楽な生き方ができたはずなのにと言われたことも、一度や二度ではない。

 確かなのは、被差別の歴史に共感する胸の痛みがあるということだ。

 歴史や文化は異なっているが、ウチナンチュも在日朝鮮人も、日本の国家体制によって植民地支配を受け、人間としての権利を保障されず、排除・差別されてきた。

 ウチナンチュは日本国籍を付与された一方で島ごと奪われ、沖縄戦では「国体」や本土の日本人を守るための捨て石にされた。敗戦後は膨大な米軍基地を押し付けられ、いまも命・生活・人間の尊厳など多くを奪われ、抑圧されている。

 朝鮮人は、頼んでもいないのに帝国臣民にされ、日本兵の下請け・弾よけとして最も危険できつい労役につかされた揚げ句、敗戦後は日本国籍を一方的に剥奪され、国籍がないことを理由に戦後補償の対象から外され、「外国人」として排除、差別を受けてきた。

 経緯に違いはあっても、植民地支配の対象とされてきた点では同じ位置に立たされている。

 そして、私は「殺せ」と言われ、沖縄の友人たちは「ゴキブリ」「ドブネズミ」「売国奴」「土人」と言われ、まとめて「反日・非国民」とくくられている。沖縄で起きていることは、私にとって他人事ではないのだ。

 彼らの痛みは私の痛みでもある。在日としてこの国に生を受けた以上、見て見ぬふりは許されないと私は思っている。

 「どんな発言にも表現の自由はある」と「中立公平」を装い、サイレント・マジョリティーの位置を確保して高みの見物(これこそが特権である)をする人々の沈黙によって、「在日」も「オキナワ」も、孤立無援の状態で表現の自由を奪われている。

 差別と闘う責任は、被差別の側ではなく、差別構造を作り出し温存する側にこそある。この国の主権者は、自らの社会から差別をなくすために払う努力を、主権を奪われたままの在日に押し付けてはならない。同様に、沖縄に押し付けてもいけない。

 新しい基地をつくらせないという闘いは、ヤマトンチュ自らが政治の中枢部でなすべきであり、そうしなければ根本的な解決には至らない。

 いまこそ、マジョリティーが矢面に立って闘わなければ構造は変わらない。
自分に火の粉が降りかからない限り動かない者が多数派の社会に、未来はないのだ。

 デマを流し、政権の先兵として憎悪扇動を行うこの番組を、決して許してはならない。あらためて、それだけは言っておきたい。

 

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これって竜巻雲?

2016-12-11 | 雑感

昨日の夕がた、ベランダにて。

洗濯物を取り入れて、目の前の佐世保港に目を向けると・・・

ん、あれは何?

赤崎岳の向こうの空に不思議な雲。

なんか・・・竜巻っぽくないですか?

4本ほど螺旋状に立ち昇る雲が見えます。

やっぱり竜巻!?

急いでパソコンで気象情報をチェック。

竜巻注意報など、見当たりません。

テレビでも竜巻被害などのニュース速報は無く、一安心。

 

そのまま忘れていましたが、今日、竜巻雲で検索してみたら…

えー!地震の前兆?

そっくりな雲が地震雲として掲載されていたり、
https://matome.naver.jp/odai/2141675938695146201

http://fusitan.net/0036/#i-28

竜巻(らせん)形の雲を見たら8日以内に地震が起きると書かれていたり、
http://tomarigi.xyz/jishingumo-gazou/ 

驚きの情報がいっぱい。

 

おっと、ヤバイ、ヤバイ。

DeNAが運営する「まとめ記事サイト」のデタラメ記事が話題になったばかり。

そう言えば最初に紹介したサイトもmatome.naverだし…。

 

こういう時は、やはりWikipediaですね。

こちらで調べてみると、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E9%9B%B2

地震の発生と地震雲とよばれる雲の発現との因果関係は不明(まず存在しない)とされている。

とのこと。ホッ。良かった~

 

そして、らせん状のこの雲は、気象学的には漏斗雲と呼ぶらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%8F%E6%96%97%E9%9B%B2

 

いずれにしても、竜巻も地震もおきませんように。

地震、台風、火山噴火など自然災害の多かった2016年もあとわずか。

残りの日々がどうか穏やかでありますように。。

 

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弱者切り捨て、日本が世界一!?

2016-10-04 | 雑感
一昨日(10月2日)のTBSテレビ 【サンデーモーニング】で、衝撃的な調査結果を知りました。
 
それは<風をよむ>のコーナーで提示されたものです。
 

 

 
 
 
 
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思いがけない・・・

2016-03-14 | 雑感

3日前の夜、阿蘇に住んでいる夫から突然の電話。

今どこにいる?

どこって・・家にいるよ

じゃあ、ちょっと下まで降りてこない?

下って?

「さかなや道場」

はぁ?!

 

なんと、阿蘇にいるはずの夫が、マンションのすぐ隣のビルの1階にある居酒屋に!

すでに寝間着姿だったので、慌てて着替えて駆けつけると…

 

今日は通院日で(私は聞いてなかった)、その後友達と会って飲んでいたそうで、

すっかりできあがっていました。

私も1杯だけお付き合いして、早めに連れて帰ると、バタングー!

 

翌朝、もう帰ると言う夫を誘ってお墓参り。

高い高速代やガソリン代を使って通院だけじゃ、あまりにももったいないもの。

少し早いけど、お彼岸の墓参としました。

 

いいお天気だったので、ついでに「展海峰」まで海を見に行こうか?

と誘うと、早く帰らなきゃと言う。

それで、すぐに戻り、五番街のケンタッキーでチキンを買って、

(夫の好物。阿蘇にはケンタッキーがないから来るたびに買って帰る)

マンションまで送ってくれて、では「バイバイ!」

と、熊本城の絵柄の白い袋を渡して走り去って行きました。

 

なんだ~、熊本のお土産を買ってきてたのね~

と部屋に入って、中のものを取り出すと、

あれ?

中に入っていたのはリンゴバターと黒い袋。

これは?・・・ははーん!

そうか、もうすぐホワイトデーなのでお返しのチョコレートだ!

金色のビニタイを解いて中のものを取り出すと、

ほらね、やっぱりチョコだ。

どれどれ、どんなチョコが入っているのかな?

と取り出すと、

 

ジャーン!

出て来たのは、DVD「風に立つライオン」でした

 

観たかった映画です。

見逃してしまった~と私がぼやいていたのかもしれません。

それを覚えていてくれたのでしょう。

 

早く観たいな~

と思いつつ、まだ、やるべきことが終わらなくて・・・

後の楽しみに取っておこうと思っています。

 

素直に言います。  ありがとう!

                     

 

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春よ来い!

2016-01-03 | 雑感

今年の年賀状には「おめでとう」の言葉が使えませんでした。

新年早々、自分に嘘はつけなくて。

 

来年のお正月は、素直に「おめでとう」と言いたい。

そのためには、

「見ザル聞かザル言わザル」ではなく、

「見よう、聞こう、言おう」を心掛けたいと思います。

少し勇気がいるけれど・・・。

 

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ネパールの地震被災者救援のお願い

2015-05-01 | 雑感

約ひと月ぶりのブログ。

怠けてばかりで、もう誰も見ちゃいないだろうな~と思いつつ、発信させていただきます。

埼玉の友人Oさんからネパールの被災者への支援のお願いメールが届きました。

Oさんは私よりも一回りほど年上ですが、市議を卒業した今も市民の先頭に立って、

脱原発運動や平和運動に心血を注ぎ頑張っています。

そして、石木ダム反対の署名もたくさん集め、いつも温かいエールを送ってくれます。

そのOさんから届いたのは、ネパール地震被災者への救援活動のお知らせと情報拡散のお願いでした。

さっそく以下に貼り付けます。

どうぞご覧になってください。

できましたらカンパや品物の提供をお願いいたします。

そして、良かったら、お知り合いに伝えて下さい。

よろしくお願いします。

 

 

みなさま
新座に事務局があり、おもに東上線沿線で活動している「アジアの留学生と交流する会」
の有志から、ネパールの地震による被災者救援のお願いが届きました。
「交流する会」は、1988年、新座に住むバングラデシュからの留学生が餓死したことを
契機に発足し、アジアからの留学生との交流、奨学金の支給などの活動をしています。
ネパールからの学生とも交流していますが、その1人で社会人になっているシュレスタ
リーザンさんが、本国の仲間と救援活動を始めています。

https://www.facebook.com/reejan.shrestha/posts/10152741164331916?comment_id=10152742579291916&offset=0&total_comments=8

日本赤十字・NHKなども募金を募っていますが、現地の政府などを通した救援よりも、
このように個人が自発的に立ち上げた救援活動のほうが、早く確実に被災者に届くと
思い、お知らせいたします。

みなさまも日本での活動で精いっぱいと思いますが、お知り合いなどに広めていただ
ければ幸いです。  

【現金】
振り込み口座:(本プロジェクト専用口座)
ゆうちょ銀行 記号番号 10000ー99894101
シュレスタ  リーザン

〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町2-37-5 日新ビル2F
貸切パーティー&ダイニングカンパイ新宿店
電話:03ー6233ー7813
【品物】下記のみに限らせてください。
疑問点等あれば上記の電話番号に問い合わせてください。

●カロリーメイト、ポカリスエット、粉もの等
●ブルーシート(大き目で軽いもの)⇒レスキューシート
●マスク(布式・長持ちするもの 使い捨てでないもの)
●フラッシュライト
●使い捨てトイレ

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皆さん、
リーザン君から資金・物品調達など続々と報告が来ています。
FACEBOOKを覗いてみると、彼ら若い仲間の熱のこもった行動報告・意見交換状況が垣間見られ、その情熱・行動力に圧倒されています。
資金調達(29日現在): 317,700円
支出:         190,619円
リーザン君からの報告で、明日UPS(国際宅急便の会社)で最初の100Kgが発送されるそうです。
現地の混乱(特にカトマンズ空港の一時・部分的閉鎖や混雑)により、先方に届けられるのはまだ1週間以上かかりそうな様相だということですが、とりあえず一歩を踏み出しました。
リーザン君
からは早く現地での手渡しができるよう祈って下さいとのことでした。
また、仲間の二人が数日
以内に現地に飛びます。彼らも数10Kgの救援の品物を無償で持ちこめるよう航空会社と交渉しているようです。
若い彼らの情熱と行動力に頭が下がります。うまくいくことを一緒に祈って下さい。

アジアの留学生と交流する会・林

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